断章『はずれた箍』
今も昔も、思い詰めたクソガキの行動力は大したものだった。
昔の、あたしがそうだった。
そして、今の幼帝も、そうだった。
◇ ◇ ◇
女王アレズサの眠りは浅く、体調は最悪だった。
姉は霊宝を使うため、自分を犠牲にして死に。精神的にまいったところで、月のものが来た。
「えい、いらいらする!」
簡易寝台の上、毛布を蹴り飛ばす。
普通の女王なら、自分が男だったらよかったのに、と思うのかも知れない。
だが、それはアレズサにとって禁句だった。くそ親父の父王から百万回は嘆かれ、ぶつけられた言葉だ。
生まれつきの性別まで遡って全否定されては、どうしようもない。どうすればいいのだ? 玄女は夫の性別も変えられるなどという神話もあるらしいが。
「……痛み止め、飲むか」
痛み止めは眠気も誘う。他国との交戦中に飲むのはどうかと考えたが、腹痛と腰痛は如何ともしがたく、これは怪我の一種と割り切ることにした。
戦装束に着替えて天幕の外へ出ると、姉の子飼いの直臣が、火を炊き、乾燥肉と野菜を鍋で煮込んでいる最中だった。
「おはよう」
「…あっ、おはようございます」
まだ十歳と幼い少年は、火箸を片手にさっと立ち上がった。
「ちょうど、いい具合に出汁が出ました。どうぞ!」
「おう、あんがとな」
少年は、会釈したのち、椀に汁物を注いで、アレズサに差し出した。
受け取って、アレズサは立ったまま、汁を飲み干し、野菜と肉を咀嚼した。
「アレズサ様!」
女王の天幕を囲む陣幕内に、これまた年若いのが駆け込んでくる。
賢しげに眼鏡をかけ、帽子をかぶった少年もまた、姉ヘスペラの子飼いで、幼児期から軍事戦略をたたき込まれた子供である。
「お食事がすみましたら、参謀本部陣幕へお越し下さい。お話が、」
「ああ、今行く。……うまかった。ごっそーさん」
生前、姉がやっていたように、食事番の少年の頭を撫でると、彼は顔を赤くした。
「行ってらっしゃい、おかーさん」
アレズサはぷっと吹き出し、豪快に笑った。
「あたしは、あんたのかーさんじゃねえよ」
「…あっ、すみません。間違えました」
「まあな。姉貴の養子なら、あたしにとっても息子同然だ」
まだ狭い額に弾指して、布外套を肩にかけながら、陣幕を出る。
陣幕を出て、十歩足らずで、参謀本部と名付けられた陣幕に入る。
「おう、みんな。おはようさん」
「おはようございます、陛下」
「おはよーございます」
ここにいる戦技官見習い五人は、みな十歳前後の少年少女だ。姉が集め、育てた孤児たち。
自分自身の体験から、親に見捨てられた子供たちを立派に育てたいと願った結果、戦場の頭脳である戦技官が、子供ばかりになってしまった。
これが熟成するのはもっと先だろう。今はまだ、全員ふやふやと頼りない。
「話ってのは?」
一番の年長者である、眼鏡の少年に声をかけ、アレズサは椅子に腰掛けた。
すぐ前には、大型の方形卓。そこには地図と水を張った盥、定規、鉛筆が置かれている。
「一昨日から"曳光の手"が指し示す方角が急変化しています」
地図上に遊戯の駒が置かれ、王冠を模った駒の下には、時刻の走り書きの紙が挟まれている。
少年は、盥の他に小皿を地図上に載せた。
皿の中身は少量の水と、小指の一本。大盥には、腕が丸ごと入っている。どちらも蝋でしっかり固めていて、腐敗防止の細工ずみだ。
「腕は実際の方角を指し示しますが、指だけですと、地図に反応する特性があります」
「なので図上で三角測量を行って、目標の場所を特定するための線引きをしたんです」
「一定時間ごとに、指し示す方角が違っているので、一日かけて計算を繰り返しました。その結果、」
「アレズサ様の頭がふたつに割られたのでは無いかと、推測します。この駒はほとんど動きません。ですが、こちらの駒が常に動き、場所を変えている。攪乱のつもりかと」
「うん。で?」
「今や、こちらが全周包囲網されているため、ここはやはりマルセルの首を直接、獲る方法を考えなきゃいけないんですが、"曳光の手"の反応がふたつに割れているので、全方位の防衛線を保ちつつ、国外と国内、どちらに強襲隊を向かわせようかと」
「おまえら、そんなことでぐだついていたのか!?」
思わず、大声を出すと、見習いの少女がびくりと震えた。
「あー、いや。怒ってるわけじゃ……いや、怒ってんのか、実際。おまえら、考えすぎ。
とりあえず、固まって動かないほうを見にいきゃいいんだって。選択肢が多いなら、ひとつずつ消してけ」
「ですけど! 国内の、こんな近くにある反応なんて……どんな罠があるかわかりません。そんなとこに貴重な兵力をやっていいものかと」
「このまま膠着状態なら、こっちが疲弊するだけだ。おまえら、まだ子供なんだから、まず素直にやっとけ。最初から、姉貴を見習えなんて言ってない」
そして、一人一人の頭をぐしゃぐしゃと掻き乱す。
「悪かったな。おまえらを実戦に出すの、ちっと早かったかもな。あっちのマルセルだって初陣は十三、十四だってさ。なのに戦場に引っ張り出して、すまん」
「アレズサ様、」
「あたしが、もう少し勉強が好きだったら、良かったんだがなあ。まあ、罠なら、はまっても踏み潰すまでさ。手空きがないってなら、あたしが、ちっと行って、見てくる。
馬を引いてくるから、その間に詳しい地図を頼む。脳足りんのあたしでも、ちゃんと目的地につける精度のな」
励ましをこめて、傲岸不遜に笑ってみせ、参謀本部を出る。
背後では、子供たちが、よーしがんばるぞー、と気合いの声を響かせていた。
(罠か。まあ、罠だろうな。多分、動いてるほうがマルセルに憑いてるやつだろ。しかし、かち割った頭のほうは回収する。……ねーちゃんだって、葬式に頭が無きゃ座り悪いだろうさ)
自分の陣幕に戻り、馬に鞍を載せる。
愛馬が、いたわるように、アレズサに鼻先を近づけた。
「……しっかりしろ。他の奴らも家族を失ってる。ガキどもも、そうだ。いつまでもぺそぺそ、めそめそした女王なんざ、誰もついてこない」
自身に活をいれ、地図を受け取ると、旗手を一人連れて、目的地へ馬を走らせた。
激励巡察と勘違いした各地各所の兵には手をあげ、叱咤し、高々笑いながら去る。
『いい、アレズサ? 自信のない王さまには、誰もついてこないわ。
……もし、先代に見習うべき点があるとすれば、ひとつ。自分は絶対に間違っていない、常に正しいのだと胸をはっていた点よ。あんなクソ親父にすら、一部の人間はついてきた。その理由は、王者の絶対的自信なの』
「あたし、うまくやれてっかな。なあ、ねーちゃん……あたし、うまくやれてっかなあ」
風のなか、口腔内で独り語散る。
旗手は一馬身ほど離しているので、音は拾えないはずだ。
月経の期間中は感情が不安定で、本当にいやになる。
かつて国政や細かな軍事は姉がすべて担当していたので、アレズサ自身は何も考えず、ただ堂々と王者として振る舞えていたのだが。
「……やっぱり女は。王将に向いてないのかな」
実父への憎悪で、ここまで来た。実姉の献身で、ここまでやって来た。
――大勢を巻き込んだ以上、今さら全部を投げ捨てる訳にはいくまい。
地図に従い、二刻ばかり駆けた馬は、人里離れた山中に入る。
太陽は中天に近い。
山中の木々が邪魔で旗手と離れ易くなったため、彼には麓へ戻るよう命じた。
間もなく、馬を降り、徒歩で地図上の赤丸を目指す。
木々のなか、唐突に場が開けた。密集し過ぎたため、この辺りはかえって、木々は育たなくなってしまったらしい。
戦場から切り離された場所。鳥の声が響く辺り、長閑なものだ。
足下の土に、掘削の痕跡がある。
「ここか? こんなところに、なんで、」
剣を抜き、土を掘る。
柔らかな土を掘り続け、間もなく、砂利の層にぶつかった。
自分が想像していた、姉の首の残骸は、ない。
「なんでだ……霊宝が反応していたのは、ここじゃ、ない?」
ぞっと背筋に寒気が走った。
地面に、巨大な影が落ちる。すぐに顔を上げたが、そこはおそろしく巨大な黒雲が広がっているだけだ。
雲。
くも……?
「――なんだァ!?」
雲の近さ。違和感に叫んだ瞬間、雲は巨大な鳥の姿に変わった。
あり得ない光景に、目を大きく見開く。あれは確かに、先まで雲だったはずなのに。
大鴉の背には、金髪の少年と、弓をかまえた男が一人乗っている。
射手が素早く、矢尻に何かをくくりつけるのを見た。
「アレズサ女王か?」
「マルセル皇帝か!」
たがいに、たがいを確認した。
武者が矢を放ち、アレズサは、それを回避できなかった。
肩口に矢が突き刺さる。傷の奥深く、矢尻以外の違和感が広がる。
「くそっ……降りてこい、マルセル! 降りて、きやがれ……っ」
アレズサは矢を半ばで折り、まだ動く片手で剣をかまえ、鴉の乗り手たちに叫んだ。
大鴉の手綱を握った少年の目は、こちらではない遠くを見ている。
「私は今、大変に腹を立てている。怒りの代償は御身で払ってもらおう、アレズサ女王」
そして、こちらを一瞥することもなく、凍えた青い瞳の少年は、武者を連れて飛び去った。
当然ながら、アレズサには、空を飛ぶ者を追うことは出来ない。
「……くそっ、こっちが罠かよ……」
矢が骨近くまで貫通している。腕の腱も切れたようだ。
苦痛に息が荒く、ひたすら脂汗が吹き出る。
「あのまま射殺さな、いなんて……なに、考えて、んだか……」
憎まれ口を叩き、馬のある場所へ戻る。
いつもは鼻をすり寄せてくる愛馬が、無反応だった。しかし、その違和感に気づけない。
鐙に足をかけ、どうにか騎乗すると、馬は情けない悲鳴をあげて突如、駆けだした。
「おいっ、どうした!? …っく」
馬の駆ける振動が傷に響く。
声もなく傷を押さえて、うめいていると、麓に待たせていた旗手が、馬を寄せてきた。
「どーうどうどう! 落ち着け、何が!」[lr]
「おい、ハノイ! 馬が、」
「っ……!?」
旗手が驚愕に眼を見開き、馬を停めた。
背後の山を振り返る。
「……陛下? 陛下ーっ」
どういうわけか旗手は、山のほうへ戻っていく。
「陛下、どこに! 陛下ぁっ」
「おまえ何をし……っ」
愛馬は駆ける。
恐怖による帰巣本能なのか、本陣めがけて、まっすぐに――
「おい、陛下が戻ってこないらしいぞ」
「参謀本部からの伝達だ、こっちへ」
「暴れ馬かよ、こんなときに」
すれ違う兵士らは、アレズサを無視し、あちらこちらへとせわしなく動いている。
馬上のアレズサを、誰も見ない。
誰も、彼女を見ない。
(――誰も、"あたし"を見ない)
ぐらり、と。かるい目眩が起きる。
無性に喉が乾いた。
血が足りない。
視界が暗くなる。
『……次こそ男かと思えば、また女だしなあ! ああもう、さっさと死なねえかなあ! おまえが生きてると、次の嫁さんがもらえねーんだよ』
泥酔した父が、母をけなし、頬を叩く。
――"あたし"が女だったから。
だから、女の自分を捨てようと思った。
『王位は、ヘスペラに継がせる。二番目は用なしだ』
泥酔した父は、アレズサに期待しない。
――"あたし"が二番目だから。
ならば好き勝手に生きさせてもらう、王様家業なんざ知ったことか。
『は、不細工な顔しやがって。俺の視界に入ってくんな!』
泥酔した父は、アレズサを見ない。
――"あたし"が醜い女だから。
もう、いい。顔は直しようがないが、鍛えた筋肉は賛美される、もうそれでいい。
……血が足りない。
視界が暗くなる……。
『アレズサがいて、良かった……私一人だったら、とうさまの言葉に耐えきれず、潰れていたわ。ありがとう、アレズサ。そこにいてくれて』
「……ねーちゃん」
胸が妙にざわざわとした。
大好きな姉は、もう死んだ。この手で首を落として、あの霊宝道具の首桶に詰めた。
「ねーちゃん……あたし、もう、いやだ。あたしには、王様なんて向いてなかった……!」
『だいじょうぶ、だいじょうぶよ、アレズサ。自信を持って!
私は……こんな目だから戦えないけど、あなたは立派に戦える。この国に、これ以上の女王はいないのよ? 足りない部分は、私が補う。私の子供たちが支える。だから、ね?』
ああ、そうだった、と。アレズサは目を見開いた。手綱をしっかり握る。
姉が育てた養子たちがまだ遺されている。自身の家庭環境を反面教師にして、しっかり育てた子供たちが。
射られた肩は痛むが、月経痛を緩和する薬を飲んで、痛覚を麻痺させる。
(まず本陣へたどり着いて、傷の手当てをして。今後の対策を)
痛み止めの薬が、体感時間を跳躍させたらしい。
わずかに目を閉じ、見開くと、かなり時間が経過していた。
日は傾き、茜色に染まる本陣は間近だ。
子供たちが青ざめた顔で、弓兵、弩弓兵に指示を出しているのが見える。
「マルセルの場所は特定した、この方角に間違いない」
「え? どっちだよ、坊主ども」
「こっちだ、引きつけろ。まだだ!」
「見えねえって……どこだ? あの暴れ馬か? 本当に?」
「ヨルムンガンドには、姿を消す霊宝道具があるんだってば! 間者の報告が来てるんだ」
ああ、だいじょうぶだ、しっかりした子たちだ。
姉の養子たちが、なんとかしてくれる。この、わけのわからない状況を説明してくれるはずで――
「かまえ、よーい! っ…射てえーっ」
………………
…………
……
ちゃぷり、と。水の跳ねる音に、アレズサは目を開いた。
視界に金の砂が舞っている。見上げる先、消失点のあたりで、ゆらゆらと水が揺らめいていた。
どうやら水に沈んでいく最中のようだ。しかし、呼吸は苦しくない。
ははは、と。アレズサは嗤った。
ああ、そうか――自分は、あのまま弓兵、弩弓兵に射られて死んだのだ。
最期の瞬間、戦技官見習いたちがこちらを見て、驚愕に目を見開いたのを思い出す。
自らが射貫いたものを知って、弓兵たちは動揺し、混乱していた。
こぼん、ごぽっと背後で音がした。自分の横を大きな気泡が通り過ぎていく。
戯れに、それに手を伸ばすと、儚く弾けた。
気泡が弾けて、金の砂が自身にまとわりついてくる。
声が、聞こえた――
『……しました。だから先生なら、怨念を晴らせるかと』
『きみも想像力や洞察力が上がったみたいだね。まあ、彼女のことだ。俺が頭でも撫でてやれば、気が済むだろう』
『わっ』
『本当に、陛下のおっしゃった通り、はずれましたね』
『それで。これから、どうする?』
『この頭、一部割ります』
『うん。で?』
『ひとつは、おおとり族のひとに持たせて、不規則に飛び回ってもらいます。もうひとつは、僕とワタリと、ヨシト元老が持って、ラドゥーン国内に潜伏します』
『"捨て石幻灯器"を使うのかな?』
『はい。あれは積極的行為を起こさない限り、姿を隠せますから。
その能力を使って、僕らで女王を待ち伏せます。ひとつしかないものがふたつになれば、彼らは調査するしかないと思うんです。絶えず動いているものより、不動のものを優先に』
『女王が直接、調査のお出ましになるとは限らないがね』
『もしかしたら、そこに僕自身がいる可能性を彼らは否定できないでしょう?
なら、先生がいう"脳みそまで筋肉だった"アレズサ自らが出てくる可能性は半々。
それから、この数日間の戦闘でわかったことは、一般兵は接近戦の練度が低くて、近接武器を使うのが苦手ってことです。おそらく弩弓の高性能さにかまけていたのだと思います』
『……なるほど。きみは、きみとの直接対決があり得るなら、近接戦闘に強い女王が出てくると踏んだわけか』
『女王と遭遇したら、この頭を使って作った矢尻に"捨て石幻灯器"をくくりつけて、彼女を射ます。
死なない程度、急所はわざとはずして、逃がすつもりです。それさえすめば、僕らは離脱します。あとは自動的に決着がつくかと』
『……ああ! それはまた、ずいぶんと残酷なことを考えたね。人間、変われば変わるものだ』
『偽善者だって、罵ってくださってかまいませんよ。セベク王の時とは、違う……ぼく、かなり腹が立っているみたいです、ラドゥーンに対して』
『わかった。とりあえず、その作戦の汚名は俺が被るから、きみは気にせず、実行しなさい』
『……すみません』
『ちょうど、そこにラドゥーンの間者を捕まえておいたから、彼の"鍵既約"を吐かせて、誘導用の情報をいくつか流しておこう。向こうの兵が、女王を手ずから殺せるようにね』
死なない程度の自白剤で吐いてくれるといいけどね、と。誰かが言った。




