第一話 ソシラの村へ(2)
楽しんでいただけたら幸いです。
しばらくは更新を続けて、カクヨムに移行して連載しようと思っていますので、よろしくお願いします。
「ーーーーーーもう少しで凱旋門だ」
そう、行者の男は誰となく呟いた。
気づけば馬車はシャンゼリゼ大通りへと差し掛かっていて、遥か前方には小さく見える凱旋門が荘厳な佇まいで建っていた。
見慣れた凱旋門。
我が愛する祖国フランスの象徴。
名誉と栄光の象徴。
多くの英雄を送り出し、迎え入れた凱旋門を、今アンナを乗せた馬車が通り抜ける。
朝焼けに照らされた凱旋門は神々しくも、アンナの目にはどこか物寂しそうにも映った。
いつもは人でごった返すシャンゼリゼ大通りも、多くの市民や商人や軍人や旅人がひっきりなしに行き交う凱旋門もーーーーーー、だいぶ人気がなくがら空きであった。
凱旋門の前に立つ衛兵たちもどこか暇そうに突っ立ており、遠目でも大あくびを噛ましているのが確認できた。
アンナは念には念を入れて、籠に寝かされたソフィーの顔を柔らかな毛布で包み(勿論息がしやすいように)、万が一衛兵たちに確認されてもバレないように顔を隠した。
緊張で体が強張る。
バレたらどうしよう。よくない考えが頭を過る。不安で不安で心臓が押し潰されそうになる。
アンナの気も知らないで、馬車は少しずつ大通りを進んでいき、一リュー(一リューは現代の距離で四kmほど)も満たないまでに凱旋門へと差し掛かろうとしていた。
フゥーと息を大きく吐いて、襟首に巻いたスカーフを整え終えたのと同時に、馬が嘶いて馬車が多きく揺れた。
どうやら凱旋門前に到着し、警備している衛兵どもに進行を停められたようだ。
ったく、早いのも考えものね。
アンナは馬車の中で体を硬くして、聴覚に全意識を集中させて衛兵と行者のやり取りを把握すべく耳を澄ませた。
「どこへ行く? 今は非常事態故に、身分が分からぬ者の出入りは制限させてもらっている」
「そんなの知ったことじゃねぇよ。俺たち市民には関係のないことだ。客を乗せてるんだよ。子連れの女だ」
「子連れの女?」
「そうだ。夜逃げだろうよ。まぁ、ここで暮らすより他所で暮らした方がよっぽどマシな暮らしが送れるだろうさ」
好き放題言ってくれる。
というか夜逃げって。もう少しマシな嘘がつけないのだろうか。
「なけなしの金を払ってまで馬車に乗って、他所へ逃げようってんだ。そんな女をお前らは尋問して捕らえるってのか?」
「ーーーーーーならば一度馬車の中を見せろ。顔も分からぬ女を通すわけにはいかない」
「あぁ、好きにしろ」
「では、失礼するぞ」
戦慄が走る。
ガチャガチャと金属製の鎧同士が擦れ合う音が断続的に響き、ついで馬車の客車の扉を叩く音が耳に入る。
アンナは自然体を装って、衛兵たちの前へと姿を見せた。勿論、ソフィー姫も一緒に。
アンナたちの姿を視界に入れた衛兵たちは顔を見合わせると、
「おい、女。お前、名はなんと言う?」
「アンナと申します。つい先日まで王城で侍女の職に就いていました」
「侍女か。城というとベルサイユ宮殿か?」
「はい。そこで皿洗いなどの雑用を申し付けられてておりました」
「そうか。今日では宮仕えでもまともな給金は支払われぬと聞く。かくいう俺もそうだ」
「おい、滅多なことを口にするな」
不遜な言葉を口にした同僚の肩を小突く中年の衛兵。上司の忠告に気付いたのか年若の衛兵は慌てて口をつぐみ、話題を変えるようにしてアンナへと詰め寄って来た。
「ま、まぁ!! あれだ、子連れでは今のパリでは暮らしにくいだろう。反乱が鎮静化するまで離れるのは懸命な判断だ」
「では、凱旋門を通過するのを許可してくれるので?」
「まぁ、そうだな」
「だが、一応身体検査もとい手荷物等の検閲はさせてもらうが、よいな?」
「はい、その程度ならば・・・・・・」
「では、失礼するぞ」
そう言うな否や衛兵たちはアンナたちの体や、ソフィーが寝かされた籠や馬車の中をくまなく調べ始めた。
見ず知らずの男たち(いくら衛兵とはいえ)に、体をくまなく触られる感触に恥ずかしさと嫌悪感を抱くアンナ。
しかし、我慢しなければ。
ここさえ無事に何事もなく突破できれば・・・・・・、私たちの身の安全は保証されたも同然だ。
全身を這い回る男たちの触診を我慢すること数分間。どうやらアンナの嫌疑は晴れたようで。
「ーーーーーー長らく引き留めて悪かったな」
「気を付けて行くがいい」
「・・・・・・はい」
アンナは衛兵たちに一礼すると、素早く馬車の中へと戻った。後ろ手で扉を閉めると同時に行者は手綱を繰って馬車を発進させた。
アンナは一息つくと、最後の思い出にと小窓からパリの街並みを見続けた。後ろに流れる景色を瞳に焼き付けながら、アンナの意思関係なく馬車は走る。
凱旋門の下を通り抜けるのはほんの一瞬だ。だけどその時間がいやに長く感じる。
この下を通ったのは今回を入れて二回だけ。
最初の一回は上京した時。
あの時は、そう。
希望と幸福に満ちていた、若き娘時代の自分。
まさか、あの当時、自分がこんな大役を一任されるとは露ほども思わなかった。
だが、運命とはどう転ぶか分からぬもの。
望もうが、望まないが、私のようなただの人間は大波に翻弄されるしか成す術がないのだから。
そうこう考えている内に、馬車は凱旋門の下を無事に通過したようだ。
それを見計らったかのように、行者の男が話しかけてきた。
「上手く切り抜けられたな」
「・・・・・・運がいいだけのことですよ」
「そうかい。んで、どこまで行くんだ?」
「そうですね。では・・・・・・、十リュー先のラナー村までお願いします」
あいよ、と行者の男は短く相槌を打つと、手綱を振るって馬車の速度を上げるのであった。