第五話 初授業
神暦百八十二年四月八日。
今日からいよいよ、オーランティア魔法学園の今年度の授業が開始される。
ただし魔法学園を謳ってはいるものの、国防軍の軍人となる者を育成する機関である為、授業内容は多岐に渡る。国語や数学等の基礎的な教養はもちろんのこと、家庭科や体育(最初の授業の時に、体に合ったサイズの体操服も配布された)の授業まで存在する。
これは教師いわく、野戦の際に必要な技能を教える為なのだとか。
ちなみに担任の蔭山から聞いた話では、肝心の魔法の授業は、四月一杯は座学のみとのことだ。
魔法を扱う力――魔力を持たぬままに入学してくる者達が毎年少なからずいるので、彼等に覚醒の儀式を施す必要があるからというのが理由らしいのだが、具体的にどういう内容のものなのかは当事者以外には知らされないので詳細は不明だ。
これまで単純な読み書きと四則演算程度しか習って来なかった智観にとって、品詞の活用や未知数、関数といった概念は新鮮なことこの上無かった。最初は理解に苦しんだ部分もあったが、奥深さを知っていくにつれて次の授業が待ち切れない程になっていった。
しかし、それらよりも何よりも智観が興味を持ったのは、歴史の授業であった。
特に神暦以前の時代、すなわち西暦が用いられていた時代の話に強く惹かれた。
その時代の人達が何を思い、どのように過ごしてきたのかを考えてみると、彼女はついつい時間を忘れてしまう。
「……やし! 小林!」
「え!? あ、はい!」
つい空想に耽り過ぎ、教師の指名の声すらも聞こえなくなってしまっていたようだ。
「話は聞いてたか? 教科書の五ページを読んでみろ」
「はい。済みません」
大声で自分を呼ぶ声でようやく現代に帰って来られた智観は、慌てて指定された箇所を朗読する。
周囲からはクラスメイト達の笑い声が聞こえる。
(あぁ……赤っ恥をかいてしまいました……)
彼女は空想に耽り過ぎていた先程の自分を恥じ、今度からは少しだけ空想を控えようかと反省した。
授業が終わった後、何気なく折り込みの年表を見ていると、前近代のところに空いた不自然な空白が目に付いた。古代なら空白があっても珍しくは無いのだが、中世以降、特に情報過多の時代であったとされる前近代では珍しいことだ。
しかもよりにもよってと言うべきか、大戦時代を含む西暦二十三世紀――神暦では前一世紀になる――にあたる部分が欠けていたのだ。その時代のスペースに書かれているのは「世界大戦勃発」という一文のみだ。
「あの、先生。どうしてこの辺りって空白になってるんですか?」
まだ教室にいた歴史の教師に、智観は年表中の不自然な空白のことを質問してみた。
「ん? もしかして授業中もこのことを考えていたのか?」
「はい。そんなところです」
本当は違うのだが、気になっているのには変わりが無かったので頷いておく智観。
すると教師は満足そうな顔になって説明してくれた。
「今から三百年近く前に世界大戦が勃発したことは小林もよく聞いているだろう?」
智観は黙って頷く。これは常識だ。山奥の村で簡単な教育しか受けていなかった頃の智観でさえ知っていた。
「その戦争で数え切れない程の人々が命を落とし、歴史ある都市はことごとく破壊され、人類の財産とも言うべき文献も多くが失われたんだ。例えば……」
教師が遠いところを見るような目をして歴史を語る間、智観は黙って彼の話に耳を傾けていた。いや、傾けざるを得なかった。
「そして人類は一度文明を失い、世界に混沌の時代が訪れたのは知っての通りだ。つまり、その時代の人々は歴史を文献に残せなかったか、あるいは残された数少ない記録も大半が戦災で失われてしまったんだよ」
何とも壮大な話になってしまい、反応に困る智観。
自分達の物語を誰にも伝えられなかった彼等の苦しみはどれ程だろうか。
「……その人達の為にも、その時代を知る手がかりが出てくると良いですね」
答えられたのはそれだけだ。
「あぁ。先生はいつかきっと、その時代の記録が発掘されると信じてるよ。それにその時代を知る手掛かりが全く無いというわけでもない」
記録が無いと言ったのに手掛かりがあるとはどういうことだろうかと、智観は疑問符を浮かべる。
教師は智観の表情から考えを読み取ったのだろう。答えを教えてくれた。
「口伝だよ。大戦時代から伝わる」
「口伝……ですか」
智観は教師の言葉をそのまま繰り返して言った。
「実はな、各地に伝わっている話の中には、大戦時代のことを表しているとされるものが少なくないんだよ。すぐには無理でも、いつか必ず解明されるさ」
教師は説明を終えると、もう質問は無いかと智観に聞いてきた。
他には特に聞くことは無かったので、智観はお礼を言って席に戻る。
生徒が興味を持ってくれたことが嬉しかったのか、歴史教師はやはり満足げに教室を出て行った。
火曜日、水曜日と、一日六時間の授業が詰まった勉強尽くしの日々は、飛ぶように流れていく。智観にとっては発見の多い日々だが、何分忙しい為に時間が流れるのが早く感じられてしまうからだ。
そして木曜日の三時間目と四時間目には、この学園を魔法学園たらしめている魔法の授業の第一回目があった。ただし前述の通り、今月一杯は座学のみらしい。
魔法担当の教師は、Cクラスの担任でもある蔭山だ。
別にそれほど親しくなったわけではないが、担任の授業となると妙に安心できる智観がいた。
蔭山はやはり丸みを帯びた字体で、魔法の基礎理論と属性についての板書を始めた。
智観や他の生徒達は、他の授業の時にもそうであったように、それを各々のノートに書き写す。
ほとんどの生徒が書き終わったかというタイミングで、蔭山は説明に入った。
「現在、私達が使っている魔法は、ほとんどが既知の自然現象を魔力を用いて再現したものです。これは魔法が術者の思い描くイメージに依存している為だと考えられています」
智観は蔭山の口調が普段と違うことが少し気になったが、多分こちらは授業時専用の口調で、普段の朝礼や終礼の時のものが素の口調なのだろう。
「魔法を使用する際には呪文の詠唱が必要なのですが、この詠唱こそ、術者の中にイメージを固める為に必要な作業であります。ゆえにどこの言語の呪文であろうと、その意味が分かる人が唱えれば意味あるものとなりますし、分からない人には何の意味も無いものとなります」
魔法を使う際には術者のイメージが重要になる。これは智観が母の友恵から魔法を教えてもらう時にも何度も聞いた言葉だった。
唱える呪文そのものに意味があるのではなく、それを口にすることによって起こる術者の心の変化こそが魔法を発動する鍵になる。一応知ってはいたが、智観はこの重要な事実を、赤ペンでノートにメモしておいた。
「魔法を使うにはイメージすることが大切。ここまではいいですね?」
蔭山は該当箇所を色付きのチョークで囲って強調する。
生徒達は頷く。
「ですが全てひっくるめて魔法と言っただけでは漠然とし過ぎていますし、教えるのにも実際に使うのにも不便です。そこで初期の魔道士の人達は何らかの方法で魔法を分類したのですが、どのような方法で分類したのでしょうか?」
考えてみて下さい、と言って蔭山は生徒達に考える時間を与えさせようとしたのだろうが。
「はい!」
数秒と経たぬうちに一人の生徒が挙手した。あの宣誓を読み上げた伊藤麗奈だった。
「伊藤さん」
蔭山に当てられた麗奈は立ち上がり、いつもの高く力強い声で答えた。
「魔法を性質に応じた『属性』に分類し、整理しました」
果たして麗奈の解答は完璧だった。
それを受けて蔭山は「属性」の説明に入る。
属性の分類も所詮は人間が自然を観察したうえで、魔法をそれらに当てはめたものに過ぎないものである。分類法は何通りもあるし、どのように分類しても溢れてしまうものが幾つかは出てきてしまうと前置きして、彼女は代表的な二通りの分類法を黒板に板書した。
黒板の左側には十字の上下左右にそれぞれ火水土大気と書かれた図が、右側には五角形の各頂点に木火土金水と書かれた図が描かれた。
「左側は西洋で、右側は東洋で、古代に使われていた分類法です。彼らは身の回りのあらゆるものは何らかの属性を持つと考え、このような分類を生み出しました」
それから蔭山は図が表す意味の説明に入る。
まず彼女は左側の図――西洋式の図――について説明した。こちらは四元素論という説に基いたもので、軽い元素から成る物質が上に、重い元素から成る物質が下に行く性質があることを示しているらしい。
続いて右側――こちらは東洋式である――についても説明した。こちらは陰陽五行説なるものに基いているらしく、各属性間の影響や強弱関係を表したものなのだとか。
智観は話の中で重要そうな部分を選んで、ノートに写した図の横にメモしておく。
「さて、それでは質問です」
丁度彼女が手を止めたあたりで、蔭山が全員に向かって言った。
まだ何かを書いていた生徒も手を止めて蔭山の方を注視する。
「雷はこれらの図の中のどこに入るでしょうか?」
質問内容が告げられると同時に、「ええ!?」などという呟きが教室のあちこちから漏れた。どうやら見当も付かないという生徒が大多数のようだ。
智観もその大多数の中の一人だった。
(考えられるとしたら……火?)
それでも何とか知恵を絞り、火ではないかという結論に行き着いた。根拠は落雷が火災を引き起こすことである。
改めて考えてみてもこれ以外には思いつかない。言ってみようか、と智観が思っていると一人の少女が挙手した。昨日、魔力測定の前に質問もしていた、赤い長髪の少女だ。
「はい。日野さん」
「それはもちろん『火』です!」
蔭山に指名された日野という苗字の彼女は自信満々に答えたのだが。
「残念ながら、どちらの図でも『火』には入りません」
見事なまでに外れであった。
「嘘ー!?」
余程自信があったらしい彼女は、意気消沈した様子で机に突っ伏した。
内心では智観も少し落胆していた。同時に、早まって挙手したりしないで助かったとも思っていた。歴史の授業の時に笑いものになってしまったうえ、今ここで自信満々に間違えたりしたら今後の学園生活に色々と支障が出そうだ。
その直後、後ろの方の席に座っていた少女が挙手した。
緩やかに広がる濃い茶色の髪が美しい、落ち着いた印象の少女だった。
北条と呼ばれたこの少女は、短く「大気」とだけ答えて再び口を閉ざしてしまった。
「その通り、『大気』です。よく出来ました」
彼女の答えを聞いた蔭山は、その答えをクラス全員に聞こえるように大きな声で繰り返し、それから補足説明に入った。
「古代の西洋では、風や雷などの大気中で起こり得る現象は全てこの大気という属性の中に含んでいたわけですね」
話を聞きながら、智観はなるほど、と感心していた。
確かに雷は大気中で起こる放電現象なのだから、大気属性に入るのが妥当だろう。
しかしそうなるとますます深まる謎がある。
「それでは右の図ではどうでしょうか?」
そう、東洋式の右の図の方だ。こちらには大気属性は無い。
かと言って、火でもないことが先程の日野の誤答で判明している。
(あれ? でも確かあの図って……)
そこで智観にある考えが閃いた。
落雷は火災を引き起こす事実と、この陰陽五行説の図が表す意味とを併せて考えると、一つの結論に行き着く。
「はい」
正解だと確信した智観はそう言って挙手した。のだが、自分の声に別の誰かの声が重なったのが分かった。
教室内を見回すと、同じように挙手をした人物――昨日少しだけ話した伊藤麗奈である――が、智観の方を睨んでいるのが目に映った。
二人の目が合うと、麗奈は蔭山に無断で一つの提案をしてきた。
「あら、あなたも分かったの? 人は見た目によらないものですわね。折角だから同時に答えを言ってみるってのはどう?」
「はぁ……まぁ好きにして下さい」
智観としてはあまり乗り気ではなかったが、下手に断ると何を言われるか分かったものではない。それが不安なのでとりあえず承諾することにした。
蔭山も面白そうだという理由で承諾してしまい、三、二、一の合図で同時に答えを言うことになってしまった。智観としては教師の権限で却下してほしかったのだが。
「それじゃあ……三、二、一」
「木!」
蔭山の合図に従い、智観と麗奈の二人は同時に同じ答えを口にした。
智観が自分と同じ答えを言ったことが気に入らないのだろうか。麗奈はむっとした表情で、先程よりも一層強く智観の方を睨み付けてきた。
智観は蛇に睨まれた蛙のように小さくなって、教師の助け舟を待つ。
「その通りです。二人とも大正解!」
蔭山は二人を交互に見て言った。
正解と聞いて智観は内心で安堵の溜息を吐いた。
麗奈の方も表情が幾分か和らいだように見える。
「ま、あたしは家庭教師に基礎から魔法を習ってたもの。このくらい当然よ。あなたもそうでしょう?」
「いえ。私はちゃんと習うのはこれが初めてですが……」
一応智観も母が生きている頃に魔法を教わってはいたが、理論的なことは前述の、魔法を使うにはイメージが大切ということしか教わっていない。
後は全て実用的な訓練だった。とは言っても、彼女は実用方面はからっきしで、小さな火の粉や水滴を出すだけで精一杯だった。
つまり智観は素人同然の状態であり、魔法について正規の教育を受けるのはこれが実質初めてである。
だからこの答えは嘘ではないのだが、それが逆に麗奈を刺激する結果になってしまった。
「初めて? じゃあ何で分かったの!? 説明してみなさいよ!」
途端に予想も付かない程に真っ赤になって、険しい顔付きで智観を問い詰める麗奈。
(一体この人は私に何の恨みが……?)
無意識のうちに迷惑を掛けてはいなかったかと自問自答してみる智観だったが心当たりは無い。第一、出会って一週間も経たないのだから恨みなどあるはずが無い。
そもそも初対面の入学式当日から既に好意的に思われていないようだったが。
早くこの場を切り抜けたいと思って、智観は自分の推論の過程を説明することにした。
「えっと……雷は雲、つまり水ですね。そこから発生して、地面に落ちると火を起こしますよね。だから水から生まれて火を生み出すもの、つまり木に入るんじゃないかと思ったんですが……」
「……で、どうなんですか、先生?」
麗奈は鋭い目付きで蔭山の方に目を遣る。
教師に判断を委ねるということは、彼女が正解を知らない何よりの証拠だ。
「完璧ね。よく出来ました」
どうやら智観の考え方は正しかったらしい。
ただ、褒められても素直には喜べない智観がいた。言うまでも無く、原因は麗奈だ。
自分が知らなかったことを智観が知っていたことが悔しかったのだろうか。蔭山の話が再会されても、麗奈はずっと不機嫌そうな態度を崩すことは無かった。
どうもこの麗奈という少女、相当プライドが高いらしい。
それが上流階級の出身らしいことに起因しているのか、それとも彼女の生まれ持っての気質であるのかは、誰にも知る由が無いのだが。
次に蔭山は今の雷を例に取り、属性区分は時代によって最適解が変わってくるものであると説明した。
例えば先の二つの区分は電気というものが発見されていない時代の区分である為、現代人が使用するには不向きであることなどだ。
このような分類を使用すると術者のイメージを阻害する為、魔法の詠唱に必要以上の時間が掛かったり、最悪の場合発動に失敗してしまったりするのだと言う。
「そこで現在の分類を紹介したいと思います。プリントを一枚ずつ取って後ろに回して下さい」
智観や他の生徒達の手元に回ってきたのは、円が幾つかに区切られた図の描かれたプリントであった。
火や水、土など、幾つかは先程の図とも共通しているが、雷や光や闇などはこの図に特有のものだ。
全員にプリントが行き渡ったのを確認すると、蔭山は説明を再会する。
曰く、これが現在世界で最も一般的な属性区分で、連合政府の発行したものなのだという。
ちなみにこれは百六十年度版であり、約四十年に一度の割合で改定されているらしい。
三時間目の授業が終わるや否や、智観もある程度予想はしていたのだが、彼女の机の前に麗奈がやってきた。
「今日はあたしの負けだったけど、実技では負けないから覚悟しておきなさいよ!」
彼女はそれだけ言うと、智観の返事も聞かずに足早に自分の席へ戻って行った。
相手にすると疲れそうな気がしたので、智観は聞き流しておいたのだが、麗奈はそのことにすら気付いているのかどうか定かではない。
もっとも、仮に気付いていたとしても、彼女がそれで引き下がるとは思えないのだが。
第一週目から厄介な人物に目を付けられたと重い、智観はこれからこのクラスで上手く過ごして行けるか、少し不安になるのであった。
時は流れて土曜日の昼過ぎ。
土曜日は基本的に午前中だけで授業が終わるので、昼食を食べ終えた生徒達は各々の時間を過ごしていた。
ある者は友達と街へ、ある者は勉強道具片手に図書館へ、またある者は自室へ。
智観も昼食後は真っ先に自室に戻ってきていた。
「疲れたー……」
そう言って鞄と制服の上着を机の上に置くと、勢い良くベッドに倒れ込んだ。
ふかふかのベッドが全身を受け止めてくれる感触を心地良く感じながら、智観は夕方まで一眠りしようかと思った。
まどろみの中で、智観は梨恵に貰った剣のことを思い出した。
(結局一度も鞘から抜いてませんね)
だが今日は予想外に疲れていることもあって、それ以上考える気にはなれなかった。
程無くして彼女の意識を睡魔が襲ってきた。