2.逃亡
少女が気付くと、目の前には空が広がっていた。
見渡す限り鮮やかな朱色の空に、薄い雲が一つ二つ浮いている。横たわっていた場所から身を起こすと、かなり低い位置に大きな太陽が見えた。それと反対側の空は地平線に近付くにつれて紫色、そして紺へと変化し、間もなく宵の闇へ沈んでゆきそうに見える。それともこれは、日が昇り始めたばかりの朝焼けなのだろうか?
朱色の光に照らされた世界。それは美しく、そして空恐ろしいほどの静けさで満たされていた。
「ここは……」
思わずそう呟いた声さえも、虚空に吸い込まれるように消えた。
心を支配するのはこの空間に対する恐ろしさか、孤独の心細さか、はたまた別の何かか。彼女はパニックを起こしかけて飛び上がるように立ち、必死で周りを見回した。
と、視線の先、つい先程までは何も存在しなかった場に、男の子と女の子がいた。
「あなたたちは、天使?」
子供たちの背には、大きな白い翼があった。そっくり同じ顔をして、同じ髪型、揃いの服を着た二人の子供。あどけない顔に浮かんでいた笑顔は、彼女の顔をはっきりと見た瞬間さっと消え去った。
「この人は……まだの人だ。まだ、ここの人じゃない。」
かわりに浮かぶのは、驚愕の表情。
「どうしたの、アリス? 何故ここにいるの。」
二人は少女の名を親しげに呼びながら、そう言った。
「ぼくたちは人間に、天使って呼ばれてる。生きている人間がぼくたちに出会うことは無いんだ。」
小さな天使たちに告げられ、アリスと呼ばれた少女はふっと息をつく。
「じゃあ……私、死んだの?」
しかし、天使たちは首を横に振った。
「あなたは、まだここに来るべき人ではないよ。」
戸惑うアリスに、天使たちは語りかける。鈴の音のような愛らしい声、あどけない顔。それに似合わぬ、大人のような言葉。
「ここは『夕凪』、時の止まった世界。時を止めてしまった人たちが来る世界。だけど、あなたの時はまだ止まっていない。」
「どういうこと?」
天使たちはその小さな手をアリスに差し伸べた。
「帰ろう、アリス。あなたはあなたの世界へ帰らなきゃ。あなたは、生きているんだから。」
アリスは見つめた。自分に向けて差し出された小さな手を。手を差し延べる小さな天使たちを。
そして彼女は叫んだ。
「嫌!」
天使たちから逃げるように数歩あとずさる。彼女は自分にも分からぬ何かに怯え、泣きそうに顔を歪めていた。
「私、あんな所になんて帰らない!」
「アリス!」
天使たちが止める間もなく、アリスはくるりと背を向けて駆け出した。何処へという宛もなく、彼女はただがむしゃらに走る。
「アリス、待って! このままじゃ、あなたは……!」
背後から聞こえる幼い声に耳を塞ぎ、少女は逃げ続けた。