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BLUE・STORYⅢ  作者: 森田しょう
第一部 盲目の子羊たち
8/10

7話 Welcome to the other side of the World

「ごめんねー、東くん。てっきり告白かと思ってさ」


 そんなことを言いながら、浅沼は大きく口を開けて笑っていた。悪気はないんだろうけど、あまり謝罪の気持ちは入ってないな……。

 あれからクラスメイトの誤解を解くのは非常に難儀で、既に別の意味で疲れていた俺は弁解する気も失せていた。しかし、そこは浅沼のおかげというか、彼女はとりあえず時間の許される限り、俺への誤解を解こうとしてくれた。大多数の人は、普段の俺を知っているせいか、すぐに納得してくれた。とはいえ、浅沼は他のクラスにまで広めてくれたので、おそらくこの噂が終息することはしばらく到来しないだろう。


「いや、たしかにあのシチュエーションだと誤解を招きかねないとは思うよ」


 ため息交じりに、俺はそう言うしかなかった。日は斜めになりつつある、夕方の4時過ぎ。部活動をしていない俺と浅沼は、なぜか帰り道を一緒に歩いていた。

「そうかもしれないけど、本当にごめんね」

 と、彼女は両手を合わせて大げさに頭を下げた。

「もういいって。いずれ、誤解は解けるだろうし」

 などと、俺は楽観視していた。周囲の人間も、俺に対しそんなに興味はないだろうし。


「それにしても、東くんって結構大きい声出るんだね」

「…………」


 浅沼はその時のことを思い出しているのか、クスクスと笑っていた。たしかに、思わず“浅沼ぁ!”と叫んでしまったのは、後になって恥ずかしさが出てくるものだった。俺の人生にあり得ないような誤解が、こうも簡単に舞い降りてくるとは思いもしなかったし、こういう形で周囲の注目を浴びてしまうとも思わなかった。

「静かな優等生タイプだと思っていたけど、意外と違うんだね」

「優等生かな、俺」

 あまり自分でそう思っていないので、疑問形――というより、独り言のように言った。

「少なくとも、私は優等生だと思っているけどね。まぁ、授業はいつも寝てばっかりだけどさ」

「……それって、優等生にはない要素のような気がするけど」

「なのに、いつも成績優秀じゃない。家でしっかり勉強しているんでしょ?」

 と、浅沼は俺の方に覗き込むようにして体を傾けた。

「してるけど、それは多少だよ。授業の復習と予習だけ」

 毎日ほんの一時間か二時間程度。たったそれだけ。

 すると、彼女は「ええええ」と漫画のような驚きをした。それは朝の時と同じ反応で、俺はなぜだか小さく笑ってしまっていた。

「すっごいねー! 私なんて、家に帰ったら教科書も何もかもポーンと放り投げて、畳の上でゴロゴロしちゃうのに」

 彼女のその言葉は、容易にそれ通りの浅沼の姿を想像させるもので、なんだか微笑ましく感じてしまった。


「凛ちゃんもなんだよね。帰ったらテキパキと宿題して、復習とかしてるんだ」

「へぇ……なんというか、しっくりくるな」


 なんとなく、それも簡単に想像できる。近衛凛夏の雰囲気をイメージすると、それが最も合致する気はする。

 すると、浅沼は俺を見つめながら立ち止まっていた。どこか驚いている面持ちで、目を普段より大きく見開いている。


「その反応、意外だな」

「え?」


 意味が分からず、俺も立ち止まった。


「今までにない反応で、ちょっと困る」

「……は?」


 意味不明の沼が、より一層深くなる。首を傾げる角度も大きくなってしまう。

 すると、浅沼はなぜかニコッと微笑み、俺の肩をポンポンと叩いた。


「なーんか嬉しいな、“意外じゃない”って言ってもらえたみたいで」

「……? それはつまり、同意してくれたからってことか?」


 近衛凛夏について、なのだろうか。その言葉に、浅沼はうん、と頷く。


「凛ちゃんのこと、変な人って思う人多いからさ、ほんのちょっとでも、“変じゃない”って言ってもらえた気がしてね」


 彼女はどこか寂しげに苦笑していた。

 なんとなく、その気持ちはわかるような気がする。他人のことなのに、自分を肯定してもらえたような感覚なのだろう。

「家で厳しくされていたせいか、凛ちゃん、あまり人を寄せ付けない感じになっちゃったから、あまり……友達いないんだよね」

 浅沼はハハハと作り笑いをしながら、なぜか頭をわざとらしくかいていた。

 友達のいない俺にとっては、それは別に大した問題じゃないように思えた。


「まぁ……友達いないのは俺も同じだけど、近衛先輩は別にそれでもいいんじゃないか?」

「……どうして?」


 浅沼はどこかキョトンとした表情で、再び俺を見つめた。


「なんていうか……そういった環境でも十分なんだと思う。浅沼みたいな理解者がいるわけだし。それがあるから、近衛先輩もあのままでいられる――というか、変な人って思われても平気なんじゃないかな。平気かどうかは、俺もわかんないけど……少なくとも、俺はそう見えた……かな」


 変人――だと周りに揶揄されたとしても、どんなイメージを勝手に作られようと、おそらくそれを意に介さない人間のように思う。そうでなければ、生徒会役員にもならないだろうし、あんなに堂々としていないように思う。

 それはあくまで、俺が見ている表面的な近衛凛夏であり、主観的に見える近衛凛夏でもあるのだが。


「そうなのかなぁ」


 と、浅沼はため息交じりに言った。

「私で満足してくれてるのかね。いつも世話焼きばあさんみたいだなーって自分で思っちゃうし」

 冗談のようで、どこか本音めいた言葉。俺はなんとなく、そう感じた。

「世話焼きってのは、憎まれ口叩かれるけど大事なんだよ。俺の妹もそんな感じ」

「妹さんって、双子の?」

「ああ」

 そっかぁ、と彼女は前を向き、再び歩き始めた。俺も同じように、歩を進める。

「妹も、いろいろ世話を焼いてくれててさ。俺が“優等生”っぽく見えるのも、あいつのおかげってところかな」

 身の回りのことをしてくれるからこそ、俺の背中をいつも押してくれるからこそ、今の俺がある。子供の時から、ずっとそうだったから。

「凛ちゃんもそう思ってくれてるかなー?」

「大丈夫だよ。それこそ、幼馴染なんだろ?」

「え、なんで知ってるの?」

「近衛先輩が言ってたからな」

「そうなんだ。まぁ、姉妹みたいなもんだからね」

 そう言いながら、浅沼は照れているのか、頬を指先でかいていた。


 二人でそういった会話をしながら、俺たちは駅へと向かっていた。駅に着くまでの会話の中で、彼女は俺の“近衛凛夏への用事”ということを聞いては来なかった。道中で気付いたが、おそらく帰ったら本人に尋ねるだろう。別に他言しないでほしいことでもないが、口止めをしておけばよかったかなと、駅に到着して思い至った。



「それじゃ、私は反対方向だから」

「ああ。また明日な」

「ほーい! じゃあね!」


 浅沼は駅の改札口で、明るく返事をして自身の乗る電車のホームへと向かった。

 さて、俺も帰ろうか――と思いつつ、ポケットに手を入れた。その時、ちょうどメッセージが届いたのか、ケータイが震えていた。

 取り出し、内容を確認すると、世話焼きからのメッセージだった。


『今日、普段より早起きして弁当作ってあげた可愛い妹に、何かデザートでも買ってきてくれるんだよね! 楽しみにしてるよ!』


 語尾にハートマークを付けているあたり、恐ろしさを感じる内容だった。そして、このタイミングで思い出す。


 やばい、弁当食べてねぇや……。


 すっかり忘れていた。保冷バッグに入っているから、傷んではないだろうが……食べずに持って帰ると、滅茶苦茶に怒られそうだ。

 しょうがない、どこかの公園で食べてから帰るとするか……。まだ時間はある。

 俺はそう思い立ち、駅から出てあたりを見渡した。ちょっと団地内方面に行けば、公園の一つくらいはあるだろう。





 少し歩き、俺は小さな公園を見つけた。子供一人いない場所で、赤茶けた土管の遊具や錆びたブラントと、その足元に気持ちばかりの砂場があった。端っこにある、秘密基地のような遊具があり、ちょうどその中は俺が入っても十分なくらいのスペースがあった。ベンチとかで食べるのも目に付くだろうし、せっかく姿を隠せるような場所があるので、そこで食すことにした。

 中に入り、座って弁当を開ける。今日はオムライスのようだ。念のため匂いを嗅いだが、傷んでいる様子はない。とりあえず大丈夫だろう――そう思いながら、俺は小さな声で「いただきます」と言って手を合わせた。


 しかし……あの時のことは夢だったのだろうか。自宅付近の公園で、気を失った時、たしかに人の気配があった。後をつけていた翠は、その場に男性と女性――リンカという名前から察するに、女性であるのは間違いないだろう――の二人がいたのを見ていた。ならば、夢なんかではない。あいつが嘘をつくとは思えないし、嘘をつく必要性もない。


 だが、近衛凛夏は“自分ではない”と否定した。多少でも動揺したら――と思ったが、そういったところは一切見えなかった。


 あまり深く考えるのは、やめておこう。詳しいことは、翠にもう一度聞けばいいだけのことだ。


 俺はいつもの味を噛み締めつつ、今日の晩御飯は何が用意されているのだろう――そんな平凡なことを思いながら、胡坐をかいた状態で壁にもたれかかった。


 その時――「うにゃにゃぁ」という、猫の声が聞こえた。しかし、それは猫のかわいらしい鳴き声ではなく、悲痛な叫び声のように感じた。

 あまりいい予感はしないな……。猫同士の喧嘩か? それにしては、一匹だけしか聞こえないような気がする。

 箸を止めた状態で耳を澄ますと、今度は「ぎにゃッ」という鳴き声が、この静かな黄昏時の公園に轟いた。


 猫の喧嘩じゃない。


 さらに、何かを蹴り上げるような――段ボールを殴りつけたような、生々しい音が聞こえる。それらは俺の中で一つの残酷な光景を予想させるが、俺はそれを否定したくなるような気持になった。そんなものが、俺の近くで起きているなんて認めたくないと。

 だが、それでも俺は確認しないわけにはいかなかった。自然と生唾を呑み込み、手足の先や目頭に力が入る。ゆっくりと遊具から出て、周囲を見渡す。今度はグチャグチャと、液体と何かを混ぜるような、或いは咀嚼するような音が微かに聞こえてくる。


 あの茂みの奥だ――


 そう思いながら、俺は歩を進める。公園に広がる砂利を踏む音が最小限になるよう、神経を集中させて。

 黒い影が、しゃがみ込んで何かを貪っている。両手で“それ”を持ち、まるでトウモロコシを勢いよく食べるかのように。滴り落ちる黒い液体――それが血液だということに、俺は即座に気付いた。


 なんだ……これ……。


 俺は言葉を失い、体が硬直した。極度の衝撃が、体を動かす神経をストップさせたかのようだった。


「あアぁ……うんめぇ……」


 黒い影は、中太りの男性だった。恍惚とした吐息のような声が漏れ、横顔から見える口元が口裂け女のように広がっていた。口周りに広がる赤黒い血液を、毒々しい舌で舐めとり、再び満足げな声が漏れる。

「血がうまいなぁ……いひ、ひひひィひひ」

 奴は両手にあるものを掲げ、雑巾を絞るようにしてそれをねじった。そのグチャグチャな何かから、絞られた水のように血液が流れ落ちる。

 あり得ない方向に曲がった肉球のある足、そしてあの毛並みと長いしっぽ――あれは、猫だ。猫だった何かだ。

 落ちてくる血液を飲もうと、男は大きく口を開ける。それはまさに、欲して欲してやまない獲物を捕らえ、その巨大な口を裂けんばかりに開けて捕食しようとするバケモノのようだった。


「何やってんだ」


 俺の口から、声が漏れた。

 あれ? 俺、どうして声なんか出したんだ。

 そうたって自問自答する前に、奴は口を即座に閉じ、俊敏な機械かのように首を90度回転させた。


 その男の顔は――――“ヒト”―――――ではないように見えた。


 顔の皮膚は内出血をしているかのように青黒くなっており、血管があちこち浮き上がっている。左右の目は飛び出さんばかりに開いており、瞳はそれぞれ反対方向へと向いてしまっていた。口は横へ大きく広がり、まるで蛙のようだった。口元は猫の血液で赤黒く汚れており、唾液がそれらと混じり垂れていっている。

「……なんダ、てめェ……?」

 不協和音のような声が、あの巨大な口から漏れ出る。視線は俺の方に向いていないが、眼球は俺を捉えようとしていた。

「……お……お前こそなんなんだ? 猫を……殺したのか?」

 そんなこと言わなくてもいいのに――そう思う反面、俺の本心が漏れていた。おそらく、いや間違いなく、ここから逃げた方がいい。関わってはだめだ。どういった展開になりうるのか――容易に想像できるのに。


「おまエ……俺の邪魔、シタ……?」


 奴は歪に首を右へ大きく曲げた。おおよそ、人間の首の可動域ではない。首が妖怪のろくろ首のように柔らかいのか、180度ほど曲がっている。

 気味の悪さ、言いようのない恐怖――それを自覚する前に、俺の足が一歩、後ろへと下がった。

「ゆ、ユるさね……」

 すると、奴は歯を強く噛み締めながらガタガタと震え始めた。その様相は、壊れかけのネジ巻き人形のようだった。

「俺のォォ……ショ、食事のをォ……」

 奴の震えが、制止する。

 嫌な予感……がする。



「邪魔するナあぁァア!」



 叫び声とともに、奴は俺に飛び掛かってきた。口を大きく開き、俺を頭から呑み込めそうだ――なんて、どうしてか冷静に見てしまっていた。そして、こうも思う。こういった時、なぜ変に落ち着いてしまうのだろう――と。


「うわああ!」


 目の前に迫られた瞬間、俺は声を上げるとともに左へ横っ飛びした。ギリギリで避け切れるも、奴は即座に方向転換し、俺に襲い掛かった。

「がアァァああ!」

 奴は獣のように右手の爪で俺を攻撃した。咄嗟に両腕で防御――それはある意味、防衛本能とでも言えるのだろうか。全身の筋肉が収縮し、体を固くさせたのがはっきりとわかった――したが、制服が切り裂かれ、表皮が抉られてしまった。

「いって……!」

 その言葉もまた、本能の言葉だった。俺は後ろへ転がりながら立ち上がる。そしてよろけるまま、奴から逃げようと後方へ走り出した。ここで漸く、俺は“異常事態”であることを実感し始めたのだ。


 ――な、なんなんだ、あれは?


 人なのか? 人じゃない……化け物だ! どうして、すぐ逃げ出さなかったんだ。好奇心か? 自分の命を危険に晒してまで、なぜ見に行く必要性があったんだ。

 あの時……どうして、この公園を選んだんだ。自宅付近でもよかったじゃないか。時が戻せるのなら、浅沼と別れた時に戻してほしい。いや、せめて弁当を食べる前……いいや、たった1分でもいいから戻してほしい!

 今更ながら湧き上がる恐怖心と後悔の念を抱きつつ、走りながら後ろを確認した。振り向いた瞬間、目の前には奴が目を真新しい血液のように真っ赤にさせ、巨大な口から涎を零しながら、今まさに食いつこうとしているところだった。


 俺は――死んだ。

 死ぬと確信した。


 全ての光景が静止した。そう思えた。

 ああ、俺も視界の隅にある猫の躯のように、内臓を食い破られ血肉をすすられるのだろう。

 恐怖――或いは、諦め。


 死ぬのは怖いのに、はっきりとそれを認識しなかった。

 もしかしたら、俺はまだ死ねない――いや、死なない運命にあると、俺の脳みそやこの心臓が知っていたのかもしれない。


 後に、そう思う。


 だが、この時――目の前で起きたのは、あの化け物が()()()()()()()()()、俺の視界から消えてしまったということ。



「大丈夫?」



 尻もちをついた俺の前に立っていたのは、腰まである長い赤茶けた髪を持つ、黒ずくめの少女だった。その刹那に瞬いた公園の青白い電灯に照らされたその横顔は、透き通るほどに白く、艶やかな唇が光を反射していた。

 そして、深淵を覗き込んでいるような紺碧の双眸――



「もう大丈夫よ」



 彼女は俺を一瞥するなり、優しく微笑んだ。

 黄昏が終わり、世界が太陽の光の恩恵を受けられぬ闇夜の支配に入りつつある中、俺は“本当の近衛凛夏”と出逢った。


 それは、運命なのだ――



 そう思う。



 7話


 ――Welcome to the other side of the World――


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