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空色の恋模様  作者: 氷室冬彦
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4 外部の知を借る意味も無し

「俺に聞きたいこと?」


「そう、すぐ済むことなんだけど……少し待ったほうがいいか?」


洋菓子店『柳』の店内は焼き菓子の甘い香りが漂っている。『柳』はレスペル国西部、駅から少し歩いたところにある小さな店だ。勇來はその洋菓子店の長男である柳岸柳季やなぎしりゅうきのもとを訪れていた。店には二組ほどの客が来店中で、柳季はカウンターで接客をしていたので、客がいる前で話し込むのもまずいと思い勇來はそう尋ねたが、柳季はいいやと首を横に振り、店の奥にいるらしい誰かに向かって表を手伝ってくれと声をかけた。


柳季の声に対する返事が聞こえた直後に薄幸そうな雰囲気の漂う一人の少年が出てきて、柳季と一言二言小声で話した後に彼に代わって接客をはじめた。勇來が前にここを訪れたときはこんな従業員はいなかったが、柳季いわくわけあって最近ここで働き始めた彼の友人らしい。


奥の住居に通された勇來は茶を淹れようとする柳季にもう一度すぐに済むことだぜと言った。続けて、もてなしが必要なほど長居するつもりはないとも言ったが柳季はいいから、とだけ言って勇來を座らせた。


「それで、聞きたいことって?」


柳季が身に着けていたエプロンを外しながら言う。勇來は前置きはなしにさっさと本題に入ることにした。


「最近、どこかで空來を見なかったか?」


昨日は礼と話した後はずっと外で空來を捜しまわっていた。日が暮れると遅くまで空來の部屋の様子を伺っていたが、結局彼は帰ってこなかった。


柳季は茶の入った湯呑みと茶菓子を差し出す手を一瞬だけ止め、え? と疑問の声をもらす。


「空來ちゃん? 見てないよ。少し前にギルドで会って以来は店にも来てないし……って、空來ちゃんがどうかしたのか?」


柳季はいつも空來のことを「空來ちゃん」と呼ぶ。女みたいにかわいらしい顔立ちをしているから――らしい。たしかに空來は女顔なほうだが、勇來だったらそんな理由であだ名がつくのは嬉しくない。


「四日ほど前から帰ってこないんだ」


「帰ってこない? 仕事で出かけたのに気付いてないとかじゃなく?」


「いや、礼にそのあたりは確認してみた。でも遠出の任務はここしばらくないって言うんだ。連絡もとれないし……他にもいろんなやつに聞いて回ってるんだけど」


「四日前なら営業日だから俺はずっとここにいたぜ。……行き先の見当はついてないのか?」


「ギルドの周辺であいつが行きそうなところはあらかた回ってみたんだけどな……もっと遠くに行ったのかもしれない。何処に行ったのかはさっぱりだ。ギルドのやつら何人かにも聞いてみたけど、収穫はなしだ」


「あの空來ちゃんが勇來たちに何も言わず出て行くなんて、お前らの関係とあいつの性格を考えたらあり得ないことだ。……わかった、俺も時間が空いたらそのあたりを捜してみる。できることは限られてくるけど、何かあったらすぐ連絡するよ。早く見つかるといいな」


出された菓子と湯呑みを空にしてから勇來は席を立った。帰り際、妹の静來のためにケーキを一切れ買うと、柳季はもう一切れおまけしてくれた。


「俺のおごりだ。空來ちゃんが心配なのは分かるけど、あんまり無理すんなよ。疲れたときは甘い物が一番だぜ」


疲れたときは甘い物――それは洋菓子店の従業員である柳季の口癖のようであった。妙に優しい友人の態度に少し驚きつつもありがたくその厚意を受け取る。柳季に礼を言ってから勇來は『柳』を去った。



*



ロワリア国の空は清々しいまでの晴天であったが、心の中は鉛が詰まっているかのように鬱々としていた。


兄の勇來が買ってきたというケーキに静來はしばらく手をつけられずにいた。銀のフォークを手にじっとかたまっていると、正面で同じケーキを食べていた勇來が少し心配そうな顔でこちらを見てきたので、食欲はなかったが無理矢理に胃へ押し込んだ。味は絶品だがそれを堪能できるほどの余裕が今の自分にない。いつも人前で強気な態度でいる自分がすっかり弱っていることに気付き、思わずため息が出そうになった。


弟の空來がいなくなって四日が経とうとしていた。勇來も他のギルド員の前ではいつもとあまり変わらぬ態度で通り過ごしているが、目の下に薄くかかった隈からは疲労の色が伺える。昼間は空來を捜して町を奔走し、夜になると隣の部屋にいつ彼が帰ってきても気付けるようにと神経を尖らせているため、あまり休めていないのだ。勇來は兄として自分にできることを手探りで探しては実行しており、決して周りに弱気な部分を見せない。兄は愚直で単純な男だが、とても強いのだ。静來は弟の失踪で柄にもなくしおらしくなってしまっている自分を情けなく感じた。


空來が何も言わずにいなくなることなどこれまでなかったことだ。いや、それは空來だけではない。勇來も静來自身もこのギルドに来てからは外泊時は勿論、ただ少し散歩に出かけるだけでも、兄弟に何も言わずに外へ出たことは一度たりともなかった。何の連絡もなしに姿を消すなどということは、静來は絶対にしてはいけないことだと思っていたし、三つ子の考えることは似るのか、はたまた二人が静來の考えを悟って同調してくれているのか、勇來も空來も出かける際の連絡は欠かさなかった。


それなのに突然、空來はいなくなった。勇來にも静來にも行き先を告げずに、だ。


三人のうちの誰かがいなくなるなど想定しなかった。前例がないから静來も――そして勇來も――不安で仕方がないのだ。勇來がせわしなく動き回っているのも、そうしていないと心配と不安で落ち着かないからで、彼は動くことによってなんとかその不安を振り切っているのだ。静來はそれが出来ずにすっかり感情に押しつぶされてしまっている。故に勇來と共に動くことができない。空來が何処に行ったのかを考えるだけで、彼を心配するだけで、どんどん体力が奪われていく。


勇來、静來、そして空來の三人は三つ子だ。三人一緒に生まれてきて、三人一緒に育ってきた。それはきっと特別なことだろう。両親を亡くした静來の家族はもはや兄と弟しかいないのだ。それは他の二人にしてもそうで、親がいなくなってしまった静來たちにとって、三人のうちの誰か――もしくは自分以外の二人が――自分の前からいなくなってしまうというのは恐怖でしかなかった。


もし、このまま空來が帰ってこなかったら?


もし、空來が何処かで死んでしまっていたら?


そう思うだけで体の震えが止まらない。ここまで精神が不安定になったのは今回がはじめてだった。せめてそれを表に出さないでいなくては、早くいつもの自分に戻らなくては――そう意識すればするほど、静來の仕草はぎこちなくなり、普段の静來からかけ離れていってしまう。


ああ、いつもの自分とは――はたしてどんな姿だっただろうか。


「静來、大丈夫か? 顔色悪いぞ」


勇來が何か言ったが、静來にはよく聞こえなかった。そしてその言葉に何と答えたのかも、静來自身よくわかっていなかった。完全に無意識だった。


――私は今なんと言った?


はっとなって顔をあげ、勇來を見る。何故か視界がぼやけていて、前がよく見えない。彼は一瞬驚いたような顔をして、次に悲しそうな顔になった。そして勢いよく立ち上がると静來を強く抱きしめ、優しく言い聞かせるように大丈夫だ――と囁いた。少しして静來を離すと一言待ってろ、と言い静來に背を向けるとティーポットの中身をカップに注いだ。ケーキと一緒に兄が用意したものだ。


いくが探偵にもらったのを少し分けてもらったんだ。リラックス効果があるらしい」


郁というのはこのギルドの副支部長である雷坂郁夜らいさかいくよの愛称だ。静來や勇來だけでなくほとんどのギルド員たちは郁夜のことをそう呼んでいる。


勇來が差し出したカップを受け取る。赤茶色の透き通った液体がゆらゆらと揺れている様をしばらく見つめ、ゆっくりとそれを口に含んだ。それほど量が入っていなかったのと、渋味が少なくスッキリとした口当たりで飲みやすかったことからすぐにカップは空になった。ただ淹れ方が下手なのか、探偵の部屋を訪れたときに出される紅茶よりも風味などが劣っている。


空になったカップを勇來が回収し、少し休めと言って静來をベッドまで移動させた。とてもそんな気分ではないと言おうとしたが、突然の強い睡魔に襲われた。全身から力が抜ける。急に瞼が重く感じられた。地面に引きずり込まれるような脱力感に何の抵抗もできないまま、たちまち意識が失せていく。


最後に勇來が何か言った気がしたが、静來の耳には届かなかった。

次回は五月十二日に更新します。

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