こいつはここに住んでいるのか?
史稀にモデルをやらないか? と、言われてから、何もないまま1ヶ月は過ぎた。その間に開いた写真の即売会は、大いに盛況で大満足だ。
被写体の聡太くんは、まだ中学生ながら素晴らしい。元々のファンの同じ中学の卒業生に加え、口コミやこの写真で彼を知った後発的なファンもいる。
元々は冗談で撮ってた彼の写真。だけどそれを知った彼のファンの子達が、是非欲しいと騒ぎ出した……のが、こんな事を始めたきっかけだ。そして男子からは、葵の写真を頼まれた。
まぁ、双方と付き合いのある私にしてみれば、それはそんなに難しい事じゃない。でも、二人には内緒にしてる。二人とも絶対怒るし。
今回は、スペシャルな写真を用意していた事もあり、売り上げは特別良かった。
京都への修学旅行で、母の伝を利用して撮った、葵太夫のコスプレ写真。もちろん安っぽい衣装じゃなくて、向こうで借りた本物の着物。赤と黒と金の豪奢な着物に、簪だらけの頭。メイクもばっちり施され、本人ノリノリで写した写真は、現像して持ってった分だけじゃ足りなくて、予約待ちにまで発展した。
さすが美男美女、二人の人気はスゴイねぇ。けど、今度何かを奢った方が良さそうだ。
……まぁ、あの太夫の写真を撮った時は、私まで太夫の格好をさせられてしまったんだよね。『誰かがポスターのモデルをやってくれるなら格安で』って、事だったのに、見事に母にハメられた。実際にはもう一つ条件があって『私もモデルをやるように』って、そんなの全然聞いてないから!
一杯食わされたのは悔しいけど……でも、良い経験にはなったさ、きっと。それに、その写真は仕舞い込んで、ちゃんと封印したからもう平気。
そんなこんなで、学校は冬休みに入り、年も明け、再び学校が始まってしまったっていうのに、史稀とは全然出会わなかった。
だからもちろん、モデルに誘われるなんて事は不可能で……でも実は、あの誘いは気まぐれで、結局無かった事になったのかな? って、いいかげん諦めかけてきた頃になって、久しぶりに彼と出くわした。
学校の帰りの夕方に、最初に出会ったマンションの一階ロビー……そう、そこはもちろん私が住んでいるマンションなんだけどさ。
とにかく中に入ったら、もう一枚あるガラス扉の向こう側に、黒いコートの史稀が立ってて驚いた。
扉の開く音に振り向いた彼は、私に目を留めるとすぐに歩み寄り、暗証番号を入れなくても自動ドアは勝手に開いた。そして彼は予想だにしない事を言ってくれる。
「お前の絵描いたから、ちょっと見に来い。」
「はぁっ!?」
……描いたって何? モデルって言ってたくせに、私は全然必要無いのか???
「何で描けるの!?」
「いいから来い。」
やっぱりこいつは分からない。そして彼は、私が本当について行くかも確認せずに、自分のペースで歩き出す。もう何? 何でそんなに勝手かな!? そうは思うけど、もちろん私はついて行く。だって行かなきゃ見れないんでしょ? 私はそういう性格だからね。
ただ、さすがに彼の向かう方向はおかしい。
「ねぇ、ちょっと、どこ行くの?」
彼が向かうのは、マンションの外ではなく中だ。ついて来いって言ったくせに、一体どこに行こうと言うんだろう?
「俺の部屋。」
「部屋って……史稀、ここに住んでんの?」
「ああ。」
確かにマンションの入り口、しかもオートロックの内側にいたけどさ……だけど、ここに住んでるなんて、まったく思いもしなかった。だって8年くらいここに住んでるけど、今まで会った事無かったし。
最初にロビーで会った以外は、全部外で見かけていたせいか……いや、そもそもどんなとこに住んでるのかなんて、まったく考えもしなかった。
正直な話、彼がどんなとこに住んでるかなんてどうでも良かった。ただ、あの無頓着な頭やヒゲ、夕方の半端な時間に見かける事を考えると、碌な生活はしてないんじゃないかって気はしてた。
だけどこいつ良いコート着てるんだよな。前を行く彼の背中は、触り心地の良さそうな生地で、縫い目もキレイだ。本当に良い物のように見えるんだよな。以前掴んだグレーのコートを思い出してみても、手触りはとても滑らかだった。
私の知っている事だけでは、まだイメージを合わせてもバランスが悪い。まったく史稀は謎だらけだ。
彼はエレベーターの前を素通りし、迷う事なく階段に向かう。
「ほら、こっち。」
ようやく彼が足を止め、そう言いながら振り返ったのは6階まで上がった時だった。この時の私は息が上がり、足は棒。明日の筋肉痛を覚悟するほどの情けない有様だ。
……だけどこれは、さすがに言い訳がしたい。自分のペースで上がって行くのなら、6階くらい何でもない。だけど、一段飛ばしで上って行く大の男の後を追うなんて事は、もう絶対にやりたくない! しかもこいつ、何かスポーツでもやってるのか、身のこなしがやけに軽い。
だけどさ、先導するなら後ろをついてく者の事を考えてくれ……自分と、帰宅部女子高生の体力を一緒にしないで欲しい。……って、ここうちの真下なんじゃないか?
彼に連れて行かれた扉の場所は、7階に住む私達の本当に真下の部屋だった。ちなみに、表札のプレートには、何故か名前が入っていない。
彼が鍵を開け、扉を開けると少し甘いオイルのような匂いがした。人の家ってのはどこだって、馴染みのない匂いがするもんだけど、ここの匂いは普通じゃない。
つい勢いとか好奇心で、ここまでついて来てしまったけど、いざ実際に入るとなると、やっぱりかなり抵抗がある。自分で言うのもなんだけど、年頃の若い娘が、そんなに簡単に男の家に入って良いものなんだろうか?
そう寸前で一応躊躇したものの……私の性格は好奇心に抗えない。
「お邪魔しまーす。」
だって、モデルも抜きでどんな絵が描けるのかって……ほら、とても気になるしさ。うん、ちょっと見るだけだから。
そう自分に言い訳しつつ、結局は中へと入ってしまった。
この部屋の間取りは、たぶんうちと変わらない。うん、当然なんだけどさ。きょろきょろしながら廊下を進み、まず思ったのは『本当にここに住んでるのか?』って事だ。何と言うか……生活感が希薄な気がする。
このマンション自体、ファミリーを想定した分譲物件……の、はずなんだけど、ここにはその家族の気配が一切無い。
玄関から扉が開いてた部屋を覗いてみたけど、置かれてるベッドには、使われてる感じがしない。あのキレイにベッドメイクされた状態は、家というよりホテルのようだ。
それに細かなものが全然無い。下駄箱の上の写真だとか、些細なメモとか、インテリアの小物はもちろん、玄関マットすら無いし。うちと同じ作りな分、余計に殺風景な印象がある。これならモデルルームの方が、よほど生活感があるんじゃないか?
こいつはたぶん一人暮らしだ。謎がいっぱいの人物だけど、それだけははっきりと確信出来る。
同じマンションの、しかもご近所さんだった事で、油断してたのは確かだけど……でもこうなると、さすがに自分が浅はかだったと思わざるを得ない。
「おい、早く来いって。」
だけど彼は、私の躊躇などお構いなしに奥へと進む。そりゃ、彼にしてみれば自分の家だもんな。
……仕方ない。もうここまで来たんだから、ちゃんとその絵を見てやるさ! あぁそうだ、もう私は腹を括る!! それにどうせ、私が警戒し過ぎているだけだ。彼のこの気遣いの無さこそが、私への関心の薄さを示しているようにも考えられる。
そうと決まれば行動だ。靴を脱いで上がり込み後を追う。そして一番奥の突き当たり、リビングから続く部屋の手前で史稀は待っていた。
そして、その顔には笑みが浮かんでいる。えーと、……何だろう? どうして彼は機嫌が良さそうなんだ???
その珍しい彼の姿に、逆に私はまた不安な気持ちになってきた。
太夫の写真の話は、「写真」って題で書いたので、混ぜ込んでみたんですけど、
詳細を知りたい方は、あちらでどうぞ。
なんて事は、拙くて言えない…
今もまだまだだけどさ。