第二話 魔道兵の力
2011年8月7日 少し修正しました
どこをどう逃げたかまでは覚えていなかったが、智観はひたすらに村の中を逃げ回った。
少しでも追手の鉄騎兵を撒こうと狭い道を通ったり川を走り抜けたりしたが、それらの努力はあまり実らなかった。
敵は小型のボディに見合った機動力を備えており、その程度の障害など何の役にも立たなかったからだ。
更に小型でありながらも攻撃力と防御力まで兼ね備えているのだから始末に負えない。
恐らく戦時中に大金と技術を注ぎ込んで開発された高性能機なのだろう。
だがそんなことは彼女には知る由も無かったし、この際関係も無かった。
ふと気が付いてみると、智観はいつの間にか自宅の前へとやって来ていた。
きっと無意識に足がこの場所へと向かったのだろう。
だが、いつもこの家で彼女の帰りを待ってくれていた母親はもういない。
「うぅ……お母さん……」
そのことを改めて意識すると、また涙が溢れてきて、つい足を止めてしまった。
しかし機械である敵に涙など通用しない。
泣いている間にも鉄騎兵は確実に智観へと迫り、両手の刃で彼女を引き裂きにかかった。
つい数メートルという距離まで敵の接近を許してしまっていたことにようやく気付いた時、智観は死を覚悟した。
死というものが恐ろしいことには変わり無かった。
だが母や村人と同じところに行けるのなら、それはそれで良いのかもしれないと思った為だった。
ただ一つ、村の外の世界を見られなかったことだけが心残りではあったが、今となってはもう手遅れだ。
間も無く自分の体は、この鉄騎兵の刃によって切り刻まれてしまうだろう。
せめて迫り来る死の瞬間をこの目で見ないで済むようにと、智観は固く瞼を閉じた。
ところが予想に反して智観を襲ったのは刃ではなく、爆発音と少しの熱風だけだった。
不思議に思った彼女が恐る恐る目を開けると、鉄騎兵が彼女ではなく彼女が元来た道の方にメインカメラを向ける様子が映った。
鉄騎兵の目線の先を追ってみると、土埃を思わせる黄土色――いわゆるカーキ色――の軍服を纏い、背中には斜めに槍を背負った人物の姿が目に入った。
体形と顔立ち、薄紫色をしたストレートロングの髪から、その人物が女性であることはすぐに分かった。
「へぇ、今のを耐えるのね。耐火装甲でも備えてるのかな?」
「そのようですね。気を付けて下さい、少尉」
女性特有のハイトーンの声で彼女が尋ねると、隣にいた副官らしき人物が答えた。
二人の兵士の会話を聞いて、智観は先程の爆発と熱風がこの女性の唱えた魔法によるものだったのだと悟った。
「私は負けないから心配することは無いわよ。曹長は他の者を率いてあの娘や他の生存者の保護に回ってもらえる?」
「了解!」
智観が状況の把握に努めている間にも、少尉と呼ばれた隊長格の兵士は副官や部下達に指示を出して回っている。
命令を受けた副官が部下達に指示を出すと、彼等は数名を除いて村の各所へと散らばっていった。
そして副官と残った部下達は智観の元へとやってきた。
鉄騎兵は一瞬そんな彼等の動きに反応したが、隊長格の女性はそれを短い詠唱で放った電撃の魔法で阻止。
これにより、敵の狙いは再び彼女に向くこととなった。
「我々が来たからにはもう大丈夫だ。安心しなさい」
三人の部下を連れて智観の元へとやって来た副官は、智観の気持ちを落ち着かせようと思ってか、優しい声色でそう言った。
ありがとうございます。
そう言おうとしたが、智観は言葉を紡ぐことが出来なかった。
今日の夕方まで仲良く話していた母親や知り合いがもうこの世にはいなくなってしまったことによるショックと、死の危険から間一髪で救われて緊張が解れた為だった。
隊長格の女性軍人の戦闘力は、彼女の自信に違わず圧倒的だった。
鉄騎兵の両腕の刃から繰り出される斬撃を二メートル弱の槍一本でいなし、隙を見つつ自分自身に何かの魔法を掛ける。
智観の知らない呪文の魔法だったが、隊長自身の体が淡い光に覆われていることから推測するに、防御魔法の類と思われる。
接近戦に備えてまず守りを固めたのだろう。
続いて彼女はは冷気や岩石等、様々な属性の魔法を使い、弱点を探り始めた。
しかしいずれの攻撃を受けても敵に目立った損傷は無かった。
「思いのほか頑丈みたいね。でもこれならいかが?」
いずれも効果が薄いと知ると、今度は手に持つ槍に魔法を掛けて突撃を仕掛けた。
彼女の槍が届く直前、鉄騎兵の装甲が淡く光るフィールドに覆われたようだったが、勢いが乗った上に魔法で強化されたらしい槍にはほとんど無意味だった。
槍はフィールドを貫き、鉄騎兵の金属製の装甲に初めてはっきりとした傷を付けた。
「雷精よ。我が命に従い、この者に裁きを! サンダーアロー!」
彼女はその状態から再び電撃の魔法を、今度は槍を通して直接鉄騎兵の内部に流し込んだ。
外部の装甲は炎や電撃に高い耐性を持っていたが、デリケートな内部となれば話は別だ。
少しの間は槍とそれを通じて伝わる電撃から逃れようと抵抗していたが、回路がショートしたのだろうか。鉄騎兵は間も無く動きを停止した。
機体の各所をスパークさせながら、猛威を奮った鉄の蟷螂はゆっくりと地面に崩れ落ちた。
敵の沈黙を確認した隊長格の女性兵士は槍を元通り背中に背負い、離れて見守っていた智観達のところまでやってきた。
「水島少尉、ご苦労様です!」
副官の曹長と三人の兵士が、敬礼をして隊長を労う。
どうやらこの隊長は水島と言う名前らしい。
「あの……危ないところを助けて下さって、ありがとうございました」
敵が倒れてようやく言葉を取り戻した智観は、頭を下げて水島に礼を言ったが、彼女は首を振って微笑んだ。
その笑みを見て、智観の気持ちも少しだが安らぐ。
「いいのよ。それが私達、魔道兵の仕事なんだから」
魔道兵。
国防軍の中核を成す、魔法を自在に使いこなす兵士達。いわば魔法戦闘のプロだ。
もちろん軍人ゆえ、身体能力や精神力の面でも並の民間人の非ではないと言う。
その力は智観も噂になら聞いていたが、しかし現実の魔道兵の力は噂以上だった。
(もしも私が水島少尉くらい強かったら、村の皆を守れたんでしょうか……)
水島が村の各地から戻ってきた部下達の報告を聞いている間、智観はそのことばかりを考えていた。
水島少尉の部隊に保護された智観は、まだこの辺りに他の鉄騎兵が潜んでいるかもしれないということで、今夜は村の中央に停めてある小型の快速飛行艇の中で夜を明かすように勧められた。
鉄騎兵はエネルギーの補給の為に、未だ稼動している大戦時代の無人工場を拠点にしている場合が多い。
それゆえに、工場から増援が来る可能性がある為だ。
国防軍の機動部隊が誇る快速艇は、智観も時々上空を飛行しているのを見たことがあった。
だが間近でみたそれは、とても「艇」とは思えない、むしろ「戦艦」とでも形容すべき代物であった。
実際に智観は戦艦と呼んでいる。
大きな艦橋といくつかの砲を備えたその鉄塊は、恐らく全長百メートル以上あるだろう。 西暦末期の重力工学と現在の魔法科学の併用の産物だと言うが、改めて見るとこんな鉄塊が空に浮かぶとはにわかには信じ難かった。
しかしそんなことは今は関係無い。
重要なのは、今のこの村では、この艇内だけが安全な場所であるということだけだ。
それだけは間違い無かったので、智観はこの勧めに甘えることにした。
兵士の一人に仮眠室まで案内してもらった智観は、ベッドで横になりながら今夜の出来事を振り返っていた。
鉄騎兵の襲撃。
母や村人の死。
そして救援に駆け付けた魔道兵、水島の力。
だが瞼を閉じると、どうしても亡き母の顔が浮かんできて、涙が零れてしまう。
結局この晩は一睡も出来ず、朝を迎えることになった。
午前六時を少し過ぎた頃、智観が横になっていたところへ水島がやってきた。
早朝にも関わらず、目はぱっちりと開いており、服装や姿勢にも乱れは一切無い。
「おはよう。よく眠れ……なかったみたいね」
努めて明るく声を掛けようとしてくれたようだが、赤く腫れた智観の目を見て悟ったのだろう。
言葉に詰まる水島。
「はい……おはようございます」
命の恩人に失礼の無いように、智観は力の無い声でだが挨拶だけは返しておく。
気まずい空気の中、水島は目を逸らして頬を掻きながら一つの提案をする。
「いや、ね。朝食の準備が出来たから一緒にどうかな、と思って」
正直な話、あまり食欲は無かった。
智観がどうするべきか悩んでいると、梨恵は少し考える素振りを見せてから、口を開いた。
「食べないと力付かないでしょ。せっかく助かった命なんだから大事にしなさい」
そう言うと彼女は、智観を半強制的に食堂まで連れて行ってしまった。
食堂には既に数十人ほどの兵士が着席しており、水島と智観が用意された席に着くとすぐに食事が始まった。
朝食が終わると、智観は水島に連れられて、今度は彼女の私室に案内された。
この艇の、そして部隊の責任者である水島は、個人の部屋を与えられているらしい。
話の内容は智観もある程度予想していた通り、村の現状についてだった。
村人は智観一人を残しては全滅。
中でも他に逃げ場の無いシェルター内の惨状は凄まじかったと言う。
もっとも水島は智観に配慮して、直接的な表現は極力避けてくれていたが。
ここまでは結末も含めてほぼ智観の予想通りだったが、次の水島の問いは彼女も全く予想だにしていなかったものだった。
「ところで、智観ちゃんって言ったっけ? あなたはこれからどうするの?」
清冷村は事実上壊滅した。近くに鉄騎兵の巣があるような村に好んで移り住む物好きなど居ないだろうから、廃村となるのが確実だろう。
無力な少女に過ぎない智観が、たった一人でここに住み続けるのは不可能だ。
つまりこの問いは、彼女がこれからどこへ行き、何をして暮らすつもりなのかを聞いていることになる。
この点について智観は全く考えていなかったし、そもそも昨日までの彼女にはそんなことを考える必要性さえ無かった。
「分かりません……家族も住む場所も仕事場も、全部失ってしまいましたから」
智観は思うままを答えた。
その答えを聞いて、水島はしばらく何かを考え込む。
「どうしたんですか、水島少尉?」
気になって智観が尋ねてみると、水島は何かを決意したかのような真剣な面持ちになって切り出した。
「智観ちゃん。あなた、魔法学園に入る気はない?」
「魔法学園……ですか?」
突然出てきた「魔法学園」という単語に戸惑う智観。
「えぇ。国立オーランティア魔法学園。国が建てた、魔道士を育てる学校よ」
「あ、そう言えば……」
確か首都の方に魔道士の学校があると聞いたことがある、と智観は思い出した。
もっとも自分には縁の無いものと思っていたから、あまり気に掛けたことは無かったのだが。
何しろ、魔法もまともに使えない――母の話では魔力自体はあるので、後は精神的な問題らしいのだが――し、体力も農作業が出来る程度にしか鍛えられていないからだ。
智観が昔の記憶を辿っていると、水島は恐ろしいことを事も無げに口にした。
「私もそこの卒業生なのよ」
昨晩圧倒的な力を見せた国防軍の魔道兵、水島。
彼女が魔法学園の卒業生と言うことは、そこを出た者は皆彼女と同等の力を得られるのだろうか。
驚愕した後で、そうとも限らないかもしれない、と智観は思い直した。
彼女が卒業生の中でも例外的な実力の持ち主ということも考えられる。
考え直してみると、むしろこちらの方が有り得そうな気がした。
しかしそんなことよりも、智観には気掛かりなことがあった。
「でも私、きっと授業料どころか入学金も払えませんよ?」
山奥の村で自給自足に近い暮らしをしてきた彼女の家は、と言うより村は、あまり裕福ではない。
破壊した鉄騎兵の残骸を売ったとしても高が知れている。
ところがここで水島は、更に驚くべきことを口にした。
「入学金も授業料も無料だし、就学期間中の衣食住も全て負担してくれるわよ」
「嘘でしょう!?」
智観はそれを聞いて、思わず叫んでしまった。
無料の学校など存在自体が信じられなかったからだ。
学校に行けるのは都市部に住む裕福な家の子供だけ。それが常識だ。
「嘘じゃないわ」
水島は首をゆっくりと左右に振ると、立ち上がり、本棚から魔法学園の説明資料と思われる冊子を取り出した。
それから最初の方のページ――入学条件等の説明が掲載されている――を広げて机の上に置いた。
「本当に……無料みたいですね」
そこには確かに、ずらりと「無料」の二文字が並んでいる。
「これで嘘じゃないと分かったでしょ。ただし一つだけ条件があるの」
そこで水島は一息吐き、取り分け厳しい顔付きになって続けた。
指はページの一番下にある、赤字で印刷された一文を指し示している。
「卒業または退学した者には、五年間国防軍に入隊する義務が課せられる」
彼女がその条件を口にした時、智観は全てに合点が行った。
それと同時に智観は、なるほど上手い仕組みを考えるものだと思わず感心してしまった。
智観のような一般人にも学ぶ機会を与えると同時に、兵力の増強をも図る、単純かつ合理的な施策だ。
(まぁ、そうでもしないと全額無料なんて上手い話はありませんよね。でも……)
昨日までの智観なら迷わず断っていたことだろう。
だが今日の彼女は、それとは真逆の決断を下した。
当面の衣食住と、その後の仕事、そして何よりも鉄騎兵と戦える出来るだけの力が全て手に入るのだ。
断る余地など無かった。
「決めました。私、入学します!」
「もう一度だけ聞くけど、本当にいいの? 辛い目に遭うかもしれないし、命を落とすかもしれないわよ?」
念を押すようにそう尋ねる水島。
「迷いはありません。私は水島少尉みたいに強くなりたいんです!」
それに答えるように、智観は自分の決意を表明した。
水島はと言うと、決意表明の中に自分の名前が出てきたことに少し意外そうな顔をする。
「私みたいに、か。なかなか面白いことを言うわね」
それから微笑を浮かべてこう言った。
「気に入ったわ。私が学園まで案内してあげる」
水島の思わぬ申し出に、智観はこの日初めての、心からの笑顔を見せた。
「ありがとうございます!」
それから智観は、何着かの衣類――季節ごとの普段着とパジャマを一通り――と、家に残された全財産、それに母の形見の写真を取りに一旦自宅へ戻った。
智観を乗せた水島少尉の艇が首都の基地に向けて出発したのは、それから約三時間後。
午前十時のことであった。