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Jigsaw2  作者: さより文庫(永井佐頼)
5/29

それは呪詛か祝福か

 ばあやが死んだとき、初めて『人間の死』を知った。

 ねえやたちが殺されたとき、『強姦』と『殺人』を知った。

 僕自身が死んだとき、『屈辱』と『死ぬほどの苦痛』を知った。


 無力とは、そのまま死につながる。

 ――あんなのは、もう二度と、ごめんだ。


   ◇   ◇   ◇



「陛下、奥へ! さあ、はやく」


 スヴェンの声と手が、僕を暗く、せまい通路のなかへ押しやろうとする。


「私は、ここで待ち伏せ、追っ手を斬り捨てます。陛下は、もう少し奥へお隠れに。ああ、ですが、あまり行き過ぎないでください。この遺跡、別の入口があるとも限りません」


 結果から言えば、雨天の渡河は失敗した。

 逆臣派(スヴェンは、かつて僕の摂政だった元老たちの派閥をそう呼ぶ)の私兵軍隊に発見されたので、僕らは半々に分かれて、三元老の領地で落ち合うことになった。

 ジゼルたちは、オニグマの持っていた熊の毛皮を僕に見せかけ、それをかついで、逆方向に逃げている。


 僕とスヴェンは、道中にあった遺跡に逃げ込んでいた。

 先生は、外で追っ手を攪乱。スヴェンは遺跡に入ってすぐの、この広場で待ち伏せ。

 ここで一気に、追っ手を殲滅させようというわけ。


 無謀な殲滅作戦。しかし、やむを得なかった。

 やせっぽちで、喘息もちの僕は、長時間の逃避行に向いていないのだ。


 通路に一歩、足を踏みだし、ふと振り返る。

 暗がりだが、そこにスヴェンの背中が見えたような気がした。


「……亢龍どのも、霊宝武具を持っていたようですし、ある程度、敵兵を減らしてくれることでしょう。このスヴェンも、陛下を背にとなれば、全員、斬り伏せてご覧に入れます」


 僕の視線を感じたのか。スヴェンが見得を切る。


「ありがとう……気をつけてね」


 僕は足手まといだ。ここで、ぐすぐずしていたら、迷惑をかける。

 いくらスヴェンが強くたって、僕をかばいながらでは、戦いづらいだろう。

 お荷物は奥に引っこんでいるべきだ。


 この先、なにも出ませんようにと、念じながら歩き始めた。


 ………………

 …………

 ……


 ……もう、どれくらい歩いたかな。

 手探りの闇は、距離も時間もあやふやだ。

 おまけに頭上からの圧迫感。だいぶ天井が低くなってきているようだった。


 進む先、うっすらと青白い光が見えた。

 たいまつや、ろうそくのような人工的な光ではない。

 だから、僕は光にむかって、そのまま進んだ。


 光は、朽ちかけの扉から、もれ出したものらしい。

 人間の気配や息づかいは感じられなかったので、思いきって、扉を開けてみる。

 一瞬、鉄格子のようなものが見えた気がしたけど、つっかえずに入れたから、幻覚だろう。


 石室のなかの空気は清浄で、青い光が満ちている。

 三方の壁から、ところどころ草木が生えていた。

 すぐそこに井戸らしきものがあったが、鉄板と鋲で補強された、厚い木の板で封じられてしまっている。武骨な鎖で、がんじがらめにくくられていて、水を汲むことはできそうにない。


「……はあ」


 壁に背をあずけて、息を吐く。


 行き止まりだから、かえって安心だ。これで、スヴェンたちも、僕の守りを気にせず戦えることだろう。

 ……男なのに、守ってもらってばかりだな、ぼく。


 膝に顔を伏せ、祈るように、スヴェンからもらった短剣を握る。


「……ほんと……僕にも戦うちからが、あればよかったのに……」


 つぶやいた瞬間、ぞわっと背中に悪寒がはしった。

 思わず顔をあげると、いくつかの壁龕のうちひとつが光っていた。


『おまえは戦いたいのか? ちからが欲しいのか?』


 いつの間にか、そこに青年が一人、あぐらをかいて座っていた。顔の前に半透明の布をたらし、見たことのない服を着ている。

 体を透かしてた向こう、二振りの剣があった。


「……どなた、ですか?」

『トバルカイン。刀匠だ』

「トバルカイン、さん?」


 半透明の彼は、うなずいた。


 ひょっとして、幽霊というものだろうか。幽霊は半透明なのだって、双子から怪談まじりに聞かされたことがある。


『おまえは、なぜ戦いを、ちからを求めている?』

「……無力だから、です。自分の危機を、自分で解決できない。守りたいと思った家族すら守れなかった。そういう無力な子供だから」

『なるほど。俺とは正反対のようだ』


 トバルカインは、ぱちぱちとまばたきした。


「トバルカインさんは、なぜ、ここに?」

『俺の魂が、この二本の刀にとらわれているからだ』

「刀に? なぜ?」


 訊けば、半透明の顔が苦笑する。


『おそらく、おまえが生まれる何百、あるいは何千年前だ。俺は、とある魔女に育てられていた。実の親は知らぬ。魔女を養母として、勉学や剣術にいそしみ、そのかたわら鍛冶屋を営んだ』

「……はい」

『やがて各国の王侯貴族が、こぞって俺の武器を買い求め、それらを手にしたものの大半が英雄となった』


 正直言って、彼の話より、外のスヴェンたちが気になっていたけれど、適度に相づちを打った。この部屋の先住民だ、仲良くしたほうがよいだろう。


『魔女は、刀匠として、英雄たちをささえる俺を誉め讃えたが、俺自身は不満だった。ありていに言えば、自分の作った武具が、ただ他人の名声の足しになっていることが気にくわなかったのだ』

「……そうなんだ」

『自分の感情に気づいたときには、多くの悪党やけだものたちは、英雄の餌食になっていて、俺の獲物なぞ、残っちゃいなかった。だから、』

「だから?」


『この武器で、育て親の魔女を殺した』


 一瞬、トバルカインの言葉に、ほうけた。


 僕だって、実の母親のことは知らない。育て親はベラだ。

 けれど、ベラを殺そうと思ったことは一度だってなかった。

 どこをどうしたら、親を殺すという話になるのか。


『不老不死と噂されていた魔女を殺すことで、俺は英雄になるつもりだった。子は、親を越えていくものだからな』


 だめだ、もう相づちなんて打てやしない。


『魔女は、俺を憎み、この刀剣に呪詛と祝福をあたえた。――愛し子よ、その手にある武器に呪われよと』

「………………」

『ひとつは、遠春(とおはる)。死に到るまで、姿形変えることなく凍りつけ。ひとつは、加陰(かいん)。姿形は変わらねど、早々に燃え尽き、はらわた老いさらばえて死ねと』

「……外見は歳をとらないけれど、内臓は弱っていくということ?」

『そのように俺は死んだ。おまけに、真名を呪詛に編みこんだせいで、死後も彼岸に渡れず、この刀剣に憑依する羽目になった。なあ、ろくでもない呪詛だろう?』


 さすがに自業自得だと思う。


 黙って石の床を見つめていると、閑話休題と彼は言った。


『長い前置きだったな。ところで、戦うちからが欲しいと、言ったな』

「……うん」

『遠春、加陰。この一組の霊宝武具には、さらなる祝福と呪詛が、こめられている。遠春は、敵対者の身をわずかにすくませる。加陰は、持ち主の身のこなしをすばやくする。この効果によって、だれでも手軽に、二刀流の剣士になれる』

「……僕に、その刀を薦めることで、あなたは、なんの益を得るの?」

『若いくせ、ずいぶん慎重だな』


 僕の質問に、トバルカインは肩をすくめた。


『この刀を、遠春加陰でなく……たとえば、二本刀とでも呼んで、使ってやってくれ。別の名で呼び続ければ、いずれ俺の魂も解放されるはず。俺の利益は、それだけだ。……俺の生きた国も、時代も、とうに滅び去った。いい加減、彼岸に渡りたい』


 彼は、この境遇に心底うんざりしているようだった。

 そして、僕は、彼の言葉にとりつかれていた。


 僕は、スヴェンのように戦えない。剣術も、乗馬も、さっぱりだ。

 この霊宝武具を受け取れば、気持ちが楽になれるだろう。

 自分の身を守れる。みなに負い目を持たず、胸を張れる。


「………………」


 考える。考える、考える。

 そして、答は不意におとずれた。


「――おい、こっちだ!」


 行き止まりと思っていた、石室の壁。その向こうから、声が聞こえた。

 ああ、植物の根が、石壁を弱らせていたのだろう。


「せえ、のっ」

「続けろ!」


 足音は複数で、そこに続けて、重い槌音が壁を叩く。

 轟音のたび、ぱらぱらと砂利がこぼれ、壁に亀裂が入った。


 右を見る。左を見る。天井を仰ぎ、床を覗きこむ。

 スヴェンからもらった短剣を握り直して、すぐに頭を振った。……僕には、これを扱う技術が、ない。


「トバルカイン!」

『霊宝武具の主人、霊宝憑きになる覚悟は?』

「ある!」


 反射的に叫んだ。

 反射的……いや、これは僕の決断、意思だ。


 人間には、戦わなくてはならないときが、たしかにある。

 だから今、僕は霊宝武具・二本刀を手にしよう。

 他人を殺したくないなどという優しい感情は、現実の危機には無意味だ。


『――きみ、名は?』

「マルセル・ヨルムンガンド! この国の皇帝だ!」

『っは! なんだ! やはり俺は、貴人に武器を献上するだけの男か!』


 トバルカインは我が身を笑い飛ばし、壁龕から飛び降りた。実体のない彼の手は、それでも武器を捧げ持ち、僕にむかって膝を折る。


『これをどうぞ、皇帝陛下。霊剣刀匠トバルカインが、丹精込めて打ちました、霊宝武具・二本刀にございます』


 自虐的な口上を聞き流しながら、武器を受け取り、鞘についていた器具で帯に固定する。

 見た目より、かるかったので、よろけることはなかった。


「これを、二本刀、と呼んでいれば、いいんだね」

『そうだ。それで俺は……うん? なんだ、ずいぶんと早いな』


 彼は小首をかしけたが、すぐに僕にむかって忠告した。


『マルセル、気をつけるといい。その霊宝武具は、しつこいぞ。重石をつけて、湖底に沈めても、翌朝には同じ布団にもぐりこんでいるからな』


 そして彼は、さよならもなく、かき消えてしまった。


 トバルカインの消失と同時、壁は破壊された。

 そろいの腕章と鎧をつけた兵士が三人、あらわれる。


「おう、大当たりだ!」

「金髪碧眼……ああ、間違いない、こいつが姫皇子って奴だろ」


 彼らの視線を受け止めつつ、半歩、後ろに身を退く。

 指先に柄が触れると、何かがびりりと僕の全身を駆け抜けた。

 手は無意識に、刀を鞘から引き抜いていた。驚くほど自然に、よどみなく。


「おとなしくしてくれや。面倒は嫌いなんでな」

「は! 見た目に反したもん握って、まあ」


 彼らは、どっと嗤った。

 その笑い声、話し声が、少しだけ間延びして聞こえる。

 彼らの一挙手一投足が、いやにはっきりと見える。


 ああ、これが霊宝武具から授かった能力か。

 ――戦えるのだ、こんな僕でも。


「………………っ」


 生まれて初めて、武者震いというものを経験した。

 男としての矜持。強い武器を持つ優越感。


 だけど、冷静でいなきゃ。

 絶対に、うぬぼれてはいけない。

 これは自分の能力や努力の結晶ではなく、借り物だ。


「……戦うまえに訊くけど。退く気は、ない?」

「あるわきゃねえだろ、仲良しごっこか、くそ坊主」


 破壊槌を肩にかついだ大男が、ふんと鼻を鳴らした。


「その……警告は、したから。あなたもまた僕の臣民であるけれど、敵対するならば、そのまま斬り捨てることになる」

「お子ちゃまが、かっこつけて、」


 豪快に嗤い、震えた腹部に――ただ一突き。


「がっ、げ、」


 ……それは、ばあや特製の豆腐を切るより、簡単な作業だった。


 彼が身につけていた鎖帷子、革製の腹巻きを突き破り、手首を使って、刃をねじる。

 絶叫が、わあんと耳に響いた。


 一番の巨漢が血泡を噴いて、斃れるのを見、残る二人はその場に凍りついた。


 内臓まで深々刺さっていた刀は、仰向けに倒れた男の自重で、簡単に引き抜けた。


「…っは、」


 人間一人の死を見届けた直後、ひどい疲労感に襲われた。ぜいぜいと息を吐く。


 これが……呪詛、霊宝武具を使うための代償か。


 それでも僕は、足裏にちからをこめ、残る二人を見た。


「退く気は?」


 もう一度、警告。

 できたら二人には、逃げて欲しかった。いや、逃げてもらわないと困る。


「姫皇子? 僕は、こんなに強い男なのに、姫だって?」


 刃を突きつけ、一歩、二歩と踏み出す。

 兵士二人組は、二歩、三歩と後ずさる。


「皇帝にとって、民は平時の宝である。戦時の有用な駒である。むやみに殺したくはない。退きなさい――退け! マルセル・ヨルムンガンドが命じる、退け!」


 一喝すると、彼らは武器をほうり、瓦礫を乗り越え、我先にと逃げ出していった。

 逃げる背中を最後まで見送り、そうして膝をつき、床に手をついて、咳き込んだ。

 手から離れた二振りの刀が、がらりと転がる。


 ああ……助かったのは、僕のほう。彼らじゃない。


 床に寝転がって、咳き込む。


 ……疲れた……ひたすら疲れる。

 この霊宝武具で、連続して戦うのは無理か。


 そのまま、石の床にぐったり手足を投げ出していると、今度は一人分の足音が聞こえた。


 まさか引き返してきたのか? でも、おそらく足音は一人分。


 息は整わないが、それでも立ちあがった。

 二本の刀を杖がわりに、体をささえる。疲労にかすむ目で、壁の大穴をにらむ。


「マルセルくん!」

「……せ、んせ……?」


 足音の主を確認すると、そのまま気が抜けた。ふたたび膝をつく。

 先生は巨漢の死体を一瞥したあとで、僕のそばにかがみ、顔を覗いてくる。


「霊宝武具に、吸われたな。もともと体力がないからね、きみは」


 彼は、僕の上半身を片腕でかるがる抱き起こした。すいた手は、自分の懐中を探っている。


「――これを飲んで。薬だよ」


 口唇で紐を噛み、巾着袋のくちを開けて、丸いものをつまみ出している。


「くすり?」

「黒蛇の血を、菖蒲の葉の煮汁で薄めて、砂糖と小麦粉で固めたものだ」


 うながされるまま口を開け、赤黒いそれを放り込まれる。

 一回だけ噛んで、嚥下した。

 ただ、それだけで、手足と体内が温かく……いや、熱くなった。

 呼吸はまだすこし浅いが、苦しいという感じはしない。血の巡りがよくなったのか、顔も火照ってくる。

 思わず、すごい、とつぶやきたくなるほどの妙薬だ。


「苦しいとか、痛いとか。違和感は?」

「ありません。手足が、すごくかるいです」

「……そう……。まあ、神話級の黒蛇の血を使った丸薬だからね。効いてくれないと、困る」


 先生は巾着袋のくちを閉じると、自分のではなく、僕の服のかくしに、それを押し込む。


「先生……あの、ぼく、」


 きちんと霊宝武具を得たことを告げると、先生は不敵に笑った。


「その卦が出ていた。水天需、六四、血にまつ、穴より出ず」


 血みどろの場所に追いやられても、なんらかの助けがあるから、おとなしく待っていれば良い――と、占いの結果が出ていたらしい。

 血みどろの場所は、遺跡。助けは、トバルカインと霊宝武具のことらしい。


「だが、その霊宝武具に頼りすぎるな。これからは、鍛錬に励んだほうがいい。それから、今、きみに渡した丸薬は劇薬だ。きみ以外の人間にとっては猛毒。だから絶対に、他人に飲ませてはいけない。わかった?」

「はい」


 呼吸は完全にととのった。もう先生の手を借りなくても、半身を起こしていられる。

 通路のほうから、みこー、へいかー、まるせるさまー、とスヴェンの叫び越えが聞こえてきた。


「呼んでる。あちらも片付いたようだな。きみは、もと来た道を戻れ。俺は、しばらく、ここで見張って、異常がなかったら入口に回って合流する。そう、つたえて」

「はい。……あの、ありがとうございます」

「こちらこそ。はやくに、きみの判断力、決断力を確認できてよかったと思っている。ぐだぐだ女々しいかと思えば。俺は心底ほっとした」


 ほめられたのか、けなされたのか。判断つかない。


「さあ、行って。スヴェンが発狂寸前だよ」


 うながされ、僕は通路を引き返した。




 ――さっきまで気にならなかった血のにおいが、だんだん鼻についてきた。

 スヴェンが掲げた光を頼りに、遺跡の入口の広間に戻ると、そこには二十に近い死体が積まれていた。

 僕だって、さっき、人間ひとりを惨殺したけれど、それでも唖然とした。


 スヴェンは無傷でそこに立っていて、僕の顔を確認すると、しずかに微笑んだ。


「陛下を呼びつけるなど、無礼をいたしました。お赦しください。どうにも、その通路、私の体格では無理でした」

「……これ、スヴェンが全部?」

「はい。牢屋敷のうじ虫どもに比べれば、数と練度は上でしたが、所詮は雑兵です」


 スヴェンの言葉、山と積まれた死体。その光景は、すこし胸に痛かった。

 この人たちにも、父親がいて、母親がいて、こうして大きくなるまで一緒に暮らしたのだろうと思うと……。


「――陛下? どこか、お怪我を……?」


 否。スヴェンや先生がいなかったら、僕は、この場で殺されていただろう。


 僕にも、ニコルとうさま、マデリンかあさまがいて、リンねえ、タムねえ、マリねえがいた。

 僕の家族は全員、他人の手で殺されている。

 今はまだ安直な感傷にひたるのは、やめよう。彼らの死と引きかえに、僕は生き延びた。


「……スヴェンが強くて、とても、びっくりしたんだ。僕のために戦ってくれて、ありがとう」

「そんな! 恐悦至極に存じます!」


 心底、嬉しそうな返礼。

 ――そうだ。今の僕らは、これでいい。これで、いいのだ。


「やあ。裏手は、あらかた片づけたよ」


 先生が、その場にひょいと顔を覗かせた。


「あ。せんせ、」

「亢龍どの! 渡河すれば、よいことがあると、おっしゃったでしょうに!」


 すかさずスヴェンが、僕を背に隠すようにして、先生に恨み言をいう。


「ああ。収穫は、あったよ。遺跡に逃げ込んだおかげで、霊宝武具を見つけ、無事マルセルくんのものとなった。これで彼の悩みが、ひとつ減ったわけだ」

「霊宝武具?」


 スヴェンは、いぶかしげに顔をゆがめ、僕を見下ろした。

 視線が、僕の腰あたりで、釘づけになる。


「陛下、もしや、その刀が?」


 うなずくと、スヴェンは顔色を悪くした。


「代償! 代償は、どうなさったのですか!? 呪詛は、スヴェンの命でまかなえるのですか? 霊宝武具は、人ならざる助力を得る代わりに、呪詛を受けるのですよ!?」

「トバルカイン……これに憑いていた幽霊のひとがいうには、外見が変化しなくなって、だけど、内臓に負担があるのだって」

「内臓に、負担……ああ、なんということだ……」

「でも、すごく疲れるという感じだけだったよ。代わりに、僕でも戦うちからを得られた」

「本人の体力を増強して、かつ剣術を学んでいけば、霊宝武具に食われるということもないだろう」


 先生が、間にはいって、取りなしてくれる。


「それに、霊宝武具を持っているからといって、かならず使用しなくてはならないということは、ない。まあ、医術的な面では、ジゼルさんのほうが詳しいから、合流後に、霊宝武具の悪影響について、正確に調べてもらおう」


 しかし、先生や僕が言っても、スヴェンは落ち込んだままだった。


「私のちからが足りぬばかりに、陛下が霊宝武具に憑かれるなど、」

「僕が決めたことだよ、スヴェン。僕が、戦うちからを欲しかっただけだ」

「しかし、」

「僕だって。皇帝とか、王将とかいわれているのに、逃げてばかり、守ってもらうばかりで、自分が情けないと思っていた。だから、スヴェンのせいではない。僕の決断だ」


 やれやれ、と。先生が肩をすくめた。


「今日の反省会は、もう終わりにしよう。次の追っ手につかまる前に、距離を稼ぐ」


 そして、彼はこちらに背を向け、すたすた行ってしまった。

 僕らは顔を見合わせ、あわてて背中を追う。




 ――ここに逃げ込んだときは、昼過ぎぐらいだったのだが、今はもう日が落ちていた。

 橙色と紫色が混ざったような視界のあちこちに、転がった死体を見る。

 なかば飛び出した眼球の白に、思わずスヴェンの手を握りしめてしまった。

 スヴェンは、僕の嫌悪や恐怖に気づき、力強く握り返してくれる。。


「あの……外は全部、先生が……?」

「うん。この霊宝武具で、斃した」


 前を行く先生は、振り返りもせず、ただ着物のそでに隠れていた腕を露出させた。

 左右の前腕に、それぞれ赤い紐が巻かれていて、その先端には飾り玉がついている。


「種類でいったら、これは流星錘。紐を振り回して、遠心力のついたおもりで打撃昏倒させる。霊宝武具・双頭蛇」

「先生の代償……呪詛は、なんですか?」

「ないよ」


 あっさり答えられて、僕らは面食らった。


「霊宝武具は、もれなく呪詛がついているのでは、」

「呪詛なし、代償なしの霊宝武具も、まれにあるよ。極まれに」

「でしたら! それをマルセル様に譲渡してくだされば、」

「譲渡は、無理だ。霊宝武具は基本的に、死ぬまで身近にある。マルセルくんの二本刀もね。だからこそ、霊宝武具の使い手は、霊宝憑きといわれるのだよ。俺が死ぬまで、こいつは、俺にとり憑いたままだと言っていい」


 ……あれ? ちょっと待って。


「じゃあ、二生の盾は? スヴェンが、先生に譲渡することは、できない」


 スヴェンが、あ、と声を漏らした。


「着眼点は、いいね。そこはほら、霊宝武具と霊宝道具の違いだ。誰かを傷つけ、殺す能力に特化したものを霊宝武具といい、それ以外を霊宝道具と呼ぶ。霊宝武具、のほうが使い手のそばから離れないんだ」


 先生は前を向いたまま、こちらを振り返らない。立ち止まることもしない。


「二生の盾は、道具のほうに分類される。……まあ、それ以前に、終の盾はスヴェンの代で終わりだから、今の彼が持っていても、しかたないのだけどね」

「………………」

「……どういうこと? 彼が終の盾の生き残りで、最後のひとりだからということですか?」

「スヴェン、説明したら?」

「……陛下。終の盾は、まちがいなく私の代で潰えます」


 まだ握られた手が、そのちからが、わずかにゆるむ。


「陛下の蘇生の代償に何を支払うかと訊かれ、私は妻子を持たないと答えました。単純にもうしあげますと、私は女性に対し欲情することはなく、子供を作ることもありません。つまり、そういう肉体の機能を失いました」

「……えっと、」


 スヴェンは隣で、小さく息を吐いた。


「当時は兄が、おりましたから、一族繁栄は彼らにまかせ、私は陛下だけに心を砕けばよいと思っていたのです。そして、それは裏目に出ました。この先、陛下が皇子をもうけなさっても、つづく盾がおりません。……私の浅慮を……お赦しください」

「つまり、僕の命を助けるために、スヴェンは何もかも犠牲にしたってこと?」

「いいえ! いいえ……陛下。私は犠牲などと、おこがましいことは、」

「でも、だって、そうでしょ? 僕のせいで、」

「いいえ、陛下。陛下のお言葉をお借りするなら、私自身が決断したことです。誰かに強いられたわけではない。どうするかと訊ねられて、私は選択した。これは、私が自ら背負った呪詛と祝福です」


 一瞬、息が詰まる。


「ですから、陛下。陛下が、過去のスヴェンの浅慮をお叱りになられても、ご自分を責めては、なりません」


 ――ああ、なんだ。

 僕らは意外と似たもの同士だった。


「まあ、悪いことばかりでも、ないよね。スヴェンは、女の色香に惑わされたり、家族を人質にとられることも、ない。この先、マルセルくんが、他人を信じられなくなるようなことが起きても、彼だけは信じていいということだ。そうだろう?」

「はい。何があろうと、私は陛下を裏切ることは、しません。絶対に」


 スヴェンが、こっくりとうなずいた。


「私は、陛下の一番の臣であり――あにやですから」

「……ありがとう……」


 僕の身近なひとは、みな立派なひとだった。


 そんな彼らの上に立つにふさわしいような、立派な皇帝になれるだろうか……?

 ……なんというか。周りが立派であればあるほど、僕は、自分の気が鬱ぐような気もしていた。


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