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Jigsaw2  作者: さより文庫(永井佐頼)
10/29

帰城するは汝の王

 僕の行く道は、生まれた時から決まっていた。

 右に左にうろうろしても、結局は一本道で、両脇は高く重い壁をそなえて、逃げ場はなかった。

 いつからだろう、その道を歩くのが息苦しく感じられたのは。


   ◇ ◇ ◇


 そこは荒れ果て、ねえやたちが語った首都とはまるで別物に思えた。

 首都をぐるりと囲む壁はあちこち崩れ、白骨化した死体が穴をふさぐように積まれている。


「こちらへ」


 スヴェンが周辺を確認してから、僕らを手招きした。

 ぐにゃりとした何か臭い物を踏んだが、足下を確認する気になれない。


 焼失、風化した建物の横を通るとき、僕の手をひくスヴェンの指にちからがこもる。

 見上げた残骸の一部に、盾を抱える犬の紋章が見られた。


 町中は空虚で、物がろくにない。

 風雨にさらされた人骨。片づけられない糞尿。それらにたかる蛆、蠅、野犬。


 どうにか形が残っている建物から、どっと笑い声がもれ、次に窓の外へ、ぽーんと何かが投げ捨てられた。

 粗末な草花がいけられた頭蓋骨がひとつ、そこに落ちる。


「……ぐっ…………」


 粗末な外套の下、二本刀の柄に指をかける。


「大事のまえの小事だ、落ち着きなさい」

「これを小事と言うんですか!?」

「あれは死んだ人間一人。これから先、きみは生きた人間一億人を背負う。最大多数の最大幸福だよ」


 ……小事なのか? 人間ひとりの死は。


「目につくものいちいち突っかかって、浪費している時間は、ない。あれが許せないというのなら、はやく霊宮から頭光を賜れ。そのあとでなら王将の名において、八つ裂きでも、だるまにでもするといい」


 せかされ、前へ歩を進めたけれど、こころのしこりは残る。

 ……先生は、大局ばかり見て、時々大事なことを見落としているような気がするのだ。


 重い曇天。冷たい風。

 いやな意味で見通しがよくなった目抜き通りの一番奥に、巨大な建物が見えた。

 何もかも、もうめちゃくちゃなのに、白宮殿は偉容を保っているかに思われた。


 が、近づけば近づくほど、それははりぼてみたいな威圧感だ。

 覗いた堀に水はなく、かわりに汚泥と白骨と腐った肉が敷き詰められている。

 見上げた石壁には呪われた血文字と、千切れた縄のきれっぱし。

 呑気な門衛は詰め所にひっこんでいて、酒をあおっている。


「いまのここは、」

「――陛下?」

「ねえやたちが帰りたかった場所じゃあ、ない」


 溜め込んでいたものが、ふつふつと煮立ってきた。

 怒りと嫌悪感で、胃がどんどん重くなってくる。


「スヴェン、援護を」


 懐中の袋から丸薬をひとつつまみだし、口に放り込む。


「マルセルくん、」

「だめだなんて言うな! もう誰にも、いまの僕を否定させない!」

「御意。――亢龍どの、内通者とやらの避難誘導でも、されていろ。陛下は、お怒りである」


 スヴェンが、先生の言動と行動をさえぎった。

 正体を隠すための外套を脱ぎ捨て、白宮殿の門前に立つ。

 さすがに詰め所から三人ばかり、兵士が飛び出してきた。


「貴様ら、なに、」


 誰何むなしく、スヴェンが三条、刀を振るっている間に、僕は霊宝武具の二本刀を抜いた。


 ――この扉は"敵"だ、僕のまえに立ちふさがる"敵"、僕の行く手をはばむ"敵"。


「僕の"敵"なら切り捨ててみせろ! 二本刀!」


 めいじると、ぐおーんと耳鳴りがした。周囲の音が、声が、時間が間延びし、わずかに遅くなる。

 左の刀が、僕の手を引いた――そのまま前へ一歩踏み出して、突き。


「トバル、トオハル……凍る、遠い春」


 目の奥、頭のなかで何か力強いものがぐるぐると渦巻いた。

 すると次に、刀は冷気を発した。

 切っ先から細氷が吹きだし、突きつけた先の扉が、ぱきぱきと音をたてて白く凍っていく。


「っ、りゃあああああああああああああああっ」


 怒号とともに、今度は右の刀を扉に突き立てる。

 薄氷に足を載せた時のように、ぴしぴし、ぱきっという音が鳴る。

 小さな火花が一瞬ともった後で、扉は粉々に砕け散った。


「――霊宝武具の銘を、打ち替えたのか」


 ふうっ、ふーっと息を吐き出す。

 周囲の気温は低下していたけれど、僕自身は非常に熱かった。

 頭に血が上り、心臓の音が耳元で聞こえる。


「うあ! うああっ」


 泥と血痕で汚れた緋毛氈の廊下を駆ける。

 僕の怒号を聞きつけ、簒奪者どもが群れて、前から、左から、右から次々に飛び出してくる。


 ――目の前に、いち、に、さん、しにん。

 屋内にて、武器は剣。長柄の得物はなし。

 間合い確認。群れているから、あたらの攻撃型は、縦の斬撃もしく正面突きが主流になるはず。

 持ち手確認。両手持ち、鞘の位置から鑑みて全員、右利き。


「ら、あっ!」


 気勢とともに振るわれた上段からの斬撃は、かわす。

 次にきた、中段正面突き、この程度、ならば左で受け流す。


「ちょこまかとぉっ」


 そのまま横に逃れた目標を見失って、たたら踏んだ奴は、後ろから追いついてきたスヴェンに譲り渡す。

 裂帛の声とともに、スヴェンが体重を載せた一撃を放つ。


「二の太刀も要らぬ雑兵が、陛下に盾突くな!」


 人間一人をふたつにたたき割ったスヴェンが吠えた。


 強引に切り開いた道を駆ける。

 左から、三人。さっきと同じ要領で、さばく。


「うあぁっ、うあっ、あーっ」


 僕は、言葉のないけだものみたいに怒り狂っていた――はっきり言って、そのときの僕は狂っていた。

 頭がおかしくなっていた。

 ねえやとばあやを、とうさまとかあさまを、国を、城を返せと泣き叫んでいた。

 ただ、わめいたって、何も戻ってきはしないのに……。


 扉を開ける。廊下を駆ける。階段をのぼる。

 そこにあっただろう絵画や調度品、家具は全部失われ、ただ台座には埃が積もっている。


『皇子……。大広間には、ご家族全員そろって描かれた絵がございましてね。それをご覧になられたなら、きっとお父上のこと、お母上のこと、思い出せましょう』


「――う……あっ、ああああああああっ」

「陛下っ、お待ちを――このっ、邪魔するな雑兵ども!」


 九靫の私兵を打ち倒していたスヴェンの声が、だんだん遠ざかっていく。

 先生の声は、とっくの昔に聞こえない。


『マルセル、そこの階段をのぼって』

『マルセル、こっちを右に曲がるの』

『そのまま、まっすぐ行けば、玉座の間――』


 我に返ったら目の前に大きな扉があった。

 左右を九靫の私兵が固めていたが、彼らごと凍てつかせ、粉みじんに粉砕する。


 飛び込んだ広間には、鎖と首輪でつながれた裸の女子供がたくさんいた。


 ぶくぶく太った体に、醜悪な顔を載せた老人が、玉座に座っている。

 泣き叫ぶ人々を、手にした長棒で叩きのめしては、げらげらと笑う。

 玉座の老人は、禿げた頭部に白銀の簡素な冠をひっかけていた。


『マルセル。あれは、私がきみにあげるはずだった冠だ』

『あの玉座は、おとうさまの次に、あなたが座るものですよ』


 ああ……知ってる。僕は、知っている。

 あれは代々の皇帝の頭に載せられる略式冠で。

 意外と小さな椅子は、とうさまや、おじいさまがたが座ってきた玉座で……。


 もう九靫とか、遊撃兵だとか、そんなもの……どうでもいい!


「なんだあ?」


 広い、広い、玉座の間。

 その上座と下座。

 飛び込んできた僕を、老人は高見から見下ろし、誰何しようとしている。


「九靫の元老、ミョゴンであるか」


 腹の底から声を出しながら、高座へと歩き出した。

 一歩毎、虫の息の子供や、泣きじゃくって脅える女の人が転がっている。

 霊宝武具で、彼女らの鎖を砕いて、解き放つ。


「元老あって、あの監視兵というわけか。主従そろってくず揃いだな、反吐が出る」


 敵でないことを知って、僕の足にすがりつくひとがいた。

 彼女の手枷を破壊して、前進する。


「よくも、その玉座、冠を穢してくれたな!」

「……マルセル皇子。なんで、こんなところまで、」

「おまえが領民を捨て置き、統治も練兵もまともに出来ぬど阿呆だからだ!」


 罵詈雑言の言葉が、口からぽんぽん出てきた。

 ねえやもばあやも、僕が口汚い言葉を使うことを禁止していたが、今回ばかりは許してくれるだろう。


「皇帝家より盗み取った、すべての財を返還してもらう……国土も国民も、すべて僕のものだ! これ以上の無駄遣いは、やめていただこうか」


 目につく全員の鎖を解いて、高座の手前で立ち止まる。


 ミョゴンは玉座から立ったが、冠をはずすことはしなかった。

 高座に立ったまま、長棒を両手に持ち、かまえている。

 そして、僕をただ見下ろし、見下すだけだった――僕の最後通牒は、無視されたようだ。


『きみは、この国の頂点に立つ男だ。臣下に、へこへこすれば、あなどられる。根業矢のような者に、また隙をあたえる。礼節忠信を軽視する国はね、マルセルくん、あっという間に滅ぶものだよ』


 ……そうか、こういうことだ。

 スヴェンが礼節忠信わきまえていたからこそ、僕もまた彼に礼儀正しくありたいと思った。

 けれども、こいつは。この老人は違う。


「醜悪な姿も不作法も、万死に値する。今さら言い訳はするなよ。おまえは、おまえの行いに対する報いを受けるのみだ」

「このっ……鶏小屋のひよこが、俺に食いつくか!」


 老人が長棒をかまえた。


 棒や槍の間合いは大きく、それだけで剣は不利らしいと聞いている。

 しかし、霊宝武具を手に入れる前ならともかく、いまはそれほどの脅威に思えない。

 

 踏み込んで、長棒の突き。

 それを避ける。

 階段ひとつ降りて、突き。

 それを避ける。

 床に降り立ってから突き。

 それを避ける。


 なぜ当たらないのだと、ミョゴンが吠えた。


「なぜ? ――何もできない無力な子供だと見下し、慢心するからだ!」


 ミョゴンが繰り出す突きのすべてを見切って、二本刀をかまえる。


 いまの僕の背後には、女の人や子供たちがいた。

 みんな恐怖と空腹で動けないようだった。

 あの夜の、僕のねえやたちと同じだ。

 僕はもう……無力を嘆いて、ただ死ぬだけの男になりたくない!


「くそ餓鬼!」


 ミョゴンが長棒を大上段に振り上げた。

 一気に間合いをつめ、刀背で、ミョゴンの両腕それぞれに小手を打つ。

 ぴし、ぴし、ぴきと老人の両腕が凍りつき、驚いた彼は長棒を手放した。


 二本の腕の重さに耐えられず、肩関節が引き抜けたらしい。

 床を叩く重い音と同時に、その事実に気づいたミョゴンが悲鳴をあげた。


「っでっ、がああっ」


 落ちた長棒が、鋭角になるよう、ふたつに切り分けた。

 比較的、元気そうに見えた女性二人にそれを手渡す。


「あなたが受けた屈辱は、そのまま私の――マルセル・ヨルムンガンドへの最大の侮辱である。あなたは、あなたの思うまま、この老人を打ち据えるがよい」

「………………あ、」

「私は、しばし留守にする。私の目がないうちに、すべてをすませよ。しかし、私がこの場に戻ったのちには、一切の復讐と報復を禁ずる。いかなる私刑も法の上では、罪であるから」


 言葉をかけると、彼女らは顔を見合わせ、それでも槍めいた棒を手に立ちあがる。

 ――行き場のなかった怒りを手に、彼女らは棒槍を振りかぶった。


 僕は、それに背を向け、見なかった振りをした。

 私刑は罪だ。

 だから僕は何も見なかったし、何も聞かなかった。


「……おーじさま、なの?」


 痩せこけて、小さい女の子が、僕によろよろ近づいてきた。


「……ちがうよ。皇子じゃなくて、皇帝」

「こーてー?」

「皇帝マルセル・ヨルムンガンド。きみの、本当の王様だよ」


 垢と鬱血で変色した女の子の頬を撫で、問いかけに応じる。

 彼女はひどい異臭を放っていたが、そんなこと、おくびにも出さない。


「まるせる、こーてい」

「そうだよ」


 枯れ枝みたいな手足に、青黒い痣と斑点が浮いている。

 ここで鎖につながれたときから、ずっと泣いていたんだろう、目の縁が赤くなって切れている。

 ふけだらけの頭を撫でたら、彼女はにゃあと鳴いた。


「きみ。ここで待っていてくれるかな。僕一人で行かなくてはならない場所があるんだ。そのうちスヴェンという名前のおにいさんがくるから、彼にも、ここで待つように言っておいてね」


 玉座の間から、控えの間に移動して、そこをくまなく探索すると、地下への階段を発見した。

 そのときには、僕の頭はだいぶ冷静になっていて、それまでの行いを少し恥じた。


 変に格好つけてしまった。

 外連味も王様には必要らしいが、思い返すと、顔から火が出そうな立ち回りだ。


 ………………

 …………

 ……


 先に、先生から聞かされていたように、階段を下へひたすら降りて行く。

 ふと、追っ手を殲滅させた遺跡を思い出した。

 雰囲気が似ている気がする。


 ………………

 …………

 ……


 長いなあ。

 暗いから、よけいに長く感じるのかな。

 どこが底なんだろう。


 ………………

 …………

 ……


 長い階段の終わり、頑丈そうな格子と、その向こうに古い扉がある。

 扉には、ヨルムンガンドの紋章――盾をかかえた犬と、冠をくわえた蛇と、女性の顔が刻まれている。


 ここが霊宮と呼ばれる場所だ、白宮殿の一番地下。

 けれど眼前の格子戸は目が細かくて、手足のない蛇ならともかく、四肢のある人間が通り抜けるのは難しい。

 背伸びしてみたり、かがんだりしたが、完全なはめ殺しに見えた。


「霊宮……? ねえ、霊宮! ここにいるんでしょ? 開けてくれ!」


 呼びかけても、僕一人の声が反響するばかり。

 途方に暮れ、格子を見つめる。


 ……二本刀で切れるだろうか?


 初めて手を伸ばし、材質を確認しようとすると、指どころか腕まですり抜けた。

 感触が、まるで水か空気だ。

 格子は目に映るのに、実体が、ない。

 首をひねりつつ、ためしに一歩前進したら、すでに格子の内側にいた。


 なんだろう、これ……このまま進んでも平気かな。


 物の道理はよくわからないが、すぐ決断して、前へ進むと決めた。

 決断させたのは、街角で見た光景だ。

 ……げらげら笑いながら、人間の死体を放り投げる者たち……。

 僕が迷うだけ、生きてる人間は死に、死んだ人間は辱められる。


 扉に手をあて、押し開いた。


 ――そこは青白い光に満ちた、石造りの部屋だった。

 どうしても、いつかの遺跡を連想させる空間だ。

 向かいの壁に、色あせた壁画があり、何かの絵物語が描かれていた。

 やはり井戸があって、鉄で補強された木の板と鎖で封じられている。

 湿った泥の匂い。

 近く、遠く、ざへんざーんと耳を打つ水の音。


 封じられた井戸を迂回して、最初に壁画を見上げた。

 僕たちが日常的に使う口語文語ではなく、先生の教科書に載っていた古典文語に近い。

 刻まれた文字を指でなぞって、歯抜けの文章を読んでみる。


 えっと……。


「『上帝テレシアスは、アクセル太子を打ち殺そうとした。

 母の愛から、玄女ケセドが息子を身を挺してかばい、そのまま息絶えた。

 天の国をささえた蛇囓る世界樹(ユグドラシル)は、そのまま朽ち縄と化した。

 ただの縄では天の国をささえられず、大地は無数のかけらとなって海に墜ちた。

 こうして、神代は終末(ラグナロク)を迎え、世界は崩壊した。

 いま、世界にある島国は、かつて天の国を構成した大陸のかけらである。

 天の国の首都は直下して、そのまま死者の国(ヘルヘイム)となり、死の女神は孤独にひとり、そこにしずかに暮らしている。』」


 ――創世神話の一部みたいだ、この壁画。

 でも昔、ばあやから聞いた話と、天の国をささえたのは、蛇囓る世界樹ではなく、千の頭を持つ蛇の松(アナンタ)だった……。

 ばあやは首都出身じゃなくて、馬鞍戸から、終の盾にお嫁に来た人だから、伝説が食い違っているのだろうか。


「……あれ? アクセル太子?」


 アクセル……アクセル……アクセル……。


『アクセル。また、あなたのしわざですか?』


 誰かの言葉が頭をかすめた。


「ああ――いや、こんなこと考えてる場合じゃないや!」


 ばちんと自分の頬をたたき、気合いを入れる。

 霊宮と無関係なことなら、いまは、こんな壁画を気にしちゃいけない。

 はやく霊宮という場所に棲んでる、霊宮という名前の神様に会わなきゃいけないんだってば!


「霊宮! れーいーみーやー! どこにいるの、はやく出てきてよ!」


 とにかく叫ぶ。

 霊宮という場所は、横にうんと広かった。

 左右に延びる通路は、ここからではもう先が見えないくらいに長大だ。

 まるで、どこか別の場所にも出入り口があるんじゃないかって思えるくらい。


「霊宮! れーいーみーやー!」


 叫んでいたら、間近の井戸の、そこを封じる板ががたんと揺れた。

 がんがんと下から、誰かが板を叩く音がする。


「……もしかして、井戸のなかにいるの?」


 僕の呼びかけに、またもがたんと揺れて、叩く音。

 迷わず、霊宝武具を抜いた。

 僕の体温は、まだ少しだけ、熱い。

 いまなら、霊宝武具を使える時間が残ってる。


「霊宮、ちょっと離れて、この板どかすから」


 井戸はしずかになった。


 鎖を断って、鉄鋲やかすがいの周縁に刃を突き立てる。

 本当にちょっとずつ、板を切り裂いて、取り除く。

 その作業が終わるころ、丸薬の効き目も切れてしまった。

 地下の冷気が身にしみるようになり、ぶるりと身を震わす。


 封を解いた井戸は、綺麗な青い光を放った。

 水音をたて、井戸のなかから白い手がにゅっと伸びたかと思うと、ずるずると裸の女の人が這い出てくる。

 井戸の女性は、濡れた前髪の隙間から、じっと僕の顔を見つめた。


 青い肌。

 縦長の瞳孔が浮かぶ、青い目。

 白すぎて、青にも見える肌。

 それから、


「蛇……?」


 腰から下が蛇。長く、太い蛇の胴。


 霊宮ヨルムンガンド。

 僕の国の神様。

 ……どんなに願ったって、何ひとつ叶えてくれなかった神様……。


「マルセル、なのね」


 蛇の女のひとは、僕の名を呼んだ。

 青い目がじわじわっと潤んで、たしかに涙をこぼした。


「待ってた……わたし、ずっと待っていたのよ……。ニコルが首を落とされた日から、ずうっと」

「……あなたが、霊宮? ヨルムンガンド?」

「ええ」

「ずっと、ここに閉じ込められていたの?」


 そうよと霊宮は、うなずいた。


「ニコルの首を辱めるという脅迫に、井守たち――私の世話をしてくれる神官が屈して、この井戸を封じたの。それ以降の十二年間、誰も来なかった。各地の、かつての霊宮の井戸は、遠い昔に封じられていたから、わたし、何処にも行けなかった……ずっと、ひとりぼっちで……」

「………………」

「大きくなったのね、マルセル。いまでも思い出せる。ニコルは生まれたばかりのあなたを抱いて、一度、ここに来たのよ」


 白くて柔らかい腕が、僕に巻き付き、かき抱いた。


「ごめんなさい……。あなたが帰ってくるまで、ひとりで国を背負うつもりだったのに、私だけじゃ、だめだった」

「……そうか」

「腹を立てて、火山を噴火させた。泣きじゃくって、嵐を巻き起こした。だだをこねて、地震を発生させた。寂しくて、こころ細くて長い冬を呼んでしまった」

「あなたは……寂しいと、災害を起こしてしまうの?」

「霊宮のこころと体は、大地と一体化しているから」

「あなたが、すべてに満たされているなら、天災は起こらないの?」

「そうよ。満たされているなら、私は、ただ大地を満たすだけ、癒やすだけ」


 かつて、霊宮を悪魔呼ばわりしたことは撤回したい。

 ひたすら素直で、繊細なのだ、彼女は。


「――霊宮、あなたとは、いろんな話をしてみたい、でも、ごめん。そのまえに、やらなくてはならないことが、ある。頭光の冠というのは、どこにあるの? 本当の王将のしるし。それさえあれば国民全員が、僕を真の皇帝だって認めてくれる冠。それが欲しい」


 霊宮の腕をふりほどいて、彼女に訊ねると、彼女はもう一度、僕に腕を差し伸べた。


「それは、いま、ここに」

「どこ?」

「ほら、あなたの頭のうしろ」


 白くて細い指が、僕の頭を撫でた。


「その顔に光背光輪あれ。聖者は知らず、知るは民草のみ。これは十日夜の光なれど、そののち、おのが聖徳で栄光、世に知らしめよ」


 古い言葉とともに、霊宮の手が何度か僕を撫でた。

 そして彼女は目を細める。


「マルセルは、白い光なのね。でも、白は無垢と限らない。すべての色と光が混ざった、究極の混沌。どの色とも似つかないのに、あらゆる光を重ね持つ」

「……えっと。だから頭光の冠っていうのは?」

「あなたの頭の後ろに、光の輪があるの。それよ。あなた自身は見えない光。ヨルムンガンドの人間には、十日間くらい見えてるわ。その間なら、誰だろうと、あなたが王将なんだって、見て、わかる」


 昔、ねえやが読んでくれた、裸の王様って絵本を思い出した。

 自分だけ見えない、わからないって、ちょっと不安なのだけど……。


「えっと……ありがとう。じゃあ、僕は行くね。待っている人が、たくさんいるから」

「頭光が消える前には、また来てちょうだい。ひとりは……寂しいわ」


 名残惜しそうな霊宮をおいて、霊宮を出て行く。

 格子の不思議なんか、頭から完全に吹き飛んでいて、僕は一段ぬかしで階段を駆けた。


 ――玉座に戻ると、スヴェン他、見知らぬ人間が、たくさんいた。

 女子供に身を包む布を配り、飴玉や少量の水をあたえている。


 声もかけてないのに、全員がいっせいに僕を見た。

 スヴェンはすごい勢いで、僕に駆け寄る。


「頭光の冠を戴いたのですね」

「僕には、見えないんだ。きみには見える?」

「はい。白く、まぶしい光です。新雪のような、桜のような。……お慶び申し上げます」


 スヴェンが、僕のまえに膝を折って、頭を下げた。


「へーかぁ」

 

 僕らのそばに、ぺたぺた裸足で、さっきの女の子が歩いてきた。

 ……ああ、よかった。

 靴はないけど、もう裸んぼうじゃないや。

 女の子が、男のまえで全裸なんて、かわいそうだもの。


「陛下。この娘が、どうしてもと聞かず」

「ありがとっていうの、わすれた」

「え?」

「たすけてくれて、ありがとう」


 たどたどしい、棒読みみたいな口調だった。

 目には、なんの光もないように見えた。

 ひょっとしたら他人に強制されて、言わされてるんじゃないかと思った。

 けれど、


「ありがとね、へーか」

「……うん、こちらこそ……」


 ありがとうと言われた瞬間、僕は泣きたくなってしまった。


「へーか?」

「…陛下、どこかお加減が、」

「ううん、ちがうよ、ちがうんだ、そうじゃない、ただ」


 僕は先帝ニコルの息子だ、皇子だ、皇帝だ。王将だ。

 だから善いことや、正しいことをした見返りを、相手に求めてはいけないって、ねえやにずっと言われていた。

 なぜなら善政は当然の義務であり、責務なのだから。

 それで一喜一憂しては、ならないと。

 感情の起伏だけで行う統治は、国民を不幸にするだろうと。


 でも……こうして、実際に、ありがとうって言葉をもらったら、とっても嬉しくて、とても誇らしくて、自分の存在価値を、存在意義を認めてもらえたような気がした。


「――ありがとう」

「へーか……?」

「僕に、ありがとうって言ってくれて、ありがとう」


 血統や、それに伴う義務感ではなく。

 僕はただ、ありがとうという言葉だけで、戦えるのではないかという錯覚を――


「――陛下、失礼いたします」


 立派な身なりの男性が三人、玉座の間に入ってきた。

 そのうちの一人を見て、スヴェンがさっと背を正した。

 とらわれの女の人たち、子供たちは誘導されて、壁際に下がっている。


「お慶び申し上げます」


 三人の男は、ただ僕の顔を見て、そして頭を下げた。


「二之旗本の元老、リョウにございます」

「馬鞍戸の元老、カナルにございます」

「弓手司の元老、ブライトにございます」


 彼らは臣下の礼をして、目を伏せる。


「……顔をあげて」


 玉座に座ってから、声をかけた。

 僕のそばにいた女の子は、スヴェンが抱えて、少し遠くに控えている。

 この空間で高みにいるのは、僕だけだった。


「私の帰城にともない、あなたがたが一番に駆けつけてくれたこと、嬉しく思う。十二年、よく戦ってくれた。礼を言う」


 本音を言うと、はやく首都の見回りをしたいのだけど、彼らを無視することはできない。

 まずは彼らの労をねぎらうべきだ。

 十二年間の内戦を戦い抜き、スヴェンや先生を僕のもとへ送り込んできた人たちなのだから。


 三人の元老のあとで、今度は六人の男性があらわれた。身なりは立派だが、あちこち服が破れたり汚れたりしている。

 うち一人が、さっきの老人同じ顔をしていて、僕はあやうく口から何かを吐き出すところだった。


「――不零剣の元老、サカー」

「燦々甲の元老、ドドイ、です」

「鎧黄土の元老、ジゴールだ」

「長単靴の元老、ダハでございます」

「……根業矢の元老、キョウシン、火急とのことで」


「……このたび、新たに九靫の元老となった、チャゴンである」


 僕は音を立てないよう、深呼吸をした。


 ふてぶてしい六元老のあとから、しずかに先生があらわれて、彼らの頭ごしに、僕を値踏みしている。


「――六元老。この十二年、私を粗末な牢屋敷に押し込め、挙げ句、我が姉を殺害したこと。さらには、私の偽物を使って、我が臣民をまどわせようとしたこと、申し開きがあるならば、聞こう」


 事の始まりである根業矢と、終わりである九靫の元老のはげ頭をにらみ、目を細める。

 しかし、彼らは無言だった。


「……広大な版図を治めるには、この手はいささか小さい。ゆえに、元老というものの重要性、有用性は、わかっているつもりだ」


 少し間をおき、彼らを右に左にねめつけた。

 そうして時間を稼ぎながら、言葉を探し、口を開く。


「とはいえ、逆臣を無罪放免とするつもりは、ない。

 まずは、いまある、あなたがたの私財すべてを没収し、国庫に納める。

 次に、しばし六人仲良く牢暮らしをしていただく。なに、私が十二年耐えたのだ、成年たるあなたがたもその程度は耐えられるであろう。あらゆる調査尋問に積極的に答え、さらに素行に問題がなければ、早期解放も考えてみよう」


 また言葉を切って、彼らの顔をじっくり見る。


「くわえて、元老の位称号をとりあげ、あなたがたの一族のうち、最年少の男子にこれを継承させる。安心めされよ、新たな元老には、二之旗本、馬鞍戸、弓手司のそれぞれから指南役や護衛をつかせる。いずれ私も直々に、護衛をつかせてやりたいと思っているよ」


 間をおいて、思考。

 そうだ、罰則だけでなく、税金や国政の話もしないと。


「……さて、諸侯。この空白の十二年以前、皇帝家と元老は、ともに手をたずさえ、投票という手段で、国政の骨子、指針、法律を作ってきたことは記憶しているか?」


 税金のおおまかな話なんだけど、皇帝家は首都圏、地方の元老は自分の土地に住む国民に、なんだかんだで一割前後の税金をかけていた(この税金は人件費……つまり文官武官の給料でほぼ吹っ飛ぶ)。


 皇帝家は、元老の地方税の収入に対し、さらに一割の国税を徴収する。

 この一割国税は、元老院会議の投票権一票分と引き替え、という名目だ。

 地方に対する一割国税の用途は決まっていて、国内で流通する貨幣の鋳造や、防衛費とか軍事費にのみ使用される。


 ――で。昔、元老院は皇帝が持つ二票(首都住みの終の盾は投票権を永久に皇帝に託した)と、他の元老九人が持つ九票で、いろんな決めごとをしていたそうだ。


「あらゆる情況を鑑みて、これより一年度分、地方に対する一割国税を軽減する。三元老は税収の二分、六元老は税収四分とする。浮いた国税の分で、自身の領内を速やかに立て直すように。

 税収の軽減と引き換え、その間の元老院会議の投票権は、私がすべてあずかる。よって、通常の元老院会議は一年、行わないものとする」


 王様口調のため、わかりにくい、回りくどい話に見えるけど、要点はよっつ。


 六元老を交代し、目に見える懲罰で、国民の悪感情すべてを彼らに負わせる。

 六元老が溜め込んだ私財を没収して、首都圏の回復にあてる。

 短期間だが、地方への税金をかるくし、地方の回復につとめさせる。

 その代わりに国政の全権を、皇帝の僕に集中し、これを完全に把握して、二度と内乱は起こさせないようにする。


「――最後になるが。皇帝殺しの罪をなすりつけられ、潰えた終の盾、彼らの名誉回復を全力で行うように。この命令は、我が国民一人一人が、事実を正しく知り、周知されるまで継続していただく。


 聞け! 我が父、先帝ニコルを弑逆したのは、根業矢である!


 忘れるなよ、六元老! 私の存命在位中、おのが罪科を忘れること、真実をゆがめて伝えることは決して許さんぞ!」


 ごんと床を叩く音がした。

 顔は正面に向けたまま、横目で音源を見れば、スヴェンが床に手をつき、背を丸め、低く嗚咽していた。

 そばにいた女の子が、びっくり顔のまま、それでもよしよしと彼の頭を撫でている。


「……六元老、この沙汰に不満があるならば、おのが不徳を恨め。代々の宰相は、私を閉じ込めるばかりで、教官の一人もよこさなかった……その愚行のつけを払う時がきたのだ。

 二之旗本、馬鞍戸、弓手司。元老と、その領民の、これまでの忠信と厚意に感謝する。

 本当に、ありがとう。

 そして、これからも、私をささえてもらえるだろうか」


 御意、恐悦至極と三元老が唱和した。


 対する六元老は、ひたいを床にすりつけ、僕と目を合わすことはしなかった。


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