前編
住宅街で黒いドームがゆっくりと家や電柱を飲み込んでいる。
黒い球の近くには黒い甲冑の騎士が一人。その様子を影からこっそりとうかがう者が一人。
異様な光景だった。
「黒騎士いんじゃんねえか……殴り放題だな。
ちっともよくねえよ!あいつら強いからクソ面倒くせえ」
サイコめいた悪態を吐く黒帽子黒コートの男イルマ。
この男、これでも元僧侶の退魔師だ。世も末である。
「どうすっかな、あいつらなんとかする気ねえだろうしな。
あいつ殺すだろ?仲間がうじゃうじゃでてくるだろ?ゴキブリかゴミ虫甲冑が!」
事の起こりは数ヶ月前。
「妖怪や超能力者がうようよいるから『深淵』の力を借りよう!」
そうネット上で言い出した者たちがいた。
みずからを「深淵団」と呼んだ彼らは実際は武力を持てず、ネット上で黒魔術師か、自警団の真似事をしただけだった。
だが『深淵』を求めた彼らは望みどおり『深淵』に出会った。そして御せず食われた。
その後に出来たのがこの黒い球体だ。これはゆっくりとだが周囲を飲み込みつつある。
ちょうどブラックホールのようなものだ。
「なんで俺の地区でこんなん起るんだよ……丸腰でバケモンに会うとか素人はこれだからいやなんだ。
危機管理能力が育ってねえ。平和ボケがよ!いつまでボケてんだ叩いて起こすぞ」
その言葉を実行したくて仕方が無いかのようにイルマはスレッジハンマーをぐりぐりと地面に押しつける。
ある政治的経緯から妖怪がテロを行ってから先、世の中は神秘と怪奇があふれかえりつつあった。
それまでは神秘も魔法も妖怪もほとんど空想上のものだった。
夜のように夢と狂気を孕んだ時代を誰もが感じていた。きっと彼らは無邪気すぎたのだろう。
「あちらさんは交代か、いいねえ大手は」
黒騎士がもう一人車に乗って出てきて、先ほどまでいた騎士と交代する。
その手には縛られた男性が引きずられている。30から40ほどの気弱そうな男だ。
「誰だあれ、オイオイオイ根津のオジキじゃねえか。ちょっと待て、生け贄タイムちょっと待て!」
引きずられている男はイルマの知り合いだった。かつて僧侶を辞めていた頃に世話になった探偵である。
おおかた、知りすぎてしまったのだろうと当たりをつける。
一言二言黒騎士に何か言われると黒い球体のなかに放り込まれた。
「待てっていってんのが聞こえねえのかクズ鉄騎士様がよ!OKOK、もう知らねえ叩いて潰す!」
イルマは慌てて飛び出したが既に遅く、探偵は球体に飲み込まれてしまった。
だがそれを見た瞬間にイルマの意識は切り替わる。
黒騎士を殺さねば殺される。だから今すぐこいつを始末する。
そういう風に心のギアをチェンジする。
「狩人か……深淵は我らに任せ獣でも追っていればいいものを」
黒騎士は振り返り剣を抜く。傘ほどの長さのロングソードだ。
「任せられるかボケッ!おめーら深淵の見すぎで頭ぱっぱらぱーじゃねえか!
ちょっとは解決しようとする誠意を見せろよ!ドブ臭え深淵の化身がよ!」
黒騎士はいわばイルマの同業に近いものだ。だが、どちらもひどく殺伐とした組織だ。
そのヤクザめいた組織の中でも、ひときわ非人道的で知られる「seals社」の者こそ黒い甲冑を纏うのだ。
彼らは怪物を狩りすぎて、自らも怪物になってしまったのだろう。
ある意味で深淵団がなろうとした者たちである。
「狩人こそ貪欲な血狂いだろうに」
住宅街で甲胄の騎士がロングソードを振り回し、黒衣の狩人が鉄槌をたたきつける。
これが今の時代の当たり前なのだ。じつにろくでもなく殺伐とした戦いが始まった。
■
イルマがハンマーで殴りかかる。黒騎士が左手を広げると魔法陣が手の平から広がり、ハンマーを防ぐ。
「やっぱ持ってるよなあ!『黒い手の加護』!ちょっとおしゃれしやがってそれも冒涜的研究の成果か!脆いんだよ!」
イルマが体を回転させながら二撃三撃と殴っていくと魔法陣が割れて壊れた。
「オラがら空きだ!死ねうす汚えゴミ色騎士が!」
「それはお前もだ、狩人」
ハンマーとロングソードが交錯する。
果たして膝をついたのはイルマの方だった。
黒騎士の剣はイルマの脇腹をえぐり、イルマのハンマーは黒騎士の肩を粉砕した。
両者の血が地面を染める。
「とどめだ。お前の体は有用に使ってやる」
「お前程度に殺される俺かよ!」
剣を無事な方の腕に持ち替え黒騎士が振り下ろす。イルマは印を切ると後ろに飛びすさった。
剣は空振り、一瞬の隙が出来る。
「おんきりきり、おんきりきり、おん、きりうん、きゃくうん!」
今度はイルマが呪文を使って奇襲する番だ。
「不動金縛りか……!」
黒騎士の剣は振り下ろし地面をえぐった時点で止まり、まったく動けない。
「ああ、よく知ってるじゃねえかえらいね!死ね!」
「貴様!」
イルマは力を振り絞り力を込めてハンマーを騎士の頭に振り下ろした。
それも連続五回ほど。あっという間に騎士の頭はミンチとなった。
イルマの脇腹の傷からさらに血がほとばしるが、気にする余裕もなくさらに次の攻撃を重ねる。
「遍満する金剛部諸尊に礼したてまつる。
暴悪なる大忿怒尊よ。砕破したまえ。忿怒したまえ。害障を破摧したまえ。
御身が火性三昧の炎にて怨敵を調伏したまえ。燃え尽きろ!」
地面から火柱が上がり、黒騎士を吹き飛ばす。
「波切不動が護法よ、結縁により汝が炎我が槌に宿したまえ!」
さらにハンマーの頭に呪文で炎をともし、頭を潰してもじたばたともがく黒騎士を押さえつけその炎で焼き尽くす。
「ほんとしぶといなお前ら黒騎士はよ!だから人を辞めた奴らはめんどうなんだ。さっさと死ね!ガラクタになるんだよ!」
ハンマーを乱暴に何度もたたきつけ、炎を吹き付ける。
やがて、黒騎士はうごかなくなった。
「くっそ血が出すぎた……コレ使うか、もったいねえ」
イルマは懐から栄養ドリンクのようなビンを取り出し服用し、軟膏を傷口に塗り、何かのテープを貼る。
それだけで出血が止まり、徐々に目に見えて傷が癒えていった。
十分に異常である。
「勝利の一杯か……さてどうすっかな」
イルマの前に依然として救助対象の探偵を飲み込んだままの黒球があった。