君との出会い
高校三年生の、始業式の日。
会場の体育館に向かう途中、私は、あまりの美しさに、思わず立ち止まった。
満開の桜……。
も、綺麗だが、それを見上げている人に、私は目を奪われた。
そよそよと吹く風が、彼女の長い髪で遊んでいる。
暖かな陽射しの中、満開の桜を見上げている、髪の長い少女。
まるで、有名な絵画のようだ。
そう遠くから見蕩れていると、突風が、私を追い越していった。
風は、すぐに彼女に届く。
慌てて髪やスカートを抑える彼女から、風が、手に持っていた紙――式の進行表だろうか――を奪い、空に舞い上がらせる。
私は、慌てて彼女に駆け寄った。
「大丈夫、ですか?」
「うん……でも……」
そう言って、彼女は桜を見上げていた。
目線を追うと、上手く枝に引っかかった紙が見える。
私は、なんとか取れないかと、木に向かっていった。
しかし、かなり高い場所で引っかかっていて、届きそうにない。
軽く幹を揺すってみても、落ちてこなかった。
「……ごめん、なさい。取れそうもない、ですね……」
そうして私は、初めて彼女を見た。
ほっそりとした脚。丸みを帯びた腰、胸。華奢な肩。白い首筋。
遠くからは分からなかったが、私より、頭一個分背が低い。
そして、彼女の顔に、私の目が吸い寄せられる。
つぶらな、少し大きめの目。
長いまつ毛。整った眉。
ほんのりと色づき、柔らかそうな頬。
ぷっくりと小さな、ピンク色の唇。
そして、小さな鼻が、ちょこんと乗っている。
まるで、お人形のような……私の理想の女の子が――私とは正反対の女の子が――、そこにいた。
耳に、自分の胸の高鳴りが響いてくる。
初めての感情に私は戸惑った。
彼女が、その可愛らしい唇を開く。
「ありがとう。でも、敬語じゃなくていいよ」
「そう。……えっと、新入生?」
見たことない子だったし、背も小さかったから、翌日の入学式と間違えて来てしまったのかと思い、聞いてみた。
彼女は、ビックリして――そして、顔を上気させながら、言った。
「ちがうもんっ! まだ、成長期じゃないだけ!」
「……二年生?」
「ちがうっ!」
「…………三年生……」
彼女は、満面の笑みを浮かべた。
「せいか〜い」
こんな可愛い子が、同じ学年にいたなんて。
どうして、私は今まで気づかなかったんだろう。
私の目は節穴か?
「なっちゃんさん、だよね?」
なっちゃんは、私のあだ名だ。
「……どうして知ってるの?」
「だって、なっちゃんさんは、有名なんだよ?」
……私、なにか有名になるようなことした?
記憶を探るが、思い当たる節はない。
……いや、気がつかないうちにってことも?
それよりも、あだ名にさん付けって……。
なんだか、ムズムズする。
私は、自分のフルネームを教える。
「――でも、なっちゃんでいいよ」
そして、疑問を口にした。
「えっと、私ってそんなに有名なの……?」
「うん! 頭もよくて、背も高くてスタイルもよくて……あと、美人さん!」
そんなこと言われてたのか。
初めて知った。
恥ずかしい……。
「……そんなことないよ」
私は自嘲気味に笑う。
「人より少し、勉強ができるだけ」
「……ふ〜ん。そっか〜」
始業式の始まりを知らせるチャイムが、大きく響いてきた。
「いけない! ――ほら、なっちゃんも、はやくはやく!」
私は、ふと彼女の名前を聞き忘れていることに気がついた。
とてとて、と駆けていく彼女に問いかける。
「――あの! 名前!」
彼女が振り返りる。
「なぁに?」
「……名前、教えて……」
彼女は、バツの悪そうな顔をして、それから、ニッコリと、大きな笑みを向けて、名前を告げた。
「……でも、わたしのこともあだ名で呼んでほしいなぁ」
そして、最後にそう言った。
私は必死に考えたが、人のあだ名なんて、ほとんど付けたことがない。
やっとの思いで捻り出したのは、
「……みーちゃん」
という、ありふれたものになってしまった。
まあ、変に捻りすぎるよりは、いい……よね……?
「……ありがと。――ほら、はやくしないと、遅れちゃうよ?」
もう一度笑って、再び走りだした。
私も、彼女を追いかける。
私の中で、感情が、グルグル渦を巻いていた。
モヤモヤとして、ドキドキとして…………。
いや、相手は女の子だ。
でも……。
もしかして、これが……。
――恋。
一目惚れだった。
私は、生まれて初めて、人を好きになった。
なにごともなく始業式が終わり、教室に戻ってきた私は、先程の、みーちゃんとの出会いを思い出していた。
思わず顔がニヤけてしまう。
みーちゃん……可愛かったな……。
なっちゃん、なっちゃんと、頭の中で声が響く。
なんて魅力的な声だろう。
あの顔や、あの声、あの仕草。
思い出すたびに、胸が締め付けられ、呼吸が苦しくなる。
でも、ふしぎと嫌ではない。
なんだか、暖かな痛みだ。
性格は、どんなだろう。
優しい子かな、面白い子かな……。
色々、みーちゃんのことを考えてしまう。
――なっちゃん。ねぇ、なっちゃん。
よりはっきりと聞こえてきた。
「ねーえ! なっちゃんってば!」
体を揺すられて、私はハッとする。
自分の世界に浸ってしまい、いつの間にか、ホームルームも終わっていた。
机の前に、みーちゃんが立っている。
「なっちゃん?」
私は、ビックリして立ち上がった。
不意打ちなんてずるい。まだ心の準備が……。
心臓が速まる。
「ど、どど、どうして……?」
「どうしてって?」
「……なんでいるの?」
「ひど〜い! なんでって、同じクラスだから……仲良くなりたいなぁって……」
そうだったんだ……。
高校最後のクラス変えで、こんな幸運に恵まれるなんて。
……もしかしたら、みーちゃんと仲良くなれるかも。
「ご、ごめん」
「え〜。どーしよっかな〜」
「み――」
……危ない。せっかく、あだ名で呼んで、と言われてるのに、名前で呼ぶ所だった。
慌てて呼びなおす。
「――みーちゃん……」
みーちゃんは、いたずらっぽい顔で、私を見てくる。
「わたしと、友達になって。そしたら、許してあげる!」
彼女が、微笑みかけてきた。
私は、呆気にとられる。
……そんなんでいいの?
私にとって、願ってもない条件だけど……。
「うん、よろしく……」
私は、軽く頭を下げた。
そう、友達……。私達は、友達にしか……。
私のこの感情は……。
「ちがうちがう! こっちでしょ?」
みーちゃんの手が、視界に入ってきた。
「……うん。よろしくね、みーちゃん!」
顔を上げ、私はみーちゃんの手を握る。
とても、暖かで、やわらかで……。
それだけで、ネガティブな思考なんて消え、友達になれたなら、もしかしたらその先も……なんて考えてしまう。
人と触れ合うことで、こんなにも幸せな気持ちになったのは、初めてだ。
なんだか、心が満たされていくような……フワフワとした、奇妙な感覚。
みーちゃんと目が合うと、その綺麗な顔で、ニッコリと微笑んでくれる。
――今までで、一番楽しい学校生活になる。
そう予感させた。
私の胸のドキドキは、留まる所を知らない。