理想と現実と理由
翌日の夕方、玄関の扉を開けると甘い香りと、カモミール? の匂いが流れてきた。 足元にはもちろん靴が二足ある。キレイに揃えられた理佐ちゃんの靴と、相変わらず脱ぎっぱなしの妹の靴。
……面倒だからって言いそうだけど、そろそろきちんとした方が良いぞ?
いつものようにカバンを置き、着替えてから奥に向かうと、満面の笑顔の二人が仲良く座っていた。
二人のいるダイニングテーブルには、三人分の少し不恰好でとてもカラフルなケーキと、紅茶がセッティングされていて、アールグレイの香りが鼻孔をくすぐる。なるほど、カモミールの正体はこれだったのか。
「ケーキ出来たんだ。」
「ほら、おねぇちゃん座って座って。」
「どうぞこちらへ。」
急かされて私が席に着くと、早速食べ始める二人。どうやら私が帰るまでは、おあずけ状態で我慢していたらしい。……その様子を想像すると、あまりにも可愛すぎる。
ごてごてしたクリームにフォークを刺し、一口分掬って口に入れると……衝撃を受けた。甘くなくぬるいクリームと、大量のカラースプレーの組み合わせは摩訶不思議だ。次にスポンジを口に入れると、少々甘めだがまずまずの出来栄えだ。さすが私……なんてね。
前に並ぶ二人を見れば、微妙な表情を浮かべている。本当に可愛いなあ、まったくもう。
「美晴さん、ご相談があるんですがいいですか?」
最後のケーキを紅茶で流し込んだ頃、理佐ちゃんがやたら丁寧に訊いてきた。
「どしたの、改まって?」
そのとても真剣で前のめりな様子に、私は思わず身構える。こういう時は無茶な事を言い出すのがセオリーだ。私だって、母にお願いがある時は、こんな感じに下手から切り出す。
「うちのお兄ちゃんが情けなさ過ぎるんですけど、あれ……どうにかなりませんか?」
ほーら無理難題だ。
それは彼女が常日頃から言ってる事だけど、所詮は聡太くん本人の問題であって、回りの人間がいくら騒いだ所でどうにもならない。
「どうにかって言われても、彼は一般的に良く出来た部類の人間だと思うんだけどな。」
運動は……まあ、得意では無さそうだが、学業は優秀。しかも、なかなかの努力家ときた。少々人が良過ぎの所があるけど、優しげで人当たりが良いのは大きな長所だ。気弱な中身は難だが、金になる外見をしている。そんな兄を持つこの子は、この上一体何を求めると言うのだろう? 完璧な人間ってのは、きっといない。
「でも、気が弱いって言うか、押しが弱いって言うか、とにかくはっきりしないじゃないですか? 私としては、もっとしっかりしてて欲しいんですよ。勉強出来ても運動出来ないのって、何かひ弱だなって思いませんか? 私は男らしくてスポーツ万能の兄が欲しかったんですよ!」
男らしいスポーツマンが理想と言うなら、それは確かに……聡太くんとは完全にタイプが違う。そこまで求めてる方向が違うとなると、もう改善とかいうレベルでは無い。家での彼はそんなに情けないんだろうか? でも私から見れば、彼は今のままでも十分面白い。たぶん本人は嫌がると思うけど、そこがいいんだ、そこが。
結局、彼女の言ってる事は『無いものねだり』なんだろうな。って思う。
「えーっ、聡太くんはカッコイイと思うよ。じゃないと写真なんか売れないよ? ……まぁ私のタイプじゃないんだけどさ。」
和歌奈、それ同感だけど全くフォローになってない。
「外見なんて別にどっちでもいいんだって、結局最後は中身なんだよ?」
「うん、もちろん中身は大事だよ? 優しいってのは必須条件だし。でもさ、やっぱり見た目も大事だと思うな。それから、お金持ってるとか、頭が良いとか、プラスの要素が増えるのは良い事だと思うよ?」
理佐ちゃん、どうしてそんなに悟ったような事言ってるの? 和歌奈、お前は欲張り過ぎだ。
それからしばらく、好みのタイプについて二人で論議していたが、微妙に意見が重なる部分はあるものの、大部分が平行線の意見は終わりが無く、埒が明かない。
「とにかくっ! 理佐ちゃんの理想の兄ってのは……つまり、さっさと告白してしまえって事なんでしょ?」
延々論議した所で、結局の問題はここなんだ。
聡太くんと葵はもうずっと両思いなのに、依然としてくっつかない。見ている方が苛付くから、男ならさっさと告白してしまえ! と、そういう事なんだ。
「そうなんですよ、いつまでうじうじしてんだって話ですよ。」
言葉はきついがこれも兄を思う形なんだろう。……しかし、本当に彼も大変だな。こんな所で家族と部外者から、こんな扱いを受けているなんて思ってもいないだろう。
「でもさ、見てる方は結果が分かってるのに、本人達がわかんないのはどうしてなんだろうね?」
「和歌ちゃんそうなの! だから見てて苛々するのっ!!」
妹の疑問に理佐ちゃんが、そうだとばかりに声高に訴えた。うん、それはそれで分かるんだけどさ、でもたぶん違うんだな。
「それはさ、きっと当事者だからだよ。自分がどう思われてるかってのと、どう思われたいかっていう間にいるから、客観的な見方ができないんだよ……たぶん。」
私は彼らじゃないから推測しかできない。だから『たぶん』だ。もちろん性格もあると思う。もし航であれば後先なんか考えずに、先ず動く。例え結果がどうであろうと、それはその時考えればいい。あいつはそういうやつだ。
でも聡太くんはそうじゃない。彼は石橋を叩いた後も渡るのを躊躇するような、慎重で臆病なタイプだ。だから今の状況でも、平気でいられるんだ。
「聡太くんが、その気になるまで見守る。……って事でいいんじゃない?」
理佐ちゃんはとても不服そうだけど、私は手を貸す気なんて更々無い。世の中には、自分で頑張らなきゃいけない時ってのがあるんだよ? 告白なんてその最たるものでしょ?
「これで終わり。」
私はそう締め括った後、完全に冷めてしまった残りの紅茶を、一気に流し込んだ。そして、やっぱり牛乳が欲しかったな……と、ミルクティー派の私は思った。
「葵、次の金曜日泊まりに来れる?」
文紘さんの集客作戦の日が近付き、教室を出てすぐ葵に声をかけた。さすがに夜に出て来いというのは、向こうの親への体裁が悪いので、うちに泊まってもらうという手段を使う。
「たぶん大丈夫だけど……何があるの?」
次の授業は、特別教室が集まる3号棟の理科室で行われる。そこへと向かう連絡通路を歩きながら、彼女はパッと目を輝かせた。これまでにも何度か使った事のある手なので、とても期待をしてるらしい。
「うん、なじみの喫茶店で生演奏するんだって。クリスマスコンサートって感じでさ。で、是非友達も連れておいで。っていう指令。」
「ふーん、何やるの?」
残念ながら、それは教えてもらってない。しかし、予習させられたくらいなのだからクラシックではあるんだろう。
「音大生の演奏だって言ってたけど、多分クラシックやると思う。曲目とかは聞いてないけどさ。」
たぶん尋ねても、文紘さんは教えてくれない。当日までのお楽しみとか、内緒とかって、はぐらかされるような気がしている。
一階へと階段を下りながら、しばらく黙って考えていた彼女は、不意に念を押すように訊いてきた。
「んー、それ夜だよね?」
「うん、そうだけど。」
「じゃあ行く。」
一体何を考えていたんだろうと思うほど、その結論は早かった。
……そっか、夜に遊びに出られたら何でもいいんだ?