第四話 入学式
神暦百八十二年四月六日。
この日は国立オーランティア魔法学園の入学式の日だ。
講堂に集められた新入生と保護者、そして在校生代表の二年生。
この学園は六年制であるにも関わらず二年生の姿しか見えないのは、講堂に在校生全員を収容するだけの席が無い為だろうか。詳しい理由は不明だが、ともかく三年生以上の生徒の姿は無く、二年生だけが在校生代表で来ているようだ。
式が始まると、まず理事長の話が、続いて校長の話があった。
合計で約三十分も話が続いた為、途中から二年生のほとんどはうんざりした様子で話にはあまり耳を傾けていなかった。いや、在校生のみならず、新入生である一年生も半数ほどはそんな調子だ。
残りの半数の反応は様々だったが、今日から始まる学園生活を前にして緊張している者がその内の大半であるように思われた。
ちなみに智観はいずれにも含まれない。
全く緊張していないと言えば嘘になるが、それよりも好奇心が上回っていた。本格的な学校に通うのは生まれて初めての経験なので、退屈な長話ですらも楽しめてしまったからだ。
だが熱心に理事長達の話を聞いていたとも言い難い。
むしろ講堂に詰め込まれた大勢の生徒達を観察するのに力を注いでしまっていた。年齢一つ取っても十代半ばから二十代と様々で、見ているだけでも全く飽きが来なかったからだ。
女子生徒達は当然ながら皆智観と同じ制服を纏っている。ただし一年生と二年生ではリボンタイの色が違っており、一年生は彼女と同じ赤だが二年生は青だった。なお、男子生徒は紺色のブレザーを着用しており、こちらはネクタイの色で学年を区別しているようだ。
校長の話が終わると、次は新入生代表が宣誓を読み上げる番だ。
読み上げる生徒は端正な顔立ちと綺麗な身のこなしから、一目で上流階級の出身であることが分かる少女だった。壇上に出てくる時の歩き方だけでさえ、自分達のような平民とは別種の存在であるという雰囲気が滲み出ている。
壇上に上がった少女は背筋を伸ばして立つと、宣誓文の書かれた紙を目の前で広げて読み上げた。姿勢と同じく、胸あたりまで真っ直ぐに伸びた青い髪が美しく、同性の智観から見てさえ魅力的に映る。
「宣誓。本日より私達は、この美しき国立オーランティア魔法学園の生徒となり、将来の我が国の礎となれるよう勉学に励みます」
それから少しの間、宣誓文の読み上げが続いた。
彼女が力強く美しい声でその文を読み上げる間、講堂は静まり返り、ただ彼女の声だけが響いていた。智観も含めたほぼ全員が、彼女の言葉に聞き入っていたのだ。
「最後に、お忙しい中ご参列下さいましたご来賓、教職員、保護者の皆様に、心から感謝いたします」
講堂内の全員の視線にも全く物怖じすること無く、彼女はそう締めくくると、折り畳んだ紙を校長に手渡して壇上から降りた。
遠いのではっきりとは見えなかったが、席へと戻る彼女の黒い瞳には強い信念と自身が宿っているように、智観には見えた。
その後は来賓や市長、首相からの祝電の読み上げが行われ、式は無事に終了した。
式が終わってからはクラスごとに分かれてそれぞれの教室へと行くことになった。
智観はまだ自分がどのクラスに配属されたかを確認していなかった為、前庭の掲示板まで確認しに行かなければならなかった。
(えっと、小林小林っと……)
ずらりと並んだ入学者の名前の中から、「小林智観」という名を探す。
何分入学者数が多く、総数は千人近くにも上る。その中から自分の名前を探すというのは一苦労である。男子と女子で完全に別のクラスに分かれている為、探す手間が約半分になっていることだけがせめてもの救いだ。
(あ、ありました!)
彼女の名前は女子のCクラスのところに記されていた。
Cクラスの教室がどこかは知らなかった彼女だが、多分他の一年生が沢山いるところを適当に歩いていれば見つかるだろうと楽観的に考え、校舎に戻ることにした。
それから数分で目的の教室を見つけた智観は、前方のドアから教室内に入った。
中には五十個ほどの机が並んでおり、半数ほどの生徒は既に自らの席に着いていた。
まだ席に着いていない生徒は、教室を間違えたか、トイレに行っているかだと思われる。
他の生徒との会話に興じている者も少数ながら見られたが、これは入学前からの知り合いか何かだろう。見知らぬ者ばかりの教室と言うこともあって、必要以上に緊張している者や、話すきっかけが掴めずに黙って様子を伺っている者がほとんどだった。
智観もその中の一人である。彼女の住んでいた清冷村には同年代の子供がいなかった為、話しかけようと思ってもどう切り出せばいいのか見当が付かなかったのだ。だが自分のような者が少数派ではないと知って彼女は安心した。
(なんだ。皆さんも同じようなものなんですね)
そう思って教室内を一通り見回した時、教室の隅の辺りで一際異彩を放っている少女の姿が智観の目に入った。あの宣誓文を読み上げた青い長髪の少女だ。
彼女もまた、誰とも話すことなく一人で席に座っているだけだった。しかしその堂々たる佇まいからは、会話したくとも一歩が踏み出せないでいる智観達とは異種の感情が伝わってきた。むしろ意図的に他者から距離を置いているようにも見受けられる。
「何?」
智観がじっと見つめていると、視線を感じたのだろうか。智観の方を向いて短くそう言った。この少女、講堂では分からなかったが、近くで見ると目付きがやや鋭い。
そんな彼女に凝視された智観は睨まれたような印象を受けてしまい、慌てて目線を黒板の方に逸らして答える。
「あ、いえ……別に用があるわけでは……」
「そう。それなら、あまりじろじろ見ないでくれる?」
少女は智観の様子など別に気にした風も無く、また前に向き直ってしまった。
(はぁ……幸先悪いですね)
初めて会話出来たクラスメイトがよりにもよってこのような冷たくぶっきらぼうな人物だったことに智観は落胆すると共に、今後このクラスに馴染めるのかが少し不安になってきた。
他のクラスメイトにも話しかけてみようかと思ったが、この苦い経験のことを思うと腰が引けてしまう。結局担任が来るまでの間、彼女は他に誰とも話すことが出来なかった。
担任の教師が部屋に入ってくると同時に、席を離れて友達と話していた者はバタバタと急いで席に着いた。
担任は二十代と思われる女性だった。身を固めるグレーのスーツと黒のパンプスが、見る者に引き締まったイメージを与える。
彼女は教壇の前に立つと、開口一番に自己紹介をする。
「初めまして。これから一年間、皆さんと一緒に勉強することになった、担任の蔭山恭子と言います。よろしくお願いします」
担任となった蔭山がそう言って一礼すると、智観や他の生徒達も「よろしくお願いします」と礼を返した。
それから彼女は黒板に、意外にも丸みを帯びた字体で「蔭山恭子」と書いた。丁寧に横に「かげやまきょうこ」と振り仮名まで付けてある。
(しっかりしてそうな先生なのに、字は可愛いんですね)
ただし智観は担任教師の名前そのものよりも、むしろ字体の方を見てそんな感想を抱いた。
「では、これから身体測定の番が回ってくるまでの間、皆さんには自己紹介をしてもらいたいと思います」
その後は担任の一声で自己紹介の時間となった。
順番に名前と年齢、簡単な紹介文を言っていく。
ちなみに最初は名前の関係上、あの目付きの鋭い青髪の少女の番だった。名前を伊藤麗奈という彼女は、自己紹介の時にもやはり無愛想だった。
彼女の後も一人、また一人と紹介を終えて、智観の番はみるみるうちに迫ってくる。
彼女はこのような場合に何と言えば良いのかは知らなかったが、思うままを語れば何かしら伝わるだろうと考えて、思うままを言葉にした。
「小林智観。現在十五歳です。私を助けてくれた命の恩人みたいに、強い魔道士になりたいと思います」
周りの反応が怖かったが、感激されるでもなく、笑い飛ばされるでもなく、何事も無く次の生徒の番に移った。少なくとも失敗ではなかったことに安堵する智観。
自己紹介は滞り無く進み、やがて最後の五十人目が紹介を終えたところで終了となった。 なぜか全員が十五歳だったことを智観は疑問に思ったが、この疑問は近いうちに解決することになる。
自己紹介が終わって少しすると、Cクラスの教室に別のクラスの一年生が現れた。彼女は自分がBクラスのものであること、自分達の身体測定は終わったので次はCクラスの番であることを担任の蔭山に告げると帰っていった。
蔭山の引率で保健室まで行き、身長や体重等を測ってもらうCクラスの面々。
身長やバストを測る時に小細工して水増ししようとする不届き者が数名いたものの、こちらはすんなりと終わった。
全員が保健室を出たところで蔭山は言う。
「次は魔力の測定を行いますので、魔法演習場に移動します。はぐれないようについて来て下さい」
魔力の測定と聞いて、並んで移動しているCクラスの各所でざわめきが起こった。
「えー、わたし魔力とか測れないよー」
「私なんてまだ魔法も使えないのにー」
謙遜か事実か、口々にそんなことを言い合うCクラスの面々。
そんな中、一人の生徒が挙手して質問をした。
「先生! 魔力測定ってどんなことをするんですか?」
質問した少女は腰くらいまである赤い髪を、頭の後ろで白いリボンで一本に纏めた少女だった。何と言う名前だったかまでは覚えていないが、確か担任の蔭山が来る前に別の生徒と話していたことだけは智観も覚えていた。というよりは一杯に伸ばした髪の印象が強く残っていただけのことなのだが。
「それは見てのお楽しみ。でも心配する必要は全く無いわよ」
蔭山は口元に手を当てて笑い、長髪の少女の質問に答えた。
その答えを聞いた彼女は、すぐ傍にいた別の少女に何かを伝える。会話することで不安を払拭してやっているのか、それとも単に測定方法の予想でもしているのか……
かく言う智観も魔力を測定した経験など無いので方法は知らなかったが、同じような生徒は少なくない様子なので、きっと難しくはないだろうと予想してみる。
結論から言うと彼女の予想は的中していた。
魔力の測定は、魔道球と呼ばれている球体――智観にはただの磨かれたガラス玉にしか見えなかったが――の上に両手を置くだけという簡単極まりないものであった。
球に手を置いたほんの一瞬、体から何かが吸い取られたようで冷やりとした感触がしたが、それもその一瞬だけで終わってしまった。
担当のスタッフが魔道球に接続された装置からデータを読み取って記録すると手を離していいと言われたので、手を離して測定終了となった。
ただし残念なことに、この魔力測定の結果は生徒には公表されない決まりになっているらしく、自分が具体的にどの程度の魔力を持っているのかは知ることが出来なかった。
測定が終わった後、智観達はCクラスの教室に戻って、そこで学生証と教科書を受け取った。
教科書は一冊あたりがかなり分厚いうえに冊数自体もそこそこ数があるので、持ってみるとかなり重かった。少なくとも入学手続きの時に梨恵から貰った剣よりは明らかに重い。
それからは、特にするべきことも無かったので終礼の時間となって、すぐに解散の運びとなった。
放課後。食堂で昼食を摂った智観は、明日から始まる授業に備えてゆっくり休もうと思い、重い教科書の束を持ってさっさと寮の自室へ戻ることにした。しかしその道すがら、この学園の詳細な制度等が気になったので、一旦来た道を戻って事務室まで行き、資料を貰ってきた。重い荷物を持っているので、これだけの移動でも重労働だ。
夕食まではまだまだ時間があったので、自室のベッドに寝転がって、貰ってきた資料を読む。するといくつかの新しい事実が判明した(とは言っても、知らないで入学していること自体がそもそも間違っているのだが)。
まず、この学園は六年制であるが、在学出来るのは最長九年であるということ。これは言い換えると、三回までなら留年が許されるということになる。勿論留年などしないのがベストなのは言うまでも無いのだが。
次に、退学・卒業を問わずに卒業後は国防軍に入隊しなければならないこと。これだけなら智観も梨恵から聞いていたが、退学者と卒業者の待遇にはかなりの開きがあるらしいことも分かった。具体的には、退学者は兵卒からのスタートとなるが、卒業者は下士官からスタートする等である。考えてみれば当然のことなのだが。
また、退学時点で二十歳未満の場合は、二十歳になるまで入隊が猶予されるようだ。これは連合政府の定めた条約で、未成年者を兵士とすることが禁じられている為らしい。
「へぇ、連合政府って意外と色々やってるんですね」
連合政府と言えば、大戦時代とそれに続く混沌の時代で破壊され尽くした人類社会を復興した英雄として名高い組織だ。神暦や共通通貨ルミナを制定したのもこの組織である。
この辺りは有名な話なので智観も知っていたが、未成年者の動員を禁じる条約の話を聞いたのは初めてであった。連合政府が想像以上に多岐に渡る活動を展開していた事実を知り、智観は感心する。
他にも、例えば十五歳で入学した者と十六歳以上で入学した者ではクラスが分けられることなどが分かった。先程の自己紹介で全員が十五歳だったのは、Cクラスが十五歳で入学した者のクラス(のうちの一つ)だった為だろう。
資料を読んで適当に時間を潰した後は、明日から始まる授業に備えて筆記用具と教科書の準備を済ませ、食堂で夕食を摂った。それから一階の共同浴場で入浴をすると、まだ午後八時前だったが早めに床に就くことにした。
明日からは土曜日の午前中までみっちりと授業が詰まっているのだ。
休める時に休んでおくに越したことは無い。