この子どこの子魔界の子 ④
どんどん行きます。
結論から言うと……すべて空振りだった。
エトワルド教授をはじめとする講師の方々に片っ端から聞き込みをしてみたが、フルールに関わる情報はゼロ。生徒の身内である可能性も否定できなかったので、校内放送を使って呼びかけてもみた。
『えー、迷子のお知らせです。歳は15.6歳ほど、赤髪で黒マントを羽織った、無駄に偉そうな態度をとってくる記憶喪失の女の子に心当たりのある方は、至急放送室までお越しください。繰り返します――』
『おいツバキ! ところどころ言葉にトゲが感じられる気がするぞ!?』
『迷子だって、いい歳して迷子だって……ぷくくくっ』
構内全体にミニコントが発信されてしまったのは不覚だった。
とはいえ、珍しいもの見たさの野次馬がちらほら現れただけで、特に収穫はなし。どうしたものかなぁ、と放送室で3人揃って考え込んでいると、
「邪魔するぜ。椿、なにか困ってるみてぇだったからよ、様子を見に来たぜ」
「晴流先輩」
今回はしっかりと狼の皮を被ってきた晴流先輩が駆け付けてきてくれた。これ以上は誰も来そうにないし、いつまでも放送室を占拠していても悪いので、先輩も連れて4人で構内にあるカフェに移動することにした。
ここは昼食に利用する食堂とは別の場所で、美味しいコーヒーとテラスから見下ろす街の景色が評判を呼んで、黄聖大学生の憩いの場となっている。
「はるにゃん先輩、この間は講義のノート貸してくれてありがとー!!」
「どういたしまして、ユウリィちゃん。困ったことがあったら遠慮なく言ってねー」
ユウリィと先輩は今日が初対面ということはなく、僕経由でひと月前から知り合っている友達同士だ。ここは人目も少ない場所だし、先輩も気兼ねなく話ができる相手とあって普段通りの言葉づかいに戻っていた。
さて、4人もいれば何かいい知恵が出るだろうと期待したい。フルールの事情を先輩に話し、しばしテーブルを囲んで考える。
「フルールちゃんの記憶のことは大事だけど……その前に椿くん、記憶が戻るまでの間、彼女はどうするつもりなの?」
「あ……そっか」
バタバタしていて完全に失念していたが、今のフルールは住所不定の迷子状態なのだ。連れて帰る家も分からないというのに、どうやって生活しろというのか。
そこで、運ばれてきたコーヒーに大量の砂糖を投入していたユウリィが手を挙げた。
「少なくともクリステラの子だってことは分かってるんだから、“アストライアゲート”まで連れてって送り返せばいいんじゃないの? 素性を調べてもらうにもその方が効率いいだろうし」
意外と正論をついてくる鳥っ子だった。
隣のフルールは表情を変えずにオレンジジュースをストローでちうちうしてたが、瞳の奥には不安が滲み出ているようにも見えた。
確かに、手がかりを探すなり身の保証をしてくれるなら、あちらの世界に帰ってもらった方がいいのだろうけど……どうにも、納得できない。
それに、エトワルド教授が言っていた魔界貴族のことも考慮すると、不安要素もあるのだ。
たとえばフルールが《クリステラ》でも多大な影響力を持つ権力者だったとして、彼女が記憶喪失であることが知れれば、悪い奴に利用されて――そんな展開だってあり得るかもしれない。
「多分、椿くんの考えは正しいと思うよ。たったひとりで異世界の見知らぬ所に倒れてたってことは、誰かから逃げている途中だったって状況も考えられるわけだし」
先輩のありがたい助言も踏まえて、僕は現状を整理してみる。
まずフルールは魔族の中でもそれなりに高い立場の子である(かもしれない)。
周りに連れの人間はおらず、ひとりで倒れていた。
それらを考慮すると、あまり彼女が記憶喪失であることを大っぴらにするのはリスクがある。
「フルールを匿いながら記憶の手がかりを探す。誰かを頼るにしても、本当に信頼できる人に限定する。……こんなところかな?」
「そうだね。少なくとも、この子のことをよく知る人物が見つかるまではそうした方がいいと思うよ」
僕と先輩は互いに頷き合い、当面の方針を決定させた。
気が付くと、テラスから見える街並みが夕焼け色に染まっていた。夜になる前に早く帰るとしよう。
さて。そうなると問題なのは、
「フルールを『さざんか荘』に置いてもらえるかどうか、大家さんに聞いてみないと」
これだ。
1日2日で解決しそうな問題とも思えないし、この子が生活する環境も考えないといけない。一番頭を悩ませる部分だった。
とはいえ、フルールを別の誰かに押し付けるつもりなんてさらさらない。
そんな話をしていると、渦中のフルールが突然立ち上がって間に入ってきた。
「ツバキ、流石にそこまで世話になるのは申し訳が立たん。なぁに我のことなら気にするな! 数日飲まず食わずでもへいきへっちゃらだぞ!!」
「「「どの口がそんなことぬかしてるの?」」」
ユウリィも先輩も完全に同意見だったらしく、見事に3人の返しがハモった。
フルール、そういうことは空腹で行き倒れてた半日前の自分を見つめ直してから言いなさいね。
今更変に遠慮しはじめたフルールの意見は取り敢えず無視。気持ちは分かるがこんな状況でひとり放ってはいさようなら、なんてできるわけないでしょうが。
「ごめんね、椿くん。私の住んでるマンションは小さいし部屋もないから、置いてあげることはできないと思う」
「いえいえ、お気持ちだけで充分すぎます。『さざんか荘』はまだ部屋も空いてたはずだし、大家さんもその辺は寛容だから何とかなる……と思います」
「というか、ユウリィとつっきーとかえちゃんの事実上3人暮らしだもんね」
おそらく大家さんの承諾を得るのはそう難しいことではない。むしろ……いや、今は考えないでおこう。
バイク通学の先輩とはここで別れ、僕は有翼人と魔族の少女を引き連れて家路につくことにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ダメです」
帰って早々、僕のプランは一瞬にして瓦解してしまった。
しかも、僕の提案を拒んできたのは大家さんではなく、先に下校していた我が妹であった。普段は(僕にだけは)優しい妹だったが、今回ばかりは怒気を隠そうともせずに絶対零度の視線を向けてくる。
だが、そう簡単に引き下がっては男が廃る。世良椿の渾身の土下座を見るがいい!!
「頼むよ楓、この通り!!」
「ダメなものはダメです。もといた場所に返してらっしゃい」
取りつくしまもない、とはこのことか。
妹よ、そんな汚らわしいものを見るような目つきで見下さないでおくれ。いくら僕でも精神的なダメージが半端ないんだよ。
「この我をまるで捨て犬扱いしようとは……小娘、どうやら命が惜しくないようだな!!」
「飢え死にしそうなところを助けられ、その対価も返そうとせずに今度は家にまで上がりこもうとする――拾ってきた犬といったい何が違うというのです?」
「ぐはぁっ!? は、反論できぬ……」
こっちもこっちで論破されていた。
最初からフルールに期待はしていなかったけど……こうなったら頼みの綱はただひとり。ユウリィ、ここはがつんと言ってやってくれ!!
「……なにか言いたいことがあるなら伺いますが?」
「ぴきぃっ!? ナ、ナンデモナイヨー、カエチャンノイウコト、ゼンブタダシイ」
決して抗えない食物連鎖の縮図を見ているようだった。
楓に一睨みされただけで滝のような汗を流し、なぜか似非中国人みたいな喋り口調になったユウリィはまさに蛇に睨まれた蛙――いや、まな板の上の鶏肉だった。
「知らない女の子をいきなり家に連れ込もうなどと――にーさん、まずは今の自分の行動が倫理的に正しいのかどうか、自分の胸に手を当ててよーく考えて」
「そんな誘拐犯みたいな言い方やめてくれない!?」
「事情を知らない第三者から見たらそう捉えられかねない、という意味で言ったの。にーさんのそういう優しい所は大好きだけど、時と場合というものがあると思う」
妹は怒っている、というよりはどこか困った風な口振りでそう答えた。
おそらく自ら悪役となって、僕がやろうとしていることをきちんと再確認させたかったのだろう。
だめだなぁ、本当に。妹にこんなに気を遣わせちゃお兄ちゃん失格だ。
「……ともかく、続きはご飯を食べてからにしよう。今日は僕が作るからさ」
「煙に巻かれた気がしますが……いいでしょう。空腹では頭も働きませんしね」
その通りだ我が妹よ。なにせ僕はお昼ご飯抜きだったからね!
手伝いましょうか、と腕まくりをする楓を手で制して、僕は4人分の夕食の支度を開始した。
冷蔵庫の中身を確認していると、台所の入口からユウリィがひょこっと顔を覗かせた。
「つっきー、今日のメニューはなにかなっ♪」
「そうだねぇ。卵にベーコン、玉ねぎ、ケチャップ……今日はオムライスかなー?」
「お、オムライスっ!!」
その単語を聞いた途端、ユウリィの瞳がキラーンと光った気がした。
自分で言うのも何だが、僕は料理の腕前にはそれなりに自信がある。特にオムライスは得意料理ということもあり、身体がすべての手順を覚えていた。
ベーコン、玉ねぎ、ピーマンを1㎝角に切り、油をひいたフライパンに順番に投入。ケチャップを入れ水分が飛ぶまで弱火で炒めたら、ここでご飯の登場。強火で混ぜ合わせ、塩コショウを軽く振って味を整えればケチャップライスの完成だ。ケチャップの水分をしっかり飛ばすのがポイントかな?
そして主役のオムレツ作りだ。
バターをひいたフライパンに、牛乳、塩、こしょうを加えてよく混ぜた卵液を流し入れ、お箸で全体を素早くかき混ぜる。半生くらいになったら、端から折り畳むようにして半円状の形にする。ここで火を止め、余熱で簡単に形を整えたらケチャップライスの上にころんと乗っけて、できあがり。
テーブルでご飯を待ちわびている3人の子供たちの前に一皿ずつ置いていき、最後の仕上げ。
「ナイフでそっとオムレツの真ん中を切ってやれば……」
「おぉ……おおーっ!!」
向日葵の花が咲き誇ったかのように、ふわとろの半熟卵がぱっとケチャップライスを包み込んだ。子供みたいに無邪気な歓声を上げるフルールが微笑ましいったらありゃしない。
お好みで細かく刻んだパセリを振りかけて、さあ召し上がれ。
「いただきまっす! はぐはぐはぐ……う~ん、ふわとろ~♪」
「流石はにーさんの作ったオムライス、素晴らしく美味しいです。この味ばかりは、私にも真似できない」
手を合わせていただきますの音頭をとったと同時に無心でオムライスをかっこむユウリィ。お上品に端から少しずつスプーンで掬って口に運んでは、僕の料理をべた褒めしてくれる楓。おおむね好評のようで安心した。
そしてフルールはというと……一口食べたかと思ったら、次の瞬間ぽろぽろと大粒の涙を流していた。
「ええええええええええええっ!!??」
そんな! 泣くほど不味かったとでも言うのだろうか!?
あるいは玉ねぎが目に染みて――いやいや、細かく刻んで火を通しているのだ、そんなわけはない。
ユウリィも楓も思わずスプーンを置いて、フルールに視線を集中させていた。
「だ、だめだった? 美味しくなかったかい? 嫌なら無理に食べなくても……」
「ち、ちが……そうじゃ、なくて……おいしくって、あったかくって、きがついたら、なみだが、とまんなくて……」
自分でもよく分からないと、フルールは零れ落ちる涙を腕で拭い、再びオムライスを口に運んだ。いつもの高慢ちきな態度ではなく、年相応の子供っぽい口調で、あふれる涙に構いもせずに、ただ無心でスプーンを動かしていた。
ほんの少しだけ、僕は彼女の気持ちが分かる気がした。
「今まで表には出してなかったけど、やっぱり不安だったんだよね」
記憶がなく、自らを知る人もおらず、たったひとりで見知らぬ場所に放り出されて、不安にならない人などいるものか。たとえフルールが強大な力を持つ魔族だろうがなんだろうが、彼女はまだ子供なのだ。
辛くないわけがない。寂しくないわけがない。
そんな時に食べる温かいご飯というものは、言葉にはしづらいが大きな安心感を与えてくれるものだ。
「……もし、これがにーさんの思惑通りだったのだとすれば、にーさんは相当な悪党だと思います」
「まさか、そんなわけないじゃない。僕はただ、この子にあったかいご飯を食べてほしいと思っただけだよ」
この光景を見せられて、さしもの妹もこれ以上フルールを追い出そうと言う気はなくなったようだ。
経緯はどうあれ、これで妹の同意を取り付けることができた。意図していなかったとはいえ、フルールの純心を利用してしまったようで心がちくりと痛みはしたけれど、それはきっと些細なことだ。
「ばくばくむしゃむしゃがつがつ…………つっきー、おかわり!!」
今の感動的なやり取りをまったくもって無視してご飯に集中しきっていたこの鳥娘に比べれば、そんな罪悪感は些細なものだ。
涙でぐしょぐしょになったフルールの目元と、ケチャップでべっとべとになったユウリィの口元を両手に持ったナプキンで同時に拭ってやりながら、僕はそんなことを考えていたのだった。
オムライスの作り方は、作者が実際に作っている手順をほぼそのまま使っています。もっと美味しい作り方もあるんだろうけど、各家庭の味ということで、ここはひとつ見逃しておくれい!!