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不思議な人。  作者: 薄桜
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1パックのタマゴの縁

 『間に合えっ!!』そう願いながらペダルを踏む足に力を込め、スピードを上げる。充実感と引き換えになった時間というのは、家計にとって実は大きい。

 スーパーの駐輪スペースに滑り込むと、急いで施錠し売り場に走る。入り口でカゴを掴み、出来る限りの早歩きで売り場に向かう。豆腐は余裕! 冷蔵の棚から2つ取って、その奥にあるタマゴ売り場に急ぐ。

 ……けどアウト。残念ながら間に合わなかった。あと少しという所で、最後の一つを目の前で持っていかれた。


 1パック88円。同じ数で違うパッケージのタマゴなら、隣りに大量に積まれてるけど198円なんて書かれてるから、手を出すのに抵抗がある。でもなー、タマゴが無いと色々困るんだよな。

「あれ? 美晴ちゃん……だったよね?」

 タマゴの前で、買う買わないをグルグル悩んでいる所に名を呼ばれ、呼んだであろう人物に視線をスライドさせた。あー、覚えてはいる。

「えーと、マスターのお孫さん?」

 ごめん。覚えてはいるけど、名前までは覚えて無かった。さすがに年上の人間にこの呼び方は無いなって思うけど、失礼ながらこれしか出て来なかった。

 ……私も史稀の事を言えた義理じゃないな。

北川文紘(きたがわふみひろ)です、文紘って呼んでね。」

 彼も気に入らなかったのか、微妙な表情で訂正する。まぁ当然か。

「ははは……文紘さん(****)すみません、今度はちゃんと覚えときます。」

「いや、責めてる訳じゃないんだけどさ。それより、何でタマゴの前で百面相してんの?」

 は? 百面相??? 

「そんな事してませんって!!」

 タマゴを買うか買わないか悩んでいる姿はそんな風に見えたのか? だったらそれは相当恥ずかしい。

「んー、じゃぁひょっとしてこれかな? もう無いみたいだもんね。」

 彼はカゴからタマゴのパックを取り出して見せた。もちろんそれはタイムセールの品で、私は思わず凝視してしまった。人様の取り分を狙おうだとか意地汚い事を考えてた訳じゃなくて、こんな人もタイムセールで買うんだなと、外見とのイメージのギャップに驚いただけだ。

「……ええ、そうなんですけど、ちょっと来るのが遅かったみたいで。」

「じゃぁ、どうぞ。」

 そして差し出された88円のタマゴ。非常に魅力的ではあるものの、微笑む彼に私は困惑した。だからね、人様の取り分を狙おうだなんて事は考えて無いんだってば!

「何でですか?」

「ん? 遠慮しなくていいよ。でもその変わり、またお店に来てね。」

「営業ですか!?」

「そういう事。」

 ギブアンドテイク。なるほど……。

「そういう事なら遠慮なく頂きます。」

 渡されたタマゴを割れないようにそっと受け取ると彼はまた笑った。

 この人はこの顔で色々得をしてそうだ。葵や聡太くんもキレイな顔してるけど、不器用で色々ある。でも彼は、顔の作りだけでなく愛嬌まで兼ね備えてて、たぶん世渡りが上手なんだろうな。と、何となく思った。私もそんなに器用な人間じゃ無いから、少しだけ羨ましい。



挿絵(By みてみん)


「じいちゃんはさ、あの店もう趣味でやってるからそんなに稼ぎ無いんだよ。だから、もっとお客さん増えてくれないと、俺の給料分捻出できないんだよね。」

 タマゴ売り場から、牛乳目指してゆるゆると移動しながらそのまま二人で話す。そんな気はしてたけど、やっぱりマスター趣味だったのか? 常連さん達の憩いの場ではあるものの、その分新規の客はあまりいない。ずっと入り浸ってる訳じゃないから、半分以上イメージだけど。私の行った時に知らない顔ってのは滅多に見ない。

「大手や外資は強いんですか?」

「それはまた大きく出たね、でもまぁそういう事なのかもね。小さな喫茶店より大型チェーンの方が入りやすいんだよね。常連さんも大事だけど、そればっかりじゃ新しいお客さんは入れない。それに長話ばっかしてると回転率が問題だよね。本当、新しいお客さんにも来てもらわないと先はジリ貧かなってさ。」

 そう語る彼は、とても真面目に店の事を考えている。就職失敗して押しかけたとか言ってたけど、それは冗談めかしていただけで、本当の所は違うような気がする。『店を引き継いで、続けて行きたい』そんな決意が見えた気がした。

「だから今、集客作戦考えてんだけど、何か無いかな?」

「おー、面白そうですね。」

「そう?」

 賛同されて悪い気がしなかったのか、嬉しそうな表情を見せる。彼がこの顔であそこにいるだけで、一部の層の集客効果は十分にありそうだ。

「とりあえず、外から見える位置に文紘さんが居れば、イケメン好きの女の子や、若い男の子が好きなおばさんだけは増えるんじゃないですか?」

「……ねぇ、それ素直に喜んでいいのかな?」

「もちろん。間違いなく褒めてますよ。」

 言い方が直接的過ぎたのか、にこやかに言ったのに複雑な顔を返された。看板娘じゃないな、息子? の効果はきっとバカに出来ない。

「面白い子だね。」

「はい、似たような事はよく言われます。」

 ついさっきも、史稀に『変なやつ』と言われて来たばかりだ。私は別にそれを嫌だとは思わない。むしろ褒め言葉だ。その方が普通と言われるよりよっぽど良い。

「あ、でも今の雰囲気壊すと怒られますよね?」

「そこなんだよねー。」

 彼は、顎に手をやり眉根を寄せる。そして極端な事を言い出した。

「流行りものだからって、メイドとか駄目だよねー?」

「それは完全に店が変わってるじゃないですか? 怒られるとか通り越して、常連さん近寄れなくなりますよ?」

「やっぱり駄目か。」

「ある意味面白そうですけどね。けど、それ人件費かかるんじゃないですか? あ、文紘さんがメイドやるとか?」

「高校ぐらいの時ならまだしも、今この体格じゃ女装は自信がないなぁ、執事でいい?」

 女装を勧めても怯みもせず軽快に返事が返って来た。この人は相当ノリがいい。そして、話術が巧みそうだ。『敵に回してはいけない』本能的にそう思う。

「格好だけなら平気かもしれないですけど、旦那様とかお嬢様って言ってると、確実に引かれるんじゃないですか?」

 常連=マスターのお友達。つまり年輩者の多い常連さんは、どれだけの許容範囲があるのだろう? うちの母は面白がってこき使いそうな気もするが、それは完全に少数意見だと思う。

 そして私もそんな変化は望んでない。勝手な感傷、勝手な意見だという自覚はあるけど、家族の思い出である通い慣れた場所は、そのままであって欲しい。

「だよねぇ……。」

「あ、ちょっとすみません。」

 話している途中、不意にコートのポケットが揺れた。取り出した携帯は「ワルキューレの行進」を鳴らしている。着信だ。

 二つ折りのそれを開くと『和歌奈』と表示されていて、思わず時間を確認した。右上に表示された18:21という文字に、そのまま切ってしまおうか? なんて考えが過ぎるものの、それをやるときっと後が怖い。

 その間にも徐々に大きくなっていく音量に、私は諦めて通話ボタンを押した。出なくたって何を言われるかくらいは想像がつく。絶対に遅いっていうお叱りの電話に違いない。

『おねぇちゃん遅いっ!!』

 耳に当てるとすぐに妹の大きな声がして耳から離した。お願い、もっとボリューム考えて欲しい。

「ごめん、ごめん。」

『もー、お腹すいたよー? おねぇちゃんいつまで買い物してんのー?』

「分かったから、分かった。早く済ませて帰るから待ってて、じゃ。」

 さっさと話を終わらせて、一方的に電話を切った。長引いた所で『遅い』と『お腹がすいた』以上の言葉はどうせ出てこない。空腹でカリカリするの何とかならないかな? って思うけど、そういう子供っぽい所が姉としては嫌いじゃないから何も言わない。

「ごめん、随分時間食っちゃったかな?」

 そう謝った文紘さんも、携帯を出して時間を確認していた。結局10分くらい立ち話をしてたのかな? でも、謝られるような事じゃぁないんだな。

「いえ、文紘さんのせいじゃないですよ。実はここに来る前に、もう道草しちゃってるんですよね。……私、普段から寄り道多いから、妹にはよく怒られてるんです。」

「あぁそうなんだ。何か想像付く。」

 ……もしもし? 何を想像して笑ってるんですか?

「でも美晴ちゃん偉いよね、自分が忙しいから家事のほとんどをやってくれて助かるって、お母さん言ってたよ。そんなの今時なかなかいないよ?」

 母さんってば余計な事を……。

「別に偉くなんか無いですよ。その方が効率が良いだけです。」

 本当にこれが全てだ。

 私は別に特別な事をしているつもりは無い。家の事は家族の誰がやったっていい。母さんは外で仕事をしてるから、時間のある私がやっているだけだ。それに私は美味しいご飯が食べたい。だから妹に任せるのは安心出来る範囲でのみだ。『偉い』とか『凄い』と思われるのは違うと思う。そしてとても苦手だ。

「ところで、クラシック好きなの? それともワルキューレ限定?」

「はい? たぶんクラシック全般好きですよ。専門的に勉強してるわけじゃないから、 詳しくはないですけど……。」

 一つ前の質問からの急激な変化に、質問の意図を量りかねる。駄目だな、やっぱり彼の方が一枚上手だ。

「そっか、美晴ちゃんありがと。おかげでちょっといい事思いついたよ。」

「おかげって、何もしてないですよ? 所で、どんないい事思いついたんですか?」

「まだ内緒。ちゃんと形になったら教えてあげる。だからまたお店に来てね。」

「はぁ。」

 ほくほくとした表情ってのはこんなのかな? そんな事を考えて彼を眺めていると、手にした携帯がまた鳴った。

「今度はラ・カンパネラか。メールかな? 早く帰ってあげないとね、」

 正解。この曲はメールの着信だ。

「……そうですね。」

 彼の予想に違わずそのメールは妹からで、内容はタイトル無しの『お腹すいたのー!』の1行のみ。本当に夕飯を急がなくてはいけないらしい。


 乾いた笑いを漏らした後、私は彼と分かれて残りの買い物を急いで済ませた。そして帰宅後、腹ペコ怪獣の妹に、散々文句を言われた事は言うまでも無い。

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