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不思議な人。  作者: 薄桜
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彼の見ている世界はどんなものだろう

 それから一週間。彼と私は相当縁があるようで、毎日のようにその姿を見かけた。

 いつも彼は何かをじっと見ている。神社の下の池や、河川敷の岩、公園の木に、港の側で海を眺めている事もあった。やっぱりよく分からないけど、ずっと共通する何かを見てるんだろうか? それとも毎回違うのかな? 何のために見てるんだろう? そして何を考えているんだろう? とにかく私は、それ以外の姿をまだ見ていない。

 その姿を見かける度に、気になって気になって、最後にはイライラする。彼も私も暇人だなと正直思う。けど、そのくせ一方では探し物をするゲームみたいで面白いと思う自分もいる。おかげで最近は、どこに行っても彼がいないかと目で探す癖がついてしまった。

 でも、もちろん見ているだけでは、私の好奇心が満たされるはずも無い。

 見ているだけでは理由は分からない。

 だからその理由を訊くために、そして自分自身の精神の安定のため、思い切って彼に声を掛けてみる事にした。



 今日の彼は、うちのマンションから程近い川土手でじっと空を眺めていた。

 ここは登下校時にいつも通る道で、脇には等間隔で桜が植えてある。春には見事な花が咲き誇る道。しかし今のここは、残念ながらただの立ち木が並ぶ川土手でしかない。おまけに灰色の曇り空に、赤く染まる葉が少しばかり残る程度の木々という組み合わせは、どこかもの悲しさすら感じる。

 しかし彼は、そんな木の一本に寄りかかって、どんよりした空に険しい顔を向けている。本当に何をしてるんだろう? 私は彼の側で止まると、意を決して声を掛けた。


挿絵(By みてみん)


「ねぇ、何見てんの?」

 しかし彼はこちらを一瞥したものの、何も言わずに視線を再び空に戻す。どうやら無視するつもりらしい。そりゃ誰とも知れぬ人物に、いきなりそんな事を言われたら嫌かも知れない。けど、何も返してくれないってのは酷くないか?

 謎の人物ってのは面白そうだけど、実は正直苦手でもある。しかも向こうはいつも機嫌が悪そうで、はっきり言って近寄り難い。私は普段ヘラヘラするように勤めてるけど、内心はそうでもないんだ。

「無視しないで教えて。この間から、ずーっと何やってんのか気になって気になってしょうがないの。」

 寒いはずなのに握った手のひらには汗がにじむ。私だって結構な決意で声を掛けたんだぞ? そりゃ私が勝手にやってる事だけど……でも、ここで諦めたら私はずっと答えが得られない。そしたらずっと分からなくて、このイライラも治まらない。それは絶対に嫌だ。

「だから、何やってんのか教えてよ。」

 私はじっと彼を見た。空は見てるだけでなかなか楽しいってのに、いつもいつも不機嫌全開みたいな顔してるのは何故だろう? 雲はずっと変化し続けて一度も同じ時は無い。 ずっと空見てるくせに何であんな顔しか出来ないんだろう? それにしても、やっぱり無精ひげはいただけないな。剃ればいいのにって本当に思う。

 やがて彼は根負けでもしたか、諦めたようにこちらを見て溜息を吐いた。ようやく話してくれる気になったか? と、そう内心でほくそ笑んだものの、喜ぶのはまだ早かった。

「空。」

彼の答えは、期待外れも甚だしい。

「空なのは見れば分かる。そんなにじーっと見て、何が見たいの? 何考えてんの?」

 年下だと思って、いや、女だと思ってバカにされてるんだろうか? それとも実は空の観察するのが仕事だとか? いや、そんな事はないだろう。彼が見てるものは、私が知る限り空だけではない。

 きっと今の私は彼を睨み付けているんだと思う。こういう扱いを受けるのは、もちろん好きじゃない。場合によっては笑顔を押し通す事だって出来るけど、今は何となくしたくなかった。すると彼はもう一度溜息を吐き、またよく分からない事を言ってくれた。

「……目に見えるものと、目に見えないもの。」

 はい? それは禅問答か何かなのか?

 そうか分かった。そっちがやる気なら私はとことん付き合ってやる。物好きだと自負する私のやる気は、俄然湧いた。闘志という言葉に置き換えたって間違いじゃない。

「目に見えないものって何?」

 私は彼を真っ直ぐ見据えて問いかける。

「さあ? まだ見えないから分からない。」

 しかし彼は、こちらを見ようともしてくれない。

「どれだけ見れば、見えるようになるの?」

「さあ、どのくらいだろうな? 俺も知りたい。」

 そう言った彼は薄く笑った。自嘲だろうか? それとも少しはこちらに興味を示してくれたのだろうか? ならば。と、私は質問の種類を変えてみた。

「そんな格好で寒くないの?」

 急に話題が変わって空回りしたのか、片方の膝が抜け少し体がずり落ちた。よしよし、乗ってきてたんじゃないか。ようやく私のペースに載せた確信が持て、今度こそ内心でほくそ笑む。

「寒い。冬は寒いのが当たり前だ。」

 体勢を立て直して不機嫌な声を出す彼の格好は、黒いシャツの上に茶系のチェックのネルシャツだけだ。先日よりはマシではあるものの、まだ見てる方が寒い。まったく、寒いからこそ、暖かい格好をするものだろう? だから私はコートを着て、マフラーを巻いて、おまけに手はポケットの中だ。

 だけど、これで私は完全に興味が湧いた。まったく面白いやつだと頬が緩むのを隠せない。訳が分かんなくって最高に面白い。まるで新しい玩具を手に入れた子供みたいにワクワクする。

 今の彼は目に見えて不機嫌だけど、バツが悪くて拗ねてるだけだ。話しかける前の印象とは随分違って、何だかとても嬉しかった。


 彼が見上げている空を、私も同じように見上げてみる。一面に雲が広がり、太陽はその向こうで薄い光の輪郭を見せているだけだ。

 彼の言う『目に見えないもの』とは何だろう? もし、この雲が晴れて青い空が見えれば、せめて雲の切れ目からその青が覗けば、彼の言うその何かが見えるのだろうか?

 彼の目は依然空に向けられたまま、何も話す気なんか無いとばかりのバリアを感じる。それ所か、私の存在を無いものだとでも考えているかもしれない……。

 でもそんなのは許さない。許せる訳がない! 私は彼に興味を持ったんだ。

「私は大垣美晴(おおがきみはる)。覚えといて。」

 大きく息を吸って一方的に名を名乗る。そしてそのまま家に向かって走った。返事なんか期待してないから、どんな反応だったかなんて知らない。それにどうせ返事なんか待つだけ無駄だろう。


 でも今に見てろ、絶対にそのバリアを破ってやるから!


 けど今は家に帰れば色々とやる事が待っている。ここで油を売った分、夕飯の支度を急がなきゃいけない。

 彼と違って、私はとっても忙しいんだ!!

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