第二十二話 恋心の芽生え
賑やかな食事の時間が終わった後、智観達は一休みしてから片付けに入った。と言っても元が野戦用のレーションなので面倒な作業は不要だった。
「燃やせば大丈夫らしいですよ」
説明書とゴミを交互に目を走らせながら千秋が言った。
事実、明日華が魔法で点火すると、たちまちパックは燃え尽きてしまった。後には少しばかりの灰が残るのみ。
その灰も風に吹かれ、闇に溶けるように消えてしまった。
「凄い! 便利なものがあるんだねー!」
智観は目を輝かせ、感心の声を上げた。
そんな彼女を麗奈が窘める。
「田舎者じゃあるまいし、これくらいで騒がないの……って、そう言えばあんた田舎者だったわね」
「田舎者で悪かったね」
「いや、悪いとまでは言ってないけど……」
「本当に?」
何やら気まずい空気になってしまい、黙ってしまった二人。
そこへタイミング良く救いの手を差し伸べられた。
「なぁ、トランプ持ってきたんだけど一緒にしないか?」
声の主は明日華だ。彼女は手の中で念入りにカードの束をシャッフルしている。
テントの方を見ると、他の二人――千秋と悠里が中で座っているのが見えた。ちょうど五人で車座になるよう、三人分の場所を空けて座ってくれている。
早く来て、と言うように二人は智観達に手招きしていた。
「あ、いいなぁ。麗奈もやるよね?」
「えぇ、もちろんよ。一番はあたしが頂くから、覚悟してなさいよ!」
「私だって負けないよー!」
トランプと聞いて闘志を燃やす智観と麗奈。
それだけで気まずい空気もどこかへ霧散してしまった。
麗奈は勇んで、智観は興奮に胸を躍らせながら。それぞれ明日華に続いて、空いていた三人分の場所に座る。
「よし、じゃあ最初は七並べからでどうだ?」
「賛成!」
全員から同意の声が上がったのを合図に、明日華は手際良くカードを配っていく。
配り終わると、各々が自分の運命を握る手札を開いた。勝負の幕開けだ。
五人は七並べの後もババ抜きや大富豪など、色々なゲームを遊んで時間を潰した。
智観は勝ったり負けたりの五分五分で、その度に一喜一憂していた。
大袈裟と言われれば否定はできないかもしれないが、嬉しいものは嬉しいのだから仕方が無い、というのが彼女の持論だ。
それからシャワーを浴びる等、就寝の準備をして、終わったのが午後十時前。
普段なら後は寝るだけ……なのだが、今夜に限っては違っていた。
今夜は交代で夜の見張り番をする決まりになっており、これからクラスで集まって順番を決めることになっていたのだ。
「麗奈、早く行こうよ」
下ろした金色の髪をドライヤーとヘアブラシで梳かしながら、智観はテントの隅で何かを頬張っているクラスメイトの名を呼んだ。
母から受け継いだこの髪は智観の密かな自慢だ。
手入れを欠かしたくはないし、何より寝癖の立った状態で合宿最終日を迎えたくはない。
「麗奈ー、って何やってるの?」
「ん? あぁ、ごめんごめん」
なかなか出て来ない友達を呼びに、テントの奥へ向かう智観。
髪とわずかに残る水滴がテント内を照らす柔らかい照明を受けて輝く。
「これ食べてたの」
麗奈のところまで行くと、彼女は智観に見えるようにカラフルな袋を顔の前に掲げる。
ごく普通のチョコの袋だった。
「へぇ、お嬢様でもこういうお菓子好きなんだ」
「ち、違うわよ! さっきのレーションに付いてたやつだってば!」
「そうなんだー。後で私も食べよっと」
智観は初め、麗奈が自分で持ってきたものだと思っていたが、違ったらしい。
レーションの付属品ということなら、智観の分にも付いているはずだ。楽しみが一つ増えた、と彼女は思った。
「でも歯磨きは忘れないでね」
「言われなくても分かってるわよ!!」
「ごめんごめん。それよりほら! みんな待ってるし、早く行こうよ」
ちょうど髪の手入れが終わった智観は、ドライヤーとヘアブラシを自分の荷物の中に仕舞いながら言った。
もうすぐ集合時間が迫っている。自分のせいでクラスメイト達を待たせるたくはない。
彼女はテントから出ると靴を履いた。
秋の夜風が少し肌寒かった。
「おっと、そうね。行きましょうか」
麗奈も上着のポケットにチョコの袋を仕舞いつつ、智観の後に続いてテントから出てきた。
見張りの順番の決定は智観の予想よりもかなり難航した。
希望を汲みつつ人数を揃えることが、なかなか難しかった為だ。
結局、学級委員の人の提案で、くじ引きで決定することになってしまった。
その結果、智観は二番目のグループに決定した。同じグループには他に千秋もいる。
明日華と悠里は三グループ目に、麗奈は四グループ目に割り当たっていた。
麗奈と一緒でないのは少し残念な気もしたが、ちょうど千秋に相談したいこともあったので、智観としては悪くない割り当てだ。
なお、今回は二時間ごとの四交代制で午後十一時から翌朝七時までをカバーすることになっている。
(でも明日華はどうなんだろ?)
自分はともかく、明日華は仲の良い千秋と別々になって、残念がってはいやしないだろうか。
そう思って明日華の方を窺ってみたのだが。
「面倒な時間帯だが頑張ろうな、悠里」
「居眠りとかしないでね」
「分かってるってば。そんな心配は無用だって」
智観の懸念とは裏腹に、陽気に雑談に興じていた。
(まぁ考えてみれば、明日華なら大丈夫だよね。私に最初に声を掛けてくれたのだって……)
口調が粗暴な印象を与えるものの、実直で人当りも良い彼女のことだ。
誰とでも――それこそいつものメンバーが一人もいなくても――上手くやって行けるに違いない、と智観は思った。
他ならぬ智観こそ、そんな彼女の人柄に救われた当人だ。
もしもあの土曜日の放課後、彼女に声を掛けられていなかったとしたら、智観の学園生活は……。
それを考えると明日華にはどれだけ感謝してもしきれない。
何はともあれ、見張りの順番は決定した。
後は自分の番が来るまでゆっくり休むだけだ。
夜も遅い為、一様に疲れた様子でテントに戻る中、麗奈がまたチョコを頬張っていた。
「さっきからずっと食べてるけど、そんなに美味しいの?」
「口直しにはちょうど良いわね。ご飯がまずかったから」
気になった智観が聞いてみると、彼女は口の中の分を呑み込んでからそう答えた。
それからまた新しいチョコを一粒、口に放り込んだ。
「え? まずかったっけ?」
麗奈の答えに真っ先に疑問を挟んだのは智観だ。
和食も中華も美味しく頂いた彼女にとっては、麗奈の意見が理解できなかった。
一瞬、自分が味覚音痴なのではという疑念が頭を過ぎったが。
「そうですよー! もちろん自分で作った方が美味しいですけど、あれだって悪くはないですよー」
「麗奈。お前、味覚機能してるか?」
それも千秋達の意見で否定された。
「だよね。自分で作った方が良いってのは千秋の言う通りだけど」
恐らく問題があるのは麗奈の舌の方だ。明日華の発言は少し厳しすぎる気もしたが。
「あ、あれぇ!? ねぇ悠里、あんたはどうなの!?」
「舌肥えすぎ……」
三対一で劣勢に立たされた麗奈は、残る一人に同意を求める。が、これもあっさりと否定されてしまう。
まさに孤立無援だ。
「あたしの味覚は狂ってたのか……あたし、狂って……」
とうとう麗奈は両膝まで着いて落胆の念を示してしまった。
(別に落ち込むようなことじゃないと思うけど)
智観はそう思ったが、麗奈自身としては許せないものでもあるのだろう。
地に膝を着いている麗奈を見ていると流石にかわいそうになってきたので、智観は彼女の援護に回ることを決めた。
「まぁまぁ、麗奈はお嬢様なんだからそういうこともあるって」
「あんた、それ慰めてるのか馬鹿にしてるのかどっちよ?」
「えっ? 駄目? じゃ、じゃあ――」
智観は麗奈を助けるつもりで言ったのだが、逆効果になってしまったようだ。
彼女は慌てて別の案を考え始める。
「じゃ食べる物が無い時よりはまし、って考えたらどうかな?」
やがて苦し紛れにそんな言葉を絞り出したのだが、その瞬間、沈黙が周囲を包んだ。
当の麗奈だけでなく、千秋達も一様に呆然としている。
やがて麗奈が口を開いた。
「どういう例えよ、それ?」
あんたの言葉の内容が信じられない。彼女の黒い瞳はそう語っているように見えた。
「え? 真冬とかそういうことある……よね? ねぇ?」
あくまで智観は自身の経験――夏から秋に満足な量の作物が収穫できず、ひもじい思いをしながら、母と身を寄せ合って春を待った経験を元に語っただけだ。
村では特に珍しくもない光景だったが、もしかすると都会では異常な事態なのかもしれない。そんな疑念が頭を過ぎる。
救いを求めるように千秋達を見回したが、どうやらその通りだったらしい。
「ありませんでしたが……」
「私の覚えてる限りでは無いな。智観の村ではそうだったのか?」
「北九州でも無かった」
三人は口を揃えて否定した。
彼女達の目には疑問と驚愕の色が浮かんでいるように見える。
「え、嘘!?」
「本当ですって」
「と言うか他の町から買ったりしないのかよ?」
「雪で道塞がってたんだけど」
「除雪車とか来ないんですか?」
「無いよ、そんなの」
智観達がそんな問答を繰り返していると、麗奈が堪えきれなくなったように小さく笑った。
「ふふふ、結局あんたもどこかおかしいんじゃない」
「……みたいだね。ベクトルは百八十度違うけど。あはは」
つられて智観も笑い出した。
「私達って案外、似た者同士なのかもね」
「そうみたいね。でも悪い気はしないかも」
二人はそんな言葉を交わすと、再び顔を見合わせて笑い合った。
生まれも育ちも性格も正反対な二人だが、似通っている部分も多いのかもしれない。
思いの外気が合うのも、その為なのだろうか。
しばらく一緒になって笑いっていた後。
「おーい! 邪魔するようで悪いけど、当番に備えて早く寝るぞー」
明日華の呼ぶ声で二人は我に返った。
「じゃあ、さっさと寝ましょうか」
「そうだね。明け方の見張り、頑張ってね」
「智観こそ気を付けなさいよ」
互いに励ましの言葉を贈り合ってから、彼女達はテントの中に戻り、それぞれの当番に備えて床に就いた。
昼間の疲れもあり、意識が闇へと落ちるのにそれほど時間は掛からなかった。
それから約二時間後の午前一時。智観の当番の時間がやって来た。
パジャマの上から制服のブレザーだけを羽織って、彼女は千秋と共にテントの外へと繰り出した。
同じテントということもあって、二人は一緒に行動することにしていたのである。
「眠い……」
「二時間なんだから我慢してください」
「なんかこのまま眠っちゃうかも……」
眠りに就いてからすぐに起こされた為か、智観はかえって疲れたような心地がしていた。
念の為を思って腰に差してきた剣でさえ、妙に重く感じる。
千秋がいなければ立ったまま再び夢の中に落ちてしまいそうだった。
「仕方が無いですね」
溜息を吐いた後、優しい口調で彼女は続ける。
「ほら、空見てください。星が綺麗ですよ」
「星?」
千秋につられて、寝惚け眼で空を見上げる智観。
頭上には満点の星空が広がっていた。
現在の――少なくとも神暦以降の関東は田舎だ(単に人の住めるような土地が少ないだけとも言えるが)。空気が澄んでいるのも当然のことだ。
「凄い……! こんなの見るの、いつ以来だろ?」
学園の辺りでは見られない、色も大きさも様々な宝石を無数に散りばめたかのような星空は、智観に故郷の夜空を思い起こさせた。
彼女はその中から知っている星座を探してみる。
ぐるりと空を見回すと、すぐにペガスス座が見つけられた。そこから「秋の四辺形」を手掛かりにして、連鎖的にアンドロメダ座も見つかる。
「目が覚めました?」
「うん! ありがとう」
「そんな、私は何もしてませんよー」
今や智観の目は完全に覚めていた。
夜中に起きて見回りなんて辛いだけ。最初はそんな感想を持っていたが、今は違う。
普段と違うことが出来て、かえって心が浮き立つのを、彼女は感じていた。
「そうだ、忘れてた!」
「ん? どうかしました?」
目が覚めたことで、智観は千秋に相談したいことがあったのを思い出した。
「実は千秋に聞きたいことがあって……」
「相談?」
「うん。良いかな?」
「もちろんですよ。変な遠慮なんてしないでください」
「ありがとう!」
智観の期待通り、千秋は快諾してくれた。
夜闇の中、どちらかと言うと小柄な彼女の姿が、智観には大きく見えた気がした。
「でも歩きながらお願いしますね」
「そ、そうだね……」
ただし見回りの仕事もおろそかにするわけには行かないということで、二人は歩きながら話すことにした。
「私が気になってることはね。麗奈とのこと」
歩きながら智観はそう切り出した。
「喧嘩でもしたんですか?」
「違うよ! ただ、どうしてか最近、麗奈のことが気になって……」
「なるほど……」
智観の言葉に対し、千秋はしばし顎に手を当てて何かを考える素振りを見せる。
やがて考えが纏まったのか、彼女は口を開いた。
「確かに今日の昼間だって、しょっちゅう麗奈の方を見てましたしね」
「えっ!? 何で知ってるの!?」
心を見透かしたかのような千秋の言葉を聞いて、智観は心臓が飛び出しそうになった。
彼女の言うことは事実であったし、智観自身も自覚はしていた。
驚いた理由は、誰にも話していないそのことを千秋が知っているという点にある。が、その理由とは単純なものだった。
「いや、凄く分かりやすかったですから」
「そうだったの!?」
「はい」
単に思っていることが顔に出ていただけだったらしい。
(もしかして私って、顔に出やすいタイプ?)
これからは少し感情表現を抑えた方が良いかもしれない、と智観は自省した。
彼女のそんな胸中を他所に、千秋の言葉は続く。
「でもこれはひょっとすると、麗奈のことが好きになったとか……でしょうかね?」
そう言う彼女の顔は、星明りの下でもはっきりと分かる程に楽しげだった。
「それって……まさか恋してるってこと?」
千秋の言う「好き」が、友人関係とは別種のものを指しているのは明らかだった。
智観にはすぐにそれが分かった。
友人関係のことなら、今更改めて言う必要などあるはずも無いからだ。
「私が? 麗奈のことを?」
言われてみればその通りなのかもしれないが、にわかには信じられなかった。
その様子を察してか、千秋がある提案を持ち掛けた。
「何なら確かめてみます? ちょっと目を閉じてもらえますか?」
「目? うん、良いよ」
千秋の意図は読めなかったが、とりあえず言われた通りにする智観。
「じゃあ次に麗奈の顔を思い浮かべてください」
次も指示通り、麗奈の端正かつややシャープな顔を、意志の宿った黒い瞳を、顔にかかる青い髪を思い浮かべる。
「最後に、彼女とキスするところを想像してください」
「うん……」
智観は今度も指示に従う。
麗奈の首に腕を回し、彼女の桃色の唇に自分のそれを重ね合わせるところを想像する。
甘くて柔らかいだろうか。いや、そうに違いない。
そこまで想像を働かせたところで。
「って、ちょっと待って! 何想像させてるの!」
智観は真っ赤になって現実に戻ってくると、満面の笑みを浮かべてこちらを見ている千秋の頭を軽くはたいた。
「こっちは真剣なんだから、遊ばないでよー!」
「むぅ……別に遊んでるわけじゃないんですよ?」
一転して千秋はふてくされた顔を見せる。が、すぐにいつもの表情に戻ると続けた。
「そんなことより、結果はどうだったんですか? その様子だと聞く必要無さそうですが」
「あ、そうだったね」
自分が麗奈のことをどう思っているか。答えは一目瞭然だった。
「やっぱり私、麗奈のことが好きみたい」
今ならはっきりとそう言うことが出来た。もちろん当人の前で言えるかどうかとは別問題だが。
その結論を聞いた千秋は、満足気に頷いている。
もしかしたら彼女は最初から確信していたのかもしれない。
智観はそう思ったが、今ではそんなことはどちらでも良かった。
「今夜は相談に乗ってくれてありがとうね、千秋。お陰で自分に素直になれた気がする」
「大したことなんてしてませんってば。これからも遠慮無く相談してくださいね。……それではもう少しだけ、見回り頑張りましょうか」
「うん、頑張ろっ!」
それから約一時間後。二人は自分達のテントに戻り、明日華と悠里に交代した後、再び床に就いた。
智観は初め、先程「想像」した光景が頭に焼き付いて眠れなかった。何しろ、当人がすぐ横で無防備に寝息を立てているのだから。
だがそれも疲労から来る睡魔には勝てず、彼女の意識は眠りに落ちていった。