第二十五話 死の淵
智観が右胸から血を流して倒れたのは、まったく突然のことだった。
だが事態を認識してからというもの、麗奈の行動は迅速だった。
彼女は智観の傍に跪いて彼女の容体を確認する。
「悠里! 千秋! 智観の治癒を頼むわね!」
彼女は大声でそう叫んだ。
それから立ち上がり、周囲を素早く見回して何かを探す。そして彼方に目的のものを見つけると。
「母なる大地の力よ、我らの身を守りたまえ! アースウォール!」
彼女はそれと自分達との間の射線を遮るように、土の防御魔法――アースウォールの呪文を唱えた。
麗奈の声に応えるように、彼女の前の地面が急速に盛り上がり、たちまち頑丈そうな分厚い岩の壁が出来上がった。
壁は倒れた智観を含む全員を包むように、半円形に広がっていた。
「これでここの守りは大丈夫。後は悠里達次第ね……」
麗奈が発見したもの。それは智観を撃った犯人――と言っても人間ではなかったが――だった。
彼女は魔法で即席の遮蔽物を作り上げたのだ。
「小林を撃った奴が見えたんか?」
作業を終えた麗奈に、神田が尋ねた。麗奈は首肯して答える。
「えぇ。遠くに小さく見えただけですが」
答えながらも麗奈は常に智観の様子を注視していた。
悠里が左側に、千秋が右側に跪いて治癒魔法を掛けているのが見える。
智観の傷は見るからに深かった。その証拠に、仰向けになった彼女の身体の下には血溜まりができている。
だが二人の力で徐々にだが出血が収まっているらしいのは、不幸中の幸いだった。
(どうしてあたしには、あいつを助ける力が無いの!?)
麗奈は唇を噛み締めた。
元々優秀な人間が多い一族の中にあってさえ神童とまで言われた麗奈だが、どうしてもできないことが一つだけあった。それが治癒魔法だった。
これまでは傷を負う前に勝利することを理念としていたので、特に困るようなことは何も無かった。
しかし今、彼女は初めて自分が治癒魔法を使えないことを歯痒く思っていた。
もし可能なら、彼女は例え全魔力を注ぎ込んででも智観を助けようとしていただろう。
だが今はそれを悔いても仕方が無い。
麗奈は思考を切り替え、自分にできることをすることにした。全ては智観の生存率を高める為に。
「……犯人の武器はプラズマガンでしょうね。明日華。青白い光が見えたって行ったわよね?」
「ん? あぁ、確かに見えたぞ。ところでプラズマガンって何だ?」
「だそうよ。遠距離からフィールドを貫いて攻撃ができて、青白い光を引くとなったらそれしか無いでしょ?」
明日華には悪いが彼女の質問返しは無視して、麗奈は神田に自分の考えを話した。
「多分その通りやな。レールガンならそんな光は残らんし、衝撃波でうちらも無事やなかったやろうからな」
納得したように頷く神田。だが彼女は眉をひそめると続けた。
「しかしこれは厄介なことになったで……」
「あの距離なら隠れてれば見えないでしょう? それに連射が効くとも思えないし、智観の回復を待ってから逃げれば……」
麗奈は反論するが、神田は難しい顔をしたまま言う。
「敵はそいつ一体とは限らんし、ゆっくり回復させてくれるとも限らん。これは国防軍に出動を要請した方がええ!」
言い終わると彼女は、麗奈に反論する暇も与えずに無線で交信を始めた。軍の担当官に状況を伝える声には切迫した色が表れている。
それでいてパニックに陥ること無く、正確かつ素早く状況報告が出来ているのは訓練の賜物だろうか。
何にせよ今すぐ自分にできることは無い、と麗奈は痛感させられた。
彼女は想いを巡らせる。これ程の無力感に苛まれたのはいつ以来だろうか。少なくとも五年は味わっていない気がした。
「あたし、智観の様子見てきます」
小声でそう伝えると、麗奈はすぐ側で想い人の様子を窺うことにした。
その時、ようやく尋ねる隙を見つけたらしい明日華が話しかけてきた。
「な、なぁ。プラズマガンって?」
「余裕が無いから簡単に説明させてもらうわよ。プラズマガンってのはね――」
プラズマガンとはその名の通り、高エネルギーのプラズマと化した物質を電磁加速して撃ち出す武器である。高エネルギーゆえに威力は高く、弾速も非常に速いので狙われた場合には回避はほぼ不可能とされる。
家庭教師に習ったので原理等も知ってはいたが、時間も無いので麗奈は手短にそう説明した。
説明しながら麗奈は、悠里や千秋の邪魔にならないように智観の傍に座っていた。明日華も話に耳を傾けながら彼女に倣う。
智観の右胸の傷は既にほぼ塞がっていた。赤く血の色に染まった制服に空いた穴からは、白い肌が覗いている。既に出血も止まっているようだ。
だが目を覚ます気配は見せないし、顔色からも血の気が引いたままなのが麗奈の――そして恐らくは全員の――不安を掻き立てた。
「ねぇ、二人とも。智観は大丈夫なの?」
「顔色も良くないし……助かるのか?」
麗奈と明日華はほぼ同時に尋ねた。
「頭や心臓に異常はありませんし、傷は何とか治せました。でも……」
千秋が二人の質問に答えたが、歯切れの悪い返事だった。口調もどこか重苦しい。
「でも呼吸も脈拍もか細くて、今にも消えそうなの……」
彼女が言おうとした言葉を悠里が引き継いた。悠里の声にもやはり力が無い。
「そんなわけ無いしょ!」
それを聞いた麗奈は、自分でも予想外に大きな声で喚くように叫んでいた。続けて彼女は早口で捲し立てる。
「智観はこんなところで死んでいい奴だとでも思ってるの!? 何とかならないの!? あたしで良かったら何でもするから!」
「思いませんよ! でもどうすれば……」
「私だって方法があるなら助けたい!」
千秋と悠里は即座に反論した。
智観を助けたいという想いは、彼女達も麗奈と同じだった。だが方法が無いのだ。
その時、ずっと沈黙を保っていた明日華が口を開いた。
「そうだ、千秋! お前、昔蘇生魔法を勉強してたよな!?」
「は、はい。してましたけど……」
頷きつつも口ごもる千秋。
だがそれでも麗奈には、千秋の姿が希望の光のように見えた。泣きつくように懇願する麗奈。
「だったら何を迷う必要があるのよ!? お願い、智観を助けて!」
「そうだぞ。今こそ使うべき時じゃないか! このままだと智観が危ないんだ!」
明日華も口を揃えて言う。
「でも実践する機会なんて一度もありませんでしたし……」
だがそれでも千秋は了承してくれない。自分の力に自信が持てていないのだろうか。
もっとも日常生活で蘇生魔法が必要な人間に出くわす機会などまず無いのだから、仕方が無いことかもしれないが。
「ましてや成功するかどうかなんて――」
分かりません。千秋がそう言い切る前に、明日華の身体が千秋を包んでいた。
彼女は両腕を背中に回し、千秋を強く抱きしめる。
「え? あ、明日華……?」
きょとんとした顔で尋ねる千秋。彼女の頬にはほんのりと赤みが差している。明日華はそんな彼女を抱きしめたまま、遮るように言った。
「智観を大切に思う気持ちはお前も同じだろ? だったら大丈夫。必ず成功するさ」
「そんな。勝手ですよ……」
「私はお前を信じてる。だから千秋。お前も自分の力と気持ちを信じろ」
しばしの沈黙の後、ようやく千秋が口を開いた。
「分かりました。やってみます」
先程とは打って変わって、彼女の言葉には強い意志の力が満ちていた。
彼女は智観の傍に腰を下ろすと詠唱に入った。
(これで智観は時間さえあれば大丈夫ね)
麗奈にはそんな気がした。あくまで相応の時間があればの話だが。
「よし、報告完了。後は援軍到着まで持ちこたえればOKや」
ちょうどその時、神田がやってきた。
「けど、どうも大量の敵に囲まれとるみたいやな。伊藤! 日野! 近くの奴等だけでも潰すから協力してくれ!」
彼女は報告と同時に岩壁周囲の状況確認もしていたらしい。麗奈達にそう指示する。
「了解! あたしの足を引っ張らないでくださいよ」
「任せてください、先輩! 二人とも、智観を頼んだぞ!」
力強く返事をする麗奈と明日華。それから彼女達と神田の三人は岩壁の陰から飛び出した。
神田の言う通り、いつの間にか数十体の鉄騎兵がこちらを取り囲んでいた。近くに無人の地下工場でもあるのだろうか。
「まずは智観を撃った奴から潰しましょう。先輩、あいつを狙えますか?」
麗奈は彼方に見えるプラズマガン装備の鉄騎兵を指して尋ねた。
四脚で全高は低めの機体だ。背中に機体の全長より長い銃身が見えたが、特にこちらを狙う素振りは見せていない。冷却かリチャージの最中なのだろうか。
「あぁ。あれならホーリーブラストぶちかませば一撃や」
自信有り気に答える神田。気分を紛らわせる為にも、麗奈は精一杯強がった。
「あら? 先輩って高等魔法使えるのね。まぁあたしも使えるけど」
「二人とも! 今は張り合ってる場合じゃないだろ!」
明日華に指摘され、麗奈と神田は眼前の敵に意識を戻して作戦を立てる。
「じゃああたしがアースプリズンで雑魚を足止めするから、先輩はあいつをお願いします!」
「うちも似たようなこと考え取ったとこや。雑魚は任せたで!」
「近付いてきた奴は私がやるから、二人は詠唱に集中していてくれ!」
三人の考えはただちに一つに纏まった。
性格も戦闘スタイルもてんでばらばら。なかなかに個性的な面々のはずだが、全員の考えがすぐに纏まったのは奇跡のようなものだろうか。
いや、違う。麗奈にはそんな確信があった。
きっと皆、智観を助けたい一心で行動しているからだろう。
思いの強さに大小はあるかもしれないが、彼女を助けたいという思いは、ここにいる三人も後方で智観の手当てにあたっている二人も同じはずだ。
(生きなさいよ、智観! あんたを大切に思ってる人は、こんなに沢山いるんだからね!)
心の中で愛しい人に声援を送ると、彼女は自分が果たすべき役目に意識を戻した。
「あれ? ここどこだろ……?」
智観が目を覚ました場所は奇妙な空間だった。
前後左右どこを見渡しても、ただ無限の闇が広がるのみ。それでいて自身の身体は闇に飲まれずにはっきりと目で見ることができる。
そしてもっと奇妙なことは、外界から五感を通して得られる情報の不足だった。
普通なら「静かな場所」と言っても何らかの微笑な音は聞こえるはずだが、ここにはそれが無い。聴覚だけではなく嗅覚や触覚についても同じことが言えた。
何やら気味が悪いが、それ以上にここにいると堪らなく不安になってくる。
こんな場所だと、自分が見ていると思っているものについても、実はそう錯覚しているだけに過ぎないのではないかという妄想が浮かんできてしまう。
とりあえず体を起こし、闇の中に座って――これも奇妙なことだが、どうやら地面のようなものは存在するらしい――状況を整理する智観。
気絶する直前、右胸に凄まじい熱と激痛を感じたのは覚えていた。だがそこに傷は無く、手を触れても痛みは感じられなかった。制服にも損傷は無い。
程なくして智観は一つの結論に至った。
「あぁ、そっか。私、死んじゃったんだね……」
悲しいことのはずだが、不思議と彼女の目から涙は浮かばなかった。
何だか呆気無い最期だ。
梨恵のように強くなるとか、もう母を失った時のような形での別れを経験したくないとか、色々な目的の為に歩んできた半年だったが、結局は訳も分からないうちに殺されてしまった。
悲しみの代わりに、悔しさと自信に対する不甲斐なさが込み上げてきたが、すぐにそれらさえどうでも良くなってきた。
多分これが、肉体的に死んだ者に最後に訪れる、精神的な死なのだろう。今度こそ完全に死ぬのだ。
そんなことを考えながら、智観は目を閉じた。
自分の世界の終わりを悟った彼女は、最後に少しだけ想いを巡らせる。
(今からそっちに行くね、お母さん。半年遅れたけど)
母と同じ場所に行ける。そう思うとこの結末も悪くはない気がした。ただ……。
(皆と会えなくなるのは寂しいかな。そう言えばまだ麗奈に言ってなかったっけ……)
学園に来てから知り合った友達と会えなくなるのは堪えられなかった。
特に麗奈。彼女にはまだ大切なことを伝えていない。
そもそも自分の正直な気持ちに気付いたのがつい昨晩のことなのだから、無理も無いことだが。
それだけが智観の心残りだった。
もし誰かに何か一言だけ伝えるチャンスを与えられたなら、彼女は間違いなく「麗奈、好きだよ」と伝えていたことだろう。
(でも、もう何もかも手遅れだよね……)
そう。全ては遅すぎた。それを結論として彼女は思考を打ち切った。
次回で合宿編は終わりです。
そして突然ですが、その後数話でこの物語は一旦完結とさせていただきます。
最後までお付き合いいただければ作者冥利に尽きます。




