プリンセス・スクランブル ②
2話連投。
今回はちょっと短めで、いつもとは毛色を変えて、物語の主人公に求められる『個性』のお話。
アパートの前をはしる道路を跨いだら、そこはすぐに小さな海岸へとつながっていた。
船着き場として整地されているわけでもなければ、海水浴場としての体裁を保っている和でもない。全長100mくらいの、何もない砂浜だ。
大家さんがちょっと苦手らしい楓とユウリィと置いて、僕とフルールは砂交じりの潮風に目を細めながら砂浜に足を踏み入れた。
「釣れますか?」
どこか物悲しさを感じさせる海岸の中心で、ひとり釣り糸を垂らしている背中に向かい僕は今日の釣果を尋ねてみた。
「ああ、釣れたねぇ。抱えきれないほどの鮮やかな花々を携えた、おおきなおおきな魚がね」
「それ、もしかしなくても僕のことですよね?」
謎かけをしてくる仙人のような、変わった言い回しで応じてきたこの長身の女性の名前を、僕は知らない。
長袖の無地のTシャツに、ボロボロになるまで履き古した黒のパンツ。まったく衣服に頓着していないことをありありと表した姿だった。
「ハクさん、この子がお話ししたフルールです」
「そなたがオーヤだな! 我が名はフルール、しばし厄介になるがゆえこうして挨拶にまいったのだ」
フルールの居丈高な態度は相変わらずだったが、目上の人への態度としては……ぎりぎり、及第点だろうか。大家さんはあまり礼儀どうこうを気にする人ではなかったから、特にフルールの態度を指摘するようなことはしなかった。
ハクさん、というのは僕が大家さんを指して勝手に呼んでいる名前だ。呼び方の由来は彼女の髪。首下で切り揃えられた、色素を失った真っ白な髪からとってそう呼んでいるに過ぎない。
大家さんは釣竿をひょいっと振り上げ、案の定獲物無しだった糸の先端を軽く見やった。糸の先には、何も付いていなかった。
「よろしく、魔族のお嬢さん。私のことは大家とでも、少年と同じようにハクとでも好きに呼んでおくれ」
「そうか。ではハク、よろしく頼むのだ。我のことは気安くフルールと呼び捨てにしてもらって構わんぞ!!」
だからなんでそんなに偉そうなのかな、君は。とはいえ、そんな上から目線が不思議と嫌な感じにはならないのは、ある種の才能なのかも。
だけれど、きっとハクさんは「フルール」とは呼んでくれないだろうな。
「少年。このお嬢さんを住まわせる件については特に反対するつもりはないよ。空いてる部屋を腐らせても勿体無いし、好きに使いなさい。金銭も不要だ」
「いいんですか、そこまで?」
「お嬢さんが正式に『さざんか荘』の一員になるのであれば話は別だが、今はあくまで来客だからね。良識の範囲内であれば、君たちに任せるよ」
基本的に『さざんか荘』の運用は店子の判断に一任する、というのがハクさんの考えらしい。放任主義とも捉えられかねないが、今は大家さんの寛容さに深く感謝することにした。
ここでフルールも気付いたのだろう。むっとした表情を作ってハクさんに噛み付き始めた。
「だからフルールと呼んで構わぬと言っておろうに……」
「悪いねお嬢さん。『これ』は私のちょっとした願掛けみたいなものなのさ。こうやって獲物のかからない釣りをするのも、人の名前を口に出さないようにするのもね」
ハクさんは苦笑しながら、針の付いていない釣竿を軽く持ち上げた。
フルールは納得できない、といった複雑な顔をしているが、あまり人の事情に無暗に踏み入るものでもない。僕は彼女をなだめるように頭を撫でてやりながら、少しばかりハクさんと話をすることにした。
「しかし少年。君の周りには色々と個性的な星が集まってくるみたいだね。まるで不思議な磁力でも帯びているかのようだ」
「あはは……おかげさまで、退屈とは無縁の毎日ですよ」
妹の楓や有翼人のユウリィ、晴流先輩、そしてこのフルール。確かに、僕の近くにいる人はみんな一言では言い表せないほどに個性の強い人ばかりだ。
「みんなを見てるとつくづく思うんです。みんなに比べて僕は、なんというか……つまらない男だなぁって」
それに比べると、僕は何の変哲のない一般人だ。
平凡で、普通で、とりたてて特徴もなく。
物語の主役になれるような、強烈ななにかを持っているわけでもない。
隠された力とか、壮絶な過去とか、高貴な身分だとか――自分はこういう人間なんだぞ、という明確な自己表現を持ち合わせていない。
「例えば仮に、今の僕の立ち位置がいきなり別の誰かにすげ代わったとしても、日常はつつがなくまわり続けてしまうじゃないかって……そう思う時があります」
……いきなり何を話し始めてるんだろうか、僕は。
ハクさんと話していると、なぜか心の中が見透かされているような気持ちになって、ついつい余計なことを喋ってしまう。
隣のフルールはよく分かっていない顔をしていたけれど、僕の考えを聞いたハクさんは、できの悪い生徒を見守る先生のような、優しげな目付きをして答えてくれた。
「なるほど。つまり君は、他の誰にも代わりがきかない、唯一無二の『誰か』になりたいと。そういうことかな?」
「あ……は、はい。そうです」
少し冷たい潮風が頬を撫でる。
ハクさんが僕の言い分を噛み砕いて解説してくれたことにより、我ながら随分恥ずかしいことを口走っていることに今更ながら気が付いた。
なんだそれは。
つまるところ、僕は主人公になりたいと言っているガキんちょではないか。
「確かに私はさっき『個性』という言葉を使ったが……それはあくまで、私個人の主観で、私の中にある『普通』の概念からかけ離れた対象を指してそう言った。私の周りには、これまで翼が生えた人間も、魔界からやってきた迷子の子もいなかったからね」
「個人の主観、ですか。……つまり、見る人によって『個性』の定義は異なると?」
確かに僕やハクさんから見ると、例えばユウリィのような有翼人は、それ自体が強烈な個性であると言える。けれど、ユウリィからしてみれば、翼が生えているのは当たり前のことであり、むしろ翼を持たない僕らの方が個性的に見えているのかもしれない。
「概ね正解だが少し違う。……そうだね、それじゃあひとつ質問をしようか。少年、君はいったいどういう人間なのだ? 答えてみたまえ」
「え、そんないきなり!? ええと……名前は世良椿、身長170㎝、体重60㎏、出身は白鳳市、今は黄聖大学一回生の一応ひとり暮らし、特技は料理、小学校の時なわとびのハヤブサ飛びを連続300回できたことがちょっとした自慢、低めの身長がコンプレックス――」
フルールがぎょっとした顔で見上げてきたのを横目に、僕は思いつく限りの個人情報を指折り数えて声に出していき、そろそろ情報が尽きかけてきたところでハクさんの手で制された。
「結構、そこまでだ。ハヤブサ飛び300回は割と本気で驚いたが……さて、ここで改めて問おうか。今君が言ったことを見知らぬ誰かに話したとして、興味を持ってくれると、個性的であると思うかな?」
「…………思わないです」
当たり前である。
そりゃあいきなり知らない男の個人情報を公開されて、感想など出ようはずがない。僕が逆の立場だったとしても「ふーん」の一言で終わらせるだろう。あと、これは絶対個性じゃない。ただのプライベート暴露だった。
「それはきっと、君が言うような個性的な登場人物だったとしても同じだ。赤の他人である以上、どうでもいいと考える。だが……他人じゃなかったら、どうだろうな?」
そういってハクさんは話について来れていなかったフルールの方へ目線を向けた。
おぼろげだが、ここで僕もハクさんの言わんとすることが分かってきた。
「さてお嬢さん。仮に行き倒れた君を助けたのが、彼ではない誰かだったとしても、君はこうして一緒に行動するようになったと思うかな?」
「それは、そうであろうな。例え助けてくれたのがツバキではなかったとしても、我のとった行動は変わらぬ。助けられた恩をしっかり返すまではどこまでも付き纏っていただろうよ」
何の躊躇いもなく自分以外でもよかったと言い切られ、僕の心臓は
小さな針が刺されたかのようにじくりと痛んだ。
いや、考えてみればそれが当たり前なのだ。
仮に、別の誰かがフルールを助けたとして、彼女が僕じゃないからといってその手を跳ね除けるなんてこと、するわけがない。それは、恩義を感じて恩を返すのに、人を選んでいることになるのだから、失礼以外のなにものでもない。
そんな僕の様子に気付いた様子もなく、フルールは言葉を続けた。
「だが、実際に我を助けてくれたのはツバキだ。その事実は決して覆らぬし、もしもの仮定に意味など無い。ゆえに、我は他の誰でもない、セラツバキに全身全霊で恩返しをすると決めたのだ」
「あ……」
「満点の回答だね。少年、これが君の求めていた答えだよ」
そうか……そういうことか。
遠まわしながらも、ハクさんが伝えたかったこと。それは――
「確かに君という人間は、目を惹く特徴を持たないその他大勢なのかもしれない。けれど、お嬢さんが君をただの通りすがりの誰かではなく――名前を言ってやれないのが本当に申し訳ないがね――君というひとりの人間として見るようになったのは、君が行動したからだ。仮定の話でもない、他人がどうこうでもない。現実に、君が彼女を助けたから、今こうやってお嬢さんは君のそばにいる」
「小難しくてなんかよく分からんが、ツバキはツバキだぞ! 今さら他の誰かについていくつもりなどないからな!!」
こんな簡単で当たり前のことを分かっていなかった僕は、なんだか急に自分が恥ずかしくなった。
さあ、心のつっかえが取れたところで、そろそろ行くとしよう。楓とユウリィも待ちぼうけだろうしね。
「ハクさん、急にこんな相談にのってくれてありがとうございました。おかげで、これからも頑張れそうです」
「こんなことでよければいつでも来なさい。私はいつでもここにいるから」
そう言って笑いかけるハクさんに、僕は背筋をぴんと伸ばして大きく頭を下げた。
結局最後まで「なんのことやら?」といった顔をしていたフルールの手をとって、砂浜を後にする。
振り返ってみた海は、朝日をキラキラと反射していていつもより綺麗に見えた。
『個性』とは『行動』することによってのみ形作られる――というのがハクさんの考えであり、作者の考えでもあります。
椿くんは最初から最後まで、チートが入ったり強くなったりするような展開はありません。あくまで平凡で普通の男の子のまま、ただ行動することによってヒロインの心を射止めます。