第十二話 信じること
十二話です。
今回は麗奈にスポットを当てた話になります。
六月二十一日、日曜日の朝。
智観は学園前のバス停でバスが来るのを待っていた。
そわそわとした気分で先ほどから何度も腕時計を確認しているが、なかなかバスはやって来ない。
何しろ三十分から一時間に一本しか走っていないような路線である。
全寮制の学園なので普段こそこれと言って問題は無いが、ひとたび町に出るとなると不便なものだ。
以前、千秋と明日華と一緒に町に出た時には、彼女達という話し相手がいたから待ち時間も移動時間も気にならなかった。
しかし今回は智観一人なので退屈なことこの上無い。
(せめて文庫本でも持って来れば良かったな)
自らの見通しの甘さを悔いる智観。
もっとも今から取りに戻っているような時間は無い。
一本乗り過ごしてしまう可能性が高いからである。
諦めた彼女は、意味も無く路線図を目で辿ったり、道の遠くの方を眺めたりして時間を潰していた。
ただ座って待っているよりかはまだ気が紛れる。
そんな退屈な時間を過ごしていると。
「何やってるのよ? ちょっとは落ち着いたら?」
「はい?」
いきなり後ろから声をかけられた。
声といい口調といい聞き覚えがあるなと思いつつ振り向くと、何故かそこには麗奈の姿があった。
「あれ? 麗奈さん、こんなところで何やってるんですか?」
「バスを待ってるに決まってるでしょ? それともあたしはバスに乗ったらいけないとでも言いたいの?」
「いや、そういう訳ではないんですけど」
ここはバス停なのだからそれもそうか、と智観は納得した。
「鬱陶しいから分かったら大人しくしててくれる? 今はあんたみたいな田舎娘と話してる気分じゃないし……」
しかし智観がおかしな問いかけをしたことを差し引いても、今日の麗奈は機嫌が悪そうに見える。
目も虚ろだし、顔色も何だか優れない。
(また田舎娘って……でも麗奈さん、どうしたんだろ?)
智観に対する減らず口だけは相変わらずだが、それにすら威勢が感じられない。
麗奈にしては珍しいことだ。
何しろ彼女は、智観の魔法を正面から受けて腰を抜かした後も、三日も経てば何事も無かったかのように復活したのだから。
智観にとってはありがたい反面、気味が悪くもあった。
「元気ないみたいだけど、どこか具合でも悪いんですか?」
「別に」
心配して聞いてみた智観だったが、返ってきたのは生気の無い短い言葉だけだった。
今度は攻める方向を変えて、少し皮肉交じりに聞いてみる。
「じゃあ同級生に喧嘩吹っかけて返り討ちに遭ったとか?」
「どこの世界にそんなことする馬鹿がいるのよ」
今まさに私の目の前にいるだろ、と本当ならツッコんでやりたかった。
しかし意外なほどに麗奈のテンションが低かったせいで、智観にはそれが出来なかった。
「もういいでしょ? どうせ田舎娘には言っても分からないことだし」
心配する智観を余所に、麗奈はそっぽを向いてしまった。
「あー! また田舎娘って言った! もう、私には智観っていうちゃんとした名前があるんですよー!」
「何であたしがあんたみたいなどこの馬の骨とも知れない田舎娘の名前を呼んでやらなくちゃならないのよ……」
せっかく人が心配してあげているというのに、と智観は麗奈の態度に苛立ちを覚えた。
しかもご丁寧に、もう一度「田舎娘」と挟んでいる。余計な接頭辞まで付けて。
「もう知りませんからね!」
そう言って踵を返したところで、彼女にある閃きが生じた。
成績優秀な麗奈に通用するかは不明だが、そういう人間に限って意外と単純な手に弱いということもある。
早速試してみよう。
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、智観はもう一度麗奈の方に振り返って話しかけた。
「ねぇねぇ、麗奈さん。麗奈さんって頭良いですよね?」
「いきなり何? まぁ、勉強も運動もかなり良い方だって自覚はあるけど?」
わざとらしく「かなり」の部分を強調して答える麗奈。
謙遜という言葉を全く知らない自意識過剰ぶりに、智観は呆れつつも顔には出さないように気を付けて続ける。
「魔法も?」
「三歳の頃から鍛えられてるからね」
「記憶力も?」
「百人一首くらいなら三日で覚えられる自信があるわ」
それは素直に凄いと感心しつつも、上手い具合に食い付いてくれたものだと智観は心の中でガッツポーズをした。
ここで智観はわざと疑念を孕んだ瞳を麗奈に向ける。
「本当に記憶力良いんですかー?」
「何よ、その疑わしげな目は?」
「だって私の名前覚えてないんでしょ? だから名前で呼ばない、いや呼べないわけで」
「覚えてるに決まってるじゃない!? そんなに疑わしいって言うのなら、あんたの名前を言ってあげるわよ?」
「何だか信じられませんねー」
「だったらフルネームで言ってあげるわよ!」
本当に上手い具合に食い付いてきてくれる。
智観は笑いを堪えるのに必死だった。
「小林智観。どう? 合ってるでしょ!?」
「正解! ぷぷぷ……」
「ほら見なさい! あたしの記憶力に恐れをなしたかーっ! 小林智観ー!」
腰に手を当てて、勝利の雄叫びを上げる麗奈。
つい数分前に「呼ぶ気が無い」と言っていた田舎娘の名前を呼んでいることには未だに気付いていないようだ。
(この人、本当は頭悪いんじゃないでしょうか?)
歪む口元を手で抑えて隠す智観だったが、目が笑っているのまでは隠せなかった。
もっとも麗奈は全く気付いていない様子だったので、口元ですら隠す必要が無かったかもしれない。
初めは適当なところでタネ明かしをして慌てふためく麗奈の姿を見るのが目的だったが、馬鹿笑いを続ける彼女を見て智観は考えを改めた。
(面白いから放っておこうっと)
やがてバスが到着した。
智観と麗奈の他にも何人かの生徒達が乗車する。
日曜日の朝ということもあって車内は空いており、座る余裕があったのは、智観には嬉しい誤算だった。
彼女は適当な席に座ると、目を閉じて睡魔に身を委ねた。
行き帰り合わせて四回目にもなると流石の彼女も景色を見るのは飽きてくるものだ。
ならばその間に夢の続きでも見ておこう。
それが心にも体にも優しい時間の過ごし方だ。
そんなことを思いながら、彼女は意識を手放した。
智観が目を覚ましたのは、ちょうどバスが終点のターミナルに着く直前だった。
梨恵の勤務している基地へはここから別のバスに乗り換えれば行けるということを、彼女は事前に調べて知っていた。
ただ、そのバスが何番乗り場から出ているかまでは知らない。
背伸びしてぐるりとターミナル内を見回してみる智観。
しかし人でどこもかしこも溢れた広大なターミナルではそれも徒労に終わる。
(無駄に広いですねー……どこから乗れば良いんだろ? そう言えば今何時だっけ?)
腕時計を見るとまだ十一時にもなっていなかった。
時間的余裕は大いにある。
焦る必要は無いと判断して、智観はゆっくりと目当てのバスの乗り場を探すことにした。
ターミナルを三分の一ほど回ったところで、智観は見付けた。
行き先に「播須基地前」と書かれた乗り場を。
「あ、あった!」
乗り場には既にバスが待機していた。
智観は遅れないよう、小走りになって乗り込む。
「ふぅ、間に合った……」
どうにか発車時間には間に合った。
発車のアナウンスを聞き流しながら、深呼吸をして乱れた息を整える智観。
そうしてから顔を上げたところで、智観は思わず驚愕の声を上げそうになった。
どういう訳か麗奈が智観の乗ったバスに乗り合わせていた為だ。
驚いているのは彼女も同様なので、偶然被っただけに過ぎないようだが。
「小林智観……何であたしについて来てるのよ? いくらあたしが美人だからって、ストーカーは感心しないわよ?」
「いや、私にストーキングの趣味はありませんし、そもそも私は千秋ちゃんか明日華ちゃんしか……」
まだフルネームで呼び続けているのかともツッコみたかった智観だったが、面白いのでこれは黙っておく。
自分で自分のことを美人と言っていることについては、もうツッコミようが無いのが悔しかった。
「それに言ってませんでしたっけ? 私は播須基地に行くところなんですけど」
彼女が目的地を告げると、麗奈は意外そうに目を丸くした。
「あら? じゃああたしと行き先同じじゃない」
「と言うことは、麗奈さんも見送りですか?」
「……まぁね」
智観の質問に俯いて答えた麗奈の顔は、どこか寂しげに見えた。
やはり今日の麗奈は何かがおかしい。
「不安な事でもあるんですか?」
智観はバスを待っている時にしたのと同じ質問をもう一度麗奈に投げ掛けた。
先ほどは無碍に突き放されてしまったけれど、今度は違う答えを返してくれそうな気がする。
そんな確信があって。
「あるにはあるんだけど、これはあんたに言っても仕方が無いことだと思うし。それに……」
果たして彼女の勘は的中した。
麗奈はばつが悪そうに目を逸らして、口ごもる。
「それに?」
続きの言葉を促す智観。
そんな彼女に押されてか、麗奈はゆっくりと口を開く。
「それに、今まで突っかかってたあんたに打ち明けるなんて……ちょっと厚かまし過ぎるじゃない……」
この時の彼女は、智観が今まで見たことが無いほどに顔を赤らめていた。
傍若無人に振る舞い続けていた彼女が、変なところで遠慮を見せたことがおかしくて、智観は思わず声に出して笑ってしまった。
「な、何がそんなに変だって言うのよ?」
「いや、だって麗奈さんの口から厚かましいなんて言葉が出るとは思ってなくて。うふふ……」
「何よそれ」
ひとしきり笑うと、智観は普段の柔らかい笑顔に戻って言った。
「一人で悩みを抱えるのは良くありませんよ。私で良ければ聞いてあげるから」
「良いの? じゃあ遠慮無く話させてもらうわ」
口では遠慮無くと言いつつも、態度の方は必要以上に遠慮がちに、麗奈は心情を吐露する。
麗奈の悩みを一言で纏めると、父親が遠征に出るのが心配だ、無事に帰ってきてくれるかどうか不安で堪らないということに尽きた。
基地へと向かって走るバスの中、智観は時々相槌を打ちながらも静かに彼女の話を聞いてやっていた。
彼女が話し終えたタイミングで、智観は初めて口を開く。
「そういう訳だったんですか。でも今回の部隊は精鋭部隊って聞きましたよ?」
「何でそんなこと知ってるのよ……」
「だって知り合いの梨恵さん――水島少尉が選抜されてますから」
「水島少尉ってあの槍使いの? どこで知り合ったのよ?」
麗奈が梨恵のことを知っていたのは意外だったが、父親が優秀な軍人である彼女ならそういうこともあるかもしれないと、智観は納得する。
「まぁ色々ありましてね。でもそんな部隊に選抜されるってことは、麗奈さんのお父さんも強いってことですよね?」
「強いわよ。だって指揮官を任されてるもの」
「えぇーっ!」
麗奈の父が部隊の指揮官を任されているという事実を聞いた時、智観はここが公共の交通機関の中であることも忘れて仰天の声を上げてしまった。
「はっ! そう言えば苗字が……」
この前、梨恵との電話の中に出てきた、彼女をして国防軍最強と言わしめる人物、伊藤大佐。
それがまさかクラスメイトの父親だったとは、世間とは広いようでいて狭いものである。
だが、と智観は一人で勝手に納得してもいた。
上流階級の者を思わせる麗奈の立ち振る舞いと、彼女の高い実力は、そんな父の教育の賜物と考えれば合点が行きそうだ。
傍若無人ぶりと自意識過剰ぶりは除いて。
「でもそんな強い人なら何も心配無いんじゃないですか?」
当然、そんな疑問が湧いてきた。
すると麗奈はまた表情を曇らせる。
「いくら強いからって、必ず帰って来る保証がどこにあるのよ?」
彼女の声は震えていた。
いや、声だけではなく、体も小刻みに震えている。
「そんな保証どこにも無いでしょ!? 何も分からない癖に無責任なこと言わないでよ!」
「それは……ご、ごめんね」
麗奈の吐き出した本音。
智観にはそれを否定することが出来なかった。
普段通りに出掛けた人間が、必ずしも帰ってくるとは限らないことを彼女は身をもって体験しているからだ。
しかし彼女にはただ一ヶ所、聞き捨てならない言葉があった。
「でも、何も分からないなんて言わないで! だって私は――」
まだ三人の友達にしか話していないが、彼女はそれを知っている。
戦地に赴く人間に返って来る保証は無いという実体験を。
そしてその時に自分を助けてくれた恩人が、今日、遠征に出ることも。
智観は自らの過去を全て打ち明けた。
いつしか麗奈は言葉を失ってしまっていた。
話しているうちに、智観の目からは涙が零れてきていた。
もう一度だけ母に会いたい。
触れ合って、温もりを感じたい。
叶わぬこととは分かっているのだが、そんな想いがぶり返してきて。
「あ、ごめんね。麗奈さんの話を聞くはずだったのに、私ったら……」
服の袖で溢れる涙を拭う智観。
それでも最後に、彼女は笑って言った。
「でも、そんなことがあっても、私は梨恵さんを信じます。あの人なら必ず帰って来るって。だから麗奈さんも、お父さんを信じてあげて。それがお父さんの力になるはずです。私に言えるのはそれくらい」
ちょうどその時、基地前のバス停に到着したことを告げる車内アナウンスが流れた。
「あ! 着いたみたいですよ。何かあんまり力になれなくてごめんね」
軽く謝ってから、財布を開けて乗車賃を出そうとする智観。
「ううん、そんなことないわよ。よく分からないけど、あんたと話してたら楽になったわ。後……」
そんな彼女に、麗奈は初めての慰めと謝罪の言葉を送った。
それからかなり迷った末に、飲み込みかけた言葉を絞り出す。
「後……ありがとう。それと今まで変に突っかかって悪かったわね」
部隊の見送りの式は滞り無く進んでいった。
「戦艦がいっぱいだー!」
そう言ってはしゃぐ智観に。
「あれのどこ見て戦艦って言ってるのよ。どう見てもしれとこ型人員輸送艦でしょうが!」
麗奈が得意の薀蓄を繰り広げつつツッコむ。
「あ、梨恵さんが出てきましたよ! 麗奈さんのお父さんも!」
「ってこらー! 話を聞きなさいよ!」
そしてそれを見事なまでに無視する智観。
以前学園でしたようなそんなやり取りをしながらも、麗奈は不思議に思っていた。
父が遠征に出る日だというのに、自然に笑っていられる自分がいることを。
きっかけは言うまでもなくあのクラスメイトの少女――智観だ。
彼女とバスの中で話してからというもの、麗奈は随分と気が楽になっていた。
(あたしったら何やってたんだろ……)
もう少しだけでも素直に接していれば、彼女とはもっと早くから仲良くなれたかもしれない。
今まで一方的に田舎娘と呼んで馬鹿にしていた過去の自分が悔やまれた。
(そう言えばあたし、あんまりクラスメイトと話したこと無かったな)
偶然が重なった結果とは言え、智観は麗奈と会話らしい会話を交わした最初のクラスメイトとなった。
普段の麗奈ならこのような偶然の産物などすぐにでも切り捨てているところだが、今回に限ってはそれが出来なかった。
今からでも遅くはない。
この偶然は次の必然に繋げていきたい。
そう思わせる何かが、この偶然にはあった。
(もっとも授業の時には容赦してあげないけどね)
やがて六月も終わり、七月がやってきた。
本格的な夏の到来だ。
北海道に遠征に行っていた梨恵達の部隊が帰還するという知らせが届いたのは、そんな夏の日だった。
もっとも智観に限っては前日にかかってきた梨恵からの電話で知らされていたので、別に驚きもしなかったが。
しかしほぼ二週間ぶりに父が帰ってくるということもあってか、麗奈は朝から浮ついた様子であった。
早く父に会いに行きたい。
彼女の顔にはそんな言葉が書いてあるように見えた。
(よっぽどお父さんが帰るのが待ちきれないんでしょうね)
意外と可愛いところもあるものだ、と彼女は小さく笑った。
そして麗奈は終礼が終わるや否や教室を飛び出しかけたのだが。
「伊藤さん! あなた今日は掃除当番じゃない?」
「あ……」
運の悪いことに、彼女は掃除当番になっていた。
「そうだったわ……」
後ろ髪を引かれるような思いで掃除用具入れに向かう麗奈。
その時、智観の頭に一つの考えが閃いた。
「先生! 私、今日だけ麗奈さんと掃除当番交換してるんですよ。色々と用事があって」
手を挙げて担任の蔭山にそう言う。
それから麗奈の方を見て、目配せをする。
「ですよね、麗奈さん?」
無論、そんな約束などしていない。
十秒ほぼ前に考えたばかりだ。
それでも麗奈は、智観の思いを汲み取ってか、話を合わせてくれた。
「えっ!? あ、あぁ、そう言えばそうだったわね」
「あら、そうなの? それならいいけど」
見え透いた三文芝居ではあったが、蔭山はそれで納得してくれたらしい。
彼女が教室を出て行ってから、麗奈は小声で智観に告げた。
「頼んだわけじゃないし、礼は言わないわよ」
「結構。別に礼が欲しくてやったわけじゃありませんし」
智観にとってはクラスメイトの喜ぶ姿こそが何よりの礼だった。
お互いに顔を見合わせて笑う。
それから別々の方向へと歩き出した。
掃除用具を取りに行く途中で、千秋と明日華が駆け寄ってきた。
「いつの間にか麗奈と仲良くなってるよな、智観」
明日華は頭に疑問符を浮かべている。
「智観ちゃんはお人好し過ぎますよ!」
千秋は叱るような口調でそう言ってから、肩を寄せてきた。
触れ合う肩を通して伝わる彼女の体温が心地好かった。
「……まぁ、そんな智観ちゃんだからこそ好きなんですけどね。私も明日華も。ねっ?」
「そうだな」
負けじと明日華も、千秋とは反対側から肩を寄せてくる。
「ちょっと二人とも……照れるじゃないですか」
智観はいつかの昼食時のように、彼女に挟まれた格好になった。
しかも今回はクラスメイト達がまだ大勢いる教室の中でだ。
恥ずかしいような、くすぐったいような不思議な感覚が智観の心を撫でる。
少しだけ迷った末、彼女も二人を自分の方へと抱き寄せた。
「でも嬉しい。私も千秋ちゃんと明日華ちゃんのこと、好きですよ」
梅雨は明け、季節は夏。
快晴の空に浮かぶ眩しい太陽が、祝福するかのように少女達を照らしていた。