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BLUE・STORYⅢ  作者: 森田しょう
第一部 盲目の子羊たち
5/10

4話 揺らぐ世界 始まりの言霊



「へぇ、葵がねぇ」

「なんでもかんでも、自分でやろうとしてる感はあるな」

「引っ込み思案で人見知りな性格だったから、少し心配してたけど。この様子だったら、意外と大丈夫かしら」

 と、叔母さんはホッとしたように小さく息を吐いた。葵のあの性格は、やっぱり叔母さんも心配していたようだ。親戚であれば、周囲のあらゆることに怯える葵のことを気にかけてしまうものなのだろう。

「それに、よっぽどあんたたちが好きなんだろうね。いつも一緒にいるイメージ」

 叔母さんはそう言いながら、微笑んでいた。写真を撮る時とか、どこかへ出かける時、葵は必ずと言っていいほど誰かの後ろに隠れてしまう。服の裾をつまんで、こそこそと歩いているかのように。その姿を思い浮かべる度に、少し過保護に育てすぎたのかな――とも思う。

「そう言えば最近、学校はどう? 楽しい?」

 叔母さんは夜の外灯を見上げながら、訊ねてきた。

「普通だよ。けど、あまり面白くはないかな」

 ありのまま、思うことを言った。叔母さんは驚くわけでもなく、「ふーん」と言って、小さく欠伸をしていた。ふと腕時計を見ると、もう夜の10時だ。




 晩御飯を食べて風呂から上がり自分の部屋でのんびりしていると、俺は叔母さんからこんなとを言われた。

「ねぇ、望ちゃん」

 ベッドで座っている俺に対し、叔母さんはドアを半開きで覗き込むかのように言ってきた。

「……あの、その言い方気持ち悪いんで、やめてくれませんか?」

 さすがに俺は本気で気持ち悪いと思ってしまった。

「私と夜のデートでもしない?」

「……は?」

 普通に、そんな声が出た。結局、押し切られる形で外に出てきて、他愛のない会話をしている。

 今日は4月中旬。昼間はほんわかとした、暖かい陽気が漂っているけれど、日が暮れると少しだけ肌寒い。だから俺も叔母さんも同じようなパーカーを羽織って、外に出ている。


「面白くないのかー。三瀬高校、失敗だった?」

 叔母さんは苦笑して、俺の方へ振り向いた。

「どうかな。自分で決めてあの高校にしたんだから、失敗とか、まだそういう風に思いたくないだけかもしれない」

 地元の高校ではなく、俺が決めて今の高校にしたのだ。それを悔いてしまうと、ずっとそれを引きずってしまいそうだった。自分のため――今の自分のために、“悔やまないように”しているだけなのかもしれない。

「それは強がり?」

 夜の風を受け、叔母さんは涼んでいる。その冷気を若干帯びた風は、風呂上がりの火照った体から少しずつ熱を奪っていく。

「強がり……かどうかさえも、今のところはわからないね」

 俺はハハハと、小さく笑った。と同時に、そう笑ってしまう俺自身が、今まさに強がっているのだと気付く。そんな俺の表情を見て、叔母さんは少し微笑んでいるように見えた。俺の、その強がりなんて、見通してしまっているかのように。

「実はね。昔、私もお姉ちゃんも三瀬高校に行こうとしていたのよ」

 と、叔母さんは俺の方を見ず、真っ暗な夜空を見上げながら言った。団地内を歩いているけれど、外灯は所々にしかなく、それぞれの光が行き届く場所とそうでない場所を、俺たちは入ったり出たりしている。明りに照らされたアスファルトの道を歩き、数歩進むとそれ以上に暗い道に入る。夜は、それの繰り返し。

「へぇ、初めて聞いたな」

「叔母さんもこう見えて、結構勉強はできる方だったのよ」

 叔母さんはそう言って、ピースをして見せた。でも、二人ができる方だったというのは、昔から知っていた。祖母ちゃんがそう褒めていたから。

「けど、行かなかったんだろ?」

「まぁ、ね」

 俺が尋ねると、叔母さんは大きく頷いた。

「どうして?」

「……そうだねぇ……」

 ため息交じりに叔母さんは言って、小さく微笑みながら前を向いた。歩く速度が、なんとなくゆっくりになった気がした。


「望にとっては、何が大切?」


 叔母さんは唐突に、歩みを止めた。外灯の明りが届く、ぎりぎりの所。そこはまるで、光のある世界と暗闇の世界との境界線のように見える。

「大切なものに寄り添うため――或いは、見届けるため。たぶん、誰かが誰かと一緒にいるのは、そんな理由がほとんどなのかも」

 叔母さんは俺を見ず、そう言った。

「私も――お姉ちゃんも、そうだったのよ。勉強なんかより、自分たちが歩む将来のための礎よりも、大切なことがあった。……いいえ、きっと今もそれは続いていると思う」

 何よりも大切なこと。理由は様々だろうけど、実際のところみんな似たり寄ったりで、あらゆることに通底しているのだ。

「望も結局のところ、同じなんじゃない? 本当は勉強とか、そういうものはどうでもよくて」

「…………」

 たぶん、見透かされているのだと思う。俺が希とは違う高校に進んだ理由を。考えてみれば、高校生になってから叔母さんに会うのは、今日が初めて。話だけでしか聞いていなかったから、自分の耳で俺の本当の意思を知ろうとしているのかもしれない。

「大切なものがなんなのかなんて、わかってるつもりだよ。でも……」

 俺は少しだけ俯いて、続けた。

「俺も希も17歳になる。いつまでも同じである必要性はないんじゃないか? 俺もあいつも双子だけど、別の人間なんだから」

「たしかにね。それは望の言うとおりだと思うよ。何も、一緒にいることの方がいいとは思っていないわ」

 すると、叔母さんは「でもね」と言って、再び歩き始めた。俺も後をつけるように、歩く。

「あなたが自立するための――いつか“その時が来た時のための”助走期間なのだとしたら、私はまだするべきじゃなかったと思うだけ」


 その時――


 やっぱり、叔母さんは理解しているのだ。

「……お姉ちゃんがもしそうなった時、葵や翠、希もあなたに頼る。逃げちゃいけない、一番上の兄としてね」

「…………」

 兄、か。その時に、俺はどうするのだろう。慌てずに、妹たちを護ってやることができるのだろうか。


 ――温もりから逃げようとしているのに?

 ――なのに、結局は同じように過ごしているのに?


「あ、久しぶりね、ここ」

 叔母さんは団地内の公園で立ち止まり、青白い外灯に照らされている敷地を眺めていた。そこは俺や希が幼い頃、よく遊んでいた場所。まだ母さんが元気だった時期は、ここで翠も一緒に遊んでいた記憶がある。葵が生まれてからは、あまり来なくなった場所でもある。

「ねぇ、ブランコでも乗らない?」

 と、叔母さんは俺の方に振り返り、にこやかな笑顔をして見せた。そういう穏やかな――ふんわりとした、優しさを纏っているような微笑みは、本当に母さんと同じだった。

「33にもなってブランコかよ……」

「これでも20代に見られることが多いんだけどな」

 叔母さんはふふん、と得意げに鼻で笑って、俺の意見なぞ聞かずに公園内へと入って行った。やれやれと思いつつ、俺もついていく。こういった強引さは、知ってか知らずか希に受け継がれていったような気がする。

 しん、とした公園。静かな空間の中では、敷地内の砂利を踏む音がよく響く。昼間だとあまり気にならないのに、どうしてか気を遣ってしまって、若干忍び足になってしまう気がする。

 俺も来るのは久しぶりで、砂場やジャングルジム、鉄棒など幼い頃に遊んでいた遊具があちこちにある。どれもそれなりに時間の経過と使い過ぎで劣化していて、塗装が剥げてみすぼらしくなったものもあった。

 ふと、こんなにも遊具は小さかっただろうかと思った。俺の記憶の中では、今触れている可愛らしい馬の乗り物なんて跨ぐのがやっとだったのに。砂場だって、こんなに狭かっただろうか。砂場の真ん中で大の字になれば、足や手ははみ出てしまうんじゃないかというほどだった。

「よっこらせ」

 叔母さんはいつの間にかブランコの方へ行っていて、動かすわけでもなくその上で立っていた。

「不思議。昔はブランコなんてとてつもなく大きな遊具だって思ってたけど、こうしてみるとなんだか窮屈なのよね」

 両端の鎖を握って、叔母さんは星空を見上げた。

「中学生、高校生の時よりも狭く感じる。目に見える体格なんて、ほとんど変わってないのにさ」

 叔母さんはそう言いながら、クスクスと笑う。俺がさっき思っていたことと、ほぼ同じなような気がする。でもきっと、それは年齢を重ねた結果であり、それの厚みによってまた感じ方は違ってくるのだろう。17年近くしか生きていない俺でも“大きく違う”と感じるのだ。倍近く生きている叔母さんにとっては、もっと大きな違いを感じているのだと思う。

「望たちは――変わっていくのかしら。目に見える風景と同じように、あなたたちもそれぞれの原風景を変えてしまうのかな」

 どこか寂しそうに、叔母さんは言った。その言葉の真意はなんなのだろう――と思っていると、叔母さんはいつの間にかブランコから降りていて、俺の方へと歩み寄って来ていた。

「いつか今を取り巻く状況が変わった時に、望は望のままで、あなたがすべきことをしてほしい」

「…………」

 自分のままですべきこと。それは、自分が望んでもいないことも含むのだろうか。それとも……。

 叔母さんは俺の前で両手を後ろにして、立ち止まった。

「頼りにしてるわよ、望」

「俺を……?」

 叔母さんはニコッと笑って、俺の肩をポンとたたいた。そして、そのまま来た道を引き返して行ってしまった。

「あれこれ難しいこと考えずに、目の前のものを守りなさいってこと」

 その言葉と俺を残して、叔母さんは一人で帰ってしまった。なぜか下手くそな口笛を奏でながら。

 なんとなく俺は帰ることができなくて、叔母さんが立っていたブランコに座った。少しだけひんやりとしていて、錆びついた鎖が年季の長さを物語っていた。


 俺は、何から逃げようとしているのだろう。

 自分を守り続けてきてくれた、温もりからなのだろうか。遠ざけようとしているのに、それを享受し続ける自分がいることも確かなのに。




 ――怖いんだろ――

 ――失うことが。失った先での、道標を持つことを――




 誰かの声が、聞こえた気がした。


 俺は俯かせていた顔を、上げた。……誰もいない。気のせいだろうか。

夜の風が、公園をゆっくりと吹き抜けていく。俺が座っているブランコの隣のそれが、風に揺られて金属が擦れ合う音を奏でていた。夜風は冷気を孕んでおり、上着を羽織っている俺の体を若干震わせた。

 今日、月は出ていなくて、星もよく見えない。公園の外灯で明るいせいだろうか、いつもなら宇宙の星があちこちで輝いているのに。

 その時。



「お一人かな?」



 幻聴――?

 いや、違う。男の声だ。このブランコの先――俺の視線の先にある、外灯の青白い光の届かない夜の静寂(しじま)の向こうに、誰かがいる。

「……誰だ?」

 俺はその暗闇に向けて、そう訊ねた。しかし、暗闇の主はなんの動きも見せなかった。

 わけがわからず、俺は生唾を飲み込んだ。正直、鼓動が激しくなってきている。急に、しかも深夜に入ろうとしている世界で、知らない人間に話しかけられたらそうなってしまうのは、ある意味絶対なのかもしれない。

 だが不思議と、第三者からは俺が落ち着いているように見えるのだと思う。慌てふためき、目をカッと開いて、逃げようとするのが“普通”なはず。なのに、俺はどうしてか動こうと思わなかった。

 ああ、そうか――猫が俺たち人間を見た時に、動きを止めてしまう現象と同じなのだと、俺は冷静に結論付けていた。


「アズマノゾム君――だね」


 声の主は、俺の名を呼んだ。自分の名を知っているということに、幾ばくかの恐怖が湧き出てきた。すると闇の向こう側から、その人の姿がゆっくりと外灯の光の中に入ってきた。


 ――外国人?


 灰色、というより銀色のスーツを着ており、髪は金髪。年齢は50代前後だろうか、顔のしわの数からなんとなくそう思った。

「あなたは……?」

 俺はブランコから降り、そう言った。いつでも逃げられるように、少し身構えて。

「私は君を探していたのだよ。――ずっと」

 男はそう言って、ニッコリと微笑んだ。優しさの欠片もなく、純粋さなど微塵にも感じさせないその笑顔は、歪なものが渦巻いていると直感した。

「永い、永い時をかけて、私は君に会いに来たのだ。ようやく、願いが果たされる」

 すると、男は俺に向けて手を広げた。

「……何を言って――――」


 !?


 なぜだろう、目の前が揺らぎ始める。陽炎の中のように、男性の姿が不完全に揺らめく。視界がぼやけて、世界が歪んでいた。

「な……んだ……? こ、れ……」

 声にならない声をだし、俺はその場に膝をついた。咄嗟に頭を抱え、揺れてもいないのにそれを抑えようとしていた。

「――まえは、――――ちが望んで……――。あの場所……誘う、――――」

 頭が……ぐわんぐわんと揺れる。男の言っている言葉が、遥か彼方から聞こえる。頭が痛いわけでも、急に体調が悪くなったわけでもない。だけど、見知らぬ何かが――俺の意識を、歪ませているような感覚だ。体の力が抜け、俺はまともに立っていることさえできない。


 どういうことだ……?

 意識が……。


「――!? きさ……ら――!」

 その時、男性の声が落ち着きのないものに変わる。慌てふためいているわけではないが、それでも先ほどまでの落ち着きはなかった。

「引き――――い。――すわけには、いか―――」

 遠くなってゆく意識の中で、別の人の声が聴こえる。誰だ……? 女性……?

 そこから、俺の意識はほとんどないものに等しくなっていった。ただ、その場にあの男だけでなく、何人かがいる気配はする。彼らが喋っている内容は一つも聞き取れないほど、俺は意識が混濁していた。

 そのまま、俺は意識を失っていった。








「やっぱり、思った通りだったね」

 黒いコートを身に纏った男――というよりも、まだ成年に達していない16か、17の少年――は、小さく笑った。

「さて、それじゃ救急車を――って、何してるんだよ」

 少年は“彼女”のしようとしていることを見て、眉をしかめた。

「何って……連れて帰ろうと思って」

 望の腕を持ち上げようとする少女。その当然、のような表情を見ると、少年はやる気をそがれてしまうような気持になった。

「ダメだよ。ちゃんと順序を経て説明しないと」

「……また説明しにくるのもめんどくさいなーと思って」

「ダメです」

「……有無を言わさず連れ去った方が楽かなーと思って」

「わざと言ってる?」

 少年の問いに、少女は首をぶんぶん横に振る。そんな子供じみた否定の仕方を見て、少年はため息を漏らした。

「まったく……。いずれ説明するから、今日は引こう」

「……せっかくのチャンスだと思ったけどな」

 うつ伏せになっている望の横顔を見つめ、少女は独り言のように、願望を小さく吐き出した。それに気付いていない振りをしているのか、少年は横目に少女を見、踵を返した。暗がりの公園を見渡し、気配がないことを確認する。


 ――ただの偵察、といったところか。


「…………」

 少女は自分の長い髪の毛を横にかき上げ、耳に掛けた。不鮮明な公園の電灯が少女の頬を、青白く照らす。



「東望くん。――また、ね」





  4話

  ――揺らぐ世界 始まりの言霊――




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