わら人形はもういらない
呪ってる
毎日絶やすことなく呪ってる
お前が消えたあの日から
ずっとずっとずっと呪い続けてる
―――わら人形はもういらない
「はぁ…はぁ…はぁ…」
自分の息づかいと釘を打つ音以外何も聞こえない。心臓の音すら。
暗くて冷たくて静かな部屋。
荒い息をおさえようともせず、ただ一人釘を打つ。
「はぁ…はぁっ…はっ…」
今日は妙に、息苦しい。
なぜだかわからないけれど、理由はどうでもいい。私はただ釘を打ち続けるのだ。
あの野郎を強く思い、想い。
早く死ねと、地獄に堕ちろと、そう、願い続けるのだ。
「はっ…はっ…はぁ…は」
それしか、私にはできないのだ。
あの野郎は、私の友だった。
彼は無口で人付き合いの下手くそな私の唯一の友人だった。明るい性格と優しい笑顔で、誰からも好かれていた彼。
そんな彼はある日、私の婚約者と駆け落ちした。式はキャンセル、相手の両親からは逆ギレされた。
『なぜ娘をちゃんと見ておかなかったんだ!
あの子はお前の友人とやらにに騙されたに決まってる!お前があの子をもっと愛していればこんなことにはならなかったんだ!』
義父になるはずだった男に言われたセリフ。
私はただ謝ることしかできなかった。
屈辱でしか、なかった。
それから私は彼を探し始めた。
わら人形も、その日から打ち始めた。
彼だけを想って。
婚約者なんてどうでもよかった。
ただ、彼だけが憎かったのだ。
本当は婚約者なんて好きでもなんでもなかったのだ。ただ結婚を迫られたから応えてやっただけで、ただそれだけで。
あの野郎は、ただのバカだった。
駆け落ちなんてそんな悪戯まがいのことを。そして姿を消した。
本当に、馬鹿だ。
結局、彼らは外国に渡ったようで、見つかることはなかった。
「はぁ…はっ…はぁっ…」
自分の荒い息が、妙に現実感をなくさせる。
机の上に置かれた一枚の手紙と写真。
それが一層、この部屋を異空間へと導く。
数年前に届いた手紙と写真。
≪お前の婚約者は殺したよ、これでお前は―――≫
たった一文、それだけの手紙。
写真は彼女の哀れな姿。
差出人の名前はなかったが、嫌でもわかる。
彼だった。
釘を打つ。
深く深く、その薄っぺらなわらの脳みそを突き破り、柱の奥深くまで。
釘を、打つ。
「はぁ…はぁ…はっ…」
浅く息を繰り返し、目をつぶる。
やはり今日は何かがおかしい。
いつもと違う、昔のことを思い出したせいだろうか。彼のことを、いつもより想ったせいだろうか。
急になんだか億劫になった。
今日はもうそろそろ終わりにしよう。
そう思いながらもあと一発、と釘を打ち付けた。
その時。
彼が、目の前に、立っていた。
「なっ…」
『…』
突然のことに私はうろたえた。
しかし、それはなにも言わずにただ私を見つめていた。
「…そうか、お前、とうとう…」
私はすべてを、悟った。
やっと…やっとやっと!
呪いが彼を殺したのだ。
「は、はははは!ははははははははははははは!!!」
私は大声をあげて笑う。
「やっと…!やっとだ!ようやく!はははははは!!!嬉しくてたまらないよ!やっと!お前が死んだ!!!!!!私が殺した!!!!ははははははははははは!!!!」
彼は、何も言わずにただ私を見つめていた。
「おい、何か言ったらどうだ?ははは…死んだ気分はどうだ?」
挑発するように声をかける。
しかし彼は表情を変えず、なにも答えなかった。
「…つまらないな、自分を呪い殺した相手だぞ。もっと憎むとか呪い返しをしてやろうとか思わないのか?」
何もいわない彼にだんだん私はつまらなくなり、いらついてきた。
「おい!私の声が聞こな『好きだ』
彼は、ようやく口を開いた。
あまりにも、幼稚な言葉を発して。
「なにを…」
『好きだ、好きだった。ずっとずっと』
「馬鹿なことを!」
そういって彼につかみかかろうとした手がするりと空を切った。彼には触れることができなく、半信半疑だったが、彼は本当に幽霊のようだった。
『好きだよ、今でも』
思わず息をつめる。
その瞬間、彼は消えてしまった。
「…おい?…おい!」
彼を探す。
けれども彼はもうどこにもいない。
沈黙だけが部屋に広がる。
許せない…許せない許せない許せない。
あんなことを言いにわざわざ現れて。
彼は、彼は知っていたのだ。
私が彼のことを好きだったと、彼は知っていた。
だからあんな真似をして、姿を消して、手紙を送り付けた。あんな手紙を
≪お前の婚約者は殺したよ、これでお前は 俺のものだね ≫
許せない。
彼はずるかった。
自分のことも私のことも知っていながら私にだけ押し付けた。
私にだけ、すべてを選ばせた。
ユルセナイ
けれどもう、彼は死んだ。私が呪い殺した。
私の想い人は消えた。
あぁ、どうせならば私も一緒に連れて行ってくれればよかったものを。
柱をちらりと見る。
釘を打ち付けた痕はあっても、わら人形はどこにもなかった。
わら人形は、彼と共に地獄へ消えたのだ。
end