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不思議な人。  作者: 薄桜
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真実を探る会話は興味深いけど結構疲れる

「何でこんな近い場所で、一人暮らしなんかしてるんですか?」

 私の質問に、情けなさそうに顔を歪めた彼女が吐き出した言葉はこうだった。

「そうよねー、本当に近いのにね。でも、本人は家出のつもりなのよ。」

 その言葉には、しっかりと溜息も織り込まれていた。


 医者の家に産まれた彼は、母親から医者になる事を期待されていた。そう、当然のように。けれど子供にしてみれば、そんなのは押しつけ以外の何でもない。

 そしてある日、密かに抱いていた画家になりたいという思いを爆発させたらしい。

 母親との喧嘩はまったくの平行線で、埒が明かないまま家庭内の空気はギスギスしていく一方だった。しかし、それを見かねた父親がようやく仲裁に入り、やっと平和が訪れたのだという。……ちなみに『平和が訪れた』って、お姉さんの言葉を借りただけだからね。

 えーと、父親はとても思い切った事を言い出した。『一年休学して、好きな事をやってみたらどうだ?』って。猶予期間ってやつだよね?

 この折衷案は両方の利害が一致し、あっさりと受け入れられた。と、まぁ……今、彼女から聞いた話を要約するとこうなる。


 私は話を聞いていて、段々居心地が悪くなってきた。何だよ、史稀ちゃんと喧嘩してたんじゃないか。だとしたら私は……言わなくてもいい事を言ったんじゃないか?

 だから罪悪感に苛まれながら考えたのは『どうすれば彼は自由になれるのか?』という事だった。

 『この絵はこの後どうするの?』そう訊いた時の反応は明らかにおかしかった。きっと彼は迷っている。『良い子』の殻を捨て、夢に向かうその最初の一歩が踏み出せずにいるんだ。

 ……たぶんだけど。でも、たぶんそうだと思う。


「じゃぁ、何かハッキリした結果を出せば彼の勝ちですか?」

「勝ち? ……ええ、そうね。芳彰がこのチャンスをモノにすれば、母の鼻を明かせるのは事実ね。あの人は最初から『これで諦めるだろう』って高をくくってるもの。」

 刺のある言い方をしたのが少し引っかかったものの、私はそこに触れる気は無かった。誰だって色んな事情を抱えている。だから史稀は足掻いてて、たぶん私も……そうなんだと思うから。

 史稀は絶対真面目な性格だ。そうでなければ寒空の下、何時間も悩んでいられる訳が無い。真剣に絵を描いている事も、そして今迷っている事も。彼が真面目過ぎるから抜け出せずにいるのかもしれない。今の時間をチャンスと思いながらも、親に否定されてるのを知ってるから、逃げ出した今も捕らわれ続けているのかもしれない。

「彼は昔から真面目だったんですか?」

「あ、美晴ちゃんもそう思う? そうなのよ、すっごく真面目。末っ子だから要領は良いはずなんだけど、自分へのこだわりが大きいのかしら? 自分で決めた事はキッチリ守らないと気が済まないみたいなのよね。」


 その言葉で私は力が抜けたような気分になった。自分の事を言われているような気がして……いや、たぶん要領は良くない。けど、自分で決めた事はキッチリ守りたい。そこは一緒だ。

 私達は似た者同士だったのか? ううん、私の方がずっと臆病者だ。良い子を続けていると辛くなるって、それは随分前から分かってた。ずっと自分を騙しているのは、本当の自分が希薄になっていくような気持ちがして、外側を必死に繕いながら内側は徐々に荒んでいく。だけど、期待された『型』から抜け出すには相当の勇気がいる。だから私は……。


「初めのうちは家にいたんだけどね、母がチラチラ覗いて落ち着かないって、まぁ当然よね。用も無いのに用事の振りしていちいち部屋に来られたらうんざりよね。それであの部屋、うちが賃貸用に持ってる部屋なんだけどね、あそこに逃げちゃったの。普段は人に貸してるんだけと、運が良いのか悪いのか……あの時ちょうど空いてたのよねえ。」

考え事は途中で

「じゃぁ生活費とかはどうしてるんですか?」

「もちろん親持ちよ。」

「それは確かに……家出っぽいけど、大きく違いますね。」

「でしょう? でも時間も限られてるからめいいっぱい打ち込めばいいって、金の心配はするなって言い出したのは父なのよ。」

「そうなんですか? 太っ腹ですね。」

「本当、皆して末っ子に甘いんだから。でも父は将来を押しつけられるプレッシャーを知ってるから、自分も医者の息子だからってね、後でこっそり教えてくれたの。」


 ……なるほど、聞いてしまえば単純な話だ。私の感じていた彼の違和感は、彼自身の真面目さにある。そう、真面目な彼は、きっと生活費を抑えるためにあんな生活をしているんだろう。広い部屋の一部だけで、最低限の設備のままで、手軽な菓子パンで。もちろん面倒だとか家事が苦手だって部分もあるとは思う。けど、一番の理由は1年という期限なんだろう。

 私は笑いたくなった。本当に真面目だなって。


 背もたれに身を預け、めいいっぱい息を吐き出した。最初の緊張感とか私のトラウマだとか、不安な気持ちがいっぱいでここまで来たけど、それはもうどうでも良くなってきた。

「お父さんってスゴイ人ですね。」

 心からそう思う。正直羨ましくも思う。そんな英断が出来る人の病院に父さんは運ばれたんだと思うと、ほんの少しだけど光が差すような思いがした。

 だから史稀もあんなに優しく出来るのかもしれない。だけど『彼も』って付け加えるのは心の中だけにした。口に出すのは何故か照れくさかったから。

「あら、そう思ってくれるの? ありがとう嬉しいわ。少し照れるけどね。」

 ついでにもう一つ分かった事がある。

 このお姉さんは絶対お父さんっ子だ。本当に嬉しそうな顔をした彼女を見て私は確信した。


 彼の家族はきっと幸せだ。ただお互いを思うあまり何かが擦れ違っているだけなんだと思う。微笑ましい……けれど、何故か今巻き込まれて振り回されいる自分は一体何なんだろう? 新たにそんな思いが湧いてきた。皆が思ってる事を言ってしまえば、この家族はきっと全部纏まるはずだ。きっとそれだけでいいんだ。


「けど今のままじゃ、彼はお母さんの思う壷ですよね。」

「さすが美晴ちゃん、よく見てるわね。たぶんそうなるでしょうね。でも……思わぬファクター発生で、これから先が面白くなりそうなのよ。」

 『さすが』と言われたむず痒さを誤魔化そうと、チャイのカップを手に取り。口に運びかけた所でじっと見つめられていた事に気付いた。

「ひょっとして私……ですか? ファクターって、私そんなに重要な位置にいるんですか?」

「ええ、もちろん。美晴ちゃんに言われて悩んでるんだもの、芳彰にとってあなたは最重要人物よ。あ、コーヒーのお替り下さい。」


 彼女は通りがかりのウェイターを突然呼び止め、会話は一時中断された。最初とは違う居心地の悪さを抱えたまま、サーバーから注がれるコーヒーを吸い寄せられるように眺めた。

 正直色々考え過ぎてもう疲れた。驚く事や苛立つ事、感情の揺れが大き過ぎて普段の自分がよく分からなくなりそうだ。それなのに……更に考える事が増えていた。

 一気に流し込んだ残りのチャイは、もう冷たくなっていたけれど、シナモンの香りと甘さは十分だ。思わぬファクター? 最重要人物? 自覚の無い分からない事を考える栄養分くらいにはなるだろう。

 今、私の中には嬉しくて仕方が無い自分がいる。けれどその理由はさっぱり分からない。



「ねぇ、興味本位でなんだけど、教えて欲しい事があるの。」

 三杯目の熱いコーヒーに満足そうな表情を浮かべるお姉さんは、不意に質問を投げかけてきた。期待した話題からいきなり逸れ、見事に肩透かしをくらってしまった形だ。

「何をですか?」

「何で芳彰に付きまとってたの? ってゴメンね、この表現は芳彰のそのままだから。」

慌てて付け加える様子に思わず笑ってしまう。確かにそう思われたって当然だ。

「いえ、ぴったりな表現です。」

「正直姉の私から見て、あの子は良い男じゃないわよ? 絶対面倒だもの。特にあのヒゲ、何に影響されたのか知らないけど似合わないっての。美晴ちゃんもそう思わない?」

 さすがこの姉、容赦が無い。だけど私もその意見には大賛成だ。

「そうですよね、邪魔だと思います。それに最初は本人も邪魔だったんですよ。」

「邪魔?」

「はい。マンションの出入口のど真ん中に突っ立ってて、邪魔だったんです。」

「あー、それは確かに邪魔ね。」

「外の方を向いて、ずーっと何かを見てたんですよ。それが何してるのか分からなくって、気になって気になって。」

「わが弟ながらそれは無いと思うわ、何でそんなのと仲良くなったの?」

「仲が良いのかは分かんないですけど、理由が知りたかったんですよ。何を見てるのか、何を考えてるのかって。」

「……美晴ちゃんって、結構天邪鬼なタイプでしょ?」

「はい、自分でもそう思ってます。」

「もー、こういう子大好き~。」


 きっぱり返すと、少し呆れ気味だった顔は一気に笑顔に変化した。そして、抱きつかんばかりの勢いで捕まり、両手をブンブン振り回された。ちょっと痛いけど……悪い気はしない。

 それから私が史稀の写真を撮ってた理由と、史稀が描いた私の絵と、お弁当の理由とかその辺りを色々訊かれた。隠す理由も無いので全部話してしまうと、お姉さんは楽しそうに笑っていた。


 一通り話が済むと、今度は強引にアドレスの交換をさせられた。『私、美晴ちゃん気に入っちゃった。だから、ね?』って。

 おまけに『宮原さんは他人行儀だから、茜って呼んで。』って、今日会ったばかりの他人に言われてしまった。

 おまけに『年上なんだから気にしないで』って、私の分の代金まで彼女が払ってしまった。おかげでとても落ち着かない。

 結局この人には終始調子を狂わされっぱなしだった。



 一緒に帰ろうという茜さんの誘いを断固として断り、私は一人でブラブラ歩いた。帰ってもきっと妹にあれこれ聞かれる。だけど今はそれに答える気力も、きちんと話せる自信もまったく無い。

 茜さんから聞いた『芳彰』の話は、前から知りたいと思っていた事でとても興味深かった。けれど、酷く疲れた。

 茜さんに中てられたのか、いちいち一喜一憂していた自分に戸惑っていたせいか、そこはよく分からない。


 川土手に差し掛かり、歩く足は自然と止まる。

 桜が綺麗だ……理由はそれだけ。いや、それだけで十分だ。


 朝は冷たかった空気も10時も半ばを過ぎると暖かい。今日は良く晴れていて吹く風も(ぬる)かった。

 ごく薄いピンクの花弁が風に飛ばされて散っていく。その様はとてもキレイで、私はもっとじっくり見ようと芝生に転がり花を眺めた。


挿絵(By みてみん)


 薄いピンクの小さな花の集まりと、空の水色との相性はとても良い。この光景は心に染み入る。今日の天気は最高で、今年の桜を撮らなきゃって、ぼんやりと考えながらポケットの中のデジカメを出そうとした……はずだった。

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