第九話 特訓と誓い
今回でやるつもりだったけど、魔法習得は次回になりそうですね……
後、前話のモブキャラの名前を諸事情(教師の名前と被ってた)により変更しました。
翌日、五月八日の放課後。智観は千秋と明日華に魔法の稽古をつけてもらっていた。
魔法演習場は授業時間以外なら一般生徒にも解放されており、スペースに空きさえあれば自由に使えるようになっていたのがありがたかった。
千秋達は丁寧に智観に魔法のコツを教えてくれたのだが、やはり彼女は何度やっても魔法を発動させることは出来なかった。
一体何が原因なのか。少しの間三人は知恵を出し合った。
そしてその話し合いの結果として、智観はどういう訳か現在、素振りの練習をさせられている。
発案者は明日華だ。
彼女いわく、精神の集中が足りないのが原因らしく、素振りが精神修養に役立つからとのことだが。
「だーっ! 違うと言ってるだろ! 腕だけで剣を振るってどうする! 私やお前みたいな軽い奴だと押し負けるぞ!」
「す、すみません!」
「私が前で手本を見せるから、その通りにやってみろと言ってるだろ!」
「はい、明日華師匠!」
明日華が愛用の得物らしい刀で手本を見せては、智観がそれを微妙に間違えた形で真似る。
かれこれ一時間ほどはこの調子である。
なお、千秋は剣の訓練となると協力出来ることが無くなってしまう為、今は離れて二人の訓練風景を眺めている。
「うふふ。二人とも楽しそうで何よりです」
手製の弁当を片手にそんな呟きを零す彼女は、智観達の良き保護者と言った雰囲気だ。
それからしばらくして、腕時計を見た千秋は、特訓を始めてから二時間ほどが経過したことに気付いて、大声で二人を呼んだ。
「明日華ー! 智観ちゃーん! そろそろお開きにして、お弁当にしませんかー?」
「お、待ってました」
「今行きますー」
弁当と聞くや否や、二人は目を輝かせて千秋の座っているところへと走ってくる。
自分が作った料理を二人が美味しいと言って食べてくれること。
それは千秋の心からの楽しみの一つであった。
「じゃあ、お茶入れますから待っててくださいね」
三人分の紙コップに水筒から緑茶を注ぎながら、彼女はささやかな幸せを噛み締めていた。
「また明日ね」
「ふふふ……明日は土曜日だから午後いっぱい特訓できるな」
「はい。ありがとうございました」
特訓第一日目はそんな会話で締め括られ、三人は各々の部屋へと戻った。
出来の悪い自分に丁寧な指導を施してくれる千秋と明日華。
最初の友達がこの二人であったことは、智観にとって幸いだった。
(でも、このままじゃ、いけませんよね)
しかし彼女には思うところが一つあった。
それは現在の自分が、何から何まで千秋と明日華に世話を焼いてもらってばかりいることだ。
千秋達は決してそれを嫌がってはいないだろうし、それどころか逆に楽しんでいるようにさえ思える。
だが彼女達の厚意に甘えるのなら、こちらも相応の態度を見せる必要があるのではないだろうか。
そんな考えを巡らせて、彼女が行き着いた答えは一つだった。
机上の時計に目を遣ると、針は午後八時を指していた。
入浴にはまだ時間的猶予があることを確認すると、智観は制服の上着を羽織り、剣を腰に差して、そっと部屋を抜け出した。
智観がやってきたのは寮の裏手の林だった。
辺りには電灯の類は無く、月や星の明かりも木々に遮られて届かない、ほぼ完全な闇の世界だ。
一寸先の更に深い闇の中からは、風に揺られた草木の立てる不気味な音が聞こえてくる。
同じ音でも昼間なら心地好いと感じられることだろうが、今はひたすらに不気味だ。
だが、それゆえに秘密の訓練を行うにはお誂え向きの場所である。
周囲に人の気配が無いのを確認すると、彼女はこの場所で昼間の特訓の復習を始めた。
ただし炎や雷、光等の魔法は闇の中では目立ってしまうし、前者二つに至っては制御に失敗すると草木に燃え移って火災の原因になりかねないので、水や風の魔法に絞って練習していた。
「生命の始原たる水の神よ。邪悪なる者どもを洗い清めよ! アクアブレード!」
智観が今唱えたのは、水の基本魔法の呪文だ。
例のごとく、彼女の内に眠っているらしい力は彼女の呼び掛けに応じてはくれない。
だが何回も、何十回も繰り返すうち、彼女は次第に何かを掴みかけていた。
この林よりも更に深い闇の中。
そのような場所を闇雲に歩き続けていて、ふと風の流れを肌に感じた時の感覚に、それは似ていた。
しかし、光溢れる出口にはまだ遠い。
後もう一押しの手掛かりがあれば、出口に近付けそうなのだが……
結局その晩は十時過ぎまで特訓を続けたものの、遂にその手掛かりを見つけることは出来なかった。
(でも、何かが掴めた気がするのはプラスですよね)
前向きにそう結論付けて、智観は入浴の後、床に就いた。
特訓で疲れた体には温かい湯船のお湯も、泡立つ石鹸も、柔らかいベッドの感触も、何もかもが普段より心地好かった。
翌朝、千秋と明日華は智観の部屋の前に立っていた。
「智観ちゃん、起きてきませんね。どうしたんでしょうか?」
三人はいつも朝七時五十分に女子寮棟の前に集合し、それから一緒に食堂で朝食を食べ、教室まで行くことにしていた。
しかし今日に限っては時間になっても彼女の姿が見えなかったのだ。
「あいつにしては珍しいよな」
普段はむしろ早めに来ている智観が来ないことを心配して、千秋達は部屋の前まで迎えに来たのであった。
扉には鍵が掛かっていたので、まだ眠っていると思われるのだが。
「土曜日を休みと勘違いしてるとか?」
「いつの時代の話だよ……」
「うーん……五百年くらい前?」
「いや、真面目に返されても困るんだが。と言うか前の土曜には来てただろ……」
智観の寝坊の理由を話し合う二人。
もっとも、仮にこの様子を第三者が見ていたとしても、漫才か何かにしか見えないだろうが。
「内線で呼んでみます?」
「頼むからそういう案は先に言ってくれ……また一階まで戻らけりゃならんだろ」
内線でモーニングコールを掛けるというのは悪くない案だが、彼女達が使える電話は一階の千秋の部屋と明日華の部屋のものだけだ。ここは五階なので、電話をするには四階下まで戻らなければならない
「エレベーターがあるじゃないですか」
「面倒なことには変わりないだろ……」
そんな話をして智観を待っていると、突然、ガチャリと扉の開く音がした。
「遅いぞ、智観! 二十分の遅刻だ!」
明日華は反射的に、智観の部屋の入り口に向かって悪態をついた。が、扉は閉まったままだった。
「明日華!! 隣ですよ、隣! ごめんなさい、いきなり怒鳴ってしまって」
千秋に指摘されて、明日華はようやく、開いた扉は隣の部屋のものであったことに気付いた。
千秋は隣の部屋から出てきた少女に、ひたすら謝罪をしている。
「悪かった。ちょっと間違えてな……ってあれ?」
明日華も千秋に倣ってそう言う。
そこでふと気になったことがあった。
隣の部屋から出てきた人物の顔には見覚えがあったのだ。と言うよりは、毎日教室で目にしているように思えた。
「あんたは確か……」
明日華はクラスメイトである彼女の名前を思い出すのに少し時間が掛かってしまった。
この少女は無口で、誰かと会話している姿も見たことが無く、クラス内でもあまり目立たない方だった為だ。
ただ、教師に指名された時にはいつも確実に正解の返答をしているので、成績は優秀な方なのだろう。
「確か北条さんだったか」
「嬉しい。覚えててくれて」
明日華が彼女の名前を覚えていたことが嬉しかったのか、両頬に手を当てて喜びを表現する北条。
この反応から察するに、無口ではあるが悪い人間ではなさそうだ。
「ところで智観がどうしたのか知ってるか? 良かったら教えてほしい」
無口な彼女が自分から話し掛けてくるのだから、さぞかし良い情報があるだろう。
勝手ながらそんな期待を抱いて、明日華はそう尋ねる。
「小林さんなら昨日の夜に部屋を出て行った。それから――」
「えぇ!? まさかそのまま帰ってない!?」
北条が言い終わらないうちに、千秋が叫び声を上げた。
「それで道に迷って、どこかでお腹を空かせて『千秋ちゃんのお弁当が食べたいよぅ』って泣いてたり……あぁ、智観ちゃん!」
千秋は空想の世界に入り浸ってしまっていた。
きっと彼女の頭の中では、彼女のことが恋しくてたまらない仮想の智観が、見知らぬ国の見知らぬ街で泣き喚いていることだろう。
「こらこら、勝手にありもしないことを想像するな。と言うか最後まで聞いてやれ」
呆れつつも、そんな千秋を窘める明日華。ただし頬をつねって、引っ張ったり戻したりしながら。
「わ、私の顔で、あ、遊ばないで下さいよ」
それでようやく、千秋の意識は現実に帰ってきた。
二人のやり取りが一段落ついたのを確認すると、北条はまた話し始める。
千秋のオーバーリアクションにも全く動じないとはある意味凄い人間なのかもしれないと、明日華は密かにと感心していた。ただ単にマイペースなだけなのかもしれないが。
「それから夜遅くに帰ってきたみたい。多分今もまだ寝てる」
「要するに夜更かししてて寝坊したってことか」
「夜中に何やってたんでしょうね」
智観が夜中に部屋を出た理由は気になるところだが、とりあえず彼女が来なかった原因が夜更かしによる寝坊であることは分かった。
次は彼女を起こさなければならないのだが、そこで千秋は閃いた。
「ところで北条さん。電話をお借りしてもよろしいですか? 智観ちゃんを起こす為ですけど」
「うん。好きに使って」
北条は快く了承してくれた。
一階まで戻る手間と時間が省けたのは大きい。
千秋と明日華は彼女の部屋にお邪魔して、電話の受話器を取り、智観の部屋の番号をダイヤルする。
すると受話器越しと、隣の部屋から直接との、二重の呼び出し音が聞こえてくる。
何回か呼び出し音が鳴った後、電話のスクリーンに映像が映った。
「もしもし……小林、です……」
スクリーンには寝ぼけ眼でパジャマ姿の智観が映っている。
明日華はそんな彼女に、電話越しに力の限り叫んだ。
「起きろ、智観! 遅刻するぞ!!」
「今何時……えっ!? もうこんな時間!?」
遅刻と聞いて自室の時計で時間を確認したらしい智観は、今更になって慌てふためき出した。
「準備くらい手伝ってやるから、ドアを開けろ! いいな!?」
それだけ言うと受話器を戻し、明日華は隣の智観の部屋へと移動した。
千秋もそれに続く。
そして自室の扉に鍵を掛けた北条も、何故か二人に続いて智観の部屋に。
「きゃあああ! 脱がさないでくださーい!!」
「悲鳴を上げてる暇があったら脱げ! 遅刻するぞ!」
「急いでください!」
それから少しの間、智観の部屋は修羅場と化していた。
千秋と明日華は協力して、智観のパジャマを半ば強制的に引き剥がし、制服に着せ替える。
「ふふふ……皆さん仲がよろしいようで」
自分の分と智観の分。計二人分の鞄を持った北条は部屋の入り口付近で、そんな光景を何故か頬を赤らめながら見物している。
そんな時間は、智観が着替え終わるまでのが続いた。
やがて彼女が着替え終わると、四人は大急ぎで部屋を飛び出し、教室へと走っていった。
結論から言うと、四人はどうにか始業時間に間に合うことが出来た。
朝食は食べそびれてしまったので、智観と千秋、明日華の三人は放課後まで空腹感に襲われ続けることになってしまったが、それは仕方が無い。
(なお、北条は既に簡単な朝食を摂っていたようだ)
それから一時間目と二時間目の間の休み時間には、智観は明日華と千秋に理由を尋ねられた。
隠すのも悪いと思って昨夜の秘密の特訓のことを包み隠さずに話したのだが。
「なるほど……夜中に何をしてたかと思えばそんなことを……」
「頑張るのは良いけど、無理だけは絶対駄目です!」
結果、千秋にお叱りを受ける羽目になってしまった。
「そもそも、そこまで急いで強くなろうとする必要は無いだろ?」
「そうですよ! でもあんまり遊んでると落第するかもしれませんが」
彼女達は、智観が力を求めている理由を詳しくは知らない。
智観は入学式の後の自己紹介では「恩人のように強くなりたい」と言っただけだし、それにしろ忘れられている可能性が高い。
だから彼女は決心した。今こそ、自分がこの学園に来ることになった経緯を打ち明けることを。
いつかの昼食時には触れるべき時ではないと思って先延ばしにしたが、今こそがその時なのかもしれないと思った為だ。
それに千秋達との仲も、当時とは比較にならない程に深まってきている。
今の彼女達になら、そのことを打ち明けても大丈夫なはずだ。
「千秋ちゃん、明日華ちゃん。聞いてほしいことがあるんです」
「どうした? 神妙な顔をして」
「何か悩みでもあるんですか?」
智観の表情から只事ではないことを察した二人は、真剣な表情になって、彼女の話に耳を傾けてくる。
「私はどうしても強くならないといけないんです! それには理由がありまして――」
彼女はある程度話を要約はしたものの、体験したことをありのまま話した。
暮らしていた村が暴走した鉄騎兵に壊滅させられたこと。
自分自身も後一歩で殺されていたところを、間一髪で梨恵に救われたこと。
そして生きる為、力を得る為に、梨恵の勧めでこの魔法学園に入学したこと。
普段は何かと騒がしい二人だが、この時だけは智観が話し終わるまで、静かに聞いてくれていた。
「……という訳なんです」
「そんなことがあったんですか……」
「だったら力を求める気持ちも分からなくは……」
智観の事情の深刻さに、いつしか二人とも重苦しい表情で俯いてしまっていた。
声のトーンも低く、小さくなってしまっている。
「でも……これだけは約束してください」
俯いたまま、千秋がそう声を漏らした。
それから顔を上げ、智観の目をしっかりと見据えて、力強い声で言う。
「絶対に無理はしないってことです!」
それに続いて明日華も顔を上げた。
「私からも言わせてもらうぞ。千秋を悲しませるような真似は絶対にするなよ! もちろん私を悲しませるような真似もな!」
「千秋ちゃん、明日華ちゃん……はい!」
自分のような人間を一人でも減らす為に、強くなりたい。智観の中で、その想いは未だ変わっていなかった。そしてこれからも変わることは無いだろう。
だが、それだけではいけない。
今の智観には、彼女のことを大切に思ってくれている千秋と明日華という友達がいるのだ。
ならば彼女達を悲しませないことも智観の努めなのだろう。
「ふぅ。でも千秋ちゃん達に話したら何だか楽になりましたよ。今まで誰にも話してませんでしたから」
また、自分の過去を打ち明けた智観は、彼女自身でも不思議な程に心が澄んだ気分になっていた。
「これからも困ったことがあったら何でも打ち明けてください」
「約束だぞ?」
「は、はい!」
悲しみを一緒になって受け止めてくれる彼女達の存在が、智観には頼もしく思えた。
そしてまた、彼女達が悲しみに苛まれるようなことがあれば、その悲しみを一緒になって受け止めてあげよう。智観はそう誓った。
休み時間が終わる少し前、明日華は再び智観のところにやってきた。千秋も彼女の後ろに付いてやってくる。
「そうだ、言い忘れてた。智観を起こす時に北条さんの部屋の電話を借りたからな。後でお礼を言っておけよ」
「あ、はい」
それから千秋が不平を口にする。
「隣の部屋が彼女だって、どうして教えてくれなかったんですか!?」
「え? そうだったの?」
そうは言われても、智観には全く身に覚えがなかった。
挨拶回りなどはしていないし、誰もしに来なかった。部屋に出入りする時にばったり出会うということも無かったので、本当に知らなかったのだ。
「全然知りませんでした」
「いや、隣の部屋に誰が住んでるかくらいは知っておきましょうよ……」
呆れたように千秋は溜息を吐いた。
「と、とにかく! お礼言ってきまーす」
休み時間も残り少ないので、智観は急いで北条の席へと向かった。
彼女はいつも通り、教室の後ろの方の席で黙って座っていた。
智観が近付いて行くと、彼女は顔だけを動かして智観の方を見つめる。
「えっと、北条さんでしたよね。私を起こす為に電話を貸してくれたらしいですけど、ありがとうございました。お陰で遅刻しないで済みました」
そう言ってそんな彼女に頭を下げた智観だったが、北条は首を小さく左右に振った。
「朝から良いものを見せてもらったから、お礼はいらない」
良いものとは何だろうか。
気にならないでもなかったが、恩人のことをあれこれと詮索するのは野暮というものだろう。
「それと私の下の名前は悠里だから」
「北条さんってそんな名前だったんですねー」
「良かったらそっちで呼んで。どうしてかみんな苗字で呼ぶ」
親しい仲でなければそれが普通だろう、と心の中で智観は突っ込む。
とは言え、本人が希望しているのなら名前で呼んだ方が良いのだろう。
「あ、分かりました。じゃあお隣さん同士ですし、よろしくね、悠里さん」
「うん。よろしく」
丁度その時、始業のチャイムが鳴って、教師が部屋に入ってきた。
話し込んでいたクラスメイト達と同じように、智観もまた自分の席へと戻っていった。