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空色の恋模様  作者: 氷室冬彦
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6 感極まる青に仄暗い光

その日の晩はいつも以上に眠れなかった。空來の行方もそうだが、静來の様子が気になって仕方がないのだ。勇來は何度か寝返りをうった後に体を起こした。部屋には時計の秒針が一秒毎に動く音だけが響いている。眠気など微塵も感じず、むしろ彼の感情はたかぶっていた。


――空來がいなくなったらどうしよう。


と。


静來が――泣いていたのだ。


あのときの記憶が何度も何度も頭の中で流れ、それを思い出す度に勇來は胸が苦しくなった。


いつも敬語口調で喋っていて、敬語といえば丁寧な言葉遣いのはずなのに言葉には棘が多く皮肉が効いている。妹のくせに兄である勇來を馬鹿にしていて、かと思えばきちんと勇來や空來を兄弟として慕っている。白黒はっきりさせる強気な性格で、年上や異性にも物怖じせず、手厳しく的確に毒を吐く。正直者で嘘が下手な、どこか憎めない少女。


風音静來とはそういう人物だったはずだ。少なくとも、それが勇來がいつも見ている彼女の姿である。


その静來が涙を見せたのだ。落ち着いてなどいられなかった。


勇來はベッドを抜け出すと軽く身支度を整えて自室を出た。時刻は午前二時。深夜なので照明も三つにひとつしか灯っておらず、廊下は暗かった。あたりはしんと静まっており、廊下には誰もいない。こんな時間に部屋を出るのははじめてだった。


ギルドは四つの角を曲がってぐるりと一週できる、ドーナツのような構造になっている。扉も皆似たようなものばかりだから、慣れるまでは扉の表札を見なければ何処が誰の部屋かわからない。


とある角部屋の前で立ち止まる。部屋の前の照明を見上げると、天井に嵌め込まれた透明のケースの中が空っぽであることがわかる。電球がないのだ。


これが彼女の部屋の目印である。


扉をノックすると硬い音が三階のフロア全体に響いた。他のギルド員たちのいる昼間ならなんともないのに、誰もいない廊下で話すのには勇気がいった。


露臥(ろうが)、起きてるか?」


小さな声で扉の向こうに問いかける。返事の代わりに咳払いの音が聞こえた。数秒後、鍵が開錠され扉が開く。


不健康そうな白い肌。薄い青の目の下には濃い隈が刻まれており、うなじのあたりまで伸びた短い髪は寝癖であちこち跳ねていた。中性的な顔立ちで、声も低いから男に間違われることが多い。


也川露臥(なりかわろうが)――このギルドの情報屋であり、警備員のような存在だ。ずっと部屋にひきこもって仕事をしているので、四年以上前からこのギルドにいる者以外は彼女の存在すら知らない場合がある。それどころかほとんどの人間と疎遠になっているので、彼女を知っていたはずのギルド員ですら、彼女を忘れている者が多い。


忘れられた存在だ。


以前までは少しひきこもりがちな少女というだけだったが、やはり仕事が疲れるらしく、やがて完全に外に出なくなった。勇來は彼女が外に出なくなってからも時々話し相手になったりしていたので、それほど遠い存在ではない。


別に彼女に特別な感情があったわけではなく、友人だから放っておけなかったのと、徐々に周囲から忘れられていく露臥に同情と焦燥を抱いたというのが大半の理由だ。いつか也川露臥という人間が何処かに消えてしまいそうに感じたのだ。


露臥は掠れた低い声でああ勇來か、と言った。


「悪い、起こしたか?」


「いや……とりあえず入れ」


露臥も勇來と同じく自分の声が深夜のフロアに響くのが気になったらしかった。


露臥の部屋は散らかっていたが、ゴミなどはきちんとまとめてあるので、汚いという印象はなかった。部屋が暗くて全体の細かい部分に目がいかないせいもあるだろう。この部屋の照明はだいぶ前から壊れている。故に露臥の部屋で唯一光を放つのは、彼女が仕事で使っているパソコンのモニタだけだ。


露臥は勇來に椅子をすすめると自身はベッドに座った。


「露臥、四日前の空來の行動を調べてほしい」


勇來が言うと露臥は少しだけ目を細めて彼を見た。


「日付は変わっているから、五日前――だろ?」


「え? あ……ああ、そうか」


「ほらよ」


ずい、と紙の束が勇來に差し出される。細かい文字がずらりと並んで印刷されていたが、暗いためここでは読めない。戸惑う勇來に露臥は言った。


「昼間、柴闇と癒暗がここへ来た」


露臥の口から彼らの名前が出たことに驚いた。


「お前と同じことを言ってきたんだ。事情も聞いた。勇來ならそのうち俺に気付いてここにやってくるから、それまでになんとかしておいてくれ――ってな。お前が本当に来るのか、その場合いつになるのかもわかったもんじゃないのに、無茶な仕事を頼んでくれたもんだ」


露臥の一人称は、「私」ではなく「俺」だ。だから余計に男と間違えられるのだ。


「まさかこんな時間に来るとは思ってなかったが――まあいい。持ってけよ、兄ちゃん」


柴闇と癒暗が露臥の存在を覚えていたことにも驚いたが、彼女が彼らと会話を成立させたらしいことにも驚いた。彼女がマトモに話せる相手は勇來ともう一人の物好きなギルド員だけだったからだ。それ以外の他人を前にすると彼女は何も言えなくなってしまう。


勇來は露臥から情報を受け取り、彼女に礼を言った。


「ありがとうなんて言葉はあの双子に言ってやれよ。一刻も早く空來を見つけたいんだろ? あいつらがこなきゃ、俺がお前にこの情報を渡せたのはもっと後になってた」


今夜はもう休めよ――露臥はそう言って部屋の扉を開けると勇來に帰室を促した。


「空來が出かけたらしい日から何日か遡ってあいつが何をしていたか調べた。つまりそれは風音空來の数日分の情報だ。普段読書もしないお前がそれだけの量の書類に目を通すにはかなりの労力を要するだろう。それを手がかりに空來を捜しに動き回るなら体力もいる。寝不足の体と頭じゃいつも以上に馬鹿な考えしかできないぜ」


「馬鹿は余計だ」


その後は素直に部屋へ戻り、残った睡眠薬を水に混ぜて服用して眠りについた。露臥にもらった書類に目を通す作業は明日、静來に薬の件を謝罪した後に彼女と共にしようと思う。



*



翌日、ギルドにやってきた柳岸柳季に真っ先に声をかけたのは柴闇だった。柳季は空來を経由して最近知り合った友人だ。レスペル国にある洋菓子店『柳』には何度も菓子を買いに行っている。


柳季は挨拶も早々に勇來はいるかと尋ねてきた。呼んでこようかと柴闇が言うと、変に期待させても悪いから伝言を頼みたいと言った。勇來は昨日の昼頃に彼の店に来ていたようで、しかし柳季は別に、空來を見つけたとか、空來を見た人がいたとかいう嬉しい情報を持ってきたわけではないのだという。


「もし、空來ちゃんを見つけたとき、様子がおかしかったりしたらすぐに相談してほしい――それを昨日言い忘れたから伝えに来ただけなんだ」


「それだけのために――か?」


「俺が勇來たちのために出来ることと言えば、化け物カルセットの情報を提供することくらいだ。俺には勇來みたいに外をずっと歩き回れるだけの時間も体力もないから、せめて俺が持っている知恵を利用してほしい。万が一、空來ちゃんがカルセットの力の影響を受けていた場合――だけどな」


「……わかった。すぐ伝えるよ」


柳季は店があるからとすぐに帰っていった。たった一言を伝えるためだけに隣国までやってきたのだ。律儀な男である。


柴闇はふ、と薄く笑うと風音勇來の部屋を目指して歩き出した。

次回は五月十六日に更新します。

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