プリンセス・スクランブル ①
ラッキースケベを書かずして何がラブコメか。
しばらくフルールを寝泊まりさせる許可をもらうため、『さざんか荘』の大家さんを訪ねようとしたのだが、どうやら留守のようだった。
仕方がないので今日のところはそのまま就寝。フルールには僕の部屋のベッドを使ってもらい、僕はダイニングにあるソファで寝ることにした。
楓はその提案に渋い顔をしていたが、彼女をここに連れてきた言いだしっぺは僕なのだ。その負担を他の人に負わせるのは違うだろう。……とはいえ、フルールのお風呂や衣服の調達までもは手伝えないため、結局妹に頼ることになってしまったので偉そうなことも言えないのだが。
そんなこんなで一日が過ぎ去り、次の朝。
事件は、ここから始まった。
「う、ぐ……」
身体が重い、というのが目が覚めた僕の最初の感想だった。
寝慣れないソファで一晩過ごしたせいだろうか。いや、それにしてはもっと物理的な重たさを感じるような気がする。
「んにゅう……」
……なんだろうか、今の声は。
僕の寝言ではない。さっきの呻き声(?)は、僕のすぐ近く――具体的には、かけ布団の下と言うか、僕のお腹の上あたりから聞こえた気がしたんだけど?
まさか……まさか!!
「くー……すー……」
布団を引っぺがして現れたのは、目にも鮮やかな真紅の頭髪だった。
薄手の水色のパジャマは、以前妹が来ていたのを見たことがあるので、きっと彼女から借りたものなのだろう。赤と青という正反対の色の組合せだったが、意外と似合っていた。
安心しきった様子を見せるフルールの寝顔は、改めて僕の心臓をふどきりとさせるほどに魅力なものだった。
こうやって見ると、彼女は本当に美人なのだな、と改めて痛感する。
綺麗に整った長い睫毛に、化粧など必要無い――むしろ彼女の魅力を覆い隠してしまうであろう、指でそっと触れたくなるような白い肌。
(ちょっ!? こ、これは……!?)
あまり寝相はよくない方なのだろう、彼女のパジャマは盛大に着崩れておりボタンの上からふたつが開け放たれていた。
規則正しい呼吸を繰り返すたび、小柄な身長とは裏腹にしっかりと育った胸の果実が僕のお腹に押し付けられる。しかも空いたパジャマの隙間から、ちらりと薄ピンク色の下着が見え隠れしており、僕はチラリズムの破壊力というものを思い知ることになった。
……さて、現実逃避はこれくらいにしよう。
「ちょっとフルール! なんでここで寝てるのさ!!」
もうしばらく彼女の可愛らしい寝顔を眺めていたかったが、ぐっと我慢。他の子たちにこの光景を見られでもしたら一大事だ。
横になった僕のお腹の上に乗っかっているので、僕も身動きしづらい。肩を揺さぶってどうにか起きてもらう。
「ん~? ……おおツバキ、おはようなのだ。もう朝か~?」
「おはようフルール、もう朝だよ。ほら、とにかく上からどいてどいて」
目をくしくしさせながら大あくびをするフルールに、僕は少し焦り気味で早くお腹の上からどくように呼びかけた。
が、
「それはならん相談だ。我はまだそなたに一宿一飯の恩義を返せておらん。金銭の持ち合わせもないし、今の我が提供できるものがあるとすれば、ひとつしかないからな」
「えーと……何を仰っているのですか、フルールさん?」
「ふむ、まだ分からんか? 要するに身体で払う「はい押し売りは結構でーす」ってにょわああああっ!? い、いきなり起き上がるでないわ! 落っこちてしまったではないか!!」
何だかとんでもなく危険な発言をしようとしたフルールを力技で転げ落とした。その勢いで頭をフローリングにぶつけてしまったようだが、今回ばかりは自業自得だ。
痛む頭を押さえながら立ち上がったフルールは、不満げに頬を膨らましてブーイングを浴びせてくる。
「なにが不満と言うのか。我も女であるし、それなりに容姿にも自信がある。昨日は数えきれないほどの恩を受けたのだ、それに報いる方法が他になかったのだ」
「頼んでないし、別に見返り目当てで君を助けたわけじゃないんだから、そういうのは別にいーの。お礼なんてのは「ありがとう」の一言だけで十二分なんだよ、こういう場合」
ちょっともったいなかったかも、と思わなくないが、僕の発言は嘘偽りない本音だった。
確かに僕がフルールを助けた行動は、善意や好意によるものであったのだろうけど、そこに何かしらの対価が要求されるのであれば、それは単なる『取引』に成り下がってしまう。
助けたいから助けた、相手の言い分なんて関係ない――性質の悪い偽善者の思考のようでもあったが、この意思を曲げようとは思わなかった。
「ぬぬぬ、どうあっても我の恩返しを受けぬというか! こうなったら……だ、抱き枕だけじゃなくて、ほっぺにちゅ、ちゅうくらいまでならしてやっても、よ、よいぞ?」
「ごめんなさい。僕が汚れ過ぎていました」
きっとフルールは、今でも赤ちゃんはコウノトリが運んでくると信じているんだね。
頬に手を当てて、恥ずかしげに全身をくねらせるフルールを見て、僕はとっても心が汚れてしまっていることを痛感した。いや、可愛い女の子から「身体で返す」と言われて、あーんなことやこーんなことを期待してしまった僕を責められる男性諸君などいないはずだ。僕は悪くない、僕は正常だ。
って、こんなことやってる場合じゃない!!
諦めきれないのか、僕をソファに押し倒そうとしてくるフルールを押し留めながら、僕はこの状況がかなりまずいことを思い出した。
考えてもみろ、こんな男女の痴情のもつれみたいな光景を妹に見られでもしたら――
「見られでもしたら――なぁに?」
――終わった。
いつの間にそこにいたのか、漆黒より暗い影をまとった楓さんが、僕の背後からそっと耳元で囁いてきた。そしてさりげなくこの子僕の心読んできたよ!?
一歩遅れて気がついたフルールも、目を丸くして固まってしまっていた。
「騒がしいと思ったら、にーさんとフルールさんは朝からお楽しみだったんだ。そうなんだー、へぇ、そうなんだぁ……」
「ま、待って、待った待った楓! これには、その……これにはわけがあるんだよ! 深く……はないというかむしろ浅いくらいだけどとにかくわけが!!」
完全に導火線に火が付いてしまっていた妹の火消しをすべく、僕は必死の説得を試みる。そりゃあもう必死に試みる!!
だってこの子を本気で怒らせたら、比喩でも何でもなくとんでもないことになってしまう!!
「そうだぞカエデ! まだ何もされてないぞ!!」
「こんのばっかやろおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!」
おバカ! フルールのミラクルおバカ!!
火に油を注ぐというか爆弾に爆竹を投げ入れるというか――ああもう何でもいいわい!!
フルールの一言で完全に凍り付いたリビングで、壁時計のチックタックという秒針の音だけだけがやけに大きく響き渡った。
「――――影より出でよ、我が裏切りの半身」
やばい、やばいやばいやばいやばい!!
このぶち切れ妹、麗らかな朝の1ページを破壊と殺戮の悪夢に変えようとしている!!
呪文のような、なにかの宣誓でもあるような楓の呟きの意味をいち早く理解した僕は、暴走するこの子を止めるためにどうすべきか、必死に脳をフル回転させた。
なお、フルールはとっくの昔に楓の殺気にあてられてバタンキューしていた。この役立たず!!
「護法刻印No.131――デュ「ええい、ままよ!!」…………え、ふえ?」
よく知らないがとにかく恐ろしいことを仕出かしそうなパジャマ姿の暴君を止めるため、僕は――――妹の胸を両手で鷲掴みにした。
ううむ、子供かと思っていたが、これはなかなかどうして……
「え、え? ひゃうんっ!?」
ふにふに。
その成長を確かめるように、僕の手は妹の双丘の感触を確かめていく。
ダイナマイトバディの持ち主である晴流先輩に比べれば随分慎ましやかなのだが、それでも驚くほどの成長ぶりだ。大きすぎず小さすぎず、ちょうどこの手にすっぽり収まる程度のお椀のような輪郭を描いていた。
昔一緒にお風呂に入ってた頃が懐かしい……立派になったものだ。
「……………………にーさん」
さて、名残惜しいがここまでにしておこう。妹の頭も冷えてきたみたいだからね。
そっと楓の胸から手を離し、僕は偉大な事を成し遂げた満足感で胸がいっぱいだった。
「にーさん」
「うん、なんだい?」
「覚悟は、いい?」
「いつでもどうぞー」
さあ、朝食はいったい何を作ろうか。
それにフルールのことで大家さんとも話をしなきゃだし、身の回りのものの買い出しも必要か。
今日は大学も休講だし、一日使ってゆっくりと準備をすることにし「にーさんの、シスコンド変態セクハラアニキいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっっ!!!!」
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「つっきー……その顔、どうしたの?」
「あんまり触れないでおくれユウリィさん。これは、そう、男の勲章ってやつだよ」
「ふぅん。よく分かんないけど、なんだかお疲れ?」
僕の右頬に立派な紅葉まんじゅうが咲いているのを見て、普段の朝食は各々で適当に、というのが暗黙のルールではあったが、今日は土曜日。高校、大学、ともに休みということもあるので、みんなで揃って朝食をとることにした。
昨日の夕食に引き続き、今日の朝ごはんも僕お手製のものだ――と言っても、そこまで手の込んだものではないけれどね。
オムライスの食材の残りで作ったベーコンエッグに、きつね色に焼き上げたフレンチトースト。細かく刻んだピーマン、にんじん、キャベツを入れて豪快に煮込んだ野菜スープ。
ちなみに卵の使用率が高いのは賞味期限が近付いていたため。せっかくなので盛大に使い切ることにしたのだ。
「このフレンチトーストとやらも絶品だな! 外はさくさく、中はしっとりふわふわであまあまとは! こちらの世界の料理とは、こうも美味なものばかりなのか……」
「フルールさん、食べながら喋らない。お行儀が悪い」
「ごめんなさいっ!?」
さっきの騒ぎの後から、フルールは楓に声をかけられるたび全身をびくつかせていた。無理もないんだろうけどねぇ……
「楓、あんまりフルールを威圧しないの。せっかくの楽しい食卓がギスギスしちゃうじゃい」
「いったい誰のせいだと思ってるの……?」
「すべてにおいて僕の責任だね。だから怒るのもプレッシャーかけるのも僕の方にやりなさい。フルールに突っかかるのはお門違いだよ」
毅然とした態度で言い切った僕に、妹は複雑な表情をしながらこちらを睨んできたが、諦めたようで苛立ち交じりでフレンチトーストに齧りついていた。
変に萎縮したり逃げようとする素振りを見せるから、喧嘩した後の悪い雰囲気が続いてしまうのだ。悪いことをしたならしっかり謝罪し、真っ向から恨みつらみを受け止める。おおよその場合はそれだけで喧嘩なんて収まるものだ。
「う……美味しい。そしてこのほのかな甘さにちょっと癒されてしまっている自分になんだか自己嫌悪……」
「楓の好みに合わせて甘さは控えめに調整してみたけれど、どうだろう? もうちょっと砂糖多めの方がよかったかな?」
「んーん。ちょうどいい。これくらいが好き。……ありがと」
朝からずっと渋面を滲ませていた妹の顔に、ようやく笑顔が戻ってきて一安心。
美味しいものは心を豊かにしてくれる。僕が料理を指示した先生からの受け売りだ。
そんな先生に、まさか妹へのセクハラを有耶無耶にするために料理の腕を振るっただなんて、口が裂けても言えそうになかった。
割と多めに作ったつもりだったけれど、みんな揃ってぺろりと完食。
「ごちそうさまでしたっと。……楓、本当にごめんね。咄嗟だったとは言え酷いことしちゃったことには変わりないし」
「もう気にしてないから、そんな顔しないで。それによくよく考えれば、にーさんにわたしの魅力を知ってもらういい機会だったかもだし……」
朝食に満足してくれたからか、楓もいつも通りの態度に戻っていた。一部、戻ってほしくなかった部分もあったが。
さて、朝からハプニングもあったが、そろそろこれからのことを考えよう。
「大家さんにはさっき連絡しておいたよ。フルールさんを住まわせるのは別にいいけど、一度会っておきたいんだって」
「ありがと楓、気が利くね。それじゃあ大家さんに会いに行って、その足で諸々の買い出しってところかな?」
そういうことで、外出の準備だ。
大家さんはこの時間なら、外に出てすぐの海岸で釣りをしているはずだ。ユウリィも暇なのでついてくるみたいだ。
「オーヤ、とやらがこの家で一番の権力者ということか。ふふふ……どのような猛者が出てくるのやら、武者震いが止まらんわ!!」
「ねぇつっきー、かえちゃん。妙な熱血バトルマンガ思考に入ってるこの子に何のツッコミも入れなくていいの?」
「「めんどい」」
フルールの偏った考えはともかくとして、大家さんが強い人、という点はあながち間違ってはいないだろうね。
それにしても……
「フルール、そんな格好で暑くないの?」
今は5月の半ば。肌寒さは鳴りを潜め、初夏の足音が聞こえてくる季節だ。
そんな時分に真っ黒なマントを羽織って出るのはいかがなものだろうか。気温的にも、周りからの視線的にも。
そんな素朴な疑問に、フルールは腰に両手を当てて胸を張りながらこう言い切った。
「我の中にある何かがこう叫んでいるのだ――このマントは我の誇りにして我が象徴! 身に付けるだけで漲ってくる圧倒的なパワー! この力があれば夏の暑さなど、こまめな水分補給を心がければ多分へっちゃらだとな!!」
「それはもうマント関係ないね。むしろ重荷にしかなってないね」
暑いことは認めているようだが、フルールは頑なにマントを外そうとしなかった。ファッションは人ぞれぞれだろうし、あまり口出しする気はないけれど……彼女の言うとおり、水筒は持っていっておこうかな。
楓とユウリィの準備も終わったようだ。
「お待たせ、にーさん」
薄いブルーのワンピースにベージュのジャケットを羽織った姿は、見慣れた妹の姿をいつもより大人っぽく見せていた。落ち着いた物腰の楓にはぴったりだ。
「羽が上着に引っかかってるー! つっきー、ちょっと手伝ってー!!」
ボーダー柄のキャミソールと膝丈のカーゴパンツという、ボーイッシュな服装のユウリィが背中に上着のパーカーを引っかけながら入ってきた。どうやら翼が邪魔をして上手く着られないようだ。
困り顔のユウリィから受け取ったパーカーは、ちょっと変わった仕組みになっていた。
「へぇ、有翼人の服ってこうなってるんだ。背中に穴が開いてるのは分かるけど、この金属で穴の形を固定してその人の羽の形に合わせるわけか」
一対の翼を通すために、パーカーの背中にはばっくりと2つの穴が開けられていた。その周りの布地を、柔らかいグミのような質感の形状記憶合金で補強されていた。
よく考えられた作りに感心していた僕を、ユウリィが手を振り回して急かしてきた。
「そんなのいいからはーやーくー! はやく着せてー!!」
「はいはい、分かりました…………ってぶふぅっ!?」
上着を着せようとした僕がいきなり噴き出した理由――それをひとつずつ解説しよう。映像でお見せできれば一発でご理解いただけるのだろうが、回りくどい言い方になってしまうことはご容赦いただきたい。
まず、小柄なユウリィと僕とでは、結構な身長差があった。ユウリィの頭のてっぺんが、ちょうど僕の顎下くらいに位置するくらいだ。
そして次に、ユウリィの服は、翼を通す都合上少しだけ大きめのサイズを選んでいるようで、素肌と肌着の間には結構な隙間ができてしまっている。
最後に今の体勢だ。僕は今、ユウリィの背後に周り、彼女の頭の上から見下ろしている格好になっている。
つまり、だ。
(み、見えてるんですけどぉっ!?)
キャミソールの隙間から、彼女の慎ましやかな胸の膨らみが、上から丸見えになってしまっていた。しかもノーブラだよこの子!!
しかし、フルールからまな板だの何だのと言われていた割には、それはしっかりとした丸みを帯びていた。こんなチビッ子なのに、育つ部分はちゃんと育っているのだなぁ、と楓とは違う方向で女体の神秘というものに感激した。
突然奇声をあげた僕の方を訝しみながら見上げてきたユウリィと目が合う。そして、僕が向けていた視線の先を追って徐々に目線を下げていき……
「ぴ……」
「ぴ?」
ユウリィは生まれたてのヒヨコみたいな声をもらしたかと思うと、どんどん顔を紅潮させていき、わなわなと唇を震わせ始めた。
あ、ダメだこりゃ。
「ぴきゃあああああああああああああああああああああああああっ!!??」
鼓膜を破裂させかねないほどの大絶叫を至近距離で浴びせ掛けられ、一瞬意識が飛びそうになった。
ユウリィはリビングの周りを無意味にぐるぐると走りまわり、胸の辺りを両腕で覆い隠しながら涙目でこちらをキッと睨み付けてきた。この一連の行動で、他の女性陣にも当然ばれてしまった。
「ツバキ……そなた、その道はなかなかに修羅の道かと思うのだぞ?」
「にいさぁん? どうやらさっきの件からまるで懲りてないみたいだねぇ?」
心底憐れむような目を向けてくるフルールと、虚ろな瞳を暗く輝かせながら包丁を手に取った楓を前に、僕の運命はここで決してしまったようだ。どうせ未来は変わらないんだし、こうなったら僕が思ったこと、感じたことを本能の赴くままぶつけてみるのも一興だろう。
だから僕は、さっきから羞恥のあまり縮こまってしまっているユウリィに、堂々と、胸を張って、雄々しげに、言ってやったのだ。
「ユウリィ。せっかく綺麗な胸をしているんだから、ブラジャーくらいは着けておいた方が「くけしゃあああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
怒りのあまり野生に帰った鳥少女により、僕はズッタズタのボロボロにされてしまった。当然と言えば当然の結末だった。
楓が唱えた護法刻印という言葉は、作者の別作品である『AL:Clear』にも登場しています。こちらを読んだ方には楓の正体はすぐに分かったはず。気になる方は4章くらいから読んでもらえれば。