導く方法と動かすエネルギー
「天使~、天使~、てんっしっ、てんってんっしっ」
大きな船の甲板。
若いとも老いているともわからない男性の声で、幽霊のような人影が騒いでいた。
「混ぜる大鍋の下には魔法陣……。あれで本当に天使とやらを召喚しようってのか?」
「天使って、神様のしもべと呼ばれている……」
「だろうなぁ。そんな噂があるってだけで、実際に天使とやらがなにかをしたって話を聞いたことないんだが」
「で、ですが、創作物のモチーフとしてならいくつもありますよ」
「あってどうするんだよ。言い伝えだからって根拠になるとは言わないが、創作物で天使が出ているたって、ますます信用性に乏しいだろ」
「それはそうかもしれませんが……」
「いや、待った」
「どうしました?」
「あの幽霊、シスターの言うような創作物の影響を受けて、信じ切ってあんなことをやってるのかもしれねえぞ」
「……なる、ほど。ですけど、ぐつぐつと鍋を煮込んで、魔法陣の上で怪しげに声をあげるというのは、邪教なのではないでしょうか」
「……うーむ。見た目で判断するのはいけないんじゃないか? そのへん、聖職者としてどう思うよ」
「たしかに、人を見た目で決めつけてしまうのはいけないことです」
「ほほう。なら」
「ですが、心根は見た目に影響を与え、見た目は心根に影響を与えるものです」
「……つまり?」
「必ずしも見た目と中身が一致するわけではありませんが、だからといって怪しい人を信用する理由にはなりません」
「な、なるほど。つまりあいつは邪教か」
「そこまでは断言しませんが……怪しいですよね」
「怪しいなぁ」
「…………わたし、たちも」
「…………」
「…………」
「…………?」
「いや、まあ、三人そろって物陰から幽霊をのぞき込んでる図っていうのも、たしかに怪しくはあるんだろうが」
「……うん」
「て~ん~し~!」
「他に言うことないのかよ、あの幽霊は」
「天使よ……ああ、天使よ!」
「な、涙を流し始めましたよ」
「なんだかなぁ……お、また鍋をかき混ぜ始めた」
「どうします?」
「どうします、たってなぁ。あ? おい!」
とことこ。
リャッカが幽霊のほうへ歩いていく。
「…………こんにちは」
「天使!?」
「…………ちがう」
「…………!」
「…………」
「…………!!」
「…………」
「…………それはこんにちは」
「…………こんにちは」
「あれあれ、そちらにも知らない人が……人が……まさか天使!?」
「そんなわけねえだろ」
「それはざんね~んっ。ああ、天使よ、てんっしっ、天使ー!」
「やかましいっ。なんなんだよ、天使天使ってさっきから」
「天使、それは神の御使い……」
「そうじゃなくっ。なんで天使を呼ぼうとしてるのかって聞いてるんだ」
「よくぞ聞いてくれました! ありがとーう!」
「熱っ!? 鍋を煮込んでたお玉を振り回すんじゃない! あほかお前は!」
「だいじょーうぶです!」
「なにがだ?」
「振り回したお玉から離れた液体は外側へ飛び散るので、私には当たることがありません」
「ふざけんなよお前!? ぶち殺……えーと……」
すでに死んでいそうな相手の様子を見て、言い方に困る。
「私はレオン・トールチェンと申します。はい、こんにちは」
「俺はコーデントだ。こっちの、なんにも気にしてなさそうなのがリャッカ。で……」
「…………っ」
「いまだに腰が引けて、近づくべきか遠ざかるべきか決めかねてるっぽいのがアンジェリカだな」
「素晴らしい」
「腰が引けていることが?」
「いーえいえいえ。彼女は我が同胞ですよ。て~んしよこ~い!?」
「盛り上がってるとこ悪いんだが、同胞? 幽霊仲間か?」
「見たところ彼女は生きてるように見受けられますが。なんかほら、足が地面についているし」
「その気になれば、お前も地に足つけられるんじゃあないか?」
「……。おや本当だ。ところで私の名はレオン」
「レオン」
「それでいーのです。ところで私はかつて、聖なる存在を信じ神を敬い悪なる者と戦っていました」
「それがいつしか悪に誘惑されその力に酔いしれ、自身も悪なる存在に……」
「いーえいえ。私が悪に屈することなどありません。私の心はいつだって、神のもとに~!」
「…………だけど。今は、戦ってない?」
リャッカが問いかける。
レオンは透ける腕を身体の前に持っていきながら、力強く答えた。
「私は悪と戦って、戦って、戦い続けて! そして気づいたのです!」
「なににだ?」
「あ、こりゃ私じゃ勝てないな。と」
「うおいっ!?」
「そーう気づいたその日から、私は探し始めたのです。て~ん~し~! 悪を滅ぼーす天使ー!」
「なんて他人任せな……」
「そうは言っても、強大ですよ悪」
「そりゃそうかもしれんが」
「他人任せにできるのなら、ぜひともしたいところです。いっそ天使探しさえ他の人にしてもらいたーい」
「それは面倒臭がってるだけだろう!?」
「というわけでご同胞なのです」
「…………なんの話だ?」
「彼女が我が同胞だという話です。私も彼女も、神を信仰する兄弟なのですよ」
「そーいえばそんな話もしてたっけな……。あれか、シスターもそのうち、天使とか叫びながら踊り狂い始めるのか」
「しませんよそんなこと!?」
「いーえいえ。強大な悪の力を目の当たりにすれば、きっと同じ心境になりますとーも」
「だから、天使ねぇ。助けてくれって神に祈ったりはしないのか?」
「はっはっは。神様が私なんか助けてくれるわけないじゃありませんか」
「…………。まあ、なんとも言わんが」
「そう、たとえば、精霊へと昇華せんとした妖精の力のすべてを使い、勇者ボトランタスに神器を与えたのがせいぜいの世界への介入でしょう」
「な、なに……?」
「そのような力ーを持たない私にとって、まーあ、願うのは天使の助力といったところでしょうかね」
「ボトランタスが神器『破滅の魔剣』を手に入れた経緯を、なぜお前が知っている?」
「私だって、無駄に時間を過ごしてきたわけではありまーせんよー。くひひひ」
「くひ……まあいい。神は助けてくれないのに、天使なら助けてくれる、と思っている根拠はなんだ」
「助けてくれるかもしれなーい、というのが正確なところですねー。実際どうなのかなんてまったくわかりませんがー」
「で、その理由は」
「神様より、天使のほうが暇そうじゃーあありませんか」
「…………。いや、普通は下っ端のほうが勤勉に働くもんじゃないのか? だいたい、神様って暇して世界を眺めてるような印象しかないぞ」
「のんのーん。そうではありませんよ。神は日々戦っておられるのです」
言うレオンの表情は、真剣そのものだった。
「戦ってる? ……誰とだ?」
「邪神です。世界を滅ぼそうとしている側の、神ですなー……」
「な、なんだと? ……世界を滅ぼそうとしている神?」
「だーかーらーこそ、神は魔王退治をボトランタスになど託したのです。破滅の魔剣を作るほどの力があれば、自らで魔王を倒してしまえばいいというのに」
「それは……そうかもしれんが」
「だからこそ天使なのです。せかいーが破滅に向かい、手遅れになってしまーう前に! ……もしかしたら、強大な悪を止めるにはもう手遅れなのかもしれませんが……」
「…………。まあ、いい。言いたいことは分かったし、ある程度なら信じられるかもな。だが、肝心の強大な悪ってのはなんなんだよ。……まさか、悪魔か?」
「一番先にそーれが口から出てくることをかんがえると、悪魔に出会ったことがおありなのでしょうな」
「ぬ……」
「おそらーく私の推測は間違ってはいないでしょう。それは組織に属していたはず」
「ぬぬ……」
「私の敵とはつまり、強大な悪とはつまーり、その組織が呼び寄せようと考えている最終目標なのです」
「呼び寄せようとしている? ……魔王、とかか?」
「いーえいえ。かつての魔王が作り上げた、災厄なのです。呼び寄せられたらこの世界は滅びます。くひひひ……」
「いやいや、端的すぎるだろう。そんな簡単に滅びてたまるか」
「滅びます。そう、金色の妖星によってー……」
「金色の妖星?」
「そう……あの、空に浮かんでいる星が」
「指さされても霧がかってるだけでなんにも見えんが」
「とにかく星が、降ってくるのです。ほーしーがー!」
「……………………」
「世界は、滅びます」
「ほ、滅ぼしてどうなる!? 星を落とした悪魔たちだって、この世界と命運を共にすることになるんだぞ!?」
「まーさか。悪魔たちはいったん、自らが住んでいた魔界に戻れば済む話です」
「ぐっ……。それはそうかもしれないが……」
「過去にもその妖星はこの世界に接近しました……しかーし、人々の働きによってその時は、追い払うことに成功したのです」
「お、おお……すごいな人間」
「その際に、悪魔たちからは妖星を呼び寄せる手段が失われました。そーれらはすべて、神器によるものだったからです。その神器を奪われたのです」
「どんな神器だ? おい、変な顔してないでさっさと教えろ!」
「急に真剣な顔になりましたね。よほど興味がおありなのですな」」
「おい……」
「ひとつは星を探し導くための神器。これは人間の魔法使いによって奪われ、いずこかに厳重に保管されていると聞きます」
「おお……。ん……?」
「どうかなされましたか?」
「いや……続けてくれ」
「もうひとつは星を動かすだけのエネルギーを蓄える神器。これは妖星とともに彼方へと消えました」
「エネルギーを蓄える、って……神器だろ? その程度の性能しかないのか?」
「噂ですが、街をひとーつ吹き飛ばす程度の能力を持っていたようですが」
「……神器だもんな。そりゃそうだよな。うん、俺が悪かった。……ところで、どうやってエネルギーを蓄えるんだ? 自動的にたまるのか?」
「聞いたところで役に立つとは思えませんが」
「気になるから聞いてるだけだな」
「それが会話の本質かーも? どうも、生物の魔力を吸収していたらしいですな。まーちを滅ぼすほどの魔力となると……まあ、途方もないほどの数か時間をかけたのでしょう」
「なるほどなるほど」
「とにかく、それらの神器が失われた以上、悪魔たちは妖星を呼び寄せられなくなったのです。しかし、その手段をふたたび手に入れようとしているらしく」
「で、自分の手には負えなそうだから、天使に頼ろうってか?」
「その通り! てーんし、おいでませてーんし!」
「やめろ! ええい、だいたい……」
「て~ん~し~」
「だいたい、詳しすぎるんじゃないか……? いくら調べたと言っても、そんなに知っているはずがない。世界を滅ぼす神だの、星を呼び寄せるだの。いったい……」
「ははは、それは当然でしょ~う」
言いながら、レオンはどこからか取り出した短剣を構えた。
「!?」
「なぜなら、私は」