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BLUE・STORYⅢ  作者: 森田しょう
第一部 盲目の子羊たち
7/10

6話 興味と勘違いと


 久しぶりの学校へ行くのに、そこまで不安はなかった。というよりも、それを掻き消してしまうほどの“目的”があるからだ。


「お兄ちゃんもう行くの?」


 俺は希の作った朝食を今までの倍以上の速度で食べ、制服を着て靴を履いた。その一連の動作があまりにも早すぎ、希はポカーンとしながら見ていた。


「そんなに学校へ行くのが待ち遠しかった?」

「ああ」

「……嘘でしょ」

「ああ」

「…………」


 即答したため、希は混乱していた。普段ならば、彼女のその様子を少しだけ小馬鹿にして、痴話喧嘩の一つでもしてから学校へ向かうところなのだが、残念ながらそんな余裕は微塵も残っていない。

「じゃ、行ってきます」

 俺は立ち上がり、希の方へ振り向いた。少しだけ手を挙げて、彼女の奥から遅れてやってきた葵に対し微笑んだ。

「行ってらっしゃい、お兄ちゃん」

 希は葵へ同じように微笑みかけ、言った。その言葉を背に、俺は足早に家を出た。




「お兄ちゃん、どうしたんだろうね」

 ため息を混じらせながら、希は玄関の扉を見つめた。朝日が優しく差し込み、玄関にある自分たちの小さな靴たちを照らしている。

「……何か大事なことでもあるのかな……」

 葵は首を傾げ、言った。「どーかなー」と希は言いながら、葵の視線に合わせるようにしゃがんだ。

「やり残したことでもあるんじゃない? たとえば、学校の友達との約束とか」

「……でも、お兄ちゃん、友達少ない……」

 葵の言葉に、希は思わず苦笑してしまった。9歳の妹にそう思われてしまっているなんて、お兄ちゃんが知ったらなんとも言えない表情をするんだろうな……と思いつつ、その表情を想像し、彼女はクスッと笑ってしまった。


「隠してるのかもよ? 友達とか、ガールフレンドとか!」


 希は脅すようにして、葵に顔を近づけて言った。すると、葵は目を細くしてムスッとした。

「……そんなわけ、ないもん」

「わかんないよ~。お兄ちゃん、なんだかんだイケメンだから」

 そんな杞憂を妹に植え付けておいて、希は「さてと」と呟いて、腰に手を当てたままキッチンの方へ体を向けた。


 私の仕事は、まだまだこれからだもんね。





 第6話

 ――興味と勘違いと――



 どんよりとした灰色の雲が世界を覆っている。それは朝特有の倦怠感をよりいっそう強くし、体に纏わり付いているが、それを振り払うほどの意思が俺にはある。

 あの時、誰かがいたのは間違いない。だが、それは薄っすらとしたもので、不確かだった。しかし、翠の言葉によってはっきりとしたものになった。

 そして、その人物が“近衛凛夏”であるとすれば――。


「…………」


 俺はいつの間にか、学校の目の前に辿り着いていた。ずっと考え込んでいたせいか、あっという間に着いてしまったように感じた。

 あの場にいたのが、彼女――“近衛凛夏”であるならば……どうしてだろうか。それは何の違和感もない事象であるように思えた。まるで初めからそうであったかのように。そうであることが、正しいかと言わんばかりに。

 意味がわかんねぇな……。やっぱり、疲れているのかもしれない。

 俺は大きくため息を漏らし、学校の中へと足を進めた。



 まだ7時30分過ぎ。生徒はまばらにいるだけで、それは三年生のいる3階でも同じだった。彼女が何組にいるのかはわからないが、全8クラスを覗いてみたものの、まだ姿はなかった。ならば、校門で待ち伏せしていれば間違いなく捕まえることができる……か。いや、昇降口でもいいか。校門で待っていると、変な風に見られそうだ。

 俺は昇降口まで戻り、皆が上履きに履き替える場所で待つことにした。

 彼女は変な生徒会役員で有名だが、生徒会に所属しているんだから学問優秀なんだろう。ならば、他の生徒よりも早く来るのではと思案した。

 しかし……。


「……もうホームルーム始まるな」


 ここに立って、30分以上が経過した。ケータイを取り出し、時間を確認すると“8時10分”とある。朝のホームルームは、8時20分に開始されるのだが……。

「あの人……まさか、今日休みか?」

 いや、遅刻というのもあり得るか。まだギリギリ間に合うかもしれないけど、まさかな……。


「凛ちゃーん! 早くー!」


 俺が時計と睨めっこしていると、誰かの声が外から聞こえた。そこへ視線を向けると、女子生徒が校門に向かって叫んでいた。

「なんでここまで来て歩いてるのよー!」

 あの子は……たしか、同じクラスの“浅沼”だってだろうか。つい先日、ショッピング中に出会ったな。彼女は必死そうに手招きをしており、焦燥感が伝わってくる。

「もう、凛ちゃん! 走ってよー!」

 浅沼はそう言って、校門方向へと走っていった。


 ……凛ちゃん? まさかとは思うが……。


 俺は校門の方へと目をやった。ちょうど浅沼がその“凛ちゃん”の所へ到着し、声をかけているところだった。


 ――!

 凛ちゃんって、やっぱり“近衛凛夏”か!


 気怠そうな表情でノロノロと歩いており、浅沼からは背中を叩かれている。


「うるさいなぁ……わたしゃ眠いのよ」

「生徒会の人が遅刻ばかりしてちゃダメでしょうが!」


 まぁ、御尤もな意見だな。思わず俺は納得してしまった。

 ここで話しかけるか? だが、浅沼もいる。出来れば、一人でいる時に声を掛けたかったのだが、そうは言ってられないか。

 俺は意を決し、昇降口まで到着した二人に近づいた。その時、浅沼が俺に気付いてしまった。


「あれ、東くんじゃない! 久しぶり、おはよー!」


 浅沼はにっこりと微笑んだ。相変わらず、子供のような笑顔をする人だな――と、変に感心してしまった。

「あ、ああ、おはよう」

「どうしたの? 東くんもギリギリだった? というか、もう体は大丈夫なの?」

 なんて言いながら、浅沼は苦笑する。隣の近衛凛夏は、眠気眼で意識が朦朧としているのか、俺に気付いていない。

「あー……体はもう大丈夫。えぇっと……」

 俺は頭をかきながら、なんて言えばいいのだろうかと思案した。変に取り繕うのも難しいし、できないからなぁ。やっぱりストレートに言うべきか。


「ちょっと、近衛先輩に用事があって」

「……へ?」


 そう言うと、浅沼は口をポカーンと開け、目をぱちくりさせていた。

「えっと、凛ちゃんに?」

 浅沼はフラフラしている近衛凛夏の制服の肩付近を掴み、指差していた。その行動はまるで、本当なのかどうかが信じられず、確かめようとしているように見えた。

「あー、うん」

 と頷くと、浅沼は目を見開き、大きな声で「えええええ!」と叫んだ。俺は思わず、体がビクッとなってしまったのは言うまでもない。


「ちょ、ちょっと凛ちゃん! あ、東くんが凛ちゃんに用事だって!」


 大げさな動きで、浅沼は近衛凛夏を大きく揺らし始めた。その時、気付く。

 あ……寝てやがる。マジか……。


「何寝てるの! こらー!」


 今度は往復ビンタをかまし始める浅沼。往復ビンタなんて漫画とかフィクション世界の産物だと思っていたが、まさか直に見ることができるとは……。

「うーん……うるっさいなぁ……、いい加減にしてもらえる?」

「いや、いい加減にするのは凛ちゃんでしょ!」

 それについては同意する。


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 せっかく――?

 それは一体、どういう意味なんだ?

「えぇ……? あずまくん……?」

 近衛凛夏はようやく俺に気付いたのか、目をこすりながら俺の方に一歩、二歩と近づいてきた。と思ったら、さらに三歩、四歩と進んでくる。俺は思わず後ずさりしつつ、顔を引いた。

「……ホントだ、東くんじゃない。何か用?」

 浅沼とは違い、薄い反応。いや、驚かれると期待していたわけではないが、想像以上に淡白な反応で変に気落ちしてしまいそうだった。

「えーと、まぁ……ちょっと、訊きたいことがあって」

 俺はチラッと浅沼の方へ視線をやった。彼女はワクワクしているのか、目を輝かせた双眸を俺たちに向けている。ここで“あの事”を聞いたとして、もし本当であれば……浅沼は知らないことなのかもしれない。大っぴらに言うことでもないし、事を大きくすべきではないだろう。


「何? 訊きたいことって」


 すると、近衛凛夏はさらに詰め寄り、互いの鼻先が接触しそうになるほどになった。俺は自然と体に言いようのない熱さが広がるのを感じ、瞬きすることを忘れてしまっていた。

 ――黒い深淵のように見える彼女の瞳には、空の深い青と蒼さが色濃く広がっており、不純物のない穢れの知らない宝石のように見えた。

 その時、チャイムが鳴り始めた。それは朝のホームルーム開始を告げる、恒例のものだった。

「あらま、遅刻になっちゃうな」

 近衛凛夏はスッと体を引き、廊下の上に設置されている時計に目をやった。


「それじゃ、昼休みに屋上で会おうか。東くん」

「は?」

「それじゃ、また後で」


 彼女はそう言って、軽やかに走りながら階段を昇って行った。

 残された俺と浅沼は、茫然と立ち尽くしていた。


「……とりあえず、教室行こっか?」

「……そうだな」


 俺たちは目も合わせず、同じタイミングで頷いた。





 昼休みまでの時間が、妙に長く感じた。

 俺はほとんど寝ているため、いつの間にか昼になっていることが多い。それかボーっと外を眺めているので、時間は瞬く間に過ぎているのだ。変にそわそわするし、浅沼と一緒にホームルーム中の教室に入ると変な意味で誤解をされるし、それは未だに解けていない。まぁ、そのおかげか、浅沼はいろんなクラスメイトから話しかけられて、誤解を解くのに精いっぱいのため、あれこれ俺は訊かれないのだ。

 それにしても、まさか浅沼と近衛凛夏が知り合いだったとはな……。そう言えば、休日に浅沼と会った時、誰かに呼ばれて別れたが、もしかしたら近衛凛夏だったのかもしれない。特段変わったことでもないが、如何せん学校でも有名な“近衛凛夏”の友人であるなら、ある意味特別……とも言えるのかもしれない。


 そして、昼休み。


 よし、行くか!

 俺は昼食を食べず、教室を出ていこうとした。その時、俺は後ろから肩をトントンと指先で触れられたのに気づく。


「や、東くん」


 振り返る前に、彼女――浅沼は言った。

「なんだかごめんねー」

 と、彼女は両手を合わせて苦笑しながら頭を下げた。

「いや、別に謝られることなんかないけど」

 本当に意味が分からず、俺は首をかしげる。しかし、それを否定するかのように彼女は顔を振った。

「凛ちゃん。……変な子でしょ?」

 ああ、そっちか。なるほどなーと、俺は思わず「ああ……」と声を出した。すると、浅沼はクスクスと笑った。

「あれで大真面目なんだ。かわいいでしょ?」

「……?」

 いまいち言葉の真意がわからないので、俺はどういったリアクションを取ればいいのかわからなかった。そのせいか、彼女はさらに笑う。


「へ、変なこと言ってごめんね。……ともかく、応援してるから。頑張って!」


 彼女は「ファイト」と拳をグッと握りしめ、俺にエールを送った。その行動も意味不明で、俺は怪訝そうな表情を浮かべるしかなかった。

「えーと……何を?」

「何をって……も、もう! 恥ずかしいこと言わせないでしょ!」

 そう言って、浅沼は顔を隠しながら俺の肩を叩き始める。


 まさかと思うが……大いなる勘違いをしていないか?


「あのさ、俺は別に――」

「ほらほら! 凛ちゃんが待ってるんだから、早く行きなよ!」

 いやいや、足止めしたのは君じゃないのか?

 そう思いつつ、俺は彼女によって教室から追い出されてしまった。子供もびっくりなほどの笑顔を浮かべ、俺に対し両手を振っている。


 しかし、なんだ。


 おそらくだが、彼女は……俺が近衛凛夏に告白すると勘違いしている。いや、これは十中八九そうだろう。

 冷静に考えると、あの状況で“彼女に用事がある”なんてやると、そう勘違いさせてしまうのもわかる。浅沼の勘違いもまた、十中八九起こることではあったのだろう。

それに、近衛凛夏は誰が見ても美人の部類に入る女性だ。周囲の男性が声を掛けずにはいられないだろう。彼女のどこか変人めいた言動や、ミステリアスなところもまた、男性の興味をそそる装飾のようなものなのかもしれない。

 俺は“告白すると勘違い”されていると確信する今まで、彼女の容姿に関して興味を抱くことはなかった。




 屋上に辿り着くも、近衛凛夏の姿が見えない。

 今日も晴天で、引きちぎられた雲の断片が、そこかしこに浮かんでいる。だが、人は俺だけしかいない。


 ……忘れてんのかな。


 会ったのはたったの二度、会話したのもほんの少し。それでも、彼女が忘れていたとしても、不思議じゃないなと思う。それをやりかねないし、俺の思う常識とは違う行動をとりそうだからだ。

 空を見上げながら、腹の虫が鳴り響く。いつもより早く朝食を済ませたためか、普段よりお腹が空いているような気がする。たった一つの質問しかないのだから、弁当食べてから行けばよかったな……。


 そう思いながら、俺は屋上の床で仰向けになった。


 ああ、青空が広がっている。春日和の温かい陽光が世界に広がり、空気は柔らかかく町の喧騒も微かに聞こえる程度で、封じられていた眠気が呼び起こされたかのように、俺は大きなあくびをしてしまった。


「お昼寝でもするのかな?」

「おわっ!」


 言葉とともに青空だけの視界に入ってきたのは――近衛凛夏だった。俺は思わず飛び起き、なぜか周囲を見渡した。

 ど、どこにいたんだ? 一切気配を感じなかったんだが……。

「それで、訊きたいことって何?」

「…………」

 俺に落ち着かせる時間さえも与えないのか、この人……。俺は大きくため息をついてしまうも、彼女はそんなことを一つも気にしないような表情で、再度問いかける。

「で?」

「……ちょっと待ってください」

 俺は呼吸を整えるため、そう言った。近衛凛夏はきょとんとしているが、俺が如何に驚いたのかなんて全く理解できていないんだろう。

 大きく息を吸い、俺は意を決した。

「実は、俺……一週間以上前に、長束町の公園で倒れたんです」

「そうなんだ。そう言えば、京子が言ってたかな。“東くんが入院したらしい”って」

 と、彼女はそう言いながら空を見上げる。俺が倒れた――ということに対し、変に意識はしていないようだが……。


「その時に、近衛先輩……いましたよね」

「…………」

「俺の妹が見たって言っているんです。先輩と、もう一人いたって」


 俺の言葉に、近衛凛夏は何の反応も示さない。ずっと空を見上げているのだ。

「……答えてください」

 急かすように、俺は言った。すると、彼女は頭を指先でかきながら、俺の方へと視線を向けた。


「何それ?」

「え?」


 俺と彼女は、なぜか同じように首を傾げた。

「悪いけど、君が倒れた日って4月の20日くらい?」

「……そうです」

「その次の日に聞いたんだよね、京子から。残念ながら私はその日、京子と一緒だった」

 と、彼女は足早に言う。それが妙に嘘くさくて、どこか取り繕おうとしているように見えた。

「俺が倒れたのは、夜の10時くらいです。その時にはまだ浅沼と一緒だったんですか?」

「そうだけど。何か変?」

 即答した彼女は俺から視線を変えず、腕を組んだ。

「変じゃないですが……外泊でもしたんですか?」

「私の家にね。京子と私は幼馴染なの。別に変じゃないでしょ?」

「…………」

 まぁ、それだけを見ればそうだが。

「……うちの妹が聞き間違えたとは思えないんです」

「“聞き間違えたとは”――ってことは、見たわけじゃないでしょ。私かどうかわからないんじゃない? その妹さん」

「たしかにその通りですが、妹は“リンカ”ともう一人の男性が言っていた――と、言っていたので」

 俺がそう言うと、近衛凛夏は小さくため息を漏らした。

「……“リンカ”って名前だけで、私だという確証はないじゃない。ただの同名さんという可能性もあるでしょう?」

 ……まぁ、たしかに。

 すると、彼女はやれやれといった表情で、今度は大きなため息をついた。

「勘違いも甚だしいなぁ。それに、君の倒れた場所――長束町だっけ? 私は神楽新町(カグラシンマチ)だから反対なんだけど」

 神楽新町――この高校のある御条町(ミジョウチョウ)の隣だ。

「ま、“リンカ”って名前、そんなにあるもんじゃないから、君の気持ちもわかるよ」

 彼女はそんなことを言って、フフッと微笑んだ。すると、俺の方へ近づき、鼻先に向かって指差してきた。


「もし、その時の女性が“私”だったら、どうしてたの?」


 得意げな表情で、彼女の瞳は俺を見つめる。赤茶けた髪と、その長いまつ毛が妙に印象深く、自然と俺の視線をそらせた。

「どうするわけでもないですが……まぁ、“なんであそこにいたのか”ってことを聞きたいですかね」

 どこかしどろもどろになりながら、俺は答えた。


「なーんだ、それだけ?」

「え?」


 彼女は目をぱちくりさせたかと思いきや、再び腕を組んでわざとらしく大きなため息をついた。それはまるで可視化できるかのように。

「もっと面白いこと言うと思いきや、意外と普通なんだなぁ、君は」

「……いや、何を期待してるんですか……?」

 むしろ、どういった返答が正解なのか知りたい。若しくは70点くらいのものを。


「ま、いっか」


 彼女はどこか大人びた笑みを浮かべ、俺に背を向けた。そして大きく両腕を青空に向かって伸ばし、見上げていた。


「今日もいい天気だなー。昼寝日和ってやつだわ」


 独り言のように呟き、彼女は「じゃ、またね」とだけ言い残し、屋上から出ていってしまった。

 ……さっきのセリフ、どこかで聞いたかと思ったが……先日ここで会った時も、同じこと言ってなかったか?


 俺は妙に力が抜け、その場に座り込んでしまった。


 勘違い――だとして、無為に気負ってきてしまったのが馬鹿馬鹿しく感じた。たしかに、彼女の言うように“リンカと呼ばれていただけで、近衛凛夏であるという確証はない”のだ。なのに、俺は言いようのない確信を持って、家を出発したように思う。

 どうしてかわからないが――それでも、これまでの徒労が……浅沼の誤解が……教室に残してきた希お手製の弁当が、どこか小っ恥ずかしいもののように思え、俺は大きなため息を、床に広がる屋上の床に向けて放った。





 気付けば、昼休みもそろそろ終わる時間になりかけていた。

 俺は階段を下りながら、彼女――近衛凛夏のことを考えていた。そう言えば、あの人……浅沼のような勘違いをしていなかったな。普通の女子生徒であれば――いや、それが例え男子生徒だとしても――、告白という一大イベントだと勘違いをされて然るべき事案ではある。つまり、浅沼は至って普通の反応とも言えるのだ。


 近衛凛夏は、そうではないと――確信していたのかもしれない。


 しかし、そう思うには難しいほど、彼女は変わっているという事実が、目の前に横たわっていた。

 おそらく、彼女はそこまで深く考えていないように思う。あの笑み――得意げな大人の余裕さと、無邪気な童心が見え隠れする表情は、何を考えているのか一般人では到底理解できそうにないものだった。


 だからなのか、俺の中で妙な感情が芽生えていた。

 それは今まで、抱いたことのないものだった。


 単純に、興味がある。どんな人間なのか――と。


 今まで、他人に興味を抱くことはなかった。他者への関心――それは誰しもが持っているもので、それが友人や親友という関係性を築くのに必要不可欠な要素なのだろうと思う。

 俺はそれが希薄なのだ。だから、友人が少ない。というよりも、この学校にはいない。中学時代の友人たちも、もはや連絡も取っていない。それ以上の関係を築こうとさえ、どうしているのかさえ、気にしないせいだ。

 だから、彼女に対し興味を抱いたことに、俺は不思議さを感じた。

 なぜだろう――と。


「――あ、噂をすれば――」


 ふと、視線を感じた。階段を降り、俺のクラスのある2階を歩いていると、俺をチラチラと見ながら何かを話している女子生徒がいる。それは少数ではなく、すれ違う度にだ。


「……意外と……」

「人は見かけに……」


 断片的に聞こえてくる内容は、何を意味するのか。しかし、俺を形容するようなものは無いように思うのだが……。


 いや、待て。


 この感じ、嫌な予感がする。

 噂、女子、チラ見……。

 これはまさかとは思うが――!


 俺は競歩をするかの如く早歩きで自身のクラスへと向かった。そこへ入った瞬間、まさに今の現象を引き起こしている原因があった。



「それでぇ、東くんったら凛ちゃんにねー、“話したいことがある”って言っちゃってね!」

「へぇ、すごーい。東くんって大胆なんだね」

「でしょー! 私、なんだかドラマのワンシーン見てるみたいでさぁ!」



 あ……あさ……!




「浅沼ぁぁ!」




 俺の怒声に、原因の主は魔法を掛けられたかのように硬くなってしまった。そして、油の切れた機械のようにゆっくりと、俺の方へ振り向いた。


「あ~……お、お帰り……。ど、どうだっ……た?」


 その表情はまさに、悪戯のばれた時の悪ガキがするそれだった。


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