断章『武士の寄る辺』
失われた十二年が、この私にとって、どれほどの苦行であったか。貴様らに理解できるか?
否、わかってもらおうとは思わぬ。
陛下を一度殺し、二度殺そうとする反逆者ども……。肉片切り裂いて、その魂、来世なきほど粉みじんにしても、まだ飽き足らぬ。
◇ ◇ ◇
マルセルを遺跡の奥へ逃がしたあと、スヴェンは腰の得物と、予備の武装を確かめていた。
そうする間にも、朽ちた入口に足音は響く。
ひとつ、ふたつ、みっつ……数えて、スヴェンは口角をゆがめた。
「二十。小隊をふたつに割ったか」
残る二十は、遺跡周辺の雑木林にひそんだ亢龍こと、ギルベルドが足止めしているのだろう。
この窮地に追い込んだのは、彼の失策だ。しかし、彼は謝罪するどころか、遺跡を舞台にした殲滅戦を、マルセルに進言した。
スヴェンは疑念を抱いた。
亢龍軍師の号は、もの知らずの自分も聞いていたほどで、最初期は無条件に信じた。
しかし、彼と行動をともにすればするほど、不安と焦燥は胸に蓄積する。
〈どうせ、くだらぬ嫉妬の火。ただの不快感で、仲間割れをしている場合では、ない〉
携帯していた角灯の火は、広間奥の通路を確認した段階で、すでに消した。
暗闇のなかで、さらに目を閉じる。
ふと首都から逃げ出した夜を思い出した。
あの夜まで、自分と他人の内心を疑ったことなど、まったくなかったのだが。
目を開く。
おのれの目は、かなり闇に慣れたようだ。
反対に、奴らはのんきに松明をかかげ、ここに押し入ろうとしている。
〈愚かな。無策か〉
直線距離、およそ十米弱。闇は体感的距離を引き伸ばす。
そして闇からすれば、光は標的に。光からすれば、闇は一層、深く濃くなるもの。
防御不要と考えたスヴェンは、二生の盾の穴に仕込んでいた棒手裏剣を引き抜き、光にむかって、それを打った。
一本、二本、三本と刃は、侵入者の眼窩、のどに突き立つ。
「いるな! 気をつけ――」
後続への警告を発した男の口腔深くに、六本目。
〈まず、六。戦闘困難だが、まだ息はある。他を片づけ、早急にとどめを刺さねば〉
手持ちの棒手裏剣すべてが尽きたころ、後続が到着した。
複数の松明が、スヴェンの姿をとらえる。
奴らは、なんだ一人か、驚かせやがってと嗤っている。
スヴェンもまた、短く息を吐いた。
体つき、足運び、武装。どれをとっても、あの集団は武人には見えない。
〈弓、矢筒は無し。飛び道具持ちは、外の足止めが効いたな〉
ギルベルドの武器は、霊宝武具とおぼしき流星錘だった。達人があやつる流星錘の攻撃は、およそ視覚外から来る。近接武器は役立たない。
奴らは、がむしゃらに全方位射撃するしか、彼の攻撃を防ぐことはできないだろう。
――高速で認知、解析、思考する間も、まばたきせず、耳をすませ続ける。
他に松明をまかせた男が三人、ついに突進してきた。
「っだあああ!」
一足はやく、やって来た男に一太刀浴びせ、さらに蹴倒して視界を確保。
次に右の男の首を突き刺し、左から来た男の剣を避けながら半回転して、振り切る。
スヴェンの、二之旗本の太刀は、男の首ひとつを斬り飛ばし、それを地面に転がした。
〈正面、昏倒。右、即死。左、目に流血。あれはもう見えていまい〉
太刀をかまえ直しつつ、状況を把握する。
体は熱いが、頭は冷めている。
「くそ……二之旗本の武士か……」
松明もちの一人が、こちらの得物と剣術に気づいて、うめいた。
それを肯定、あるいは否定するかのように、気勢をあげる。
猿叫、そしてスヴェンは突進した。
――守りを捨てた一撃必殺は、生家のやり方ではなかった。
終の盾の剣術は、盾の使い方も学び、他人を、皇帝を守りながら戦うことを考える。
しかし、二之旗本の剣術は盾を持たない。特にスヴェンの学んだ太刀一刀の剣術は、他人を守ることより、斃すことに特化している。
終の盾のあり方に反した剣術、戦法だが、それでも二之旗本の剣を学ぼうと決めたのは、ひとえに刀の切れ味に、二之旗本の刀匠の技術に惚れ込んだからだ。
そして、刀を有効に使うならば、二之旗本のやり方を学ぶべきだと、スヴェンは頭で理解した。
〈守る剣術では、マルセル様をお守りできなかった。ならば、斃す。敵対する者全員を斃せば、よい〉
盾は使わぬ。
まず一対一に持ち込め。次も一対一だ、その次も、その次も。
一度、太刀を抜いたなら、ただ一撃必殺であれ。
一見して捨て身のような攻撃に、彼奴らはたじろいだ。気迫に押され、こちらに背を向けて、逃げようとする者もいた。
鍔競り合い、しのぎを削ることもない。
「臆したか、九靫の!」
重い正面唐竹が、人間一人をふたつに割り、続けざま刃を返して、股下からの切り上げ。
彼奴ら九靫の私兵が、唯一無二の主君を殺した。殺すに飽き足らず、死後、首と体を荒らした。それは、終の盾の汚名などよりも、スヴェンを怒らせた。怒りは死ぬまで消えないだろう。
「戦わぬなら、そこへ直れ! すぐに彼岸に送ってやる!」
圧倒的実力差に、戦闘はスヴェンによる虐殺劇と化していた。
束になっても雑兵は雑兵。巻き藁を斬るより、たやすい。
「ひ……っ、ぐ……た、け……」
最後のひとりは、腰を抜かして、そこに座りこんでいた。
助命嘆願のかすれ声を出していたが、スヴェンは血まみれの太刀を上段にかまえた。
「陛下は、命乞いをしなかった。貴様らが喜ぶような悲鳴をあげたくなかったのだ、と――それを!」
血脂に少々曇り、刃にはいつもの切れ味がない。
それでも、渾身のなぎ払いは、男の首をへし折った。
「……この期におよんで、命乞いか。無様だな、九靫の」
血と肉片、骨をまき散らしながら、それはごどんと、地面に転げた。