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5話 パラサイト

「それでね、幸村さんの車が言ってたの。今年は例年よりとっても早い寒波で、もう各地で雪が見られるんだって」


 食堂に着くと、案の定話し合いが始まる。とは言っても私は話しに参加すると言うよりは立ち会うだけで、時折クロユリが上手く話しを振ってくる。それに私は一言二言で済まし、シレネとクロユリは会話を弾ませた。

 別に私は会話に加わりたくないとか、加わりたいとか、そう言うのではない。ただ会話の内容よりも、楽しそうに喋る二人の姿を見ているほうが有意義だった。シレネはころころと表情を変え、クロユリは声色を変えて喋る。それが見ていて、聞いていて面白い。

 そうしていると他の子たちが食事の時間になったと姿を現し始める。入り口から一番近い席に座るクロユリは入って来たその者たちの名前を呼んで軽い挨拶を交わす。

 同時にシレネも手を振って見せ、向こうもまた反応を返す。中には私に声を掛ける者もいて、それには頷いて返した。

 各々が自分の席に着き、後は時間になるとスタッフがワゴンを押して今日の食事を運んで来るのを待つばかり。その運ばれて来るものは決まって弁当。どこの弁当かは知らないが、公安6課が人数分買い込んでそれが私たちの食事になる。偶に担当官の人と外食を済ます者もいるが、基本的には朝も昼も晩もそれは変わらない。

 私たち以外の人たち、つまりは襖さんたちは休み時間に一度施設の外に出て、食事を済ませるのだろう。少なくとも食堂で食べる人を見たことがない。もしかしたら私たちが使っていない時間帯に同じように食べているのかも知れないが、そうは思えなかった。

 ふと前の対面する席を見て、それが空席なのを確認する。その席はここ数日空席で誰かが座る気配はない。

 それもそうだ、そこに座るのはアイビーだからだ。彼女はよく譜面を無視してピアノを弾くのが好きで、けど迷いなく鍵盤を弾くその姿に騙される。まるでその弾き方が間違いではないと思ってしまうほど、丁寧に弾いていたからだ。

 だから同時に口ずさんでいた歌も支離滅裂な歌詞だったが気にならず、私はピアノの順番が回って来るまでそれを聞く。

 しかし、そのアイビーは今はもういない。だからこそ、最初に座った席を皆そのまま継続して座り続けるのなら、私の前の席は空席でなくてはならない。

 そして同時に、それはもうあの歌を聞くことがないと言うことだ。


「アイビーのことが気になるかしら?」


 シレネとの会話の合間、不意にクロユリが私に尋ねる。私はまたクロユリたちの方に視線を向けると、向こうもこちらに視線を向けている。


「なんだか安心したわ。さっき聞いた時素っ気なかったから、何とも思ってないんじゃないかって。そういう風に空席だとか、連想させる物があったりして形に残ってたりするとなんだか気になるわよね?」


「……別に、ただ見ていただけ」


「ふふ、それでもいいわ。無意識のうちにでも引っ掛かるモノがあるってことは、無関心じゃないってことよ。私こう見えて嬉しいのよ? あなたたちが仲良くしていた証拠じゃない」


 アイビーと私が仲良くしていたかどうか、それは当事者が知ることだ。

 結論から言えば、そうなのだろう。私にピアノの弾き方を教えてくれたのがアイビーで、楽譜の読み方を教えてくれたのも、そもそもがアイビーだ。

 アイビー自身は担当官の若林に教わったのだろう。彼女自身が独学で学んだとは考え難い。

 結局のところは私と違い、歌うことの方に熱を入れていたようだが、教えて貰わなければ私は弾けなかったのは変わらない。

 特に言い争うこともなければ、ピアノの順番を取り合ったかどうかも言うまでもない。となれば、やはり『仲良くしていた』と言えるだろう。

 私は「そうね」と言うと、クロユリは「そうそう」と頷く。シレネを挟んで飛び交う会話に、文字通り会話の中心になっているシレネは左右にキョロキョロと顔を向けていた。


「でも、そう言うクロユリの方が気にしているように見える」


「もちろん、気にならないわけじゃないわ。だからどう、この後時間があるようだし会いに行く? あなたが行けば喜ぶと思うわ」


「会いに……? 誰に?」


「アイビーによ。どうしたいかしら?」


 主導権を譲るようにして回答を待つクロユリに、少し考える。

 この後何かしたいこともなければ、指示されていることもない。ただ時間を流し、時を待つだけ。それならばクロユリに付き合った方がいい。それに『狩られた』アイビーに会いに行くなんて、ちょっとした好奇心がないわけでもなかった。

 あわよくば、その会いに行く途中にでもバッタリ襖さんに出会ったならば御の字だが、なんにしても、断る理由がないのが一番の理由なのかもしれない。


「……わかった。行く」


 頷いて返すと、クロユリは私の回答に満足そうに同じく頷き、人差し指をぴんと立てる。


「じゃあ、食べ終わったら第一処理室に行きましょ? ふふっ、誰かと一緒行くなんて久々ね」


「あたしは食べ終わったら幸村さんと一緒に見回りに行くの!」


 話しの終わりとばかりに、シレネはとクロユリは自身の予定を言い合う。そんなシレネにクロユリは「多々良さんとのデート楽しんでね」と言うと、シレネは笑って見せた。

 そうこうしている内に、どうやら食事の時間になったようだった。運ばれてきた食事もそこそこに、食べ終わると他の子たちの行く先と違い、私はクロユリは連れて別の方向へと向かう。

 この行為自体、公安6課の人たちにとったらいるべき場所にいて欲しいと愚痴を零すのだろう。だがクロユリはそれをわかっている上で私に提案した。それがただの気まぐれなのだとしても、上手い言い分を用意しているはずだ。

 そんな風に考えていたが、結局は特になにか起こることもなく私たちは目的の場所に着いた。


「ここよ。ルリチシャは初めて入るかしら?」


 クロユリはそう尋ねるも、私の答えを聞く前に部屋へと入って行く。

 そこは眼が痛くなるぐらい真っ白な部屋で、同じような白い石碑が道を空けてズラリと並んでいた。

 クロユリに連れられて、第一処理室に来た私はその光景に軽く眉をしかめる。遠近感が狂うほどの部屋を進むクロユリのその後ろ姿は、まるで別の世界へと踏み込んだように不安定になり、私も続いてその世界へと足を踏み入れる。

 白い石碑には部屋の奥から手前に至るまで存在しているが、手前にあるほどまっさらで、なにも手が施されていない。ただそこに出番を待つかのように鎮座している。

 だが逆に奥の石碑には文字が刻まれていてる。ただ一文だけだが、それと同時にこの世界にとって異様なモノが供えられていた。

 その中の一つの前に足を運ぶと、クロユリは屈みその石碑に手を合わせる。私もそれに真似して形を取る。


「ごめんなさいね。本当は前もって飾り物を用意しようとしてたのだけど『生きてる前から死後の準備なんて縁起が悪いんや』なんて言われて、もう少し待ってね」


 時順先生の口調の真似だろうか、そんなことを言ってクロユリは今一度深く手を合わせ、眼を閉じる。

 クロユリの言う通り、見てみればその石碑には一文が刻まれているが、他の刻まれている石碑と違いあるものがない。

 その石碑の一文には『Ivy』と刻まれている。それがなんなのかはわかるが、この石碑はあの歌声を出すとも、ピアノを弾くこともない。これがあの、とも思ったがそれは口には出さなかった。

 少し後、クロユリは赤黒い瞳を出し、合わせた手を離す。そしてまた少し間を空けて、ゆっくりと立ち上がった。


「死体を回収しに行った処理班の人の話しでは、血痕のように広がるアイビーの綺麗な髪が不気味なほどに場違いで、アイビーが若林さんを呪い殺したんじゃないかって。全く、失礼な話しよね」


「アイビーが担当を?」


「やめて、そう言う風に見えるような現場だったってだけ。ルリチシャは襖さんに手を上げられる?」


 その質問に私は首を左右に振って答える。仮にやれと言われてもやりたいとは思わないし、やらないだろう。

 尋ねたクロユリはそもそも答えが知っていたように、それを見る間でもないと私に背を向けたまま。だが私が首を振ったことは伝わったようだった。


「若林さんが生きていれば、若林さんが来るのが一番なんでしょうけど……逝ってしまったものね。待ち人来ずか、なんだが寂しいわね」


 クロユリは石碑を見下ろしながら呟く。

 クロユリの言う通り、担当であった若林が来れば一番なのだろう。仮に私だったなら誰よりも襖さんの姿が浮かぶ。それで考えるならば、今こうして私たちが来たところで大したことではないのかもしれない。

 アイビーと若林の関係がどんなものかは、残念ながら良くは知らない。友好だったのか、それとも不仲だったのか。

 確かなことが言えるのは、流した長い黒髪は恐らく誰よりも綺麗で、艶めかしい。担当官にでも言われたのだろう、髪が綺麗だと。人一倍髪の毛を気にしていた。ピアノを弾く後ろ姿に微かに揺れ踊る髪はそれだけで絵になるような、アイビーはそんな子だった。


「……ねえ、ルリチシャ。もしも何かがあって、もう二度と襖さんに会えなくなってしまったら、あなたならどうする?」


 すると不意にクロユリは私に質問を投げつける。私はその横顔を見るが、クロユリは変わらず石碑を見下ろしていた。


「それは襖さんに何かが起こったってこと?」


「そうね、例えば『狩られた』とか」


 答えるのもはばかられるような質問だった。無表情なこともあり、クロユリはなにを思ってそう言ったのかわからない。

 私はそんなクロユリから一度視線を外し、辺りを見渡す。何処までも続いて行きそうな白さに飲み込まれそうで、白すぎて、まるで色が無いかのような部屋。

 そんな中、私は誘われるように隣の石碑に供えられているモノを摘んだ。それは色だった。一文が刻まれている石碑の前には決まって一輪の造花が供えられている。

 色とりどりの、別々の種類の花。それが白い中で浮き出るように存在し、姿を表している。赤色に、黄色、良く見るような色なのに、それがこの異世界では何倍も綺麗に見えた。

 そして生前に使っていた物なのだろう、刃物や鈍器、それもまた色となって供えられている。アイビーの石碑には造花も物もまだ供えられていないが、それが色付くのも時間の問題なのだろう。

 その造花が供えられていた石碑に刻まれている一文を見ると、それは聞き覚えのあるものだった。


「させない。私が襖さんを護る」


 自分で言って可笑しいとは思ったが、私は続ける。


「もしかしたらって思うことはあったけど、初めて襖さんの調査に同行してわかった。私が思っていた以上に襖さんは一人で戦っていて、危険な目に遭っていた。それは今だって……」


 私は更に辺りを見渡し、石碑に刻まれている一文を確認する。だが部屋の奥の石碑になるにつれて、その一文は聞きなれないものへと変わっていく。

 だがその色は綺麗で、私は自分が気付かない内に視線を奪われていた。


「どう護るのかなんて私にはわからないけど、今もこうしてなにも出来ていないけど、私は襖さんに何かあって欲しくない」


「……感動的ね。けど自分で言っていたけど、わからないのにどうやって護るのかしら? 言葉ではどうとでも言えるけど、あなたに襖さんが護れるの?」


 それについては私はなにも言えない。クロユリの言うことはもっともで、調査に同行した時の結果を見ても反論できる余地はない。

 わかっている、私が言っているのは所詮は願望だと。


「それに、それは私の質問に答えられてないと思うわ。なってしまった後のことを聞きたいの。大丈夫、これはもしもの話しよ。私だってそうなって欲しいわけじゃないわ」


 言い効かすようにクロユリは言い、私たちはそこで互いに顔を見合わせる。変わらない無表情が私を見て、瞳に私が映す。

 私はその赤黒い瞳を真正面から見詰めて言葉を探し、そして出て来た言葉は存外普通なことだった。


「その時はきっと、私は私を許さない」


 摘んだ造花を石碑に戻し、そう宣言する。きっとこの言葉に偽りはない。

 護ろうとして守れなかったのか、逆に護られた結果なのか。なんにしても、その時が来るのだとすれば、それは私が襖さんを護り切れなかったと言うことだ。

 襖さんに会えなくなる。待っている人が来ない、会いたい人に会えない。その寂しさは私には良くわかる。いや、わかってるつもりだ。

 実際にその時にならない限り、なにをどう言おうが、考えようが、憶測でしかない。それこそ私にはわからないことだ。


「クロユリだったらどうする? 襖さんに会えなくなったら……」


 クロユリに私も同じように尋ねる。何故こんなことを尋ねたのか、それを確かめる意味を込めて。

 ただ気になったから、と言うのは通用しない。その質問はどうも本気で聞いていて、何時ものような躍動する声に混じっていたが、それを確かに感じた。だからこそ、私は答えた。

 すると私の質問にクロユリは「私?」と苦笑い声混じりにひらひらと手を振る。


「私の場合、腹が立って不貞腐れたわ。だってさよならも言わないし、相談もなにも、言い訳さえもして貰えなかったわ。それなのに勝手にいなくなって、腹が立たないわけないじゃない」


「……どういうこと?」


 まるで体験したかのような言い方に、質問した私の方が首を傾げる。


「そのままの意味よ。ルリチシャは知らないでしょうけど、襖さんは数年間6課を離れていたの。いえ、あれは事実上の退職ね」


「退職? 襖さんが?」


「言ったでしょ、色々あったって。そろそろ行きましょう、騒がしくしてたら失礼よ」


 私の知らない襖さんの話し。頭の中で優先順位が一気に変わるのを感じた。だが、肩を竦めたクロユリは出口に向かって歩き出す。白い部屋を進むその背中を私はただ見送って、距離だけが開く。

 談話室の時と同じだ、話すことを避けている。クロユリは襖さんのことを嫌っているのだろうか。いや、それはない。本当にそうなのであれば、そもそも話題に出さないだろう。それに襖さんのことを喋るクロユリは、何処か楽しげにも感じる。

 ただ、核心を言おうとはしない。まるでそのことを言うのがはばかられるように。私はその遠ざかる背中に一つの疑問をぶつける。それは、あの時感じたものと同じものだった。


「『前の子』のこと?」


 するとその言葉にクロユリは立ち止まり、慌てて私を見る。もちろん、表情は一切変わってないが、驚いているのは一目瞭然だった。

 あの情報屋、東郷が言っていたことだ。前の子と違って私は、と。それは私が東郷と会う前に、襖さんが私じゃない別の誰かを連れて、会いに行ったことがあると言うことだ。

 それは誰かは知らない。ただ単に、襖さんは誰かを連れていた時に東郷にあっただけかもしれない。

 だがそうじゃない。言葉にはできないが、確かな疑問が私の中で渦巻いて尽きない。襖さんに大きく関わるなにかなのだと、そう思うから。


「知ってたの? いえ、それよりも誰から聞いたの?」


「関係ない。クロユリ、知っているなら教えて」


 何時もより早口で言うクロユリに私も言い返す。ここで問い詰めなければ逃げられてしまう、そんなふうに思ったからだ。

 そんな私にクロユリは言葉を詰まらせ、視線を逸らす。充血した赤黒の瞳を動かし、腕を組むその姿は明らかに落ち着かない様子で唇を閉じる。

 すると動く視線がとある場所を見る。一瞬だったが、確かに意思を持って視線を向けたのを私は見逃さない。

 私は振り向き、その視線の先を探す。場所は石碑が並ぶ一番奥の列。刻まれている一文が聞いたことのない部分だ。

 だがその一瞬の視線では完全に場所を特定出来ず、私はその辺りの石碑を見回しているとクロユリは観念したようにため息を吐く。


「……わかったわ。けど場所を変えましょ、ここじゃ嫌よ」


 ・


 暗闇の部屋で、視界に広がる光景は異様な風景なのかもしれない。

 部屋の中心に、スポットライトに照らされているかのように手術台のような台が一つ。そこにはとても分厚く、丈夫な機械に拘束された女性が悲鳴を上げていた。

 それを囲む集団は防護服に身にまとい、その拘束されている女性をまるでモルモットの実験を見るかのように手元のカルテにペンを走らせる。

 その中に一際目立っているのは時順先生。窓越しに――とは言っても室内の音がスピーカーを通してだが――聞こえて来るその声は何時もと違い、甲高く楽し気に喋っている。

 時順先生の話し相手は周りの部下たちではなく、拘束されている女性だった。嬉々として女性の眼前に用意された装置を動かし、固定されている顔の目玉に合わせた。

 装置の先端には針が付けられていて、女性の眼球が吸いつけられるようにそれを見詰める。いや、固定されているからこそ、それを見る他ないのだろう。口をふさがれ、くぐもった女性の悲鳴が聞こえる。

 すると時順先生は楽しそうに笑い、目玉に合わせた装置に手を掛ける。一層悲鳴が大きくなる中、指示を受けた装置はゆっくりとその命令を遂行しようと動き始める。

 針が下がり始め、その先端が女性の眼前で止まる。一瞬、まるでその針がこれから起こることを伝えるかのように、光を反射し、きらりと輝いた。

 ――ああアァぁッ!!

 留め具が外れた歯車のように、それは動き出す。一気に針が眼球へと突き刺さり、目測、指の長さはあろう針が眼球へと姿を消していき、女性の悲鳴は限界に達する。

 固定され切っていない手の指先が痙攣するように震える。痛みを耐えるように足の指が縮こまる。刺されていない片目は何処を見て良いのかわからず錯乱している。

 言葉にならない悲鳴の中、助けて、とそう言った。


「針が水晶体を貫き、ゼラチン質を通り抜いて脳髄の奥の奥に入って行くこの感覚がわかるだろォぉ?!」


 その悲鳴に負けないぐらい時順先生は叫ぶ。いや、それは叫ぶと言うよりは歓喜の声だった。まるで感情を隠すことなく、無邪気な子供のように、嬉しそうに。

 そんな時順先生を周りの人たちは黙って見守り、何もしない。食べ、寝て、起きる。当たり前のことを気に留める人は少ない。もしそうでなければ、今頃時順先生の行いに対して一人は声を上げているだろう。だから誰もが声を発さない。行われている行為に対して傍観を止めない。

 クロユリが言うにはこの光景を見たいと言う人はほとんどいない。頭の固い人をもてなす時や、新人の研修の一環として見せることはあっても、その後に自発的に見に来ることはない。

 そして見たがる研究員の人たちは、そもそもが窓越しには見ずに中で直接参加する。

 つまりはこの部屋を設けたのは良いが、結局は誰も使わない。人目もついでにカメラも行き届かない。偶然か必然か、ここ第四研究室は密会場にするなら持ってこいの場所となっているらしい。

 すると隣から呆れたようにため息が吐かれ、私は釣られて横を見る。


「アレさせなければ良い人なのだけど、こうなると変人になってしまう……人間って不思議よね。一人なのにまるで二人いるみたい」


 クロユリは人差し指を立て、次に中指を立てる。私は二本の指を見て、時順先生を見る。

 食堂に向かう途中で会った時とは違い、確かに今の時順先生は何時もと様子が違う。あんな大きな声を出しているのは初めて見るし、なによりも雰囲気が違う。

 私の知る時順先生はブランド物を身に纏い、サングラスに隠れた瞳を隠す。そして奇声を上げるようなことはせず、どちらかと言えば至って普通の人だ。

 だが、それでも窓越しに見えるその男性は時順先生でないわけじゃない。奇声を上げようが、叫ぼうが、それは変わらない。

 逆に仮に本当に二人存在していたのなら、それは嫌だ。診察室に呼ばれる頻度が単純に二倍になったら、それこそ、その時に聞かれる『困っていることに』なる。


「時順先生は一人しかいない。二人には見えない」


 それを否定するように言うと、クロユリはそうじゃないと首を横に振る。


「多面性のことよ、一つの物事でも色んな見方があるってこと。例えば、あの吸血鬼」


 立てた二本の指をそのまま倒し、台に拘束されている女性を指差す。


「あの吸血鬼は私たちと違って、学校に行って、進学ってことをして人間として暮らしていた。それが今は吸血鬼とわかってあの状況。面白いでしょ? 人間だったのに吸血鬼とわかったらコロッと変わってしまう。けど人間として過ごした時間が変わるわけじゃないわ。あの女性は一人だけど、人間でもあるし、吸血鬼でもある。もっと細かく言えば一般人であり、子であり、孫であり、今は時順先生のモルモット。これが多面性よ……多分ね。本にはそんなふうに書かれていたわ」


「また本の知識?」


「ルリチシャも本を読みなさい。『死後硬直』とか『防御創』とか、誰かに教えて貰うにしろ、知らなかったら尋ねることもできないわ。だから今、こうして時順先生たちも吸血鬼のことを知ろうとしているのよ」


 クロユリは透明の壁に背中を預け、変わることのない顔を私に向ける。そして今度は親指を立て、自分の背後を指す。そこには先ほどから同じ光景が流れ、絶え間ない悲鳴が続いていた。

 何処から手に入れているか知らないが、クロユリはよく本を読むらしい。その姿こそあまり見ないが、仕入れた知識を時々披露する姿を見ることはある。

『言霊』と言う言葉を教えて貰ったのも、もちろん彼女だ。その知識が正しいかは私にはわからないが、どうもクロユリは知識をため込み、それを吐き出すのが好きらしい。

 襖さんのことは、言う気はないようだけど――

 私は指差された光景をただ眺めていると、クロユリも肩越しに見る。

 装置を動かし、何やら測定器のような物を使って作業を進めていた時順先生が、防護服から見える顔をこちらに見せる。

 流石に防護服の中にはサングラスを外していて、厳つい顔が良く見える。同時に興奮からか、ギラギラと瞳を輝かせていた。


「まあ、本当に知りたいのは吸血鬼じゃなくて、中の蟲なのでしょうけど」


「中の蟲……」


「ええ、そうよ。けど不思議よね、一匹のただの蟲が……そう、多面性に溢れている。研究の対象で、恐怖の対象で、そしてなにより私たち……6課が存在する理由」


 クロユリは一度言葉を止め、私を見た。

 その眼は私に許可を求めるもので、私はそれを受け入れる。互いに目配せを済ますとクロユリは後ろ手で窓の縁を触る。

 すると聞こえていた時順先生の声や悲鳴が一切聞こえなくなり、その違いで私とクロユリの間の沈黙が大きく感じた。

 クロユリが語り始まる。


「そもそも、吸血鬼は民話や伝承に登場する架空の存在で、その名の通り、血を吸って栄養源にする不死の存在。ヴァンパイア、という名でも知れているわ。現代においてよく知られている吸血鬼のイメージはヨーロッパを発祥とするイメージが強いけど、伝承自体は世界各地で見られているの。その発祥は、死んだと思って埋葬したら実は仮死状態で、蘇生してしまったのを誤解したとか、埋葬した死体が死蝋などによって腐らずに残って、そういった死体を見たことによる錯誤などが発祥とされているけど……これらは所詮逸話。本当の所は違うわ」


 もたれていた体を離し、クロユリは身振り手振りを交えながらゆっくりと歩き出す。


「カタツムリに寄生するロイコクロリディウム。ネズミに寄生するトキソプラズマ。さっきも言ったように蟲……人に寄生する寄生虫。それが正体だった。だから逸話で言われるような日光に晒されても灰にはならないし、十字架も怖がらない。この蟲は人の脳にとりつき、寄生された人間は蟲により狂人的な身体能力を得て、同時に攻撃的になる傾向が視られるわ。そして一番厄介なのが、周期的に起こる他人に噛み付こうとする強い衝動に駆られること……蟲がそうさせるのよ。寄生された人間の血液には大量の寄生虫の卵が流れていて、それを噛み付くと同時に歯茎から血を出し、相手に付着させる……血液感染によるパンデミック。他人から見たら、噛まれた場所には大量の血が付けられ、噛まれた相手は感染して同じになる。そんな異様な光景から、その血が噛んだ方だとは誰も思わないわ。これが『吸血』鬼伝説の始まり。まあ、血が出るのは歯茎だけとは限らないけど?」


 そしてそのパンデミックを阻止する為に創られたのが公安6課、と物語るクロユリは手をひらりと動かす。私はそんなクロユリを目で追いかけながら小さく眉をひそめる。


「知ってる、出所不明の内部寄生虫。虫卵は肉眼では認識できないほど小さく、成虫は様々な形を成し脳に取り付く。しかし現在の医療機器ではその存在を確認できない」


 もしパラサイトの姿が映るレントゲンを撮ったならば、宿主の身体は脳を始めとした様々な部位が虫の巣のようになっていのるかもしれない……教育の一環で聞かされた話しだ。今更説明などされなくとも、私が対峙する相手がどんな存在かはわかっている。

 だが、それは重要なことではない。私が聞きたいのはそんなどうでもいい話なんかじゃない。


「……それが、どう襖さんと関係するの?」


「ルリチシャ、焦らないで。さて、この公安6課だけど……私たちが所属しているここ、6課6係り、特殊兵器運用試験班は何時発足したか知ってる?」


「いえ……」


「こっちは知らなかった? 結構最近なのよ。そうね……もう8年かしら。発足当時のメンバーは今でも覚えているわ。時順先生はもちろん、襖さんだってそうなのよ」


 それについては、へぇ、と素直に思う。だが言葉が続かない、なにを言えばいいかわからないからだ。

 先ほどクロユリが言っていたが、尋ねることができない。襖さんのことを聞きたいのはわかっているのだが、襖さんのなにを尋ねたいか、自分でもわかっていない。

 少なくとも、今わかったのは襖さんは8年間戦い続けていたと言うことだろうか。いや、確か数年間離れていたと言っていたからそれよりも短くなるのか。

 そう思って、ならばそのことを聞けばいいのかと気が付く。が、その前にクロユリ自身がそれを答えてくれた。


「当時の襖さんは担当組の第一責任者だった。けど、ある時襖さんは姿を消してしまったわ。理由は明白――」


 クロユリは腕を前に出し、たった一つだと人差し指を立てる。


「襖さんが当時担当していた子を殺したから。あなたが護るって言う襖さんはね、必要とあらば私たちを殺すような人間なの」


 背中に何かが駆け上がるのを感じた次の瞬間、私はクロユリに向かって手を伸ばしていた。

 すると一つだけ立てていた指の残りの四本を立て、そのまま私の腕を掴み止めたクロユリは無表情のまま私を見る。対して私はその赤黒い瞳に自分が映り込んでいることがわかるぐらい睨み付ける。

 それらはほぼクロユリが言い終わると同時だった。

 掴まれた腕に力を入れるとその瞬間だけ前に進むも、直ぐに押し戻されてしまう。赤黒の瞳の中にいる私の眼が更に鋭くなる。だがクロユリは無表情を絶やさない。もし第三者がこの光景を見れば、私の方が不利に見えるだろう。


「なにをそんなに怒ってるのかしら? 襖さんがそんなことするはずないって? それとも襖さんを悪く言ったからかしら?」


「そんなこと――」


「けどね、ルリチシャ。これがあなたが知りたがっていたことじゃないのかしら?」


 ハッと私は息を飲んだ。もしクロユリが言っていることが本当ならば、確かに私が望んだことなのかもしれない。襖さんのこと、私の知らない昔の襖さん。だが、これが私の知りたかったことだろうか。

 腕から力を抜き、掴まれていた腕を振り払う。すると先ほどとは違い抵抗もなく簡単に自由になる。


「それが、昔の襖さんが担当していたのが……前の子?」


 私の問いに、クロユリは頷く。


「仮に、仮にクロユリが言うことが本当なら、なにを言いたいの? いえ、それよりどうしてそれを今になって言ったの?」


「聞かれたから答えた、じゃあ答えになってないわよね」


 フッとクロユリは笑って見せる。もちろん表所は変わっていないが。

 元々聞かれて言うつもりがあるのなら、既にクロユリは喋っているだろう。襖さんの好きな食べ物や、吸っていた煙草の銘柄、聞くよりも早くに言って、これは知っていたか、と新たに喋る。

 それなのにこれまでクロユリは言わなかった。誤魔化し、言わなかった。私が前の子の存在を口にするまでは。それだけその存在は大きく、核心をつく何かなのか。

 私はクロユリの言葉を待つように沈黙を守っていると、クロユリは後ろに手を回す。


「どこであの子のことを知ったかは知らないけど、それってもう、私の中であなたが無関係じゃなくなったってことなのよ」


「関係……?」


「ええ、第三者の私と違って、あの子と同じ襖さんを担当に持つあなたなら、口を出しても誰も文句は言えないでしょ?」


 そう言って、クロユリは言葉を転がす。その顔はいつ見てもやはり変わらず、無表情のまま私を見ていた。


「『どうして殺したの?』って」

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