第七話 平穏
義平が大蔵合戦に勝利して、京では義朝を持ち上げる勢力も大きくなった。
「さすが悪源太の父君だ。勇猛果敢なのは河内源氏の血を引いているからか」
出勤後はその話題で持ちきりだった。当然息子のたてた功績を誉められれば嫌な気はしない。
「いやはや義平さまのことは都のどこにいても話題になっていますな」
そして案の定藤原信頼が声をかけてくる。
「件のことでは世話になったな」
暗に武蔵国での戦いを黙認してくれたことを言うと男は笑う。
「いえいえ礼には及びませんよ」
そして不適な笑みを浮かべたまま持ち場につく。
「それより御門がお話したいそうですよ。私が案内いたします」
自分の仕事に取りかかろうと思っていたところだったが思いもしない誘いをいただいた。断る理由もないのでおとなしくついていく。
「下野守、噂はかねがね聞いておる。此度は悪源太が活躍したと耳にした。さすが坂東のつわものとでも言うべきか」
御簾の向こう側から声がする。それなりに年のいった男性の声は低く、女にしてみれば魅惑的な声だったろう。
「至極恐悦の限りでございます。しかし今回呼び出したのはそれだけのことではないはず」
その言葉に御門はふふっと笑う。一瞬浮かべた子供のような表情はまるで悪巧みをしているようで少しかわいげのようなものがあった。
「この信頼が気に入っている男だ。一度顔を見ておきたかったという話だ」
藤原信頼は隣で殊勝な顔つきで話を聞いている。いつもの飄々とした様子はどこにいったのか、なにか思惑があるのだろう。
「私のようなものに気をかけていただくのはありがたい限りですが、他になにかあるのでは」
「さすが、下野守。信頼が気に入るだけあって鋭いな」
あえて武蔵守ではなく信頼と呼ぶ姿に二人の得たいの知れぬ関係を垣間見した気分だった。
「現在私の立場というのも磐石なものではないというのはお分かりだろう。一度信頼と結んだ約束を覚えているはずだ」
過去に御門に何かあれば彼の下につくと誓ったことを思い出す。こうして言質をとってくるということは争いの日が近いということか。
「それに下野守に紹介したい人間がいる」
そういうと御門が男を一人招き入れる。見覚えがあると思えば信西だった。
「これはお久しぶりと言うべきかな」
「お互い腹の探りあいはなしにしよう」
世捨て人となったわりにはむしろその力を増したと思える男はニッと笑った。
「院(鳥羽上皇)がご存命のうちは争い事はどうにかなるはず。しかし院もご高齢の身。何が起きるかはわからない。つまりそなたの力がほしいのだ」
率直に言われればむしろはっきりしていて清々しい。
「誠におそれ多い。だがそれを決めるのも院次第だ」
「下野守は父上と袂を別ったそうじゃないか。これまで通り宮中の仕事に差し支えがないといいが」
遠回しに干されることを指され義朝は苦笑した。さすが信西、百戦錬磨の男だけある。
「通憲、いや信西が言うことにはこれより私に反旗を翻す人間が勢力を集めているという噂を聞いてな」
しかし二人の間に走る不穏な空気を察したのか御門が間に割って入る。
「いつまでも院の力が通用するわけもない。これからのことを考えてくれはしまいか」
前の御門が亡くなったのもごく最近だ。そのことで御門は成り上がることができた。それも息子の代の中継ぎとして。改めて御門の地位が不安定なものだと実感した。
「そなたの力があれば対抗してくる勢力に釘をさすことができる。安芸守(平清盛)にも話はしてある。平家の力も借りる手はずだ」
しかしその表情には苦いものがある。
「安芸守にしても我々にしても本来は院の下で働く身。こうして御門のもとに顔を出させていただく機会も最近では少なくなってきた」
つまり彼らは近々院が亡くなると踏んでいるのだ。それで今後の身の振り方を考えているととることもできる。あれだけ権勢を誇っていた院がいなくなるとあれば力で押さえられた不満も吹き出してくるだろう。
「されば少しだけ考える時間をいただきたい」
息子の義平がうまくやってくれたとはいえ父との禍根を残したままだ。むしろ此度の戦で溝は深まったはずだ。仮にも兄弟に手をかけてしまったのだから恨みを持たれてもしかたない。
「よい返事を待っている」
そして御門は信頼と残って何やら話をしている。間もなく遊女たちが侍り始める。
「まだ仕事の時間だというのに」
義朝が苦笑していると信西はああとだけうなずく。
「あれは昔から世話をしているが遊び好きで有名でな。それでも目をかけてきた男だ。遊びが過ぎると巷では迷惑がられているがな」
それが本音なのだろう。聞こえないように声を潜めているが御門も信頼もどこ吹く風だ。
「さて、本日の宴で安芸守を紹介しよう」
そういうと仕事に戻ることになった。といっても院の仕事の補佐が主であったが。
「宴か」
ここのところ懸念することが多かったからたまには羽目をはずすのも悪くないかと一人ごちる。だが気がかりだったのは。
「安芸守にお会いするのか。失礼のないようにせねばな」
相手は由緒正しい平家の出だ。今は西国の海賊討伐に力をいれているという噂も聞いている。血筋だけではなく実力もある男だ。
彼がどう動くかで今後の情勢が変わるはずだ。彼の父忠盛も力のある男だった。だった、というのは二年前に忠盛は亡くなり清盛が平家の頭取になったからだ。
自分と比べて才覚のある男相手にうまくやっていけるといいが。そう思いながら仕事に励むのであった。
その頭の隅では常磐のことを思い浮かべていた。彼女も今、一人で戦っているのだろうか。陣痛が始まりそろそろ子供が生まれるはずだった。
男は出産に立ち会うことはなく物忌みの七日間は近づくことも叶わなかった。
愛しい彼女が命を落とすことがないよう改めて神に祈るのだった。
常磐は無事だろうか。
本当なら宴どころではないのだが会いたい心を押さえつけて今は仕事に勤しむふりをする。
生まれてくる子供の名前は決まっていた。
今若の弟だから乙若と名付けよう。男児が生まれてくるはずだと祈祷師が言っていた。神仏に祈って無事にお産が終わるのを待つだけだ。
身勝手だがこれだけは譲れなかった。