第十八話 忘れられない月
最後にキスシーンあります。
そんな期待するようなものでは無いと思いますが。
播須市近郊、千秋の家の裏庭。
夕陽が赤く差す中、二人の少女が切り結んでいた。
一人は日本刀を振るい、赤い髪をポニーテールに結った長身の少女。
彼女に対峙しているのは、対称的に青いセミロングの髪をストレートに下ろし、西洋式のロングソードを構えた少女。
明日華と麗奈だった。
二人は先程から掛け声を交えつつ、互いに何度となくそれぞれの得物を打ち合わせていた。
明日華が右上から袈裟懸けに振り下ろした刀を、麗奈は剣で受け流し、それと同時に踏み込んで突きを繰り出す。
受け流されて体勢を崩れた状態にも関わらず、明日華は難無くその突きを横に飛んで回避。
間髪入れずに横一文字に斬り付ける。
こんな戦いがかれこれ二十分以上は続いていた。
どちらも刃の付いていない剣――いわゆる模擬刀を使っているので致命傷を負う心配は無い。
だが、夕方とは言え気温が高いことに加えて全力で戦っている為、両者ともいっぱいに汗をかいている。
「二人とも楽しそうだねー」
「ですね。良い相手が見つかって熱くなっちゃってるみたいです」
そんな二人の戦いを、これまた二人の少女――智観と千秋が縁側に腰掛けて見守っていた。
智観は傍らのボトルからグラスにオレンジジュースを注いで一口飲んだ。
それから千秋のコップにもジュースを注いであげる。
「はい、千秋にも」
「ありがとうございまーす」
勧められたジュースを、千秋はやはり一口だけ飲む。
こうしている間にも、明日華と麗奈の一進一退の攻防は続いている。
「明日華が強いのは知ってたけど、それについて行けてる麗奈も凄いよね」
両者ともに、振りの速さという面でも、攻撃や回避の立ち回りという面でも智観のそれとは比較にならない程に洗練されている。
彼女達と正面から戦ったら間違い無く負けるだろう。
智観は戦慄した。
「同い年でこれですから、私ちょっと自信無くしちゃいますよ」
隣の千秋も苦笑いを浮かべている。と、そこへ切ったスイカが差し出された。
「あらあら、明日華ちゃんたらまた強くなったみたいね。はい、スイカ置いておくわね」
「ありがとう。お母さん!」
スイカを持ってきたのは千秋と同じ黒い髪の女性――千秋の母親だ。
彼女は柔らかい笑みが見る者に安らぎを与えてくれる女性で、初対面の智観や麗奈もあっと言う間に打ち解けることが出来た。
「だなぁ。小さい頃はあの娘とも良い勝負してたのに、いつの頃からか全然歯が立たなくなったんだよな。あれは小学校の五年くらいだったか?」
そう言って会話に入ってきたのは、千秋の姉である夏姫だ。
今年で二十歳になる彼女は、妹の千秋とは対照的に活動的なタイプのようで、現在はジャーナリストとして働いているらしい。
家系なのか彼女もまた黒髪である。
この他に父もいるが、今は仕事に行っていて家にはいないとのことだ。
「ちょっと! そんな昔のこと言わないでくださいよ、お姉ちゃん!」
「はは。悪い悪い」
来客の前で自分の恥ずかしい思い出を暴露され、千秋は膨れる。
だが智観の反応は違っていた。
「でも私は、もっと千秋の昔の話が知りたいな」
「ほほう。じゃあ何から話そうかな」
期待を込めた眼差しを向ける智観に、夏姫は嬉々とした表情になって、記憶を辿り始める。
とっておきのエピソードを探し出しているようだ。
「うむ。じゃあ小学校の運動会の時の――」
「わああああああ! それは言わないでー! えーっと……ほ、ほら! 明日華達の決着が付きそうですよ!」
余程恥ずかしい思い出なのか、今まで見たことが無い程に狼狽する千秋。
周囲に目線を泳がせ、戦い続けていた二人の方を見ると、明らかにそれと分かる形で話題を逸らしにかかった。
「あ、話逸らす気でしょ! って本当だったのね」
智観には千秋の狙いが一瞬で分かったが、つい連られて明日華達の方を見ると、本当に今まさに決着が付いたところであった。
麗奈の手にはあるべきはずの剣が無く、丸腰だ。
明日華はそんな彼女に刀の切っ先を突き付けている。
よく見ると、麗奈の剣は少し離れた地面の上に転がっていた。
「勝負あったな」
「くぅ……やるわね」
疑う余地も無く、この勝負は明日華の勝ちだ。
それから二人は各々の武器を鞘に戻し、縁側の智観達のところへとやってきた。
今の今まで戦っていた為に汗だくの二人は、千秋の母からタオルを借りて髪や顔を拭いている。
「じゃあ今度は智観と千秋の番な。あー、暑い……」
「ふぅ。今度は魔法ありでやらない?」
「お、それも良いな。私の魔法剣を味わいたいか?」
「あたしの高等魔法見て腰抜かさないでよ!」
そんな状態だと言うのに、呆れたことに彼女達は次戦の話で盛り上がっている。
しかも人の家の庭で、高等魔法を使うなどという物騒な話だった。
「私の家を壊す気ですか!!」
自宅の危機を感じた千秋が怒気を孕んだ声でそう言ったが、麗奈は何でもないかのように答えた。
「冗談よ、冗談」
「麗奈が言うと冗談に聞こえないから怖いんですよ」
まだ戦ってもいないのに、千秋はぐったりと疲れた心地がした。
「ほら、始めるから千秋も準備して」
そんな彼女に、既に戦闘準備を済ませた智観の、急かす声が飛んだ。
明日華と麗奈には色々と言いたいことがあったが、仕方が無く、彼女も準備をして智観の正面のやや距離を置いた位置に着いた。
戦いが始まったら、まず智観は剣を腰の鞘から抜き放つ。それから剣を両手で持って、上段から千秋目掛けて振り下ろした。
千秋はそれを、自らの武器である鉄製のメイスで受け止める。
「金属製の装甲を持つ鉄騎兵には、打撃武器の方が効果的なんですよ」
彼女がメイスを使う理由は、彼女自身が戦闘前に教えてくれていた。
意外なことに、千秋は実戦を想定した武器を好んでいるようだ。
とても戦闘に向いた性格や身体能力には見えないというのに、である。
それはともかく、千秋は受け止めた剣をそのまま押し返そうとする。
しかし智観もこれは想定していたことであるし、押し返す力自体も弱い。
この程度なら楽に捌くことが出来る。
そう確信すると、自身に掛かる力の向きを少しだけずらした。
「わっ!?」
バランスを崩す千秋。これをチャンスと見て、智観は斬り付けた。
しかし千秋は寸でのところでその攻撃を防御。
それから彼女は一旦距離を取り、メイスを正面に構え直すと、再び突っ込んできた。
大して速くはないそれを、智観は全ての力を正面から受け止めないように受け流す。
「何のっ! まだまだです!」
同じ攻撃が続けて二回、三回と繰り出されたが、全て同じ要領で防御。
回数を重ねる度により確実な防御が可能になっていくのが、智観自身にも感じられた。
そして千秋の攻撃の合間に見付けた隙に、智観は反撃を試みた。
当然ながら防御されてしまう。
だが智観は甲高い音を立てて剣と千秋のメイスと激突した瞬間、素早く剣を引き、第一撃とは違う方向から続けざまに斬り付けた。
ただし今度は体重を乗せて踏み込みながらの攻撃だ。
「きゃあ!?」
智観の動きに付いて来られず、まともに防御が出来なかったところへの重い一撃。
勢いを殺すことも受け流すことも出来ず、千秋はバランスを崩してそのまま転倒してしまった。
智観は尻餅をついている彼女に剣を突き付けて。
「私の勝ち、だよね」
そう宣言すると、剣を鞘に収めた。
「うぅ……智観って意外と強いです。強化魔法無しだと勝てません……」
ぺたんと地面に座り込んだまま、千秋は呻いた。
智観は彼女に手を貸して立たせてやる。
「はい、千秋」
「あ、ありがとうございます」
立ち上がった千秋が服に付いた砂を払ったのを確認すると、智観は彼女と一緒に縁側へと戻った。
皆のところへ戻ると、試合を観戦していた明日華と麗奈が、それぞれ賞賛の言葉を掛けてくれた。
「お疲れ様。二人ともなかなか良かったぞ」
「まぁ思ったよりはやるようね。ただ、まだまだ改善の余地がありそうだから、気になったこと言わせてもらうわよ」
「そうだな。だが何はともあれ、まずは一服しよう」
試合は終わったが、どうやらこれから反省会が始まるらしい。
ただ休憩とクールダウンが必要ということで、明日華は汗だくの智観と千秋にオレンジジュースを差し出してくれた。
智観は一気に半分ほど飲み干してしまう。
それからタオルを借りて顔や首周り、背中の汗を拭いた。
「うわ、凄い汗……」
早く風呂に入ってさっぱりしたいものだ。
そんなことを考えつつ、智観はタオルを千秋に手渡した。
再びオレンジジュースに口を付け、今度は味わうように少しだけ飲む。
柑橘類の甘酸っぱさが渇いた喉には心地好かった。
たちまちコップは空になる。
ボトルから自分のコップにもう一杯注いだが、それもあっという間に飲み干してしまった。
「わー! 飲み過ぎないでくださいよー!」
「ごめんごめん。千秋の分はちゃんと残ってるから大丈夫だよ」
自分の分が無くなることを危惧して騒ぐ千秋を宥めていると、麗奈が多少申し訳なさそうに口を挟んできた。
「良い? 反省会、始めるわよ?」
「あ、ごめん。良いよ」
「私も大丈夫です。お願いします」
彼女のその言葉をきっかけとして、今日の特訓の反省会が始まった。
明日華が言うには、初めて彼女に稽古をつけてもらった時に比べれば、智観はずっと上達しているとのことだ。
ただ、立ち止まっていることが多いのは褒められたものではなく、もっと動いた方が良いらしい。
続けて麗奈が、先程の試合での模範的な立ち回りを教えてくれた。
彼女は智観と同じ直剣の使い手ということもあり、日本刀の使い手である明日華よりもある意味参考に出来る部分が多かった。
教え方自体は明日華の方が圧倒的に上手いのだが、どうしても直剣と曲刀という武器の性質の違いがネックになってしまうようだ。
教えを受けながら、智観はふと気になったことがあって尋ねてみた。
「そう言えば私って一応麗奈のライバルだよね? ライバルにこんな手取り足取り教えてもいいものなの?」
そんな素朴な疑問に、麗奈は多少語気を強めながらも答えてくれた。
「ラ、ライバルだからこそよ! 強くなってくれないとあたしとしては張り合いが無いじゃない!?」
「ふーん、なるほど」
そんなものかな、と智観は納得する。と、そこで彼女は、麗奈が何だか照れ臭そうにしていたのが気になった。
それを見ていると、彼女の中に悪戯心が芽生えてくる。
「つまり麗奈は私の為に……?」
少し上目遣いになって、そう尋ねてみると。
「ま、まぁ……そうとも言うのかな? あたし自身の為でもあるのは間違い無いけど」
麗奈は決まりが悪そうに目線を逸らす。
尋ねた智観としても予想していなかった程に素直な反応だった。
智観は無意識のうちに、そんな麗奈の顔をぼうっと見つめていた。
「じゃ、じゃあ次! 攻撃の受け流し方の練習行くわよ!」
彼女の視線に気付いたらしい麗奈が、慌てて話を本題に引き戻した。
夏の夕日は、そんな少女達の顔を赤く照らしていた。
反省会が終わると麗奈は帰宅してしまった。
どうやら家族が夕食の準備を済ませて待っており、それを無駄にしたくないかららしい。
それに父親と出かけている最中に急遽ここに来ることになったので、パジャマや着替えも持っていない。
智観としてはもう少し麗奈と一緒にいたかったので少し残念ではあったが、事情が事情なので仕方が無いと割り切ることにした。
彼女とは新学期に学園で会うのを楽しみにしていよう。
それから千秋の両親と姉、そして智観達の計六人での、賑やかな夕食が始まった。
千秋を見て分かる通り、森本家の人々は皆、人当りが良かった。
お陰でこの家によく来ている明日華はもちろん、今日が初対面の智観でも気軽に話に入っていくことが出来た。
夕食後は明日華と一緒に食器洗いと片付けの手伝いもした。
「お客様なんだから休んでくれてて良いのよ?」
千秋の母はそう言ってくれたが、人任せにするのは悪い気がしてならなかった。
だから智観は多少無理を言ってでも手伝わせてもらうことにしたのである。
それから一人ずつ風呂に入ることになったのだが、これが大変であった。
明日華が智観と千秋と三人で一緒に入ると言って聞かないのだ。
「だから! 私の家のお風呂はそんなに大きくないんですよ!」
「そうだよ。あれだと二人も入ったらお湯が無くなっちゃうよー」
二人はそう言って宥めるが、明日華はなかなか聞き入れてくれない。
「えー……小さい頃はよく一緒に入ってただろ、千秋」
「小さい頃は小さい頃ですよ! 今とは違います! その……気持ちとかも」
千秋は少々怒鳴り気味に反論する。
最後の方だけは一転して消え入りそうな小さな声になっていたが。
一緒に入ったことのある二人が羨ましい。
智観の心を少しだけそんな思いが過ぎった。
だが、もし本当に一緒に入るようなことになったら、プールの時以上に弄られるのが明白だ。
ある意味、一緒に入れなくて正解なのかもしれない。
「じゃあ、私先に入ってくるからね」
智観は口論を続ける二人にそう伝えると、自分のパジャマを持って階下の風呂場へと向かうことにした。
「なぁ、一緒に入ろうよー」
「だから物理的に無理なんですって!」
後ろからそんな声が聞こえたが、下手なことを言って着替えに付いて来られても面倒だ。
智観は無視して階段を下りることにした。
今日は特訓で多量の汗をかいたこともあり、早く入浴を済ませてさっぱりとしたかったからだ。
智観に続いて明日華、千秋の順で風呂に入ってから、寝るまでの間はしばらく三人で千秋の部屋で遊んでいた。
彼女の部屋について智観は色々と予想していたが、それらはいずれもほぼ的中していた。
優等生らしく読書を好むのか、千秋の部屋には大きな本棚と沢山の本――漫画も少なからず混ざっているようだが――があった。
それに加えて、本棚の上には数体の人形の他、猫や犬、鳥等の沢山のぬいぐるみが飾られていた。
「わぁ! このぬいぐるみ可愛いね」
智観はそのうちの一つ、猫のぬいぐるみを手に取ってみる。
触ってみるとふわふわとした手触りが一層愛らしさを感じさせる。
「可愛いでしょ、その子?」
話ぶりから千秋もこれを気に入っていることが分かった。
「実は私があげた奴なんだけどな」
そこで明日華の口から語られる意外な事実。
「へぇ、そうなの?」
「ですよー。明日華がゲームで取ったのをくれたんです」
今日の昼間も明日華は景品を入手していたが、どうやら今に始まったことではないらしい。
彼女は相当の手練れのようだ。
「さっき取ったこれもあげるな」
熟練の景品ハンターはそう言うと、昼間に取った熊のぬいぐるみを鞄から取り出した。
「ありがとう! 明日華大好きです!!」
がばっと明日華に抱き着き、全身で喜びと感謝を表現する千秋。
彼女は目を輝かせてそれを受け取ると、本棚の上に並べた。
それから、よく映えるように位置や角度を調整する。
「私も何か欲しいな……」
智観がそんな彼女を羨ましそうに見つめていると、それに気付いた明日華が微笑みかけてくれた。
「そんな顔するなって。今度何か取れたら智観にもあげるから。な?」
「う、うん」
それで智観の気はいくらか晴れたが、この二人に対する羨望の思いは消えなかった。
自分も彼女達のような直接的な愛情表現が出来たら、どれだけ良いことだろうか……
しばらくテレビを見るなりゲームをするなりして遊んでいると、知らぬ間に午前零時を回ってしまっていた。
「夜更かしって肌に悪いって言うよな」
ぼそりと呟く明日華。
智観と千秋はそれを聞くと、慌てて歯磨きを済ませて眠る準備をした。
肌に負担を掛けるようなことは是が非でも避けなければならない。
この点に関しては、三人の意見は見事に一致していた。
ところがここでまた問題が発生した。
「あ、暑い……」
「千秋、何とかならなかったのか?」
「ごめんね、二人とも」
この家には客間に使えるような空いている部屋が無かった為、三人一緒に千秋のベッドで寝ることになってしまったのだ。
季節が季節なので暑苦しいことこの上無い。
こうまで暑いと、恥ずかしさよりも寝苦しさの方が先立ってきてしまう。
窓を全開にして扇風機も最大出力で回し、掛け布団は薄いタオルケット一枚のみにしているが、目立った効果は得られない。
特に三人のうち真ん中にいる智観は下手に身動きさえ出来ない状態だ。
「明日華、もうちょっと左に行って」
「ちょっ! 私を落とす気か!」
左に寄れば明日華に。
「じゃあ右に」
「う、もう壁際です……」
右に転がれば千秋にぶつかってしまう。
もっとも、迂闊に動けないのは両隣の二人も同じだったが。
「もう嫌だ! 夜風に当たってくる!」
とうとう明日華はそう言うと、ベランダに出て行ってしまった。
「じゃあ私も」
千秋も枕元の眼鏡を取るとベランダに向かい、結局智観だけが一人ベッドに残された。
本当のところは彼女も二人に付き合いたかったのだが、それよりも昼間の疲れがどっと出てきてしまった。
今夜はさっさと寝よう。
そう心に決めると、智観は広々としたベッドの上で、千秋の匂いに包まれながらそっと目を閉じた。
一方、ベランダに出た明日華と千秋の二人は、虫の声を聞きながら煌々と輝く月に見入っていた。
しばしの沈黙。それを破ったのは千秋の方だ。
「明日華。私、今日練習試合をして思ったんですよ」
「ん? どうした?」
千秋の口調がいつに無く真剣なことに気付き、明日華は身構える。
「もっと強く。明日華と肩を並べて戦えるくらいになりたい、と」
何だ、そんなことか、と明日華は溜息を吐いた。
それから千秋を自分の方に抱き寄せて囁く。
「気にするな。お前は治癒魔法が得意だし良いだろ? と言うか、この上近接戦闘まで強くなられたら、私の立場無くなるぞ?」
「それでもですよ。このままだと私、いざ戦闘になったら守られるばかりになりそうで……」
そこで一旦、千秋は言葉を切った。
「守られ役は不服か?」
明日華が聞き返すと、千秋は続きを話す。
「不服ってわけではありませんが、これだと私がオーランティア学園に入った意味が無いですし」
「あの時は私も驚いたぞ。そう言えば家族全員に反対されてたよな、お前の学園入学」
「明日華も反対してませんでした?」
「そりゃあ、内向的だった幼馴染が軍人になるなんて言い出したら反対もするだろ」
当たり前だ、と言いたげに明日華は言う。
千秋は小さく笑ってそれに答える。
「ふふふ。それでも私は心身ともに強くなりたかったんですよ」
それに続く最後の言葉は、寄り添っている明日華の耳にさえ聞こえるか聞こえないかという程の小声で紡がれた。
「それに守られるよりも、やっぱり私は対等な方が良いな、なんて……」
しかし明日華の耳には、その消え入りそうな言葉が不思議とはっきりと聞こえていた。
いや、表面的な言葉のみではなく、その裏に秘められた意味までも。
「どうした? 愛の告白か?」
「ち、ちち違います! これはその……戦いになった時のことでして……」
冷やかし気味に明日華が尋ねると、千秋は目に見えて狼狽した。
「言わなくても分かってるさ。ちゃんとした答えはまた返すから、今はこれで我慢してくれるか」
明日華は千秋の言葉を遮ると、彼女の額にそっと口付けをする。
千秋は何が起きたのかすぐには理解することが出来ず、目をしばたたかせていた。
やがて事情を把握した彼女は、月明かりの下でもそれと分かる程に顔を赤らめた。
「じゃ、じゃあ私は戻るぞ」
「は、はい。私はもう少し夜風に当たってますね」
少し照れた様子の明日華を見送ってからも、千秋はしばらくの間、月を眺めていた。
きっと、今夜のこの月は一生忘れられないものになる。
彼女にはそんな確信があった。