生物の出口を目指して
「も、もどかしい……船が移動するのを待つしかないのか。はやく脱出方法を見つけ出したいってのに」
「おやおやおや。残念ですが、しかたないことでしょう。わたくしには、この大きさの船が、これほどの速度で動いていることこそ驚きですよ」
「まあ、リャッカのやつは怪力だけが自慢だからな。もっと漕ぐのが速ければ、巨大生物から逃げることも考えたんだが……」
「わたくしが小舟を漕ぐより、よっぽど速いですよ」
「俺たちが手伝っても、無駄に体力をなくすだけで終わりそうだしなぁ。どうする?」
「…………。やはり、遠慮しておきましょう」
「だよなぁ」
沈黙。
「なあ、おっさん」
「なんでしょう」
「リャッカに船漕がせるよりもだ、いっそひたすら体内を斬り進んでもらうってのはどうだ? 外に出るまで」
「おすすめはできないと思いますな」
「どうしてだよ」
「体内で異物が暴れまわったら、それこそ」
「消化液が分泌されるかもしれないってことか……ちくしょう」
「……おや」
「……止まった、な。リャッカにもできることとできないことがあるか」
「ですから、わたくしの小舟で探索してはと提案したのですが」
「リャッカができるっていうから、つい。というか、あんたの小舟じゃ荷物まで載せられないしな。三人だってあやしいもんだ。だが……」
「これではどうしようもありませんな」
「無力だ……風がないと帆船は無力だ……」
「帆船が無力かどうかはともかく、帆は間違いなく無力でしょうな」
「まったくその通り。お……リャッカがこっちきた。どうだった。疲れただろ」
「…………うん」
「まったく、途中であきらめるようなら、最初っからつらいって言っておけばいいのさ」
「……見えた、よ?」
「見えた? なにが」
「陸地」
「…………」
コーデントはアーデルと顔を見合わせた。
「ついに水が途切れたってことかっ」
「だいぶ口の方向へ進んでおりますな」
「……このまま、口から直接外に出られたら楽なんだけどなぁ」
「ええ、ええ。とにかく、行ってみないことにはしかたありません」
「そりゃそうだ。……リャッカのやつはなにやってんだ? ちょっと様子を見てくる」
「おやおやおや」
「おいリャッカ。どうした」
「……準備」
「ああ、荷物か。……おい、食料詰め込みすぎじゃないか? いくらなんだってそんなに……そんなに……」
「……?」
「いや、お前なら食いそうで怖くなった」
「……そう」
「明かりに方位磁石に……なんか見覚えのあるものを持ってる気がするんだが」
「……うん」
「うんじゃない。それ、こないだの船転覆装置だろ。置いてけよ、おい」
「……持ってく」
「持ってく、でもない。だいたい船もないのにどうするつもりだよ。邪魔になるだけだろう……ええい、どうせお前の荷物が重くなるだけなんだから好きにしろ」
「……。ありがとう」
「おうおう。お前のわがままを聞いてやる俺に、よくよく感謝しろよ」
「……うん。感謝、してる」
「あいよ。……んじゃそろそろ行くか」
「……うん。なに、持ってるの?」
「フライパンだな」
「…………」
「待て、これは一時的に武器にしようと思ってるだけだ。あんまりおっさんにこっちの情報を出したくないし」
「……そう」
「じゃ、じゃあそろそろ行くぞ」
「うん」
「……。おう、おっさん。待たせたな」
「いえいえ。それでは行くとしましょう」
「ああ……」
「………………」
「………………」
「………………」
「なあ、おっさん」
「なんでございましょうか?」
「これ、船まで戻れなくなったりとか……ないよな?」
「今まで、一度でも分かれ道がありましたか?」
「ないけどよ。なんかこう、まったく同じ色というか、同じ景色が続いてるもんだから不安に」
「その気持ちはわからないわけではありませんな。時間の感覚があいまいになる気がします」
「どの程度歩いたか、進んだかわかりにくくなるんだよな……っておい、リャッカ。足を止めるなよ」
「……なにか、落ちてる」
「あん?」
「……これ」
「これは……魚介類の、身体の一部だな。たぶんこの巨大生物が……、っ」
「……変な顔、してる」
「うるさい。でかしたぞ、リャッカ!」
「……声も、小さい」
「そうだな。よし、よし。とりあえずこれはいいから、先へ進もう」
「おやおやおや……。なにか、めぼしいものでもお見つけになられましたか?」
「ああ、いや……脱出にはまったく関係なさそうだ。この巨大生物に捕食された食料のなれの果て、ってところか」
「おやおやおや。それは怖い」
「ああ……さっさと脱出方法を探さないとな」
「ええ、ええ。……ところで、話は変わるのですが」
「ん、なんだよ」
「いえ、ここから脱出できたとして、おふたりはいったいどうするおつもりなのかをお聞きしてみたいと思いまして」
「んー、どうするって言ってもな。海に導かれるまま、始まりの島を求めてさまようしかないんじゃないか?」
「この海は広大です。なにも目星がなければ、海に翻弄されて終わるだけなのでは?」
「……なんだか、まどろっこしい言い方だな」
「これは失礼。……正直な所、なにか始まりの島への手がかりをご存じではないかと思いまして」
「それを教えてもらおう、なんて思ってるわけだ」
「ええ、ええ。恥ずかしながら」
「そう言われてもなぁ……。とりあえず、そこそこ島を巡ってスターズブルーの遺産の情報でも調べようと思ってただけだからな。遺産が多い場所こそ、始まりの島のありかに近いんじゃないかと」
「そうですか……」
「ま、行く方向だけは決まってるけどな。とりあえずは西の果てだ」
「……それはなぜですかな。たしかにここは大陸にまだ近く、始まりの島があるとは考えられませんが」
「俺としては、スターズブルーが大陸出身って可能性も捨てきれないんだが……」
「……な、なんですと?」
「魔王降臨の時代から今の時代まで、西方の島々はずっと文明的に遅れてる。魔法的にも、それ以外でもだ」
「だからこそ、神への信仰が顕著だったのではございませんか?」
「それも考えられるが。……このあたりの島でさえ、でっかい魚を守護神だとか言ってあがめてたりするんだぜ? お空の神様が、そんな人間を救ってくれると思うか?」
「おやおやおや……それは、盲点……でしたな。ふむ……」
「まあ、結局は推測でしかないから、本当の事なんてわからないけどな」
「ですが、考え方のひとつとしては面白いでしょう。おかげで、今までの凝り固まった見方を捨てることができそうです」
「そりゃよかった」
「ですが、西の果てとは? なにか理由があるのですかな?」
「ん、あれだよ。島々から逃げ帰った大陸の兵士によると、西の果てより紫の光があふれた、あれは邪悪な兆しに違いない、と。だが、そのころからスターズブルーの遺産は島々に広まったらしい」
「なるほど」
「だから、西の果ての発光とスターズブルーはなんらかの関係が……発光点こそが始まりの島だろう、という考え方が一般的だと思ったが。……聞いたことなかったのか?」
「いえ……。西の海に光が満ちた、という話なら聞いたことがありますが、そこまで具体的な話になっているとは。紫……西の果て……ううむ」
「おーい、おっさん。大丈夫か?」
「ええ、ええ……。わたくしが以前似た話を聞いたのは、友人からだったのです。もしや、わたくしは騙されていたのか……?」
「だ、騙されたってのはおおげさだろう。……もしかしたら、大陸でしか一般的じゃないってことなのかもしれないからな」
「……その話を聞かされた友人は、大陸の出身者だったのですよ」
「なぬ……。多少調べたら、どうあっても行き着く基本的な情報だと思うけどな。……ちっ、そりゃ残念だ」
「残念と申しますと?」
「ああ。せっかくだからおっさんの持ってる情報を聞かせてもらおうかと思ってな。だがまあ、このぶんなら期待できそうにはないんじゃないかと」
「おやおやおや……それは見くびられたものですな」
「お? ってことは、なにか期待できるのか?」
「この本を……そうこのページをご覧ください」
「……あからさまに、持ち出し禁止っぽい雰囲気があるんだが。この本高いんじゃないか?」
「気にしないほうがよいということもあります。見るのをおやめになりますか?」
「まーさか。で、どの部分だ?」
「ここです。この本によると、スターズブルーと思しき者はかつて……かつて巨大な生物に飲み込まれ、霧の都へとたどり着いたとあります」
「なんだとう? き、巨大生物? 霧の都?」
「ええ、ええ。霧の都……この霧は不思議なことに、ひと月に一度、紫色に染まるとか」
「……っ。てことは、西の果てから見えた紫の光ってのは」
「この霧が影響したと考えることもできます。その都、その島が始まりの島……」
「待てよ……まさかおっさん」
「ええ、ええ」
「自分からこの生物に飲み込まれたんだな! 霧の都へとたどり着くために」
「それもすべて無駄に終わったようですが。西の果てと評されるような場所が、これほど大陸に近いはずがない」
「だ、だが、西の果てまでこの生物が移動するという可能性も……」
「ありえませんな。申し上げたはずですぞ。この生物は、決まった海域を住処とするのです。これと同種の、しかし別の場所に住む生物だったのでしょう」
「ぐ……。しかしおっさん、いいのか?」
「なにがです?」
「もしこの巨大生物から脱出できたら、俺たちはライバル同士ってことになるんじゃないのか? こんな重要な情報を教えちまってよ」
「脱出するのが困難だと、いまだにお思いなのかもしれませんな」
「……なんだと?」
「スターズブルーは無論、この生物から逃げ出して霧の都へと到達したのです。ならば」
「脱出方法はある……が、それはスターズブルーだったからこそなんじゃないのか?」
「でしたら言い換えましょう。脱出方法もなしに、わたくしがこの巨大生物に飲み込まれたとお思いで?」
「それは……たしかに。待て、あんたは質問に答えてない」
「ではお答えしましょう。あなたがたになにを話したところで、困りはしませんよ」
「……始まりの島さえ見つけられれば、辿り着いた順番なんてどうでもいい。そんな風には、見えないが」
「ええ、ええ。……もちろん、これがあなたがたへの、冥途の土産というものだからでございます」