第一話 常磐と共に
義朝の人生は数奇なものだった。
彼は後三年の役を収めた曾祖父の源義家の血の流れを汲んでいる。
彼に嫡男の頼朝が生まれたのは久安三年のことで熱田神宮の宮司の娘、由良御前との間に生まれた子だった。
そして常磐御前との間にも子をなしそれが後の源義経となるのであった。
これは彼と彼女の物語である。
「しかし父上の行動には困ったものだ」
度重なる失態で父の為義は官位を返上することになった。
それは異母弟である為朝が九州で狼藉を働いたこともあったが、多くは罪人を匿ったことが原因であった。
義朝とて為義の子である。自分の父をかばいたい心情もある。
だがそれ以上に彼の失態に舌打ちしたくなるのであった。
東国に下向することを命じられてかれこれ十年以上が経とうとしていた。
彼は地元の有力豪族たちと力を合わせ勢力を大きくしている最中だった。
そして義朝はついに下野守の位につき京に戻ったところだった。
そんなときに父の官位返上を聞いたのだから頭を抱えた。
父は優しい人だった。
だからこそ罪人をかくまうのだろうが、それは人として正しいのか義朝にはわからなかった。
数々の功績をあげてようやく鳥羽院からの信頼も回復したというのに、父は摂関家と距離を縮め院の反感を買っているのだ。
摂関家でも複雑な権力争いが繰り広げられていた。
藤原忠実がなかなか子供のできない息子の忠通に、頼長を養子にとるように命じたのは記憶に新しい。
だが後に忠通に息子が誕生し頼長は養子の契約を破棄されてしまう。
こうして藤原忠実親子の対立が宮中にもよくない影響を及ぼしていた。
院政が中心となった現在、血筋はよくても能力はない父藤原忠実と悪辣で有名な頼長は結託し、忠通を排除しようとしていた。
そして父忠実は藤原氏の長者を忠通から頼長に無理矢理与えてしまったのだ。
その現状に頭をかきむしる義朝だった。
「私が院と親しくしているからなんとかなっているものの」
もし義朝がいなければ為義の処罰は厳しいものになっていたはずだ。
「まああまり厳しい顔をなさらないでください」
側室である常磐御前が声をかけてくる。
彼女は今の御門(近衛天皇)の中宮であらせられる九条院に仕えた雑仕女だった。
その姿は美しく義朝の一目惚れだった。
「悪いな常磐、つい考え事をしてしまってな」
「お父様のことですか」
神妙な顔つきでそう尋ねられると義朝は否定できなかった。
彼女の凛とした瞳にすべてを見透かされるような気がするのだ。
義朝は彼女から向けられた視線をかわすようにうつむいた。
「不躾な質問をしてしまいましたね」
自分の険しい態度に気がついたのか彼女は困ったように笑った。
「いや、こちらこそ大人げない態度だったな」
東国を出てから京にやってきてわずか数年。
東国での暮らしに慣れていた義朝は京にやってきて自分が田舎者だということを痛感させられた。
だからこそ常磐には自分にはないものを求めたのだろう。
元は都暮らしだったのだが東国で過ごすうちにかつて身に付けていた作法も覚束なくなっていた。
だから教養と気品のある常磐に支えられていることが多い。
自分から好意を寄せて結婚にまで導けたのは義朝としては珍しいことだった。
東国にいた頃は権力のため地元の豪族と力を合わせるために政略結婚をすることが多く自分の意思が通用するようなことはなかったから。
父為義が京にて自分の地盤を回復させようとしていたのに対し自分とてのうのうと東国で日々を過ごしていたわけではないのだ。
ようやく京に戻り院の信任を得たのだ。
この機会に出世を果たすのだと固く誓うのだった。
だがこのときに問題となったのは父為義の存在だけでない。
親族のなかでも対立するものは多くいた。
それは自分が為義の長男であり下野守の位を頂戴した身分であるからだ。
摂関家に与するもの、院に近づく者。
そのなかで摂関家の集団と院の集団とでは対立が深まっていた。
そもそも義朝は院と近づくために由羅御前と婚姻関係を結んだ。
それにより北面の武士にも起用され強訴を鎮圧するよう派遣された。
それは名誉なことだった。院に重用されるということはそれだけ権力に近づけるということだ。
だが良からぬ噂も聞く。
弟の義賢が父の命を受けて東国に勢力を伸ばそうとしているのだ。
現在京にいる義朝は院のために常駐しなければならない。
しかし勝手に自分の領地に手を出される可能性をおめおめ見逃すわけにはいかなかった。
「義賢が私の領地を勝手に荒らそうとしているのをなんとかしないとな」
「しかし今義朝さまが京を去れば院の身をどうお守りすればよいでしょう」
それが大きな問題だった。
父はおそらく京にいる義朝の利害を考えてこの作戦に出たのだろう。
一方は官位を返上した身の上。方や院に重用されている息子。
息子の領地を異母弟に狙わさせるのも義朝がそう簡単に京を出られないことがわかっているからだ。
「父上の謀略には困らされたな」
義朝は苦笑する。
だが彼にも作戦がないわけではなかった。
「よし決めた」
「そうおっしゃるということはお父様のことをどうするか決めたということですね」
常磐御前はじっと義朝の瞳を見つめる。
これから父とは袂を分かつことになるのを察したのだろう。
「つまりあなたのお父様とは別の道を進むことを決めたと」
彼女は少し悲しげにそう呟く。
「そうだな」
義朝にもわかっていた。自分が院との距離を縮めれば縮めるほど父は対抗する摂関家の人間を取り込もうとするのを。
だが同じ源氏の血を引く者同士理解しあえるのではとも思っていたのだ。
「私は京を離れるわけにはいかない。ここは息子の義平に任せようと思う」
「義平さまですか。彼はまだお若いと聞きますが」
常磐御前は心配そうな顔つきになる。
「大丈夫だ。確かに彼はまだ十五の若さだ。だが義平は俺の自慢の長男だからな」
義平は義朝と橋本の遊女との間に生まれた最初の子供だ。
義朝は彼のことは可愛がっていた。
そしてついにこの長男が自分の代わりとなる大仕事に取りかかることになるのだ。
同族同士が血を血で洗う戦いになるのはわかっていた。
それをわかっていても義朝は自分の息子に頼る他ないのだ。
かつて自分が東国を制圧するのに努めたように義平はきっと成し遂げてくれるだろう。
そして同族同士の争いを不問にされるためにも義朝は裏で工作する必要がある。
「まずは武蔵守に黙認してもらうよう取り合ってみるか」
武蔵守といえば藤原信頼のことだ。
彼は鳥羽院の近臣の息子である。同じく院と近しい身の上である義朝とは何回かやり取りがあった。
それに彼は武士を利用して成り上がろうとしているとの噂を聞く。
これはむしろ好都合なのではないかと義朝は一人うなずいた。
「これから先は厳しい戦いになるだろうな。お前には悪いがずっとそばにいてやることはできないかもしれない」
「それを承知の上であなたのお側にいることを決めたのですから」
彼女は自分の腹をさする。
常磐御前は義朝の二人目の子を授かっているのだ。
「生まれてくる子供のためにも俺もそう簡単には死ねないな」
そういうと彼女はふふっと笑った。
「今若も今年で三つになります。これからが楽しみなのですから」
長男の今若はすでに眠ってしまっている。
彼を侍女に預け二人は密談しているのだった。
「そうだな。俺たち二人とも気を付けないとな」
そうして二人は口づけを交わす。
夜の帷に男女の影がゆらめく。
二人は絡み合いながら板敷きの上で睦みあうのであった。