10話 親なくして子なし
こうしてここに来るのは二回目になる。あの時は確か、私と襖さんは直ぐに戻ってしまったため、あまり周りを調べていない。
吸血鬼に『狩られた』遺体があった路地の横、と言うよりはその路地に面した場所にある店。そこには荒瀬から得た情報にあった、店の名前と同じ店舗が建っていた。
その店のショーウインドーにはギターが飾られ、そんなギターを弾き鳴らしている、何かのロゴが入っているTシャツに上から革製のジャケットを着ている男が写っているポスターが貼られている。そしてその近くの壁に貼られているビラには、その男が着ているのと同じ種類の服が安売りされていることが書かれていた。
「店主の名前は増井 健矢、年齢三十代後半の男性だ。店は個人営業で音楽関係を取り扱ってる」
大門が手帳を開き、そこに書かれていたことを読む。
「病葉とルリチシャが6課に呼び戻された後、聞き込み捜査したんだが、ここにはギターとかの他にそう言った服だとかグッズが確かに置いてあったぜ」
「その時には増井と言う男は、事件に対してなにか言っていたのか?」
「情報ゼロだ。本人は寝ていて気付かなかったと言ってた、怪しさ満点だろ? 害者の写真でも見せつけてやりゃ良かったんだろうが、当日だったからな、持ち合わせてなかった」
人の記憶ってのは簡単に忘れるからなぁ、と大門は早期に尋ねた理由を言うが、それに付いて襖さんはたいして気にしている様子はなかった。
「寝ていて気付かなかった? 当時ここに寝泊まりしてたのか?」
「ああ、寝泊まりしていたと言うよりは住んでるらしい。店舗兼住居として使ってるって話しだ。自宅前での殺人、まあ、ない話じゃなねぇな。後は上手く尻尾か証拠を掴めればいいんだがな」
と言うことは、吸血鬼が『狩り』を行っている最中、その増井と言う者は壁一枚隔てて眠っていたと言うことか。まあそれは、話しが本当ならばと言うことが前提で、増井自身が吸血鬼だという場合にはもちろん矛盾する。
そう考えると、この前私と襖さんが駆除した吸血鬼と比べて、頭が回るのか回らないのか。どちらにしても、すでに大門が状況証拠なるものを手に入れているらしく、嘘がバレている。
後は駆除するだけ。この一帯を封鎖するか、対象を仕上げ場所に呼び込めば後は切り捨てる。私は肩に掛けている長袋を背負い直し、横を見ればダリアも小脇に抱えている長袋を持ち直していた。
「大門、別に警察の時みたいにやる必要はない。吸血鬼かどうか見分けるだけでいい、最悪監視を付けて再犯を待てばハッキリする」
「生憎だがな、病葉。事件ってのは未然に防ぐのが一番だ。だが今の世の中あちこちでデモだの殺人だの治安が悪い、メディアはそれでまた警察を騒ぎ立てるが、実際人手が足りねぇんだ。一つの事件に警察関係者が何人必要か知ってるか?」
こっちの都合も考えて欲しいものだ、と大門はすっかり自分が刑事ではないことを忘れているかのように愚痴を零す。襖さんはその隣で適当に頷いて相づちを打ち、店に入るタイミングを待っていた。
それに気付いた大門は襖さんに軽く謝罪して、行くぞ、と店のドアを開ける。店の中が見えるガラス張りの手動ドアで、大門が先に入り、離れないようにダリアが入店して、次に襖さん。もちろん、私もそのよれたコートの背中に続く。
店内には天井の角に付けられているスピーカーから何かしらの音楽が流れ、暖房が効いていて外よりは暖かい。壁にはギターといった音楽関係の物が値札とともに飾られ、通路にはハンガーに吊るされた服が並べられている。
その衣服の間を抜けて、レジカウンターがある奥へと進むと一人の男性が見えて来る。その男は、外に貼ってあったポスターの男を老けさせたような男性だった。
「いらっしゃ……ああ、あの時の刑事さんでしたか」
表情から苦労がにじみ出ている男性は、大門の顔を見て更に額にシワを寄せる。
「どうも、増井さん。何度もすいません、今日もまた少し話しを伺わせていただきます」
「いえ、殺人現場が目と鼻の先ですからね、仕方ありませんよ。それで今日は新しい刑事さんも一緒で……なんですか?」
増井はちらりと襖さんを見て、小言を漏らすように答える。対して襖さんは店内を見渡していた。
大門は背広の懐から手帳を取り出し、ペンを構える。
「いや、簡単な質問ですよ。事件当時のことをもう一度と、その日に来店したお客さんの話しを聞かせて貰おうと思いまして」
「そう言いましても、その時自分は熟睡していて何も知らないんです。お客さんも特に言うことも無くて、そっちからすると嘘かと思うかもしれませんが、うちも客足に影響が出て困ってるんです。これ以上他に言うことは……」
「父さん、どうしたの?」
増井が言い淀んでいると、その後ろから幼い声が聞こえる。見てみればレジカウンターの後ろの布で仕切られた部屋から男の子が顔を出していた。
その男の子は何処か増井と同じような雰囲気を持っていて、関係者なのだとわかる。振り向いた増井の顔を見て、次に襖さんと大門の顔を見て警戒するように目を細める。
「ヒロ、父さんは大事な話しをしているから、奥に行ってなさい」
増井がそう言うと、ヒロと呼ばれた男の子はつまらなそうに口元を歪める。そして奥の部屋に戻るために、また布を潜ろうとする。
途中、店内にいる私と視線がぶつかり、一瞬動きを止める。しかし何かを言うこともなく、まるで逃げるように布を潜り抜け、奥へと姿を消す。
見送った増井は襖さんと大門に視線を戻し、すいません、と謝るように頭を下げた。
「息子さんがいるなら外で話しを伺いますか。子供に聞かせるような話じゃないでしょう」
頭を下げた増井に大門は立てた親指を外に向けて、そう提案する。増井は少し間があったように思った後「……そうですね」と素直に従う。
レジカウンター横に掛けてあった上着を手に取り、増井はそれを着ながら大門に従うように外へと向かう。その後ろを、しっかりとダリアが付いて行く。
事情を知らない増井からすればダリアの存在に疑問を持つのだろう。だがそれは私の時のように、被害者の関係者と偽れば問題ない。その時は妹と言って襖さんが誤魔化したが、ダリアの場合は何になるのか。
そう思っていると、扉を開け出て行くダリアが意図して私に視線を向けた。しかし何かを言う訳でもなく、そのまま後ろ手で扉を閉めて、外へと出る。
「……襖さん」
店内に私と襖さんが残り、二人だけになった私は自然と襖さんに視線を向ける。だが襖さんはその場所で外の様子を伺うと、次に視線を向けたのは奥の部屋へと続く布だった。
襖さんはレジカウンターの裏まで歩いて行き、そのまま布をめくり部屋の奥を覗く。そしてその布を潜って行き、私もそれに付いて行く。
「なるほど、一般的なリビングルームか……」
布の奥には、一つの間取りの部屋にテーブルや二人掛けのソファー。壁際にはギターや服が掛かっていて、積み上がった段ボール箱には恐らく商品が詰まっているのだろう。
流石に風呂やトイレは別のようだが、この部屋一つで完結させているのか、小さいながらもキッチンスペースも存在している。
すると更にその奥に続く倉庫などで見るような金属製の扉が開き、先ほど姿を見せた男の子が顔を覗かせる。襖さんを見て驚いた様子を見せるも、扉を後ろ手で閉め、思いのほか直ぐに襖さんに近寄って来た。
「えっと、おじさん、警察の人?」
「……ああ、そうだ」
「やっぱり。じゃあ、アレ? 家の前で起こった殺人事件を調べてるんでしょ。もう犯人は見付かったの?」
「いや、まだだ。今君のお父さんに協力して貰っている」
襖さんが答えると、男の子は見下した態度で「まだなのかよ。それが仕事だろ、さっさと見つけろよ」とふてぶてしい態度を取る。しかし襖さんはそれに慣れ切っているように肩を竦めて見せる。
「なら犯人逮捕にお前も協力してくれないか? 確かヒロとか呼ばれてたな、事件のことどこまで知ってる?」
「……なにも」
「なにも?」
聞き直す襖さんに、ヒロは不満げな表情を見せる。そしてそれを誤魔化すように、頭を掻いて毅然とした態度を見せようとする。
「父さ……親父がなにも教えてくれないんだよ。家の前で殺人が起こったってのに、気にしなくていいとか、子供扱いするなって」
ヒロはふんと鼻を鳴らし、不満を口にする。その話しが本当なら、ヒロは誰が死んだかも、事件のことを何一つ知らされていないと言うことになる。
とは言っても、誰が死んだ、殺されたとなど、大門が言っていたように子供に聞かせることではないのかもしれない。もちろん、見た目が同じとだとしても、私たちカマキリはまた話しは別だが。
私はそんな話を聞きながら辺りを見渡すと、一つの物に目が行く。壁際のギター等と一緒に、私が良く使うピアノが置いてあった。
施設の談話室に置いてあるピアノとは違い明らかに小さく、平べったいが白いと黒の鍵盤は健在だ。それに良くわからないボタンやツマミがあり、私が使うピアノとはまた別の種類のピアノなのだろう。
ふらりと近付き、私はピアノの前に立つ。そして指を伸ばし、手始めに鳴らそうと適当な鍵盤を叩く。
「……?」
だが不思議にも音が鳴らなかった。鍵盤は下がったものの音は出ず、代わりに鍵盤を叩いた時の乾いた打音だけがむなしく鳴る。
その隣の鍵盤を叩かくも結果は同じ。指を右から左に流し、グリッサンドと呼ばれる技を試みても、どの鍵盤も反応はなかった。
「それ、電源入ってないよ」
どうやら壊れているのだと理解すると、不意にヒロがそう言う。どういうことかと私はヒロを見ると、近付いて来て、ヒロはピアノに付いているボタンの一つを押す。
パチンとスイッチが入るような音がすると、ピアノの前にいる私の隣からヒロは手を出し、鍵盤を叩く。すると先ほどまで音を奏でなかったのが嘘のように、しっかりと反応を返すようになる。
だがそれは私が思っていたような音とは違った。確かに押した鍵盤の音ではあったが、私が知っている音とは違い、電子的。私も鍵盤を叩いてみるも、電子的な音が返って来て、思わず直ぐに指を放す。
「キーボード、出来るの?」
「……キーボード?」
「これのことだよ。まさかピアノとキーボードの違いもわからないの? ほら退いて」
ヒロは私とピアノ、いや、キーボードに割って入り、電源とは別のボタンやツマミをいじる。そして鍵盤を叩き演奏を始めた。触れるだけあって、何の曲かは知らないがちゃんとしたメロディーになっている。
「あなたは、出来るの?」
「そりゃできるさ。バンドマンの息子だぜ? あ、元バンドマンだけど。ギターとかドラムとか一通りできるんだぜ! て言うか、君誰? なんでいるの?」
尋ねられ、私は横目で襖さんを見る。襖さんは話しをする私たちを余所に、部屋の中を調べて回っている姿が見える。
私は少し考え、視線をヒロに戻すと口を開く。
「……事件の関係者」
「へぇ、いいな。オレも関係者だってのに、のけ者にしてさ。たくっ……」
私がそう言うとヒロは珍しいものでも見たような顔をして、また不満を口にする。何が良いのかはわからないが、どうやらヒロには現状に不満があるらしい。
するとヒロは演奏を止めて、その不満をぶつけるようにキーボードの電源を切る。そしてキーボードを持ち上げて――力が足りていないのか、それとも横着しているのか、ほとんど引きずっているが――ヒロは電源を切ったキーボードを壁際へと運ぶ。
運んでいる最中、ヒロはちらりと私を見て「なあ、君、名前は? オレは博之って言うんだ、ヒロって呼ばれてる」とぶっきらぼうに尋ねる。何故か少し上擦ったようにも聞こえたが、それは恐らく物を運んでいたからだろう。
「ルリチシャ、そう呼ばれてる」
「るりちしゃ? え? 外国人じゃないよな。えっと、愛称――」
「おい、この扉から出て来たが、ここの部屋は寝室か何かか?」
キーボードを置き、振り向きながらヒロはまた尋ねる。だがそれを全て言い終わるよりも先に、襖さんが声を挟む。見てみれば襖さんはヒロが出て来た奥の金属製の扉の前に立ち、考えるように顎を触りながらその扉を調べていた。
「そ、そうだけど、勝手に開けるなよ?! オレの部屋がなに?」
「お前の個人部屋か? それとも親も一緒か?」
「もう子供じゃないんだ、一人で寝れるって。父さ……じゃなくて、親父はそこのソファーで何時も寝てるよ」
ほら、とヒロはテーブル横のソファーを指差す。いたって普通の数人掛けのソファーの端に、寝るための掛け布団が置いてあるのが見える。
襖さんは、そうか、と相づちを打つ。しかしそれには興味がないようで、扉に付いている鍵を閉めたり、開けたりして動作を確認していた。それを見て、私もなにか吸血鬼の手掛かりを探した方がいいのではないか、と辺りを見渡たす。
「なら深夜、お前は自分の親が何しているか知らないのか」
「どういうことだよ」
「じゃあ、お前は深夜なにしてるんだ、寝てるだけか?」
「そんなの――」
襖さんが質問し、ヒロが答える。そんな時に店の入り口から音がして、慌てるように布を潜って増井が顔を出す。どうやら大門の足止めは終わったらしい。
「何してるんですか!? 勝手に部屋に入って!」
「ああ、すいません。息子さんにも話しを聞かせてもらっていたんです。なにも知らないみたいですね」
「当たり前です! 息子は関係ありません! 話せることは全部話しました、もう帰ってください!」
まくしたてるように増井は襖さんに言い寄り、私は警戒する。もしその腕が襖さんのどの部分でも掴もうものなら、そう思いながら肩に持つ長袋にゆっくりと手を伸ばす。
しかしそうなることはなかった。襖さんは増井に謝罪し、その場は事なきを得て、私たちは店を後にする。途中、振り返って見てみると、増井はヒロの肩に手を置いて何かを言うと、安心させるように微笑んで頭を撫でていた。
ヒロはその手を止めようとしたが、手を掴むだけで、弾くことはしなかった。その顔は複雑で嫌がっているようにも見えて、喜んでいるようにも見える。だが、撫でる手を結局振り払わない所を見ると、感情的にどっちが勝っているかは見て取れる。
外に出れば大門とダリアが待っていた。中での襖さんと増井とのやり取りを想像してか、大門は困ったように笑いながら私と襖さんを迎える。
「それで、大門が納得のいく証拠は掴んだのか?」
「いや、証言だけじゃ意味がねぇ。で、そっちはどうなんだ?」
路地を抜けながら、寒空の中で襖さんと大門は会話を始める。襖さんが尋ねて、大門が答える。逆もまたそうで、大門が質問し、襖さんが答える。会話の内容は言うまでもなく、仕事。先ほどの増井たちの話しだ。
私もダリアも襖さんたちの後ろを付いて行きながら、その話しに耳を傾ける。すると会話が一段落すると、不意に大門が気まずそうに頭を掻く。
「なんかアレらしいぞ、話しを聞くに奥さんとは別居中らしい。今は男手一つで息子を育ててるって話しだ、元バンドマンが今じゃあ立派な父親だ」
大門はそう言うが、襖さんはさほど興味がないのか適当な相づちを打つ。対して私の隣を歩くダリアはハッとしたように、過敏な反応を見せたのは言うまでもない。
「なあ、病葉。吸血鬼の駆除が済んだ後の身内ってのは確か……」
「俺たち裏組は接触禁止、表向きの公安6課とロクイチが相手をする。それとも子供のことを言ってるのか? 大門の方が良くわかってるんじゃないか?」
「まあ、そうかもだな……」
眼を逸らし、大門は口を濁らせる。
「そもそも子供がいる、親がいると言うのは前もって知っていたことだろう。寄生虫は湧いて出て来たかもしれないが、その寄生された人間はそうじゃない。これまで俺たちが駆除した吸血鬼も例外じゃない、まさか同情してるのか?」
今更だ、と襖さんが言うと、大門はそれ以上何も言わなかった。大門自身、元々わかっている上での質問だったのだろう。それでも今回の相手に幾分か思う所があり、それが口に出たのかもしれない。
そんな大門に、少し先を歩いていた襖さんは足を止め、振り向き、軽くではあるが大門に向き合う。
「やりにくいと言うなら、この件はこっちが対処するが?」
「いや、そう言う訳にはいかねぇ。これはオレのヤマだ」
足を止めた襖さんの横を大門は通り抜ける。それに合わせて、襖さんも再度歩き出す。
「そうか。まあ、確かにこの件はお前が担当だ、好きに判断するといい。俺は手伝えと言われれば手伝うし、外れろと言われればそうする。この件は6課殺しとの関係は極めて低そうだしな」
「そう言うなら協力してくれ。まだ確定じゃねぇが、相手が相手だ、処理場に呼びつけるのは難しいだろう。なら人手があった方がいい……ダリア、それでいいな?」
大門が肩越しに振り向き、後ろのダリアに尋ねる。ダリアは自分の担当者の顔を見上げ、次にその視線を横に向けて襖さんを見て、そのまま私を見る。
「はい、大丈夫です。僕に任せてください」
何時もの様に目尻を尖らせてダリアは答える。すると大門は振り返り、良し、とダリアの頭を撫でる。私はそれを横目で見ると、薄く染まる頬が見えた。
嬉しいものは嬉しい、か。私は視線を襖さんに向け「私も、頑張りますから」とその背中に言うが、襖さんは振り向かない。私の声は届いているのだろうか、届いているのなら、私も――
なんて、そんなこと考えて、ハァ、と白い息を独りで吐く。襖さんの色あせたコートの背中を追い掛けながら。




