第九話 乙若
常磐が義朝の元に戻ってきた。その腕には玉のように美しい子が抱かれていた。
「義朝さま、ご心配おかけしました」
どこかやつれた姿も色っぽい。義朝は彼女を支えながら屋敷の中へと連れていく。
「今若にはもう会ったのか? 」
「はい。ですが気苦労が多かったのでしょう。疲れて眠ってしまいました」
一番に会いに行くといった約束は守れたようだ。
「お前も疲れただろう。今日は屋敷でゆっくりと休むといい」
「その前にこの子を抱き上げてくださいませんか」
常磐は愛しそうに我が子をあやしながらそっと義朝の腕に抱かせる。まだちっぽけな命だがしっかりと重みのある存在に義朝は感無量だった。
「立派な男児だ。常磐、ありがとう」
命がけのお産を終えて彼女は辛うじて立っているようだった。物忌みも終わりようやく顔を合わせることができたのは嬉しいが無理をさせるわけにはいかない。
「さあ奥の部屋で横になっていてくれ」
あとでうるさい連中がくるだろうからと付け足す。そのうるさい連中とは鎌田正清のことだ。
「何がうるさい連中ですか」
案の定乳兄弟である鎌田正清が祝いにやってきていた。
「無事に男児が生まれたのだから産養を行うのは当然でしょう」
そして自分でせっせと用意を始める。生まれてから一緒にずっといるが正清のこういう人より先に進めてしまうところが彼らしいのだった。
「心配ご無用。身内だけで済ませますから」
今は情勢は不安定だがめでたいことなのだから祝い事はしたい。その気持ちを汲み取ったくれたのだろう。
「さあさあここは私と乳母に任せてあとは二人でごゆるりと」
新しく乳母がつき世話をしてくれることが決まっていた。常磐も今若につぎ二人目の出産で以前よりは慣れているだろうがそれでも不安は付きまとう。
由良御前との間にもうけた鬼武者(頼朝)にも乳母はついていた。といっても彼女は身分が高く熱田神宮の宮司の娘でもあったからだ。
「産養か。これから騒がしくなるぞ。だがその前にどうしても言いたいことがあるんだ。……こうしてお前が無事に戻ってきてくれたことを深く感謝する」
「義朝さま……」
布団に横たえた姿の常磐がこちらを見上げる。その額を優しく撫でていると次第に彼女がまどろむのがわかってくる。
「私も……義朝さまのお顔をもう一度でいいから見たかったです」
「それはもう出来ていることだろう」
健気なことを言われると義朝にも込み上げてくるものがある。彼女は一人で戦っていたのだ。その事に不安や恐れがなかったはずはない。彼女の強さを実感した。
「ちちうえ」
とてとてと今若がやってくる。疲れて寝ていたと聞いていたが。
「ははうえはいちばんにきてくれました」
「今若、立派だったぞ」
彼を抱き上げると今若が瞳を潤ませるのがわかった。
「……ぐすっぐずっ」
「お前も感動しているのか」
子供心に感じ入るものがあったのだろう。
「ははうえが御無事でよかった」
「新しく弟ができたんだから可愛がってやれ」
母親の顔をじっと眺めていた今若の背中を押し乳母のところへと向かわせる。
「ちちうえ、兄としてりっぱになりますから」
まだ幼いはずなのにその顔はすでに兄の顔だった。凛々しく慈愛に満ちた表情で乳母が抱き抱える赤子の様子をうかがっている。
「しかし産養か……親戚を呼ぶにしても今父上とは疎遠になっている。正清に任せるとするか」
案の定衣服や調度、食べ物が大量に送られてきた。誰からかはわからないが。
「さて、本日は大変めでたい席に同席させていただいて感無量であります」
身内だけで済ませると言ったのだから本当に屋敷の中の人間だけが集まって産養を行った。そこには義朝の危うい立ち位置も原因に含まれていたがめでたい席で言うのも野暮だろう。
しかし先日小弓合わせをした安芸の守(平清盛)から鯛が届いていた。あれから友情が芽生えて気のおけない仲になったのでそのお返しとばかりの心遣いがありがたかった。
信頼、信西からもきれいな反物が届いていた。一目で派手だとわかるのが信頼で上品にまとめられたものが信西からのものであった。
この二人はどこか得たいの知れないものを感じていたが祝福は素直に受け取ろうと思った。
「さあ常磐御前と下野守の二人を祝して乾杯」
正清が仕切りつつ宴は進んでいく。侍女たちは忙しそうに部屋を行ったり来たりして食事を運んでくる。
「さて、ここからが本番」
問口と呼ばれる男一人と云口と呼ばれる男七人が粥の入った杯をもって歩き回る。それには問答が繰り返され粥をすする。
それだけでなく弓の弦で鳴らして災いを取り払う儀式も行った。
これで乙若が健康に育ってくれればいい。義朝は心からそう願った。
そして夜が更け床につく。久しぶりに一人寝ではないことに安堵した。
美しい常磐は時おり乳母の力を借りながら生まれたての我が子に乳をやっている。
さすがに二人目となってしっかりとしている。
ようやく日が上ってくるころには身支度も終えて庭を眺めていると。
「おはようございます義朝さま。本日も祝いの続きをいたしましょう」
こうして祝いの席は七日が過ぎるまで続けられるのであった。




