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Jigsaw2  作者: さより文庫(永井佐頼)
13/29

断章『白砂の凡夫』

誤字脱字は後で直します。


 天より降る雨は少なく、地にある井戸は底が見えるほど。

 我が国の貯水量は年ごと低下し、緑の木陰もまた。

 かつて黒髪が多かった我が民も、家畜の小水で頭を洗って、色が抜ける者も増えた。

 文字通り、黒髪は王侯貴族の証となった。


 ならば、この黒さに誓う。

 この命の最期に――そなたらに、豊かな水と木陰を贈ろう。

 皆、どうか幸せに……


     ◇ ◇ ◇


「だから、どうにかして井戸の水位を上げろと言っておるのだ!」


 地上の暑さに耐えられず、セベク・アペプが地下の霊宮に避難すると、神官が霊宮に怒鳴りつけている真っ最中だった。

 背を向けていた井守の神官は気づかなかったが、霊宮の青い目はこちらを見て、あっと叫んで、指を指す。


「その手が二度も通じるか、このバカ霊宮! 性悪蛇女めが!」


 神官は、霊宮の首にかけた縄をつかんで、怒鳴り立てる。


「何が国母の神だ! 母なる水神ならば、水の恵みを寄越せというのだ!」

「井守のハピよ」


 神官の名を思い出して、呼びかけると、彼の背がぴんと伸びた。


「あっ、セベク王。申しわけございません。今月の水は、」

「いや、そなたには感謝している。説教役を押しつけ、すまなんだ」

「はっ。いえ。ははあ」


 縄をつかんだままの神官をいたわりつつ、霊宮アペプを睨みつける。

 青い神、青い目、青い鱗の蛇女は、ふんと鼻を鳴らして、あさってを見た。

 各国の霊宮はすべて、同じ顔、同じ形、同じ色をしているが、性格などの内面はまるで違うという。


 ――霊宮アペプと霊宮ヨルムンガンドを並べて見る機会があるとしたら、それぞれこう思うだろう。

 ヨルムンガンドは、涼やかで、穏やかで、おとなしい。

 アペプは暑苦しく、野蛮で、血に飢えて、おぞましい。


「霊宮アペプや。そなたと我が王家の血筋は千年の仲であろう。もっと融通をきかせてくれまいか。

 余もこれも、好んで、そなたに手荒な真似をしているわけではない」

「ならば、わらわに贄を捧げよ。井戸水は、それからだ」

「こたびの要求、さすがに過分と思うが」

「百の生け贄を寄越せば、万人の水をくれてやる。これのどこが過分か」

「過分だ。そなた、人間一人が、どれほどの時間をかけて生き、死んでいくか。わかっているのか」

「わかろうが、わかるまいが、対価は変わらぬ。わらわに贄を捧げよ」

「余も先祖も、そなたら霊宮は総じて、国を愛する慈母と聞いておったが。はて」


 セベクの嘆息を、蛇女は嘲笑った。


「世の母が総じて慈母であろうか? 子をくびり殺す母はいる、間男にうつつ抜かす母もある。

 おお、独り身の男の幻想とは、なんと痒いことか」

「それぞれの形と才能に適した役割はあろうよ。人は平等ではない。余が王であること、そなたが霊宮であること。それは動かしがたき事実であり、」

「セベク王、これの言うこと、まともに聞いてはなりませぬ。頭を殴りつけ、鞭打ちませんと、」

「だが、そのようにして力尽くで従わせた月の井戸水は塩水であったぞ」


 まっすぐな報復だ。あらゆる水を清水に変化させる霊宝道具を所持していなければ、今頃、国民全員、乾き死んでいた。


「はっ! 期を読めぬ腑抜け凡夫め! 贄に、人種は関係ないぞ!」


 そう吐き捨てると、霊宮は神官を突き飛ばし、井戸のなかへ深く沈んでいった。


「……いわれずとも、凡夫であることは自覚しておるよ」


 縄で血豆を作っていた神官の手に、布を巻いてやりながら、セベクは大きく息を吐いた。

 うなだれる初老の男の肩をさすりながら、階段を登っていく。

 間もなく、急激な気温変化に襲われた。

 霊宮はひんやりと薄暗いのだが、地表は炙ったように熱い。

 途中で神官と分かれ、自室に続く回廊をひとり歩く。

 九十日と雨が降らないため、熱風に白い砂が舞い踊っている。

 噴水を囲う石壁は、とうの昔にひび割れ、崩れた。

 王宮であっても、人影はない。ひたすら熱いだけの日中に、政務ができるわけもなく、官吏官僚すら自室でぐったり横たわるだけである。


「――そなたも日陰で休め。この暑さだ、暗殺を企む者もいまい」


 自室のまえ、槍を持った番兵に声をかける。


「戻るついで、ラシャブ将軍を呼んできておくれ」


 番兵は、かすれ声ではいと答え、槍を引きずって立ち去る。


 籐編みの椅子に座り、ぼんやり壁掛けや絨毯のほつれを眺めていると、入口に人の立つ気配があった。


「セベク王。ラシャブ、参りました」

「おお。日中にすまぬことをした」


 一礼して、長身痩躯の中年男が入ってくる。

 彼は、自分の姉の婿にあたる身内だ。

 セベクは丁寧きわまりない口上を途中で止めさせ、同じく籐椅子に座ることをすすめる。

 息せき切ってやって来た彼をねぎらおうと、扇子で扇いでやりながら、


「まず国内をと思ったのだが、やはり、そなたの進言通り、他国から水を奪うしかなさそうだ」

「霊宮は、なんと?」

「百を以て、万を生かすと」


 ラシャブ将軍は咳き込み、胸を叩いた。


「政庁で把握しているだけで、国民およそ一○○万人です。雑に考えて、一万の生け贄が、」

「なぜ必要なのか、まるでわからぬ。いくらでも水を湧かすのが、霊宮と思ったが」

「……人ならざる者です。人間には、わかりません」

「うむ」


 籠に入った葡萄を一粒手にして、セベクはそれを飲み込んだ。

 乾燥に強く、白砂の大地に育つ植物だが、まずいものだ。


「将軍よ。今現在、使える兵は、どれほどか」

「全土かき集めて、奴隷軍人三千。昔からの武官が四千」

「およそ七千か。戦をするにも、なんと心許ない」

「対戦国を選べば、勝機はありましょう」


 ラシャブは椅子から腰をあげ、壁際に重ねられた絨毯の山から、一枚それを引き出す。

 絨毯の絵柄は、他国の地図だった。まじないの意味があり、これの上に座ることは、その国と戦う意思を示す。


「ヨルムンガンド帝国です。およそ百年前の地図絨毯ですが、現状とさほど変わらないでしょう」


 セベクは眉をひそめた。


「余は自国を貶めぬ。が、他国を見くびりもせぬ。こんな巨象に瀕死の駱駝が勝てると思うか」

「ヨルムンガンドは、ここ十数年の内乱で、国力が落ちています」

「あれとは我が父と不戦条約を結んだはずだ」


 およそ十二年まえに、宝の山を積んだヨルムンガドの船が来て、姉弟ふたりでそれを見物したことを思い出した。

 当時、ヨルムンガンドの摂政だった男相手に、不戦条約を交わしたのだ。

 国宝級の財宝ばかりか、霊宝武具まで持ってきたので、父王は条約を締結した。


「先日、保護した亡命者の話によれば、幼帝マルセルは、首都に戻ったようです。

不戦の条件のひとつは『マルセル・ヨルムンガンドを僻地に封じる間』。

ならば、この条件は破られました」

「わからぬな。王将を封じるならば、いっそ殺してしまえばよかろう」

「生かさず殺さず、首都から遠ざけ秘することで、宣戦布告を受け取らず。

あらゆる罪科は幼帝に被せるが、うまみは自分たちで享受しようというところでしょう」

「幼帝マルセルとやらも、哀れなことだ。まだ十二、十三の子供だろう」


 セベクはふと、手にしていた折りたたみ式の扇子を見る。

 これもヨルムンガンドから贈られた逸品。親骨は螺鈿細工で、他の骨にはすかしが入っている。たしか二之旗本とかいう土地の名工の作だとか。


「これも、元は幼帝に捧げられた物なのであろうな。

 王将はその背にすべてを背負うからこそ、こうした最上の嗜好品と食物を得るのだが。

 しかしまあ、かように酷薄な臣民なぞ、余は守る気にもならぬ。

 もし、かの国と我が国とが戦うのであれば、霊宮の贄は、」

「……いかがなさいましたか?」

「なるほど、霊宮め。そういうことか」

「王、」

「あれは、余に戦えと申したか。して、他国の民を贄に捧げよと」


 得心して、将軍はうなずいた。


「ヨルムンガンドは、国の大半が寒冷な土地です。その周縁は、緑にあふれていると聞きます。

 もし、あの土地を得たならば、我が国には雪解け水が多く流れ込むことでしょう」

「雪か。一度、見た事があるぞ。枯れた平地の向こう、山の頭に白く輝いていた……。ああ、欲しいな」


 セベクは、とうとう、地図絨毯に足を乗せ、そこにあぐらをかいた。

 ラシャブが膝を叩く。


「ご決断なされましたか」

「しかしな、寡兵は如何ともしがたいぞ、将軍。この気候では、練兵もうまくいかぬだろう。

 ――そなた、我が国の所有する霊宝武具を把握しておるか」


 ラシャブが地図絨毯を立ち、棚のひとつから目録の巻紙を取り出した。


「……ううむ。兵に憑かせますか?」


 問われて、王は首を振った。


「余は、しょせん血筋だけの王。実は凡夫と知っておるよ。

 ならば征野にて、自ら霊宝武具を振るうことでしか、王としての価値を示せぬ」

「そのような、」

「ふ。ときに将軍、我が姉と姪は、健やかに暮らしておるか」

「……はい。西岸の、海辺の別宅に下がらせておりますが」


 ならば良しとセベクはうなずき、目録の一行を扇子の先で示した。


 霊宝武具《紅鋳の覆》。銘は、こういのおう、と読む。

 この霊宝武具を身につけると、炎や熱による火傷、金属による創傷を受けつけない。また腕力も倍増させるという効果もある。

 ただし、その代償が――


「陛下、これはいけません!」

「そなた、そのいけぬ物を我が臣民に憑かせようとしたか?」

「…それは、」

「幼帝を哀れに思うが、かと言って、手は抜かん。余が全力で、子供一人ひねり潰せばよいことだ。

 戦勝後、この国を我が姪に任せよう。官僚どもに手配しておく。

 霊宮アペプめが、またも贄を欲したならば、ヨルムンガンド人を八つ裂きにして井戸に放り込め。

 ――義兄どの、あとは、よろしく頼む」

「しかし、それでは、」

「はっ! 良いではないか。のちに我が偉業を記念する石碑を建てよ。

『かつて、臣民に、水と木陰を贈った凡夫あり』など、どうか?

 五十年後くらいには観光旅行の名所になるかもしれんぞ」


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