最終話 未来の形
今回でこの物語はひとまずの完結を迎えます。
長らくのご愛読ありがとうございました。
十月十日。智観が退院してすぐの土曜日。
智観達五人は播須市近郊のマンションに来ていた。
彼女達が探しているのは梨恵の部屋だ。
「ほんまにこの棟であっとんのか?」
「えぇ、そのはず。だよな、千秋?」
「はい! 間違いありません」
今日は智観の退院祝いということで、梨恵が自宅でパーティーを開いてくれることになっていた。
智観達いつものメンバーに三年の神田先輩を加えた六人は、あらかじめ教わっていた住所と部屋番号を頼りに梨恵の部屋――彼女はマンションの一室に住んでいた――を探していた。
三十階以上の棟二つからなるマンションは遠くからでも目立つ為、迷うようなことはほとんど無かった。
「それにしても高いね。学園も見えるかなー」
智観は窓を覗いて遠くの景色を眺めてみた。二十二階ともなると流石に眺めは良かった。天気も良い為、遠くのビル群もよく見える。
「無理ね。ここからだと都心のビルが邪魔よ」
「そうなの? ちょっと残念かも」
独り言のつもりだったが、麗奈が答えてくれた。残念ながら学園はビル群に阻まれて見えないようだ。
そうこうしているうちに一行はメモに書かれた番号の部屋へとやって来た。
「お、二二〇九号室。ここだな」
「ちゃんと水島って書いて……あれ?」
表札を見ていた千秋が首を小さく傾げた。
「どうしたの?」
「いえ、もう一つ宮本ってあるんですけど……」
「? あ、本当だ」
千秋に言われて智観も表札を見て、気付いた。水島という苗字の下にもう一つ、宮本と書かれている。
「まさかとは思うけど……」
梨恵に関係のある宮本と言えば、智観は一人しか知らない。確信に近い予感が頭を過ぎった。
「何やってるんだ? 押すぞ?」
「え? あ、ちょっと」
思わず智観は制止してしまう。が、それもむなしく、明日華はインターホンのボタンを押してしまっていた。
「はーい。どちら様ー?」
梨恵ではない女性の声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だ。
「日野明日華と愉快な仲間達です」
「はいはーい。今開けるねー」
インターホンの向こうの人物は、明日華のボケにも全く動じずに応対してみせた。
ある意味凄い、と感心してしまう智観。
「何ですか、今のネーミングは! せめて森本千秋ご一行とかにしてくださいよ!」
一方、千秋は明日華のネーミングセンスに不満があるらしい。確かに智観も「愉快な仲間達」はどうかと思ったが。
「そうやそうや! もっとこう格好良く、神田分隊とかな!」
「先輩! あたし達分隊って言える人数じゃないから!」
先輩や麗奈まで話に割り込んできて、ああでもない、こうでもないと言い合っている。
何だかややこしいことになってきたな。そう智観が思っていると、ちょうど扉が開いて中から一人の女性が姿を現した。
「いらっしゃい。待ってたわよー」
彼女は智観の予想通りの人物――宮本晴海中尉だった。
「こんにちは。どうして晴海さんがここに?」
智観は当然の疑問を投げ掛けたが、答えは単純なものだった。
「あら? 自分の家にいたら変?」
「ここって梨恵さんの部屋じゃないんですか?」
「えぇ、ルームシェアしてるのよ。だからあたしの部屋であって梨恵の部屋でもあるってこと」
「なるほどー」
二人で一部屋を借りれば費用が安く付く。その為に部屋を共有しているというのが理由のようだ。
ルームシェアの最大の懸案事項は相方との関係だが、梨恵と晴海は仲が良さそうなので無用な心配だろう。
「それより早く上がってねー。梨恵なら買い出しに行ってるだけだから」
今は梨恵はいないようだが、すぐに帰ってくるらしかった。
「ではお言葉に甘えて。お邪魔しまーす」
智観は晴海の言葉に甘えて部屋で待つことに決めた。軽くお辞儀をして部屋に入る。
「お邪魔します。ほら、皆も来て」
続く悠里は丁寧にお辞儀をしていた。彼女に促されて、他の四人も部屋に上がった。
思ったよりも広い部屋の中では、既にほぼパーティーの準備が整っていた。留守番の晴海が済ませたのだろう。
後は梨恵を待つだけだったが、彼女もしばらくすると帰ってきた。
「うふふ。皆が来てくれて嬉しいわ」
智観達が全員揃っているのを見た梨恵は、開口一番にそう言ってくれた。
全員が揃ったところで、いよいよパーティーが始まった。
「智観、退院おめでとう!」
「智観ちゃん、退院おめでとう!」
テーブルの上のケーキを囲んで、七人の参加者は智観の退院を祝ってくれた。
「えへへ、ありがとうございます。私の為にわざわざこんな……嬉しいです!」
その反面、智観としては少し照れ臭くもあったが。
梨恵が買ってきてくれたケーキは、白いクリームに苺の乗ったシンプルなものだ。それを八等分して一人が一切れずつ貰う。
更に晴海がコーヒーまで入れてくれるという至れりつくせりの状況だった。
「お手伝いしましょうか?」
智観がそう申し出ても、主賓は座っているようにと言われてしまい、何もさせてもらえなかった。
全員にケーキとコーヒーが行き渡ると梨恵が言った。
「じゃあいただきましょう」
その言葉を合図に、智観も一口目を頂戴する。フォークでケーキの端を切り取って口に運ぶ。すると生クリームの甘みが口いっぱいに広がって消えた。
「あ、美味しい。梨恵さん、これ美味しいです!」
二口目、三口目と智観は夢中で食べ続ける。
上の苺も食べてみると、今度は甘酸っぱい味が口の中を満たした。
シンプルだがよくできたケーキだった。あっという間に全て――元々一人分は多くなかったが――を平らげてしまえた。
「そう? それは良かったわ」
梨恵はコーヒーを飲みながら、ケーキを食べる智観をにこにことした表情で眺めていた。
彼女の選択には他の皆も満足なようで、大絶賛の嵐であった。
「さて、次はお待ちかね! これの出番ね!」
皆がケーキを食べ終わったタイミングで、梨恵は待ってましたとばかりに茶色の大きな瓶を取り出した。
瓶の正体に真っ先に気付いたのは麗奈だ。
「え? それってビールじゃ……」
「そうよ。ラベルにも書いてあるでしょ?」
何を当たり前のことを、と言うように梨恵は瓶のラベルを皆に見せつけた。有名酒類メーカーのロゴと「ビール」の文字がしっかりと目に入る。
しかし同時に十八歳未満禁止の記述も小さく見えるのだが……。
「そうじゃなくて、あたし達まだ十五なんですが……」
「うちは十八やから大丈夫やで?」
「先輩は大丈夫でもあたし達が駄目なんですってば!」
麗奈の言う通り、一年生組の五人はまだ十八歳――この国の現行法で飲酒が認められた年齢である――には届いていない。
「私はもう十六だぞ」
「同じく」
「あたしは十二月生まれだからまだよ……って結局駄目なんじゃない!」
明日華と悠里は今年度の誕生日を迎えているので十六歳らしい。ちなみにそれぞれ四月生まれと五月生まれなのだとか。
「私も麗奈と同じだね。十一月生まれだから」
「二月ですー」
智観と千秋も麗奈同様にまだ十五歳だ。もちろん十八歳に届かないことには変わりない。
「だからどっちにしろ駄目なんだってば!」
麗奈の抗議を受けて、梨恵は別の瓶を取り出した。
「まぁそう言うと思って、ちゃんとあなた達用のも準備してあるわよ」
今度も茶色いビール瓶だが、微妙にラベルが違っている。
「ノンアルコール……ですか?」
智観はこちらの瓶にのみある記述を読み上げた。
「えぇ。これなら年齢関係無く飲めるでしょ? あなた達はこっちね」
「なるほど。準備が良いですね」
「早く飲みましょうよー!」
このタイプのビールには、文字通りアルコール分が含まれていない。その為、十八歳に満たないものでも――例え幼児でも――飲むことができる。
「まぁ、それなら問題無いわね……」
今度は麗奈からも抗議の声は上がらなかった。
ノンアルコールなら智観達でも心配はいらない。
そういうわけで八人分の紙コップに晴海がビールを注ぎ、梨恵がそれを各々に配るという風になった。
全員に行き渡ったところで、梨恵が紙コップを目の前に掲げて、乾杯の音頭を取る。
「それじゃあ、智観ちゃんの退院を祝ってかんぱーい!」
「かんぱーい!」
他の七人も声を揃えてそう言う。互いのグラスを当ててから、次いで中身に口を付けた。
智観も皆に倣ってとりあえず一口だけ飲んでみる。
「う、変な味……」
妙に苦くて濃い味。それはまだ良いのだが、冷たいはずなのに体が熱くなるような変な感覚がした。
もう何口か飲んでみるが、どうしても美味しいとは感じられない。逆に頭がぼうっとして、気分も悪くなってきた。
そして全く同じ感想を呟いた者がもう一人。
「あれ? ねぇ晴海。何か今日のビール変な味しない?」
成人である梨恵だった。彼女は訝しげに隣の席の晴海にも尋ねる。
「うーん、言われてみれば……あっ!」
「どうしたの?」
晴海が何かに気付いたようだ。梨恵は続きを促した。
智観も何も言わずに次の言葉を待つ。
「ごめんねー。間違ってノンアルコールの方と逆に入れちゃったみたい」
晴海は気まずそうな笑みを浮かべながら頭を掻いた。どうやら彼女はビールを注ぐ際に瓶を取り間違えてしまったらしい。
「え? と言うことはこれって……」
つまり智観のグラスに入っている液体はアルコール入りビールということになる。
「おいおい! どうするんだよ、これ!」
明日華は怒鳴るような口調だったが、表情を見ると満更でもなさそうだ。
「どうせですから、もう飲んじゃいませんか?」
「千秋に賛成。一口も一杯も同じことだし」
特に慌てた様子の無い千秋と悠里。
「……そうするか。捨てるのももったいないしなぁ」
結局は明日華も二人に賛同して、飲み干すことを決めてしまった。
「まぁお祝いの席だし、ちょっとくらい構わないわよね」
麗奈も少し考えるような素振りを見せた後、二口目を呑んでいた。
張本人の晴海はと言うと、自分のグラスを速攻で空にして、そこへ普通のビールを並々と注いでいる。
(私も飲んだ方が良いのかな?)
皆飲んでいるが、智観としてはどうも気分が悪いので飲む気になれなかった。体質に合わないのかもしれない。
どうするべきかと悩んでいると。
「智観ちゃん、グラス交換する? 無理して飲まなくてもいいのよ?」
グラスを持った梨恵が話し掛けてきた。そう言ってもらえると智観としてはありがたい。
「これでしたらどうぞ。私は代わりに水を貰いたいんですが……」
「ありがとう。あぁ、水なら冷蔵庫の下の段に入ってるわよ」
「ではお言葉に甘えて」
智観は自分のグラスを梨恵に渡すと、部屋の隅にある冷蔵庫に向かった。
言われた通りに下の段を開けてみると、水の入ったボトルが何本か見つかった。
「グラスは適当なのを使って」
「あ、感謝します」
食器棚から余っているグラスを借りて、そこに水を注ぐ。
一気に飲み干すと、少しだけ体の火照りが収まった気がした。
(私にはまだお酒は早いのかなぁ?)
二杯目を注ぎながら、智観はそんなことを思っていた。
何杯か水を飲んで気分が楽になった智観は、風に当たる為にベランダに出ていた。
時間はいつの間にか夕暮れ時。十月になるとこの時間帯でも肌寒かった。ここは地上二十二階ということもあって風が強いので尚更だ。
だが今はこの肌寒さこそが心地好い。体の火照りもすっかり収まった。
「中尉から聞いたわよ。速攻で酔ったって」
「あ、麗奈」
智観がベランダで一人、秋の風を感じていると、麗奈がやってきた。
少しだけ顔が赤いような印象を受けるのは酔っている為だろうか。それでも呂律がしっかり回っているのでまだまだ大丈夫そうだが。
「大丈夫? 随分お酒に弱いみたいだけど……」
彼女は智観のことを心配してくれた。
「うん。もう大丈夫だよ。ありがとう」
微笑んで礼を言う智観に対して、麗奈は得意気な笑みを浮かべて言う。
「礼なんていいわよ。でも今回はあたしの勝ちかな?」
「う、そう言われると悔しい……」
麗奈に負けた。そう考えると智観は何だか悔しかった。
彼女の負けず嫌いが移ったのかとも考えたが、ともかく悔しいことは悔しい。
「見ててよ! いつか絶対お酒に強くなってみせるから!」
智観が悔しそうな顔を見せると、麗奈は今度は陽気に笑い出した。
「あはは、冗談だってば! こんなことで勝負するわけ無いじゃない」
「もしかして麗奈も酔ってる?」
「全然」
口では否定しているものの、智観からは軽く酔っているようにも見えた。
「まぁそれはさて置き……」
麗奈は少しだけ真剣な口振りになって切り出した。表情は相変わらず陽気なままだが。
「中尉達にも困ったものね。智観の歓迎パーティーなのに、ただの飲み会になってるじゃない」
「まぁまぁ。私の為にパーティー開いてくれたってだけでも嬉しいよ」
それは正直な感想だ。だが麗奈の意見にも同感なので、智観は自然と苦笑いをしていた。
「あんたは素直すぎるのよ。中尉達には後でお父様に釘を刺しておいてもらうから」
怒ったような口振りで反論する麗奈だが、機嫌は悪くなさそうだった。
「とか言って麗奈も楽しんでるんでしょ?」
「もちろん! こういうのは楽しまなきゃ損なのよ」
予想通り、やはり彼女もパーティーを楽しんではいるようだ。
それから二人はしばらくの間、寄り添って景色を眺めていた。
通路側とは違ってこちらからはあまり高いビルは見えない。住宅やまばらに立っているマンションが、夕陽に照らされて赤く輝いている。
正面を向いたまま、智観が口を開く。
「それにしても梨恵さんと晴海さん、楽しそうだよね。学生時代からの付き合いだって聞いたけど」
「そうね。短くても四年、長ければ十年以上の付き合いってことになるわね」
「梨恵さんって確か私達より十歳上だったと思うから……つまりそういうことだよね」
そこで一度、部屋の方を振り返る智観。まだパーティーは続いており、賑やかな声が聞こえてくる。
「ねぇ、麗奈」
視線を景色に戻す代わりに麗奈に向けると、智観は呟いた。
「何? 智観」
彼女も智観の方に目を向ける。互いに見つめ合う格好だ。
そこで智観は聞いてみる。
「私達も十年後はあんな風になれるかな?」
「さあね。でも……」
その質問に、麗奈は肯定も否定もしなかった。だが少し迷うような素振りを見せる。
「でも?」
聞き返すと麗奈は続けた。
「なれるなら、なりたいところよね。いや、なるわ!」
「うんっ! 私達もなるよ。絶対に!」
智観と麗奈。
生い立ちも性格も何もかも正反対な二人の少女が、共に歩む将来を誓い合った瞬間だった。