これは恋じゃない錯覚だ
相馬 夏喜は変わった女子だった。大人しくも騒がしくもなく、特定のグループで群れてもいなかったが、別段ひとりでいるって感じの女子でもない。平均的って感じの女子ではある。が、普通かどうかと訊かれれば、間違いなく僕は首を横に振る。高校一年の時以来、一年半同じクラスにいた僕が断言するんだから間違いない。
……かといって、クラスにひとりはいるような――そう、霊感があるとか、そういうタイプの不思議ちゃんって訳でもない。適応能力のある変人って言うか……最近聞いて耳に残っている世界史の知識的に言えば、モンロー主義的って言うか……社交的な孤立主義者だと思っている。
だから、なんというか、非情に扱い難いというような印象を僕は彼女に抱いていた。
いや、現実逃避をしている場合じゃない。話を今現時点に戻そう。
……っていうか、現実にもどされた。
耳を塞いで聞こえない振りをしていた手を、相馬に掴まれてしまったから。
駅前の一般人は、当然の事のように改札の少し先の開けた場所にいる僕達を無視して、元気の良い太陽に恨みのこもった視線を向けてからどこかへと歩き去っていく。
ちくしょう。
僕だって、そうして逃げたかった。たとえ、それが炎天下を突っ切る道だったとしても。
「まず、誤解を解こう」
相馬は、大きなクリクリした瞳で僕を真正面から見た。
……あ、夏休みに入って切ったのか、ボブだった髪が全体的に縮んだような雰囲気がある。よし、それなら。
「ええと、どなたかと人違いをしているのでは? 僕はあなたが誰なのか分かりませんけど」
しらを切って見るが後の祭り。相馬は僕が気付いたことに気づいていたらしく、眉根を寄せて口をへの字にした一拍後、一気に捲くし立ててきた。
「駅の改札から出てきた時に、後ろにいましたよね? それで、私がさっきの人達への挨拶を改札出てすぐに――、そう、もう向こうの人の車、駅の出口の先に見えたから、後ろの人にはちょっと申し訳ないかなって思ったけど、ここで挨拶しないとタイミング変になる気がして。そうしたら、頭を上げたときにバッチリ目が合って、フイって逸らしましたよね? 明らかに、意味ありげに」
意外と観察力がある、という新情報を脳にインプットする。使いどころあるか分からないけど。あと、肺活量も高そうだ。一息で言い切りあがった。
「お前……じゃなくて、相馬サンがどこでなにをしてても、ただのクラスメイトの僕には関係ない。ので、大丈夫」
あんまり、というか、必要事項以外を会話したことがなかったので、つい素の口調が出かけ、慌てて苗字で呼びなおす。
そう、別に夏休みなんだし、アバンチュールのひとつやふたつ誰が経験していようと、僕には関係ない。
しかし、僕の心からの――というと字面的に変かもしれないが――無関心に、自意識過剰気味にヤツは返してきた。
「学校で言うでしょ。相馬がスーツの男達と――って」
ハン、と、思わず僕は鼻で笑ってしまったが、思いの外鋭い視線で睨まれて表面上は表情を取り繕う。
「微妙」
「なにが?」
「いや、話題にしようにも、僕の知人ってかグループでアンタ――じゃなくて、相馬さんが話題になることはないでしょ」
はっきりと言えば、相馬は目をぱちくりとさせた。
「アンタ――おっと失礼。ええと、佐久間って、ああ、三浦とかと体育館でバスケしてるよね」
コイツ、意外と口が悪いな。どちらかといえば容姿が童顔風だったから、もう少し……なんというか、萌えキャラっぽい――媚を売るような感じ――のような気もしてたんだが。ってか、教室での仕草を見る限り、もうちょっと丁寧口調で……とぼけた感じの受け答えをしていたのに。
キャラ作ってたのか?
「そう。比較的健康的で、時々教室の隅でポーカーしてたりもする」
「うん、興味ない」
ああ、そう。
僕だってお前に興味はないよ。だから、さっさと開放しろ。
僕の心の中を読んだのか、相馬はやれやれと言った感じで――。
「アイスコーヒーでもどう? この場所も暑いし」
……コイツ、全く僕の心理を察してくれていないな。確かに、日陰ではあるが冷房が入っていない場所なので、近くのコーヒーショップに入るのは悪くない。
ただ、それは、せめて友人だったらな。
プライベートでは、今日初めて喋った十七歳同士がコーヒーショップで親交を深められる気はあんまりしない。つか、話題が思いつかない。
「……奢ってくれるなら」
断ってもらう前提でそう返したら、相馬は見事にフラグを繋ぎあがった。
「いいよ。今、お金あるし」
…………。
え、さっきのアレってそういう……。
「やっぱ、自分で払え」
ジト目で僕を見る相馬は、どうやら余計な勘しか鋭くはなさそうだった。
「クラスで背景の男子一人、無視して置けば良いだけだったのに」
こんな風に自爆しあがって、と、言外に滲ませて相馬の背中を追う。
「ちゃんと奢るって」
そういうことを言っているんじゃないんだけど、それを言えば余計ややこしい事になるのが目に見えていたので、僕は大人しく相馬の背中を追ってセイレーンだかローレライだかそんな感じのロゴマークのコーヒーチェーン店へと入っていった。
一番でかいサイズのアイスコーヒーを挟んで、改めて相馬と向き合う。
そういえば、私服を見るのも初めてだった。
OLっぽいっていうか、ノースリーブのグレイのジャケットを着ている相馬は大学生以上の年齢に見える。
「意外だね」
ニヤニヤした相馬が、テーブルに肘をついて僕を見る。
「なにが?」
「砂糖もミルクもたっぷり入れちゃって。高校男子の名が泣くよ?」
「勿体無いだろ?」
「へ?」
「ただで、自由なものなんだから、入れないと損した気がする」
へ? と、聞き返した顔そのままにへへへと相馬が笑う。
うん? と、小首を傾げながらストローでたっぷり一口飲み込む。
「アンタ……ああ、いや、佐久間ってそんなキャラだったんだ」
ずずーっと、わざとストローの位置を上にして音を立ててすすってから、軽くカップを振って口を離す。
「呼びやすく呼べばいい。僕もアンタの事はもう相馬って呼ぶ」
「んじゃ、佐久間。まず、さっきのは不審な関係ではないので安心してくれ」
「そうか」
僕は一言で返した。コーヒー奢ってもらってるんだし、他に答えようがない。つまるところ、僕と相馬の関係性に値段をつけるなら、この一杯位のモノだろう。いや、おつりがくるくらいか?
「……あっさりしすぎてない?」
どこか拗ねたような目で――コイツ、教室での眠そうな顔意外にこんな表情もするんだな――、咎めるように言った相馬。
「いや、だから、なにゆえに僕が今こうして巻き込まれているのかも、いまひとつ分かっていないのに」
「分からせてやろう」
「遠慮します」
余計なフラグは折るに限る。遊ぶなら、大学受かってからだ。夏期講習の、うさんくさそうなおっさん講師もそう言っていた。僕は相馬よりも同じ夏期講習の塾生や講師を信じる。
ものすっごいつまらなそうな顔をしている相馬が僕を見ているが、無視だ。
「じゃあ、アタシが奢ったコーヒーいっぱいの間、話聞いててよ」
まあ、そのぐらいならやぶさかでもない。
僕が話を聞く体勢に入ったのを察したのか、相馬がちょっとどこか誇らしげに標準サイズの胸を張って語り始めた。
――なんだ、喋りたかっただけかよ、なんて僕は心の中だけでつっこんだけど。
「アタシ、バントやってるんだ」
「ふうん」
「そっけないな」
「いや、よくある話しだし」
同じクラスだけでも、もう二~三組そういうのがあった気がする。学園祭で演奏するだのしないだのって去年からいろいろあったけど、あんまり覚えていない。歌いたいなら歌えばいい……カラオケででも。
「一緒にしないでよ。ピアノも自分で弾いて――ああ、うん、元はピアノ教室行ってて、それが高じてなんだけど――、ひとりで歌って、こまめに新しい曲を歌った動画を上げて、こつこつ実績を積み上げてついに!」
「デビューしたの?」
昨今、いろいろなのがポッと出ては消えていく。まあ、どこかにそんなチャンスが転がってたんだろう。
「そこまでは行かないけどね。イベントとかでCD出したりぐらい。そこそこには活動して、少しずつお金になりつつもある」
余計解釈が難しくなった。
「ふうん」
「ふうん?」
僕の相槌を真似るように、だけど、はっきりと不機嫌そうな顔で返してきた相馬は、氷が小さくなり始めていたアイスコーヒーを蓋を開けてガバット飲んでから、ダン、と、テーブルに手をついた。
「……反応、うっすいなぁ!」
まあ、そういうの好きな人は好きなんだろうけどさ。
「いや、だから、僕と相馬は、数学的に言えばねじれの位置にあるわけで――」
「でも、アタシに興味出てきたでしょ?」
僕の言葉を遮って、ずい、と、顔を出してきた相馬。
可愛くなくはない。
人間的に味もありそうだ。……癖が強いかもしれないけど。
翻って僕自身。
君子危うきに近寄らず、はっちゃけるなら完全に自由な大学生になってから、そんな優等生のフリした真面目系男子。
ふうむ。
わざとらしく腕組みして僕は考える振りをする。
わくわく、とか、効果音が出てきそうな相馬が目の前にいる。とはいえ、教室の姿勢と今の態度、そうした変化から察するに、この反応がどこまで本気かは分からない。
夏の錯覚も相まって教室以上に可愛くは見える相馬に、敢えて釣られてみるか、ここはまだ様子を見るか。
その時、ふと、僕のアイスコーヒーの容器が空になっているのに気付いた。
ゆるゆると首を横に振る。
どうも今日はタイミングが悪いらしい。
べ、と、僕は舌を出して空のアイスコーヒーのカップをゴミ箱へと放る。
「お互いに……、これは恋じゃない錯覚だ」
……今の時点では、まだ。