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第二十七話 伝えたい想い

 十月五日、月曜日。あの事件から既に十二日が経過した。

 数名だが死者が出たこともあり、事件の直後は新聞やテレビのニュースで大きく取り上げられたものだが、今ではもう過去の出来事になってしまっていた。

 数日前までは「少年兵反対!」や「子供に戦闘訓練をさせるな!」などと書かれたプラカードを掲げたデモ隊が学園前の通りを練り歩いたりもしていたが、それももう見られない。

 世間は何もかも、例の事件以前の日常を取り戻した。

 せいぜい変化があったことと言えば、学園の理事長――と言っても単なる政府の役人だが――が更迭されたことくらいだ。

 が、しかしその限りではない者も存在する。

 当事者の一人である少女、日野明日華もまた、変わってしまった日常の中に生きていた。



「日野さん。今日の分のプリント、森本さん達に渡しておいてね」

「あぁ、分かってる……」

 明日華は生返事を返すと、クラス委員長の少女から受け取ったプリントを乱雑に鞄に詰め込んだ。

「ごめんね。つらいのは分かるけど……」

 気を悪くしたのだろうか。委員長の顔が曇る。

 明日華は慌てて言葉を足した。

「いや、構わないよ。委員長が気に病むことは無いって」

「ありがとう。森本さん達と一番仲が良いのが日野さんだからって、こんな役目押し付けちゃって……」

 それでも委員長は申し訳無さそうな態度を崩さない。

 明日華としては居心地が良くなかった。これでは逆に自分の方が迷惑をかけているような気になってしまう。

「だから気にしないでくれって……じゃあ私はこれで失礼させてもらうよ」

 あまり長居したくなかったので、彼女はさっさと教室を離れることにした。向かう先は女子寮。あの日以来の日課を行う為だ。

 あの事件の日からというもの、明日華の日常はすっかり変わってしまった。

 まず智観が目を覚まさない。医者は多量の出血と限界以上の魔力を使用したことによる一種の「過労」で命に別状は無いと言っていた。だが現実には二週間近く経っても智観は眠ったままだ。

 麗奈はと言うと、付きっきりで智観の回復を見守っている為、学園の方にはほとんど姿を見せていない。毎日明日華や悠里に電話を掛けてくるだけだ。

 そして千秋。彼女のことが、今の明日華にとっての最大の関心事だった。

 あの事件の直後から、千秋は寮の自室に引き篭もったきり、出て来ないのだ。

 ドアには鍵が掛かっており、窓も閉まっている。もちろん内線の電話も通じない。

 明日華の日課というのは、つまり部屋から出て来ない千秋に言葉をかけることなのだ。

 最初のうちは扉を開けてさえくれなかったが、やがて部屋に入れてくれるようになった。ここ数日は少しだが会話にも応じてくれている。良い兆候だと言えるだろう。

 だがいずれにせよ、明日華の日常は大きく変わってしまっていた。

 何よりの変化は、いつも一緒にいた五人が今では明日華自身と悠里の二人だけになってしまったことだ。

 その悠里とも、事件以降はあまり話していないのだが。


 女子寮一階にある千秋の部屋の前――と言っても自室のすぐ隣だが――までやって来た明日華は、いつものように扉をノックする。

「千秋、いるか?」

 間も無くガチャリと鍵の開く音がして。

「明日華……今日も来てくれたんですね……」

 中から陰鬱な顔をした、パジャマ姿の千秋が姿を現した。髪はボサボサでトレードマークの眼鏡も掛けていない。泣いていたのか、目は赤く充血している。

 もしかしたら昔のままの千秋が出てくるかもしれない。そんな明日華の願いは今日も天には届かなかった。

「ちょっと邪魔するな」

 断りを入れてから明日華は部屋に入る。それからしっかり鍵を掛けておく。さもないと今の千秋は落ち着いて話もできないのだ。

 暗い部屋の中、ベッドに腰を下ろした明日華は話を切り出す。千秋は膝を抱えて彼女の隣に座った。

「なぁ、千秋。あの事件がショックだったのは分かるけどさ」

 千秋は何も言わない。明日華は慎重に言葉を選んで続ける。

「いつまでもこのままってのは、やっぱり良くないと思うんだ……」

「そんなこと……言われなくても分かってますけど……」

「だろ? それに智観が退院した時には笑顔で迎えてやりたいしさ」

「でも……」

 千秋は再び口を閉ざす。明日華はそんな彼女の身体を抱き寄せた。

 同い年にも関わらず、千秋の身体は小さく華奢だった。強く抱きしめると壊れてしまいそうな気さえした。

 それに加えて彼女が小刻みに震えているのが分かった。

「大丈夫。落ち着いて、千秋」

 そんな彼女を宥めるように、明日華は優しく頭を撫でてやった。震えが少しだが治まったように思えた。

「私とお前の仲だろ? 何でも話してくれないか?」

 明日華に促されて、ようやく千秋は声を絞り出すように言った。

「私、怖いんです。もしあの時撃たれたのが私だったらどうなってたかって……」

「私だって怖いよ。それで良いんだ」

「いえ、そうじゃなくて……私は蘇生魔法が使えますけど、私が倒れたら誰が私を治してくれてたんでしょうか?」

「あ……」

 そこで明日華は初めてこの問題に気付いた。

 右胸を貫かれた智観が九死に一生を得たのは千秋がいてこそだ。

 また、仮に致命傷を負ったのが明日華や他の誰かだったとしても、きっと千秋が蘇生魔法で助けてくれただろう。

 だが撃たれたのが当の千秋だったとしたらどうだろうか。答えは一つ、死が彼女を迎えるのみだ。

「あの時は必死でしたけど、後で考えてみたら怖くなりまして」

 千秋の声に不安の色が濃くなってくる。

「それに智観だって、また気絶したまま目を覚ましませんし……」

 最後の方には涙声になっていた。千秋はそのまま、明日華の胸に顔を埋めて泣き出してしまった。

 明日華はあやすように背中をさすり、また頭を撫でてやりながら言う。

「馬鹿だな。千秋をそんな目に遭わせるわけないだろ? その為に私がいるんだから」

「明日華がいるから?」

「そうだ。必ず私が守ってやる。何があってもこれから先、絶対に千秋には手を出させない」

「ほんと? 約束してくれますか?」

「あぁ、これが私からの誓いの証だ。大好きだよ、千秋」

 そこまで言ってから、明日華は一旦千秋の身体を離した。しばし二人の視線が交わる。

 それから今度は千秋の首の後ろに腕を回して抱き寄せる。

 驚いたように目を見開く千秋。明日華はそのまま彼女の唇に自分の唇をそっと重ねた。

 薄暗い部屋の中、二人の影が重なったまま音も無く時間が流れていく。

 やがて二人は顔を離した。遠目になってお互いが顔を真っ赤に染めていることが分かり、しばし押し黙ってしまう。

 静寂を破ったのは千秋だった。

「うぅ、嬉しいけどずるいですよ……この前も明日華からでしたのに……」

 口では非難してはいるが、頬を紅潮させていては説得力が無い。

「あ、そうだな。じゃあ今度は千秋の番だな」

「はい。私も……明日華のことが大好きです」

 先程とは逆に千秋が明日華の首の後ろに腕を回してくる。

「明日華。前にも言ったかもしれませんが、もう一度言います。明日華が怪我した時は必ず私が助けてあげますからね……」

「あぁ、頼りにしてるよ。千秋……」

 明日華は千秋からのキス――彼女のキスは明日華のそれよりも深いものだった――を迷うこと無く受け入れた。薄明りの中、再び二人の影が重なる。




 智観が目を覚ました時。最初に目に映ったものは清潔感のある白い部屋の概観だった。

 続いてどこかで嗅いだことのある匂いが鼻孔を刺激する。村の診療所で嗅いだ記憶が彼女にはあった。消毒液の匂いだっただろうか。

 そしてすぐ傍からは寝息が聞こえてくる。

 横になったまま頭だけを動かしてみると。

「麗奈……どうしたの?」

 智観が横たわっているベッドの傍。小さな丸椅子に座って麗奈が居眠りしていた。

「ねぇ、起きて、麗奈」

 智観はベッドから体を起こして――痛みは全く無かった――麗奈の体を前後にゆする。

 とても気持ち良さそうだし、寝顔も可愛かったので少し惜しい気はしたが、色々と聞きたいことがある。そもそも気を失ってからどれくらい経ったのかも定かではない。

「う、うーん……何よ、人が寝てるのに……って智観!? 智観なの」

「え? うん、そうだよ。今起きたところだけど」

 初めは眠そうにしていた麗奈だったが、智観の姿を認識するなり、信じられないといった表情になる。

 予想外の反応に驚く智観。そんな彼女に麗奈は思いっ切り抱き着いてきた。

 柔らかくて心地好い反面、息苦しかった。

「良かった……もう目を覚まさないかと思った……!」

「く、苦しいよ。心配してくれたのは嬉しいけど」

 それでも麗奈は離さない。

「だって十日以上も眠ったままだったのよ!」

「え? 十日も!?」

 智観は自分でも聞いて驚かされた。確かに長く眠っていた気はするが、十日以上とはにわかには信じがたかった。

 だが麗奈にこんな嘘を吐く理由があるとは思えない。事実なのだろう。

「そうよ。今だって、これが夢なんじゃないかって思えて……夢なら覚めなければいいのに……」

 涙声でそう続ける麗奈。麗奈の腕から解放されて、智観は彼女の目尻にうっすらと光るものが浮かんでいることに気付いた。

 智観は彼女の涙を手で拭うと、頬から首筋にかけて優しく撫でてやった。

「夢じゃないよー。ちゃんと触れてる温もりがあるでしょ?」

「う、うん」

「そんなに心配ならほっぺたつねってみればいいのに」

「……そうね、ありがとう」

 いくらか声の調子を普段通りに戻した麗奈は、智観の言葉に従って頬をつねった。なぜか自分自身のではなく智観の頬を。

「ちょ! 痛いって! 私でやってどうするの!?」

「あれ、違った?」

 抗議の声に気付いて、麗奈は慌てて手を離した。どこを間違えたかな、と言いたげに首を傾げているが、大間違いだ。

「お返しっ!」

 その隙に智観は彼女の頬をつねり返した。

「痛っ! あ、でも痛いってことは夢じゃないってことよね?」

 小さく悲鳴を上げるが、そこで麗奈はこれが現実であることに気付いた。

 確認するように尋ねる。智観は大きく頷いた。

「念の為もう一回……」

「もうそれはいいって!」

 再び智観の頬に伸ばされる麗奈の手を、智観ははたき落した。


 それからしばらく、二人は無言のまま互いを見つめ合っていた。やがて麗奈が沈黙を破った。

「智観、またこうやって話せて嬉しいわ。あんたといる時は、何だかんだ言って楽しいからね」

「私もだよ、麗奈。実を言うとね、最初に気を失った時……」

 そこで智観は、あの不思議な空間で母と話した時のことを打ち明けた。

 あそこでの体験は全て夢かもしれない。だが最後の最後に脳裏浮かんだ人物が麗奈だったことは、紛れも無く智観の心情の発現に他ならない。

 それだけ智観の心を占める麗奈のウェイトは大きなものになっていたのだ。

「そう、なの……」

 話を聞いて黙り込む麗奈。

 想いを伝えるなら今しかない。智観はそう確信した。

「もう隠す必要も無いよね。私、麗奈のことが好き。友達としてじゃなくて……」

 それを聞いた麗奈は目を大きく見開いた。

 拒絶された。そんな思いが智観の脳裏を過ぎる。

 所詮は叶わぬ片想いだったのだろうか。

「駄目……かな? そうだよね」

 だが伝えたい言葉は伝えた。後は麗奈次第だ。これで駄目だったとしたら、もう智観にできることは何も無い。

「第一、私と麗奈じゃ釣り合わないし――」

 落胆したように智観は呟いた。麗奈がそれを遮るように叫ぶ。

「ちょっと! あたしの話も聞きなさいよ!」

「えっ?」

 口調は相変わらず厳しいが、麗奈はいつに無く真剣そうに見える。今度は智観が目を見開かされる番だった。

 驚く智観の肩をしっかりと掴む麗奈。力も強いが、それ以上に智観を離さない何かが彼女から感じられた。

「いい? 一度しか言わないからちゃんと聞いてよ!」

「う、うん……」

 息を呑む智観。

 麗奈の頬に赤みが差しているのが分かる。それは決して目の錯覚ではない。

「あたしだって智観のことが、その、す、す……」

「す?」

「す、好きなのよ! こんなこと一度しか言わないからねっ!」

 言い切るや否や、麗奈はそっぽを向いてしまった。が、それが恥ずかしさから来た行動であることは明らかだった。きっと彼女は赤面しているはずだ。

「麗奈、顔真っ赤だよ?」

「あ、あんただって赤くなってるじゃない!」

「やっぱりそう?」

 そしてそれは智観も同様だった。指摘されてますます顔が赤くなるのが感じられた。

 だが彼女は物怖じすることなく、麗奈の横顔を見据えて言う。

「でも仕方無いよ。私、今すごく嬉しいから」

 そこで言葉を切り、深呼吸する。智観は胸の鼓動が速くなるのを感じていた。しっかりと伝えたい言葉だからこそ、彼女は気持ちを落ち着けようと試みる。

「そ、そうなの?」

 視線を逸らしていた麗奈もこちらに顔を向けた。一層赤みが増した顔が目に映る。

「だって、私の好きな人が、私を好きでいてくれるんだよ。これってものすごく幸せなことだと思わない?」

「あ、確かに……」

「ね? 幸せでしょ?」

「そうね。ありがとう、智観」

 麗奈は感謝の言葉を口にして、智観を抱きしめてきた。

 一瞬面食らった智観だったが、すぐに彼女も抱擁を返す。

 触れ合った体を通して麗奈の体温が伝わってくる。そして彼女の鼓動と息づかいも。

 呼吸をする度に麗奈の匂いが鼻孔をくすぐった。

 こうして抱き合っていると、全身で麗奈のことを感じていられるような気さえした。智観としては離れるのが名残惜しい。

 麗奈も同じことを考えているのか、一向に腕の力を緩める気配が無い。もちろん智観もそうするつもりなど欠片も無いのだが。

 二人は無言のまま抱き締め合った。

 やがて長い抱擁の時が終わると、麗奈がやや残念そうに呟く。

「そうだ。智観が目を覚ましたこと、皆に教えないとね」

 智観はちょっとした期待も込めて尋ねた。

「うん。でももう少しの間、二人だけでいたいな。駄目かな?」

「駄目なわけ無いじゃない。むしろ望むところよ……」

 二人だけでいたい。その思いは麗奈も同じだった。

 結局その後数十分、智観と麗奈は病室で二人だけの時間を過ごしていた。

 特に何かをするというわけでもなく、寄り添ってベッドに腰掛けているだけ。会話はしたが、それも少しだった。

 彼女達にとってはお互いの存在そのものが何よりも大切だったからだ。

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