第七話 都会観光
明日華と千秋と一緒に昼食を摂った翌日の朝。
智観は学園の正門前に一人で立っていた。
しかし、一人とは言うものの、今の彼女には孤独や寂寥感は無い。
人を待っているからだ。
事の始まりは昨日の昼食後に遡る。
「ふぅん。小林さんは村を出たのはこれが初めてなのか」
「一度小林さんの村にも行ってみたいです」
出身を聞かれた智観が生まれ育った清冷村のことや、最近になるまで一度も村から外に出た経験が無かったこと等を話すと、二人はそれぞれの反応を見せた。
ただし、その村が既に存在しなくなってしまったことについては伏せておいた。
話を重くしたくなかったこともあるが、何よりも唯一の肉親である母親や、親切にしてくれた村人達がもうこの世に居ないことを認めたくなかったのが大きい。
いつまでも隠し通せるとは思えないし、智観自身隠し事は好まない方だったが、何も今話すべきことではない。話すべき時が来たら話せばいいことだ。それよりも今は二人との会話を楽しみたい。
明日華が唐突に一つの提案をしてきたのは、智観がそう思考を巡らせていた時だった。
「それならこの街のこともよく知らないだろう? 明日はせっかくの休日だし、街を案内しようか?」
「案内……ですか?」
街の案内。
都会に慣れていない智観にとってはありがたい申し出だ。だがまともに話したのは今日が初めてだというのに、休日を潰してまで案内してもらうのは悪い気がする。
「おぉー! それいい案ですね。どうですか、小林さん?」
ところが千秋も、そんな智観の悩みなどまったく意に介した様子も無く、その案に賛成してしまった。
案内役となる二人が良いと言っている――というよりは二人の方が乗り気なようだが――のなら断ることも無いのかもしれないが、智観は一応聞いておく。
「あの、今日知り合ったばかりの私の為にそこまでしてもらうのは悪い気が……」
言い終わらないうちに、明日華は「またか」とでも言いたげに溜息を吐いた。
それから智観の両肩をがしっと掴み、彼女の顔に自分の顔をいっぱいに近付ける。
「いいか? 私と千秋なら構わないと言ってるんだ。だろ?」
「はい!」
明日華にちらりと視線を向けられた千秋は力強く頷いた。
「それなら後はあんたが良いか悪いかだけだ。今はあんたについて聞いてるんだ」
ここまで言われると逆に断りたくても断れないのでは?
そう思った智観だったが、彼女達さえ良ければ智観には断る理由は無かったので、あまり気にしないことにする。
「私は……二人さえ良ければ、是非お願いしたいです」
「よし、じゃあ決まりだな」
智観の答えを聞いた明日華は、手を彼女の両肩から離して微笑を浮かべる。
「明日が楽しみですー!」
脇では千秋がやたらと嬉しそうにはしゃいでいる。歓迎されていることだけは確かなようだ。
何はともあれ、初めてできた友達と遊ぶ機会が早くも訪れたのであった。
そして時間は今日に戻る。
期待と興奮のあまり、智観は待ち合わせ時間よりもかなり早く集合場所の正門前に来てしまったのだった。
明日華と千秋がやってきたのは、智観が着いてから十五分ほど後のことだ。
「ごめんなさい。待たせてしまいましたか?」
智観のところへやってきた千秋は、開口一番に謝罪の言葉を述べた。
「いえ、ちょっと気がはやっちゃっただけだから、気にしないで下さい」
別に千秋達は遅刻してきたという訳ではないので、彼女達には責任は無い。単に智観が早すぎるだけである。実際、まだ集合時間までは十分ほど余裕があるのだから。
と、そこで明日華が智観を見て、あることに気付いた。
「あれ? 小林さん、制服……」
「え?」
改めて自分の服装を明日華や千秋のそれを見比べてみる智観。
そこで彼女は初めて、自分が休日にも関らず制服を着て出てきてしまっていたことに気付いた。
「あぁっ! ついいつもの癖で!」
休日に制服を着てはいけないというような校則は当然ながら無い。
だがせっかくの友達と出掛ける休日である。選択肢こそ少ないものの、できる限りのおしゃれはしていきたいものである。
今から着替えに行くとなると予定に支障を来すし、何より寮の自室まで戻るのが面倒だ。
少し考えた末、結局智観はこのまま出掛けることにした。
「あはは……まぁ次があるさ」
「それにこの制服も結構可愛いからいいじゃないですか」
それぞれの言葉で智観を慰めてくれる明日華と千秋。
特に千秋の「可愛い」という言葉に、彼女は救われたような気がした。
正門前から都心部までは車でも一時間ほどかかる距離があるので、三人はバスに乗って移動することにした。
入学手続きの日、梨恵の車に乗って通った道を逆に辿る。
バスの窓からは遥か彼方に播須市の市街地の高層ビル群が見える。
前回は国防軍の基地から学園まで移動する間に通っただけなのでゆっくり見ることは出来なかったが、今回は案内付きで見て回れるのだ。
どんな店があり、どんな人達が暮らしているのだろうか。
智観は期待に胸を膨らませる。
「智観さん、お金を払う用意はしておいて下さいね」
「あ、はい。千秋さん」
到着まではまだ時間があるが、千秋に言われて智観は乗車賃を財布から出して制服のポケットに入れておいた。
ちなみに千秋いわく「呼びにくいから」とのことで、三人はお互いを名前で呼ぶことになった。三文字と四文字ならあまり変わらないような気もするのだが、悪くない提案だったので智観も同意。二人のことを名前で呼ぶことにしたのである。
午前十時を少し回った頃、都心部のとあるバス停で三人はバスを降りた。
最初は千秋の希望もあって、川瀬書店と呼ばれる本屋を案内することになっていた。と言うのも、彼女がいつも読んでいるシリーズの新刊が今週発売されたばかりなのだ。
案内と言うよりは、千秋の買い物に付き合わされているだけなのでは?
智観の脳裏をそんな疑念が過ぎった。
だがその疑念も件の本屋を見た時には消し飛んでしまった。
「うわぁ……これ全部ですか?」
店内に足を踏み入れた智観を迎えたのは、通路の両側の棚に整然と収められた本の列だった。あまりの量に言葉を失ってしまう。
「まだまだ、三階までありますよー」
後で千秋に聞いたところでは、この川瀬書店は全国の都市に店を持っているチェーン店であり、ここはその本店なのだと言う。
だが、この時の智観はそのようなことを知る由も無い。
呆気に取られている智観。
千秋はそんな彼女の手を引いて、慣れた足取りで店のある一角へと一直線に進んで行く。
明日華は智観も後ろからついて来ているが、これは智観がはぐれないようにという配慮だろう。
やがて目当ての品の在処に辿り着いた千秋は、一冊の漫画本を手に取った。
「やっぱり川瀬書店の品揃えは違います。しっかり残ってました」
千秋は大切そうにそれを抱え、カウンターへ持って行く。
それ程心待ちにしていたということは、余程面白い本なのだろうか。
内容が気になった智観は聞いてみることにした。
「ところでそれって、どんな物語なんですか?」
「あ、智観さん興味あります!?」
智観が質問するや否や、千秋は目の色を変えて話に食い付いてきた。
「うん、まぁ少し」
「読んだ時の楽しみを奪ってしまうので詳しくは言えません。でも笑いあり涙ありでいつ読んでも飽きませんし、特に主人公のクレイドとライバルの――」
「おい、千秋! 何を勧めてるんだ!」
いつに無く饒舌かつ早口でこの漫画の魅力を語り出した千秋。
その勢いに圧倒されかけた智観だったが、突然、明日華が千秋を制止してきた。
「どうして止めるんですか、明日華!」
「初めてここに来る人間にあんな漫画を勧める奴があるか!」
更には仲の良いはずの二人がいきなり口喧嘩を始めてしまった。
何かあの本にはとてつもない秘密でもあるのだろうか。
(そんなに必死になられると、余計見たくなるんですけど……)
ただ、今それを言うと火に油を注ぐだけの結果になってしまいそうだ。
他の客達も何事かとこちらの様子を伺っている。
「えっと、とりあえず二人とも静かにした方がいいかと……」
「はっ!? そうだな。私としたことが」
「むー……読みたかったら後で言って下さいね」
智観の言葉で我に返った二人はすぐに口喧嘩を止めた。
だが千秋はまだ諦めていないようだ。
(今度千秋さんに見せてもらおうかな?)
一体どんな本なのか智観としても内容が気になるので、明日華に内緒で貸してもらおうかとこっそり考えた智観であった。
川瀬書店を後にした三人は、現在時刻がちょうど十二時前だったこともあって、近くの喫茶店で昼食代わりに適当なものを食べることにした。
飲み物としてコーヒーを三杯注文し、千秋はホットケーキを、明日華はピラフを注文した。
智観はと言うと、何を注文すればいいのか迷っていた。
これまでずっと田舎の村で過ごしてきた彼女のことだ。
何しろ、品名からどんな料理なのか、イメージが浮かばないのだから無理もない。
散々悩んだ末、結局彼女はモンブランを注文することした。
他の二人と同じものを選ばなかったのは、お互いに交換すれば、少量ずつ様々なものを食べられるだろうと考えたからだ。
ちなみにモンブランを選択した理由は、智観いわく「名前の響きが気に入ったから」らしい。
少し待っていると店員が清潔感に溢れた銀色のスプーンやフォークをテーブルに並べていった。
店員は一旦厨房に戻ると、今度は問題のモンブランと思しきケーキが乗った皿を持って現れた。
「お待たせいたしました。モンブランの方はどちらでございますか?」
「あ、それ私のです」
智観達のテーブルの側までやってきた店員がそう尋ねた。
智観は椅子から腰を浮かせて皿を受け取る。
「残りのご注文につきましてはしばらくお待ちください」
モンブランの乗った皿が智観の元に行き届いたのを確認すると、店員はそう言って持ち場に戻っていった。
ホットケーキやピラフは調理に時間がかかる為、すぐには出せないのだ。
どうせ食べるなら全員分揃ってからの方が良いと思い、智観はしばらく目の前にあるモンブランなるケーキを観察してみることにした。
ケーキはスポンジ生地の周りに薄い黄色のクリームをホイップして作られている。
上に行くにつれて周の長さは短くなっており、頂上には光沢のあるこげ茶色のものが鎮座している。これは智観にも見覚えがあった。と言うよりは、よく山で採って食べていたことがある。
「この上に乗ってるの……栗ですかね」
誰に聞くでもなくそう呟いた智観。
その呟きの意味を誤解したのだろうか。明日華が答えた。
「そりゃ、栗のケーキだからな。もしかして嫌いなのか?」
「あ、いえ。栗だったら秋にはいつも採ってたから大好きですよ。おせちの栗金団もいつも食べ過ぎちゃうし」
「なら安心だな。ピラフはまだ来そうにないから先に――」
先に食べてみたらどうだ、と続けようとした明日華だったが、言い終わるより前に千秋が口を挟んできた。
「おせちの栗金団、私も大好きです! 今度のお正月には三人で一緒に食べましょう」
何やら栗金団一つで異様に盛り上がってしまった千秋。
誘いは嬉しいし、楽しそうにしている千秋に水を差すのは悪い気もしたが、智観にはどうしても言っておきたい大切なことがあった。
「あの、千秋さん? おせちは楽しみなんだけど……」
「ですよね。腕によりをかけて作りますから期待しててください!」
「そうじゃなくて、正月はまだ八ヶ月も先じゃ……?」
それを聞いて千秋はぴたっと動きを止めた。
よほどショックなのか、単に取り繕う言葉を考えているだけか。
たっぷり数秒間停止したままでいた後、千秋は再び動き出した。
「だ、だったら今度お弁当に作ってきますのでご心配なく。それよりモンブラン、食べないんですか?」
彼女は捻り出したであろう答えを返すや否や、すぐに次の話を智観に振ってきた。話を逸らす気なのは明白だが、智観は別に千秋を追い詰める気など無いので、それに乗っておく。
「皆の頼んだ分も来てからの方が良いと思ってね。待ってたんですよ」
「えー……食べた時の智観さんのリアクションが見たいのに……」
「同感だな」
智観は今まで手を付けずにいた理由を述べた。しかし千秋と明日華の二人は、初めてのモンブランを食べた智観の反応が見たいと言って聞かない。
二対一。多数決で負けていることもあって、結局智観は二人の熱い要望に応える羽目になってしまった。
「では、いただきます」
智観は手に取ったフォークで、モンブランの端の方を小さく切り取って口に運ぶ。
高級な材料を使っているのだろうか。クリームとスポンジ生地は口の中で溶けるように消え、代わりに栗の味が口内を満たす。
「おいしい!」
夢中で智観は二口、三口と食べ続けた。
それから頂上の栗にもフォークを伸ばしてみる。
砂糖で味付けでもされているのか、いつも食べていた栗よりも甘い味がした。
「気に入ったみたいだな」
「ですね」
顔を見合わせる二人。
夢中で食べている智観を、反対側の席に座っている彼女達は微笑ましげに眺めている。
「でも私達の分も少しだけ残しておいてくださいね」
「あ、忘れてた。どうぞ」
千秋にそう言われて、智観は三人で注文を分け合う約束になっていたことを思い出した。
モンブランの乗った皿にフォークを添えて、千秋に渡す。
彼女は一口か二口ほどだけ食べて、今度は隣の明日華に皿を回す。
彼女もまた同じように一口か二口ほど食べ、モンブランの乗った皿は智観の元へと戻ってきた。
少しだけ小さくなったモンブランをフォークで切り取って食べながら、智観はふとあることに気付いた。
「今思ったけど、これって間接キスじゃありません?」
「あ……」
「確かに……」
しばし固まる千秋と明日華。
やがて一足先に沈黙から回復した明日華が言った。
「ま、まぁ女同士だし……気にしなくても良い、のか?」
遅れて千秋が答える。
「そ、それでもちょっと恥ずかしいです……」
恥ずかしいという千秋の言葉を聞いたせいだろうか。智観までも意識してしまい、今更になって恥じらいの感情が出てきてしまった。顔を赤らめ、俯いて無言になる智観。
「お客様、コーヒーをお持ちいたしました」
絶好のタイミングで現れてくれた店員が、智観には救世主のように見えたのだった。
それからコーヒーに続いてホットケーキやピラフが届いた為、三人はそれらを交換し合ってそれぞれの味を堪能した。
ただし先程のこともあって、食器だけはそれぞれ自分のものを使うことにした(千秋と明日華の二人の間では、幼馴染ということもあって慣れている為か、その後も共用していたのだが)。
喫茶店での食事の後、三人は明日華の希望でゲームセンターに行くことになった。
ゲームと一口に言っても一体どんなゲームが遊べるのか。智観は密かに楽しみであった。
明日華達の案内でゲームセンターに足を踏み入れた智観をまず歓迎したのは騒音だった。
「う、なんか耳が痛い……」
「ですよね。私は今でこそ慣れましたが」
千秋は苦笑いを浮かべている。彼女も最初はこの騒音が苦手だったのだろう。
「まぁそのうち気にならなくなるさ。今日は長居するつもりは無いよ、って居ない!?」
話している途中で、明日華は智観が姿を消していることに気が付いた。
「智観ー! どこに行った!?」
「智観さーん!」
二人が大声で彼女の名を呼ぶと、店の奥の方から小さく返事が聞こえてきた。
「こっちです。来て下さい!」
騒音に掻き消されそうな智観の声。その声に切迫した様子は感じられない。
ほっと胸を撫で下ろし、二人は声のした方へと向かう。
そこにはテーブル状の筐体の上に浮かび上がった岩山のような風景と、そこに立つ二十センチ余りの人型のキャラクターを注視する智観の姿があった。
プレイヤーらしき青年が筐体の端に設けられたコンソールのボタンを操作すると、人型のキャラクターは彼の意思を忠実に反映してステージ上を走り出す。それに伴って周りの風景も動き出す。
やがてステージの外から様々な異形の者達――敵キャラクターらしい――が現れ、プレイヤーキャラクターに襲い掛かってくるが、青年は軽快なボタン捌きでそれらを一蹴して突き進んで行く。
「何か宙に像が浮かんでますよ! これって何なんです!?」
智観の興味の対象は、三つあった。
ゲームそのもの。プレイヤーの操作。そして見たこともない、宙に像を投影している筐体だ。
「三次元スクリーン搭載型の筐体だな。私は好きだけど、でかいし嵩張るし料金も割高だしで、あまり見かけないんだよな」
興味があるならやってみたらどうかと明日華が言うので、前のプレイヤーが終わるまで観戦して待つことにした。彼女によると「すぐに終わるだろう」とのことらしいが……
果たして青年のプレイはそれから数分で終わってしまった。
幅一メートル、奥行き二メートルのスクリーンの半分以上を埋め尽くす巨大な敵キャラクター――ステージボスとか言うらしい――を簡単に倒したまでは良かったのだが、次のステージに入った途端、明らかにプレイヤーキャラクターの動きがたどたどしくなり、すぐにゲームオーバーとなってしまった。
「どうしてすぐに終わるって分かったんですか?」
予言が的中した理由を尋ねてみる智観。
「いや、立ち回りが一面番町っぽかったからな」
明日華は事も無げに答えた。
一面番町という言葉の意味はよく分からないが、少なくとも褒め言葉では無さそうだ。
智観の見た限りでは、むしろ最初は上手かったようだが、見る人が見れば違いが分かるものなのだろうか。
「それより空いたみたいだから、遊んでみたいのなら今のうちにやってみたらどうだ?」
明日華に言われてコンソール前に配置された座席の方を見ると、既に青年の姿は無かった。別のゲームを遊びに行ったのか、それとも帰ったのだろうか。
筐体上には先程とは違うシーンが、デモムービーとして映し出されている。
「じゃあ早速」
智観はやや興奮気味に座席に腰掛け、コイン投入口――上にL400と書かれている――に百ルミナ硬貨を四枚投入した。
するとムービーが一瞬にして掻き消え、智観の眼前に十数体のキャラクターの像が現れた。
どれを選択しようか悩んでいると、横から明日華がアドバイスをくれた。
「まぁ最初はどれを選んでも同じだろ。好きなのを選んだら良いんじゃないか?」
「じゃあ……この子にしよっと」
アドバイスに従って、智観は第一印象の良かったツインテールの少女のキャラクターを選択することにした。単に自分とよく似た髪型(ただしゲーム内の彼女の方が若干長いし、色も黒なのが異なる)だった為、親近感が湧いただけなのだが。
キャラクターを選択すると早速ゲームが始まった。
まずは明日華のアドバイスに従って操作に慣れることにする。ジャンプや剣による斬撃、魔法等を一通り試したところで、智観はこのゲームの世界が非常に現実に忠実に作られていることに気付いた。
空を示す上方のスクリーンには照り付ける太陽が輝いており、遠くの風景は陽炎を再現してか微妙に揺らいで映っている。砂漠の熱気こそ伝わって来ないが、各所のスピーカーから体全体に響いてくるサウンドと併せて、本当に別の世界に紛れ込んだかのような臨場感がする。
それから明日華が教えてくれる通りに、レーダーが示すボスキャラクターの元へと向かったのは良かったのだが、途中で敵に囲まれてあえなくゲームオーバーとなってしまった。
時間にして五分余りの短い間のことだった。
だが彼女の手には自分の思った通りにキャラクターを動かす感覚が。彼女の目にはスクリーンに投影されたこことは異なる世界が焼き付いて離れなくなっていた。
「プレイしてみてどうだった?」
「驚きました?」
明日華が席を立った智観に尋ねた。
千秋も傍に寄ってくる。
「えっと……なんだか色々と凄かったです」
この感動を表現する言葉が浮かばないことが、智観にはもどかしかった。
「だろ!? よし、じゃあ最後に記念写真を撮ってから帰るか!」
「はい!」
「記念写真?」
写真。それは今日という日の思い出を形として残せる代物だ。
まだ興奮冷めやらぬ智観は、また新たな期待を胸に、二人の後について行く。
明日華達に連れられて、写真機のところまで案内された智観。
全員が撮影用のスペース内に入ったのを確認すると、千秋は慣れた手付きで硬貨を投入し、ボタンを操作して準備を進めていく。間も無く、正面のスクリーンに可愛らしい柄のフレームが表示された。と、そこで手を止め、肩が触れ合う距離で密着している智観達に尋ねてきた。
「服装はどうします?」
「適当に決めてくれ。それで智観さんもいいよな?」
どうやら映る服装が選べるらしいのだが、どんなものがあるのかがまず分からない。
なので智観も明日華の意見に黙って頷いておいた。
「えーっと……」
千秋はボタンを操作して服装を選んでいく。
彼女が指を動かす度、スクリーンに映った智観達三人の衣装が目まぐるしく変化する。リアルタイムで服装を合成して表示しているのだろうか。ちなみに当然ながら、実際の彼女達の服装は変化していない。
「あ、これなんかどうですか?」
と、そこで千秋が手を止めた。
彼女が選択した衣装は、千秋がメイド服、明日華が西洋の王子らしき服装、そして智観が純白のドレスと冠といったものであった。
昔、何かの絵本で見た王女やお姫様を思わせるドレスだ。
一度でいいから、合成ではなくて実際にこんなドレスを着てみたいな。
智観がそんなことを考えていると、何やら選択に不満があるらしい明日華が、千秋に文句を言っていた。
「なぁ……どうして私が王子なんだ……」
「あれ? 適役だと思いますよ。ですよね、智観さん」
「えっ!? うん……確かにそうかも」
いきなり話を振られて困惑した智観はつい頷いてしまった。
「そんな! 智観さんまで酷いぞ……」
口をへの字に曲げて拗ねる明日華。
千秋はそんな彼女の態度を見てクスリと笑うと言った。
「なんてね。ちょっとした冗談です。ね、智観さん?」
「で、です。あはは……」
実は少しだけ本気で王子役が似合っていると思ってしまっていた智観だったが、そのようなことは口が裂けても言えない。少しずるいとは思いつつも、笑って誤魔化しておくことにした彼女であった。
それから、千秋は明日華の衣装を女騎士風の銀色の鎧に変更した。智観は今のドレス姿が気に入っていたので、王女のままにしておくように伝えると、その状態で撮影が行われることとなった。
「はい、出来ましたよ」
印刷が終わると、千秋は写真の印刷された紙を取り出して智観達に見せてくれた。
紙には小さな同一の写真が、ぎっしりと三十枚詰め込まれて印刷されていた。
写真の中では、中世の西洋風の衣装を纏った三人の少女達が柔らかい笑みを浮かべている。
なお、この写真一枚一枚はシールになっているらしく、別々に剥がせるようだ。
「はい、どうぞ」
千秋は備え付けのはさみで十枚だけを切り取ると、それを智観に手渡した。
「わぁ……これ貰っていいんですか?」
「もちろんですよ。三人で撮ったものじゃないですか。はい、明日華にも」
当然といった風に千秋は答え、更に十枚を切り取って、今度はそれを明日華に手渡す。
そして残った十枚が、千秋本人の取り分ということなのだろう。三十枚をちょうど三等分だ。
智観は改めて、自分の映ったその写真を見つめる。
初めての友達と一緒に撮影した写真。
写真の中の智観は、彼女自身でも驚くほどに自然に笑っている。
これから先、どのような未来が待ち受けているとしてとも、この瞬間の輝きだけは永遠に残ることだろう。
智観達が市街地の観光を楽しんでいる頃、智観の部屋には一人の来客があった。
「智観ちゃーん、いるー?」
国防軍の少尉、梨恵だ。
もっとも今は私服なので、彼女のことを知らない人には、ただの学園の上級生にしか見えないだろうが。
彼女は智観の部屋のドアノブが回らなかったので、戸をノックして名前を呼んでいるのであった。
そんな彼女に思わぬところから声が掛かる。
「誰? 小林さんは朝からいない」
声の主はいつの間にか梨恵の背後に立っていた一人の少女だった。
豊かな茶色の髪と白い肌を持つ彼女は、風に吹かれただけで消えてしまいそうな程に儚い印象を見る者に与える。ただ、赤い瞳から発せられる眼差しだけが存在を主張している。
「私は梨恵って言って、智観ちゃんの……まぁ知り合いかな? 智観ちゃん、いないの?」
名前を教え、もう一度智観のことについて尋ねる梨恵。
「朝に出掛けてから、戻ってない」
答えは同じだ。続いてもう一つ気になったことを質問する。
「どうして知ってるの?」
「小林さんの部屋は私の隣だから」
「あ、なるほど」
隣の部屋の住人ならば知っていても不思議ではない。別に出掛けるところを見ていなくても、気配や物音で、隣に人がいるかどうかくらいは簡単に分かる。
「じゃあ私はこれで」
それから少女は、用が終わったとばかりに、隣にある自分の部屋へと戻っていった。
再び一人になった後、梨恵は独り言のように小さく笑って呟いた。
「智観ちゃん、友達出来たみたいね。良かった」
市街地から学園へと帰るバスの中、智観は睡魔に身を委ねていた。
千秋と明日華は彼女の寝顔をまじまじと眺めている。
「智観さん、疲れたんでしょうかね?」
「だろうな。まぁ学園前まではまだまだだから、しばらくはそっとしておいてやろう」
「そうですね。寝顔も可愛いですし」
三人の少女を乗せたバスは、ゆっくりと学園への道を走って行く。