終わり良ければ全て良しってのは本当だと思う
絵を見せられてから一週間が過ぎ、私はある決意を持って史稀の部屋の前にいた。手にはタッパーの入った紙袋。肩にはカメラを掛けている。いつも持ち歩いてるコンパクトなデジカメじゃなくて、母さんのお古のフィルムのやつだ。
史稀の言葉は痛かったけど……だからこそ礼は返さなければならない。もちろん感謝はある。だけど『ありがとう』って言葉が言えるほど、私の傷は浅くない。驚いた顔や、せめて困った顔くらいしてもらわないと、泣かされてしまった私に吊りあわない。だから、どうすれば史稀を驚かせる事が出来るだろう? と、結構長い事頭を悩ませたんだ。
そして今日、ここにいる。
私は何度も深呼吸を繰り返して気合を入れた。だけど、何だか変に緊張してしまう。たかが人の家のチャイムを押すくらい、どうって事無いはずだ。理由だってある。しかも出てくるのは史稀だって分かってる。なのに何故か緊張は無くならない。
もう一度深呼吸をして、ようやくチャイムを押す。たったこれだけの事なのに、私はとてつもないほど勇気を要した。……変だな。
なのに、いくら待っても返事は無い。だから、もう一度改めて押してみたけど、やっぱり返事は無い。扉に耳を当ててみたけど物音はしないし、もちろん玄関の扉も開かない。
……ひょっとして留守? 私、空振り? もちろん約束なんかしてる訳もなくて、向こうの都合は完全無視なんだから、いない事だって当然ありえる……っていうか、本当にいないんだけど。
かなり気を張っていた分、そのダメージは大きい。もう今にも膝から崩れ落ちそうな気分で、私は手にしたペーパーバックの中身を見下した。
……これどうしよう? 置いて逃げるのは……やっぱり駄目だな。冬とはいえ、通路に食べ物を放置しておくのは問題だろうし、何よりこれを見た史稀の反応が見られない。
彼を驚かせるために、せっかくお弁当作って持って来たってのに……どうしていないかなぁ?
今日はいつもより早く夕飯の準備をして、しかもこのお弁当のために、いつもより多く作った。海苔を巻いたおむすびと、玉子焼きと、大根と人参と蓮根の煮物に、鳥モモ肉を焼いたやつ……と、ついでにエリンギも炒めた。
男の人はどのくらい食べるのかよく分からないから、弁当箱じゃなくて、このくらいかな? ってサイズのタッパーに、結構いっぱい詰めてみた。
……だって、彼の食生活はあまりにも酷かったからさ。それに『お人好し』で『世話を焼くのが好き』って言ってくれたんだもんね? それならとことん焼いてやろうじゃないか! って、そう意気込んできたのにな。
……仕方ない、後でもう一度出直すか。
でも、私はこのやり場の無いモヤモヤを抱えたまま、家に帰る気にはなれなかった。だから向きを変え、エレベーターに向かう。肩のカメラを担ぎ直し、深呼吸をして気持ちを切り替えた。
折角こんなカメラを持ってるんだ。写真でも撮って時間を潰そう。空や町並みの写真も良いけれど、こんな時には彼がいい。たぶん今の時間なら丁度帰ってる頃だろう……そうだな、公園辺りで張ってればいいかな?
第一公園から聡太くんを隠し撮りして、スッキリした気分で戻ってくると、珍しい車がマンションの来客用駐車場に停まっているのを見つけた。青い2ドアのBMW? こいうスポーツカー系って、いくらくらいするものなんだろう? って、何となく眺めていると、急にピッという音がして、黄色いランプまで光ったからびっくりした。よく考えればリモコンで開錠しただけなんだけど……突然だったからさ。
気まずい気分で少し離れた……けど、持ち主を待ってみた。電波が届くほどすぐそばにいるはずなんだし、どんな人なのかなって興味本位で見てみたかった。だって、私は庶民だからね。
もう暗くて分かりにくいけど、敷地内の外灯の下をこちらに向かって歩いて来るのは女の人だ。濃い色のスーツをピシッと着こなす、ショートボブの女性。歩く姿は颯爽として、なるほどあんな車に乗ってる訳だと思われた。
でも彼女の後ろにもう一人いる。数歩離れてついて歩くのは、背の高い男性……っていうか史稀だよね、あれは? 俄然興味は湧いたけど、もう少し身を隠せる場所を探して隠れた。何がどうって事も無いはずなんだけど、咄嗟にそう動いていた。
女性は車に乗ってエンジンをかけると、すぐに窓を開ける。
「じゃぁね、ヨシアキまた来るわね。」
あ、史稀の名前分かっちゃった。これは思わぬ収穫だ。それにしても投げキッスって……テンションの高い人だな。
「忙しいんなら、わざわざ来んな。」
でも、飛ばされた史稀の反応はあからさまに悪い。それでも笑顔の女性は一向に気にする様子もない。
「あなたに会うためなら、忙しさなんて何のその。」
「……早く帰れ。」
「もう、ヨシアキってばつれないんだから。」
「あー、うるさい。」
「うん、そうよ。構いたいんだもの。じゃぁね。」
女性の笑い声が、閉まる窓に消えてゆき車は動き出す。車が角を曲がって見えなくなる頃になって、今までずっと不機嫌そうだった史稀が呟いた。
「ありがとな。」
って、もう何それ!? 素直じゃない男だなこいつは!!
彼女がいるなら弁当なんか迷惑だろうし、こっそりこのまま帰ろうかな? って思ってたんだけど……そんな態度なら、あえて言ってやる。
私はこっそり背後に回って、カメラを構えた。そして、出来るだけ嫌味ったらしく言ってやった。
「ヨシアキく~ん、本人に聞こえるように言わないと、意味無いんだよ~!?」
「っ!? ……お前、見てたのか!?」
おまけに、驚いてこちらを向く瞬間を狙ってシャッターを切る。さーて、どんな表情が撮れてるか現像が楽しみだ。
「眩しいな! 一体何の真似だ!?」
史稀……改め。ヨシアキくんは、眉根が寄り不機嫌な表情を作るけど、私の口は弧を描く。
「んー? ヨシアキくんは、私をモデルにして絵を描いた訳だ。だから、私はあんたの写真を撮るの。」
「何で?」
「何でって、これが私の表現方法だから。」
今の私は、自信満々の顔をしているはずだ。嘘なんか一つも言ってない。
「あのね、うちの母親はカメラマンやってんの。だから、私も小さい頃から写真撮るの好きなんだ。」
「だからって、どうして?」
「だからね、写真であんたを暴いてやる! グサグサと刺さるキツイ事ばっか、あれだけ言ってくれたんだもん……イーブンでしょ?」
そう言うと彼は、とても嫌そうな顔したけど、仕方が無いなって、最後にはそんな顔になっていた。
「……好きにしろ。」
「もちろん、好きにしますよ。」
うんうん、なかなか潔い人物じゃないか。
「でもな……」
「何?」
勝った! って私は喜んでたんだけど、まだ彼には言いたい事があるらしい。
「ヨシアキくんは止めてくれ……。」
「じゃぁ、さっきの人が誰かって、教えてくれたら止めてあげる。」
「……お前、いい性格してるよな?」
「うん、もちろん。『傍若無人な振る舞いで人を煙に巻く』って、分析してくれたんでしょ?」
「根に持つな?」
溜息を吐きながら歩き出した彼に、私は付きまとうように後ろを歩く。
「当たり前だ。で、どうするのヨシアキくん?」
「……姉だよ。」
エントランスに入る直前、大きく溜息をついてそう言った。だから、そのまま真っ直ぐ入って行こうとするのを捕まえて、紙袋を押し付けた。
「じゃぁ史稀、これあげる。」
「何だよこれ?」
「んー? 開けてからのお楽しみ? ……って、事にしとく。」
蓋を開けた彼が、どんな顔するのか気にはなるけど、それ以上の収穫があったから、まぁいいや。
それに……考えてみたら、その後どうしたらいいか分かんなくなったんだもん。