第八話 平清盛
仕事が終わり昼過ぎには屋敷の戻る。そこには侍女と物寂しそうな今若の姿があった。
「ちちうえ、ははうえはもどりませんか」
やはり母である常磐に会えないのが不安らしい。そこを宥めようと義朝は彼を抱き上げる。
「案ずるでない。きっと母上だって今戦っている最中だろう」
「みなおなじことをいいます」
少し不服そうな姿もまだ幼い子供らしくいじらしい。
「今若に弟が生まれるんだ。楽しみだろう」
「……わかりません」
腕のなかで丸くなる姿はまるで猫のようで義朝は優しく今若の頭を撫でる。
「大事な時に大切な人と一緒にいられないのは寂しいことだな。それは俺も同じだ」
「ちちうえもですか」
意外そうな顔で今若はこちらの顔を覗きこんでくる。信じられないとでも言いたげに。
「ああ、お互い心配だろうがこればかりは神仏に祈るしかない」
そして今回のお産で常磐の命が無事であることを祈るばかりだ。
「いのるって」
「神様、仏さまにお願いすることだ」
「でもきいてくれなかったら」
やはりどこか不安を感じているのは親子同じだった。
「それでも信じて祈るんだよ」
それが今できる唯一のことだからと付け足すとおとなしく今若はうなずいた。
「それでは俺は今宵安芸守(平清盛)との顔合わせがあるから」
「けっきょくちちうえはいないんだ」
そこを突かれると痛いところだったが義朝ははっきりとうなずいた。
「母上が戻ったら今若が一番に迎える。それがいいだろう」
「うん」
その言葉に満足したらしい。侍女に今若の世話を任せると義朝は武器の手入れを始める。普段は若い衆に任せているがやはり自分でしないと納得のいく出来にはならない。
戦が近いとわかっているからこそ手を抜きたくなかった。
「安芸守とはまた立派な方と対面する。粗相がないようにしたいな」
まだ宴は始まらないというのに義朝はやたらと緊張していた。それが自分らしくなくて一人苦笑する。
それに一緒に協力する手はずの武蔵守の藤原信頼も信西もどこか得たいが知れず果たしてどこまで信用していいものかと迷う。
普段は豪快な男であったが義朝も自分の身に降りかかる危機に勘のようなものが働いていた。
確かに今、父と対立している義朝が朝廷の権力闘争に入るのは危険であった。権力者である鳥羽院が健在でも不穏な動きはあるのだから。
先の御門(近衛天皇)が亡くなられた時も藤原摂関家では内部で揉め事が起きていたらしい。兄関白の忠通の弟の頼長の呪詛が原因だと彼は事実上左遷されていた。
しかし貴族たちのやり取りに義朝は介入できるものでもないと思っていた。それは鳥羽院ですらあきらめていた節もあったからだ。
「と、考え事が過ぎたな」
今後のことを考えながら黙々と武器の手入れをしていると予定していた宴の時間になっていた。
義朝は従者を従え安芸の守と顔合わせの会場に向かう。
「今日は緊張されていますね」
「そうか。お前たちも粗相のないように気を引き締めてくれ」
東国育ちということで作法に不安はあるが表に出せばやれ田舎者と笑われるだけだ。小さな恥をかいたくらいでどういうことでもないかとひとりごちる。
「ようこそ下野守。本日はごゆるりと楽しんでくださいませ」
侍女が義朝を迎え入れると奥にはよく見知った顔がいた。
「いやはや、もうお越しとは」
「平家の棟梁との顔合わせを楽しみにしていてな。先方は遅れてくるそうだ」
どうやら義朝と清盛を引き合わせたいようだ。それがなかなか実現しなくていてもたってもおられず先に酒を飲んでいるとのことだ。
「本日はそう肩肘張らなくてよい。そなたたち武士が好きな小弓合わせをする予定だ」
侍の腕の見せ所だなと彼は笑う。小弓合わせとは子供用の小さな弓で的を射る老若男女が楽しめる遊びのひとつだ。それを源氏と平家で競わせるつもりらしい。
「席は決めてある。二つに分かれて勝負をするつもりだ」
そして侍女たちが忙しそうに夕食の準備をしているところを掻い潜って会話をする。
「真面目な話もよいがたまにはこうして酒を飲むのも悪くなかろう」
普段は御門の側で苦い顔をしていることが多いからか信西はそう呟く。
「それに下野守のご令息についても祝いたいと思っていたところだ」
「ご令息というほどのものじゃない」
自分に似て血の気が多い息子の義平のことを思い出す。彼の出した功績は輝かしいものだったが一部からは妙な噂が立っていた。それは義朝の弟である義賢の息子、駒王丸を殺し損ねたというものだった。
そのことでどうにも素直に喜べなくなってしまったというのもある。
「また考え事かな。今日は武蔵守は来ない。安心して話ができるはずだ」
どうやら信西は別のことと取り違えてくれたらしい。
「それより安芸守だ。彼の力は今では絶大だからな」
清盛はまだ来ない。だからこそ真面目な顔で彼のことを論じることができた。
「彼は祇園社との深い繋がりがある。だが以前祇園社で神人と争いをしたことがあるとの話もあるだろう」
清盛は若い頃は院の寵臣である藤原家成の屋敷に出入りしていたらしい。その頃は棟梁になるほどの強い立場ではなかったようだが彼はその才覚と武運で成り上がってきて今に至る。父忠盛の正室の子供ではなかったのだから彼の苦労は計り知れない。
「まあ下野守とは話があうはずだ」
「それはどういう意味だ」
お互い武力で成り上がったところだろうとは察しがつく。だが信西は答えようとしない。
「ずいぶんと盛り上がっているようだ」
噂をすれば件の安芸守こと平清盛が声をかけてきた。
「これは失礼。まだ宴を始めようにも主役がいないのではとお待ちしていたところですよ。ご紹介しよう。こちらが源氏の下野守だ」
「これはこれは。噂はかねがね聞いている。悪源太が坂東で活躍して下野守も鼻高々だろう」
「まだあやつも若い。あまり誉めすぎて調子にのっても問題だ」
「そう謙遜なさらず」
お互い平家の棟梁と源氏の長男。意識しないということは難しい。それでも義朝は余裕を見せて小弓合わせをしないかと誘う。
「今宵はどちらが勝利するか見ものだな」
周囲はそれを持て囃す。見世物ではないが武運に恵まれた二人の戦いは見るものを魅了するようだった。
「勝てい源氏」
「平家も負けるでない」
気迫のある応援を受けてじっくりと小弓を構える。
そして。
義朝は正鵠を射る。
「私も負けていられないな」
今度は平清盛が小弓を構えて静かに矢を放つ。
「む。こちらも正鵠だ」
源氏と平家の戦いは白熱し二つに分かれていた組もいつしか義朝と清盛との一騎討ちのようになっていた。
「やれやれ本来話し合いをするはずだったのだが」
誘った信西もため息をつくがどこか楽しげだった。
「まあこういうこともよかろう」
灯りが消えるまで二人の試合は続くのであった。義朝と清盛、友情のようなものが芽生えた瞬間でもあった。