16 空色の恋模様
「空來くん、私――幸せだった」
*
「まさか――二人が嘘を吐くだなんてな」
「まさか――二人が嘘を吐くだなんてね」
空來がギルドに連れて帰ってこられた翌日、朝日の差し込む礼拝室で柴闇と癒暗が同時に言う。その視線の先には礼拝室の管理者、聖導音アリアと、ロワリア国の化身、ロア・ヴェスヘリーがいた。
「人聞きが悪いね。そもそも、私がこのことを話さなくたって君たちは空來の居場所まで辿り着けたんだろう? 結果オーライじゃないか。何の問題もない」
ロアが困り顔で反論する。柴闇は「お前が話してくれればもっと早く辿り着けたよ」と言った。アリアはいつも通り凛とした姿勢と態度で淡々と申し訳ございません、と謝罪する。
「過去のことをひどく後悔していると、空來様はそう仰いました。しかしこのこと――ここに懺悔しにきたこと――は勇來様や静來様には黙っていてほしいと、空來様ご自身からの希望でしたので」
「しかしまあ、アリアも嘘を吐くことがあるんだねえ」
ロアが意外そうに言う。たしかに、ロアはともかく、あのアリアが他人に嘘を吐くなどということは考えてもみなかった。きっと他のギルド員に話しても信じてもらえないだろう。
空來が礼拝室に来たとき、アリアは彼と会話をしなかった。
ロアは空來と中庭で会ったことすら覚えていない。
それが、この二人がそれぞれ吐いた嘘だ。アリアは図書室などには行かず、ここで空來と話をしていたし、ロアは空來と話したことを忘れてなどいなかった。そしてそれぞれの会話の内容は空來を捜索するにあたってとても有力な情報になりえるはずのもので、それどころか、空來にしばらく外へ出かけるよう提案したのは他でもないロアだったのだ。
「何、私だって別に、大したことはしていないはずだろう? 空來がしばらく気分転換したいと言うから、それなら何処かに――例えば故郷であるダウナに、一人旅でもしてみればどうかとアドバイスしただけさ。まあ、まさか勇來たちに何も言わずに出て行くとまでは思っていなかったけれどね」
「どうしてそのことを教えてくれなかったんだ」
「あの子は少しでいいから一人になりたかったのさ。一時的にすべてから解放されたかった。そのためにここを出て行ったのに、君たちに行き先を教えてしまっては意味がなかったんだね。一人で自分の過去について煩悶して、これ以上考えても仕方のないことだと気付けば帰ってくる。そんな無駄な時間が彼には必要だと――そう判断したのさ。私も時々そういう気分になることがあるから、よくわかるんだよ。大事な人を目の前で失った彼の気持ちがね」
言葉の最後のあたりでロアは柴闇たちに背を向けたので、彼女がどんな表情でいたかはわからない。柴闇はため息を吐いた。癒暗が長椅子に腰掛ける。
「でも、ロアとアリアの情報がなくても空來には辿り着けたことだし、結果オーライ……っていうのも確かにそうだよ。情報がないことでちょっと遠回りになったかもしれないけどね」
「いいじゃないか、見つかったんだから。それより、その空來の様子はどうなんだい? もう大丈夫なのかい」
「多分な。昨日の夜に勇來たちと仲直り出来たみたいだし、まあ、すぐにいつもの三つ子に戻るだろうよ」
「いつもの――ね。空來の生活も、手の形に赤くなった頬をさすって笑っているような、あのいつも通りの日々になるのかな」
「……きっと、そうだろうね」
癒暗が答えながら俯く。柴闇は窓の外を覗きながらぽつりと呟いた。
「あいつのあれは、もはや――呪いだよ」
空來はカルセット化した少女を殺すことによって救った。
つまり少女の最期の願いは叶ったのだ。
しかし空來は、最期まで彼女の気持ちを理解することができなかった。少女がどんな思いで空來に自分を殺せと乞うたのか。なぜ空來でなくてはならなかったのか。彼女が空來に対して抱いていた感情がどれほどのものであったか――空來にはわからなかった。理解を超えたことだった。彼自身、自分の頭があまり良いように出来ていないことは自覚していたが、その瞬間は本当になにもかもがわからなかったのだ。故に彼は混乱した。
現在の空來がいろんな女性に躊躇いなく声をかけるという、不真面目で不誠実に見える行動を起こすのも、全てあの日の出来事が原因だ。当時の出来事に捕らわれて前に進めずにいる。過去に向き合い、受け入れ、前に進みたい気持ちと、いっそすべて忘れてしまいたい逃避の気持ちとが反発し合っている。
そして彼女を理解したい気持ちも強かった。そのために彼女と同じ女性と積極的に関わり、まるで統計でも取るかのようにその感情や思考を観察するのだ。もちろん、そこにやましい気持ちなどは一切なく、恋人や遊び相手がほしいわけではないので、知り合った女性たちは皆ただの友達だ。「あの日」以来、空來はずっとそんな生活を続けてきた。そしておそらく、これからもそれをやめることはないだろう。
すべては一人の少女の心を理解するために。
海より深く、空より広く、広大無辺な愛。例えその女性が醜悪な魔獣へと成り果てようと、その愛が揺らぐことはない。死が二人を分かつともなお、彼の少女への想いは変わらないのだ。少女がこの世にいない今、他の異性が何をしたところで、かつて彼を満たしていた感情がその心に蘇ることはないだろう。恋も地獄も落ちるという点においては同じ。彼が生きる道は常にそこでしかない。これは呪いなのだ。
風音空來は今でも少女のことを愛している。
だから――彼は恋をしない。