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BLUE・STORYⅢ  作者: 森田しょう
第一部 盲目の子羊たち
2/10

1話 近衛凛夏

「お兄ちゃん」


 あれ、いつもと違う声が聞こえる。いつもなら、俺を怒鳴るような声が轟いているはずなのに……今日はやけに静かだな。

「お兄ちゃん、起きて。6時になるよ」

「ん……」

 ゆっくりと目を開けると、そこにいたのはサラサラな長い髪をした、葵の姿。俺や希、緑とは違い、家族の中で唯一綺麗で真っ直ぐな髪をしている。

 そっか、今日は葵が起こしてくれるんだった。

「……サンキュ、起こしてくれて」

 眠気眼のまま、俺は体を起こした。まだしっかりと目を開けることができない。本当に朝が苦手だ……。小学生の頃は、こんなに朝起きるのが辛いだなんて思わなかったんだけどな。

「お兄ちゃん……髪の毛、ボサボサ」

「ん?」

 葵に指摘されて、髪に触れる。……まずい、まただ。また爆発したような髪になっている。俺は若干天然パーマで、何をしなくても髪がハネたりしてしまっている。

「ったく、これのせいでいつも時間取られるんだよな……」

 直すのにいつも10分はかかる。これがなければ、あと10分は確実に寝ていられるってのに。

それだけ他のことに目を向けられるし、こんなことで時間を取られてしまうのは些か腹が立つものではある。

 その時、葵の方に目をやると、頭を傾げてクエスチョンマークを浮かべている。俺が何に文句を言っているのか、あまりわかっていないのだろう。

「葵は綺麗な髪で羨ましいってことだよ」

 と、俺は葵の頭をポンポンと撫でた。やっぱり葵はよくわからなくて、とりあえず撫でられたことが嬉しいのか、ちょっと顔を赤くしていた。






1話


――近衛凛夏――








「おはよー。今日は飛びきり派手な髪だね」

 階段を下りると、既に制服姿に着替えた希がいた。俺の無造作爆発ヘアーを見て、クスクス笑ってやがる。

「ふん、お前も直すまでは同じようなもんだろうが」

「お兄ちゃんに見られる前に直してるからね」

 べーっと、希は舌を出して言った。希も俺と同じで、毛先が勝手にはねてしまうほど癖のある髪である。朝起きて見てみたら、昔流行ったゲームの某モンスターみたいな髪型になっていたのは面白かった。

 俺は玄関に行き、いつものように新聞を取り、リビングへと向かう。あまりテレビを見ないので、少しくらいは世間の情報を仕入れるために毎朝の新聞には、軽く目を通すことを日課にしている。

 リビングへ行くと、ソファーの上でばあちゃんが横になっていた。少しいびきが聞こえるので、爆睡中のようだ。

「ばあちゃん、いつ帰ってきたんだ?」

 と、俺はテーブルの席に座って、同じようにテーブルに座っている希に訊ねた。こいつは優雅にコーヒーを飲みながら、ケータイをいじっている。

「私が起きる頃にはああなってたから、たぶん朝方じゃない? 今日はパート休みだから、かなり飲んだようね」

 お酒をたくさん飲むと、人によるが大抵の人は酔ってしまうもんだ。気分が悪くなって、吐いたり頭痛がしてしまったりする。そういう姿のばあちゃんを何度か見ているが、それをしてまでもお酒ってのは飲みたいもんなのだろう。未成年の俺にはよくわからないが、年を取れば自ずと理解してくる“大人の世界”なのかもしれない。

「お兄ちゃん、何か飲む?」

 コーヒーを飲み干した希は、立ち上がるのと同時に言った。

「んー、それじゃお茶で」

 俺は希と違い、あまりコーヒーを飲めない。飲めないことはないのだが、あいつのようにブラックは絶対に無理だ。

「ご飯と味噌汁と、あとウィンナーにする? 焼くけど」

「いや、昨日の残りがあっただろ? それでいいよ」

「はーい」

 残りとは、唐揚げのことだ。

「葵、どう? できそう?」

「……うん、もう少し」

 背を向けているキッチン側から、そんな声が聞こえた。希も少しハラハラしているのかもしれない。俺も見てみたいのだが、そうすると葵は余計緊張してダメになってしまいそうなので、我慢しておく。

 新聞を広げ、政治のニュースだとか経済の問題、どこかで起きた連続傷害事件など、今日もいろんな内容が載っている。ふと視線を隅の方にやると、「動物死骸散乱。昨日だけで5箇所」という見出しがあった。そう言えば、何日か前にも同じような事件があったような気がしたな……。

「はい、このくらいで大丈夫?」

 その時、希が朝食を置いてくれた。朝はあまり食欲がないため、量も少なめにしてもらっている。

「ありがとう。なぁ、これ見てみろよ。前にも同じことなかったか?」

 と、俺はさっきの見出しを希に見せた。

「動物……なんか、最近多いね。しかもこれ、隣町じゃない?」

 よく見ると、たしかに隣町……御条町じゃないか。

「あれ、たしかお兄ちゃんの高校って御条町じゃなかったっけ」

「……そうだったな」

 我ながら、偶然というのは恐ろしいもんだ。あの町でこんな事件が起きてるとは、微塵にも思わなかった。

「たまにいるよね、こういうのする人。ブログとかで自慢する事件とかもなかった?」

「ああいうのは、自己顕示欲が強いんだろうよ。俺はこんなに狂ってるぞー、とかって。そういう奴よりも、誰かに見せつける目的じゃなく、ただ殺したいから殺してる奴の方がよっぽど怖いけどな」

「そうだね……。どういう神経してるんだろ、こんなことする人って。まぁ知りたいとも思わないけど」

 人としての道から外れている者――異端な人間、とも言えるのかもしれない。そういう人を理解しようとしても、普通の人たちが“今まで構築してきた普遍的な意識・概念”とは大きく異なるため、難儀な話でしかないものだ。

 その後、俺は朝食をとって寝癖を直し、少し休憩してから家を出ようとした。希もいつもは俺が出てから、翠たちとご飯を食べてから出るのだが、今日は俺と同じ時間に出ることになった。あいつの通う高校はかなり近くて、徒歩で15分ほど。母さんや親父の母校でもあるんだと。

 俺が通う高校は、自宅から約一時間弱で着く場所にある。隣町なのだが、うちの団地街の中心部から少し離れた場所にあるので、徒歩で駅まで約10分、電車で約40分、そこからまた歩いて10分近く、計一時間ほどだ。

「みどりー、そろそろ起きなさいよー。私とお兄ちゃんは出るからねー」

 希は階段の下から、いつものように声を張り上げた。翠も俺に似てしまったのか、朝はあまり得意でない。いつも先に降りてくるのは葵だ。


「お、お兄ちゃん」


 靴を履き、カバンを持って立ち上がった時、後ろから小さな声が聞こえた。恥ずかしそうな面持ちで、葵が立っている。後ろに何かを隠しているのだが……何を隠しているのか、容易に分かってしまった。

「わ、わたしね、今日、頑張って作ったので……その……」

 葵はもじもじとしながら、顔を俯かせている。なんかこのシチュエーション、告白されるような感じなのだが。隣で希がまるで自分の娘を見るかのように、ニヤついているのがわかる。

「あの……これ……」

 そしてゆっくりと、弁当が差し出された。いつもの水色の風呂敷に包まれていて、弁当箱も以前のものと同じ。そのため、希がいつも作ってくれているものとどう違うのかと言われても、この段階ではわからない。

「あ、ありがとう。頑張ったな、葵」

 俺は少ししゃがんで、葵と同じ視線の高さにした。俺は180センチを超えていて、葵はまだ130センチくらいだ。

 葵を撫でてあげると、顔をさらに真っ赤にして顔を俯かせてしまった。……本当に、恋文でも渡されてしまった気分だ。

「よく頑張ったね、葵。お兄ちゃん、嬉しいってさ」

 希はニコニコしていて、今の様子を見ていた。すると、葵はハッとした表情を浮かべて、後ろからまた一つの弁当箱を希に差し出した。それは可愛らしい、ピンク色の風呂敷に包まれている。

「希お姉ちゃんのも、作ったの。……食べて」

 それはもうぎこちない表情だったが、やはり顔が真っ赤な葵。希には内緒で、作ってくれたのだ。


「あ、葵……あおいーー!」


 と、希は葵にいきなり抱きついた。急なことに、葵は目をパチクリさせている。

「本当に可愛いんだから……お姉ちゃん感動しちゃったよー! ホントにホントにありがとね、葵!」

 まるで大きな人形を目一杯の愛情で包み込むかのように、希は葵をギューッと抱きしめている。よく見ると、希は嬉し泣きしてしまっているように見えるのだが……。

「おいおい、そのくらいにしとけって。……葵、苦しそうだぞ」

「だって! だって葵が、葵が私のぶんまで作ってくれてたんだよ!? 絶対に私のぶんは忘れられてるって思ってたんだもん……」

 だからって大げさな……と思うが、母さんが体調を崩して、寂しがっていた葵の世話をしていたのは希だったからな。妹というより、娘に近いのかもしれない。

 ふと、視線を感じて階段の方へ向けると、そこには引きつった表情で俺たちを見ている翠の姿があった。それはもう、見るからに蔑むかのような目で。凡そ、家族に向ける視線ではあるまい。

「……何やってんの?」

 翠も、その言葉しか出てこないようだった。何せ、さっきからずっと希が葵を撫でたり抱いたりしてるんだから。

「別になんだっていいけど……学校、行きなよ」

 翠のその言葉に、俺と希はハッとした。

 





「はぁ……葵、可愛かったなぁ。私の妹とは思えない」

 希と通学路は途中まで一緒なので、久々に一緒に歩いている俺たち。隣で希はため息混じりに、そう呟いていた。

「葵は特別だろ。お人形さんみたいな感じだし」

「そうなんだよねー。ほら、母さんがおしとやかじゃない。葵、きっと将来は母さんみたいになるよ」

「うーん、どうかな。母さんは比較的明るいだろ。俺は葵が、このまま人見知りで成長してしまうんじゃないかって心配だけどな」

 心配――というより、一種の懸念。ああいった奥手なタイプの子供が、イジメなどにあいやすいのだから。

「大丈夫、私とお兄ちゃんの妹だから。ちょっとやそっとのことで、へこたれるような性格してないよ。ああ見えてね」

 希は前を見て、ニコッと笑った。俺もなんとなく、同じように前を見た。今日はよく晴れていて、やんわりとした春風がこの団地内を駆け巡っている。朝の鳥のさえずりが、そこかしこから一日の始まりを告げている。

「そういうもんかね」

「そうよ。あの子、意外と負けず嫌いだから。私が晩御飯作ってると、たまに“お兄ちゃんのぶんは私が作る”って言ったりするしね」

「そ、そうなのか……」

 それはなかなかな負けず嫌いだ。俺の知らないところで……。嬉しいような、悲しいような複雑な気持ちだ。兄として素直に喜べないところ。

「ま、たまには作らせてあげたら? あんなに頑張る葵、なかなか見れないしさ」

「……まぁな。早めの嫁修行みたいなもんか」

「そうそう、そんなの」

 クスクスと、希は笑う。髪型以外は、希と葵はそっくりなんだよな。笑った時の顔とか、泣きそうになった時とか。

「それじゃ、電車で寝過ごさないようにね」

 いつの間にか、駅と希の高校までの道の分岐点に来ていた。

「お前こそ、授業中寝たりすんなよ」

「お兄ちゃんと一緒にしないでくれる?」

 と、簡単に反撃された。なんでもお見通しのようで……。やれやれと思いつつ、俺は歩き始めた。すると、

「今日は早く帰りなさいよ! みんな待ってるんだからねー」

 希が大きな声でそう言った。まったく……まるで母親みたいなことを言いやがる。家でしていることを考えれば、希が母親みたいなもんだが。




 静かに、駅までの道を歩いた。ふと腕時計の時針を見ると、7時17分。春の朝は若干肌寒く、まだまだ長袖でないと歩くのは厳しい季節。それでも、太陽に暖められた柔らかな大気が流れるのを感じると、どこからともなく桜の香りがしてきて、始まりの予感を感じさせる。新しい生活とか、新学期とか、入学式とか、卒業式とか。出会いと別れが各地で起こるこの季節独特の香りは、今の俺には少しだけ寂しさを感じさせる。それはきっと、一人でいるからなのだと思う。

 家の中での俺――家族、妹たちと一緒にいる時の俺と、こうして一人で歩いている俺とでは、何か大きな壁があるような気がした。時折、自分が自分でないような、そんな感覚に陥る時がある。

 家と、外。鏡の内側と外側。カードの表と裏。

 どちらも“俺”なんだろうけど、いつからか、それがとても曖昧になってきていると思う。高校生になった頃か、若しくは、現実から逃げたいと思い始めた時からか。



 ――凶暴な子供だ――

 ――本当に東の息子か――



「…………」

 空を見上げると、青い景色は黒い電線で何分割かされている。その線引きの上で、小鳥たちがそれぞれの思うままに音を鳴らしていた。一匹飛び立って、また一匹やって来て。そして、たくさんの集団になって、いつの間にかみんな同じ向きで、あちこちに首を動かしながらさえずり始める。

 駅に着いて、いつものように定期を改札口の読み取り機にかざし、ホームに入る。既に構内には俺と同じ制服を来た学生や他の学生、スーツを来て新聞を読んでいるサラリーマン、スマートフォンの画面をずっと見ながら指で操作し続けているOLなどで溢れていた。その中にでも、団地内にいたのと同じような小鳥が、あちこちにいる。

「まもなく、~~行きの電車が参ります」

 俺がいつも乗る電車のアナウンスが鳴る。7時25分、これから40分ほど電車に揺られることとなる。いつものことだが。



 学生やサラリーマンで座る場所のないこの電車で、俺はいつも窓際の方に立って外を眺めている。できれば座って少しの間だけでも寝ていたいが、寝過ごしてしまう可能性がかなり高いため、空いていても座らないようにしている。

 元々は、希と同じ高校に行くつもりだった。俺と希は中学生の時、成績が良かったので担任から区内で一番の進学校である三瀬高校を勧められていた。しかし、当時――今もそうだが、母さんがああいった状態のため、希は地元の高校に行くことを望んだ。俺も理由は同じだったが、少し、離れてみたいと思っていた。理由はたくさんあるが、それがいろいろと絡み合い、複雑なものになってしまっているのだ。

 親父のこと、母さんの病気。家族のこととか、昔のこと。他人との隔たり、自分の性格。そういった様々な要因が多種多様な色を持っていて、自分の中でせめぎ合っている。

 家から離れたいと思う自分と、そうでない自分もいる。だから今、俺は他人から見れば明るくはないのだと思う。


 今日も一日が始まって、退屈な授業が始まる。かなりの進学校のためか、授業が始まるとみんなは一斉に教科書の文字と、黒板とを交互に睨めっこを始める。またこの光景を、あと8時間くらい続けなければならないのかと思うと、ため息が漏れた。

 俺はいつものように教科書を適当に開いて、新品のままのノートを置き、窓の外を眺める。こういう時、窓際の席でよかったと心底思う。

 今日の空も青いな――と思い、白くふわふわした雲がゆっくりと、着実に動いていて、飛行機雲がこの青と白のキャンバスを突っ切るように、白い線を残していく。飛行機が俺の視界からだと、ほんの数センチほどしか動いていないように見えても、実際には何百メートル、何キロも進んでいるのだろう。もし、俺の指先であれが動かせるなら、それは空間というものを無視した存在なのだろう。若しくは、とんでもない巨人か。

 まずい……そんなことを考えていると、眠くなってきた。朝が早いもんだから、午前中の授業はほとんど聞いたことがない。そろそろ先生に怒られてもいい頃だろうに……。





「望は、どんな大人になりたい?」

 誰かが俺に訊いている。これは、幼い頃に聞かれた内容だったと思う。

「父さんみたいな人!」

 元気よく答えるさまは、今の俺にはない素直さがあった。いつの間に、そういった純粋な心が消えてしまったのだろう。

「そうか……。強い男になれよ。妹たちを、守れるように」

 大きな手で、幼い俺を優しく撫でる。父さん――親父は、いつもどこか遠い目をしていた。感情的にならず、いつも微笑んでいた。親父と母さんは、似た者同士だと言われていた気がする。

「父さんがいない時は、望が母さんを守るんだ。頼むぞ――」





 トントン、と肩を軽く叩かれた。

「東くん、東くん」

 重いまぶたを開けると、それと同時にガヤガヤとした同級生たちの声が耳に入ってきた。授業が終わって、休憩時間になったのだろうか。

「東くん、もうお昼だよ」

「……え?」

 昼だと? 俺の聞き間違いだろうか。まぶたをこすりながら周囲を見渡してみると、同級生たちはそれぞれ弁当やパンなどを出し、他愛のない会話をしながら食事をしている姿が見える。

 俺、まさか午前中の授業、ぶっ通しで寝てしまっていたのか……。いやはや、俺も然ることながら、そんな俺を起こそうとしない教師も教師だな。どうも、ここの学校の先生は俺に対して放任主義すぎる気がする。中学時代の時のように、少しは言ってくれないとまずいと思うのだが。

「そっかぁ……起こしてくれてありがとう」

 俺は頭をかきながら、起こしてくれた女子に言った。

「いいいよいいよ。ところでさ、一緒に昼ごはん食べない?」

 と、その女子はニコッと笑顔で言った。

「え……まぁ、別に構わないけど」

 俺は思わずそう言ってしまった。つい起きたばかりで、適当に返事してしまうからだ。とはいえ、断る理由もないから構わないのだが。

「ありがとう! あのさ、ちょっと聞きたいんだけど……」

 了承されたとわかったからか、その女子は俺の前の席の人の椅子をこちらに寄せ、背もたれをこちらに向けたまま座った。……まずい、名前がわからない。クラスに40人もいるし、新学期でほとんど知らない人だから余計にだ。

「東くんっていつも弁当だよね。自分で作ってるの?」

 彼女は自分のカバンから弁当を出し、俺の机に置いた。

「いや、俺は作ってないよ。いつも妹が作ってくれてる」

「へぇ、そうなんだ。妹、いるんだ。ちょっと意外かも」

 と、彼女は小さく笑った。

「意外かな?」

「うん。なんとなくね」

 なんとなく……というのは、どういう意味なのだろう。まぁたしかに、我ながら面倒見のいい性格には見えないし、何よりほとんど一人で行動しているから、彼女や他の同級生にも俺の情報は入って行ってないのだろう。

 俺は自分のカバンから葵が作ってくれた弁当を取り出した。いつもは希が作ってくれているので、葵がどんなものを作ったのか楽しみではある。

 俺はそう思いつつ、弁当箱を開けると――


「――!?」


 驚愕した。あまりの可愛らしいおかずとご飯の配置、そして色使いに。これは凡そ、高校生の弁当とは思えぬほど。まだ半分しか開いてはいないが、その段階でそう思ってしまうのだ。全て開くと、それはもうすんごいことになっているに違いない。これを、女子のいる前で全て開くわけにはいかない。ある意味で、俺のイメージというか、何かそういうものが崩れてしまいそうなのだ!

「ご、ごめん。ちょっと急用を思い出した!」

「えっ、ちょ、東くん!?」

 俺はおもむろに弁当箱を掴み、駆け足で教室を出ていった。名前も知らぬあの女子には悪いが、この弁当箱は俺一人で、黙々と噛み締めながら食べなければならない。


「あぁ……折角、最初の掴みがうまくいきそうだったのにぃ……」








 思わず来てしまったのが、屋上。本来ならば入れないのだが、なぜか昨年度末……約2ヶ月前に、屋上が解禁になった。それも生徒会の取り決めで。生徒会新聞というものがこの学校にはあり、たまたま目を通していたら、隅に「南校舎の屋上、解禁にしました」との文字があったのだ。その日に、疑心暗鬼ではあったが行ってみると、本当に開いていたのだ。それから、俺はたまにここで過ごしたりしている。俺以外に学生はおらず、おそらくではあるが、みんなあの新聞の内容を信じていないのではないかと思う。

 俺は校内と屋上を繋ぐ出入り口付近に腰を下ろし、小さく息を漏らした。よし、弁当をきちんと全部開くぞ……と、俺は覚悟を決めた。なんだかそれは大げさな気もするが。

 恐る恐る開けると、そこにはとても可愛らしいお弁当が……。おにぎりと海苔でパンダができていて、ウィンナーは足の大きさが不揃いなタコさんになってて、ご丁寧に目と口まで作られている。他のおにぎりをよく見てみると、キティちゃんのような顔をしていて、ハムでリボン、野菜で緑色の服みたいになっているが、あまり似てはいない。卵焼きは……半分ほど焦げていた。これはやはり、課題の品かもしれんな。

 でもまぁ、一生懸命作ってくれたんだよな。早起きして。そう思うと、我が妹ながら愛おしくなってくる。

「いただきます」

 俺は手を合わせ、頭を大きく下げた。今までのいただきますの中で、一番丁寧に合掌した気がする。

 俺はおにぎりをつまみ、口に入れた。……うむ、辛い。ちょっと塩が多すぎる気がするが、可能性に期待したい味だ。とてつもなく崩壊したものでないから、ホッとしたのは言うまでもない。

「……でもまぁ、量的に物足りないのは否めんなぁ」

 いつもの弁当箱ではあるが、たぶん葵は自分を基準に考えたのだろう、量はいつもの三分の二くらいだ。

 おにぎりを頬張りながら、上空を見上げる。昼の青空は、朝と違ってのどかな雰囲気を世界中を満たしていた。こういった空間の中で食べる昼食というのは、如何にそこが平和であるかを物語っていると思う。安心してご飯を食べられるのだから、妹に作ってもらった弁当をこうして笑顔で食べられるのだから、平和じゃないはずがないのだ。


「可愛いお弁当ね。誰に作ってもらったの?」


 上から声が聞こえた。俺が腰をかけている出入り口の建物の上から、一人の女子生徒が顔を出していた。髪の毛が重力に引っ張られて、垂れ下がっている。

「……え?」

 俺は頭を傾げるしかなかった。なんであんなとこに女子が……? すると、その女子は顔を引っ込め、備え付けられているハシゴを使って、こちらに降りてきた。最後はぴょんと降り立ち、汚れを気にしているのかスカートを手で叩いていた。

「それ、君が作った弁当じゃないでしょ? 流石にさ」

 と、女子は笑って言った。そういう解釈は非常に助かる……。

 ふと、俺は思った。そう言えば、この人……どっかで見たことがあるような気がするんだよな……。学校の行事とか、そういうものでいつも姿を見ている気がする。同級生とかではないはずだが。

「妹? 若しくは彼女とか?」

 いつの間にか、女子は俺の近くにまで来て弁当を覗いていた。思わず、俺は弁当を自分の後ろへと見えない位置に隠した。他人にジロジロ見られるものではない。ましてや、せっかく葵が作ってくれた弁当だってのに。

 俺が隠したもんだから、女子は怪訝そうな表情を浮かべて、少しだけ首を傾げた。

「あんた、誰ですか?」

「……君、敬語使うくせに、“あんた”はないでしょ」

 言われてみればたしかに。しかし、初対面なんだからそうなってしまうのもしょうがないと思うのだが。

「――あ」

 と、俺は声が漏れた。そうだ、思い出した。どこかで見たと思ったら、生徒会だ。特に何もしないと評判の……。

「人の顔を見て硬直するなんて、失礼よ君」

 その女子はそう言って、俺をじろっと睨んだ。

「あぁ、すんません……」

 たしか古臭い苗字だったような……なのに名前は、今風というちょっと変わった感じだった気がする。

 考え込む俺を見てハッとしたのか、女子は「ごめんごめん」と言いながら苦笑した。



「私、近衛凛夏。一応、生徒会役員なんだ。思い出した?」

 彼女はニコッと笑った。どこか照れているような印象を受けた。





 近衛凛夏――

 彼女とこうして出逢ったのは、大気の中に冬の寒さをほんの少しだけ孕んでいる、穏やかな4月中旬のことだった。


 俺はこれから、今までの人生のように「普通」な人生を歩むことはなかった。それはたくさんの歴史、真実、そして自分が追わなければならない“現実”と対峙することの始まりだった。


 遥か古の記憶に沈んだ、二つの螺旋の意志と約束――

 それはゆっくりと、始まりの音を響かせようとしていたんだ。



「今日は気持ちいい天気ね。昼寝日和だわ」

 そんなことを言いながら、彼女は微笑みながら大きく体を伸ばした。まるで動物のように。

 そして春の風に誘われ、彼女の長い髪が緩やかになびく。


 始まりと、終わりの季節。それが春なのだ。



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