表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/31

第十一話 梅雨時

 初めての魔法を習得してからというもの、智観の学園生活は順風満帆と言って差し支え無かった。

 一度コツが分かってしまえばその後の上達は早く、すぐに他の基本魔法まで応用的に習得してしまったからだ。

 そして五月が終わり、六月がやってきた。

 智観はこの季節があまり好きな方ではなかった。

 梅雨で天候の優れない日が多いのが最大の理由だ。

 加えてじめじめと湿度が高く、それが一層不快感を際立たせる。

 今日もまた、空を覆う鉛色の厚い雲からは雨が降り続いている。

 早く梅雨が明けてくれないかな。

 晴れた空の下で遊びたいな。

 そのようなことを思いながら、曇り空と同じ陰鬱な気分で学園生活を送っていた智観。

 多少の差異はあれ、それは彼女に限ったことではなかった。


「今日も雨……ってことはまた体育館かよ!」

 特に体育の授業がある日の明日華は不機嫌なこと極まりない。

 彼女にとって体育の時間は、青空の下をグラウンドを風を切って駆け抜けるからこそ価値があるものらしい。

 じゃあ剣道の練習はどうなのかと突っ込みたい気がしないでもなかったが、智観もその意見には同意だ。

「まぁまぁ落ち着いてください。身長高いんですし、明日華バスケでもバレーでも強いじゃないですか」

「そうそう。皆にいいところ見せれば人気も出るよ」

 千秋と智観はそれぞれの言葉でフォローを入れる。が、明日華の機嫌は一向に回復する兆しを見せない。

「あのな……これは身長とかそういう問題じゃないんだよ。気分の問題なんだ」

 そう言って彼女は椅子の背もたれに身体を預け、虚ろな目で天井を見上げる。

「はぁー……外で野球とかサッカーとかしたいー。なぁ、愛海ちゃんもそう思うだろ?」

「え、あたし!? そ、そうだね。屋内での筋トレも飽きてきたかも」

 近くの席に座っていた野球部の愛海をも巻き込んで、明日華の嘆きは続く。

 愚痴に付き合わされる彼女には同情を禁じ得ない。

 しかし智観には彼女を解放してやる手立てが無かった。

(愛海ちゃん、悪く思わないで……)

 身振りだけで愛海に謝っていると。

「もう! 子供みたいなこと言わないでくださいよ。二、三週間もすれば梅雨も明けますって」

 見かねた千秋が、子供をあやす母親のように明日華の頭を軽く叩いてから撫でてやる。

 流石は明日華の幼馴染と言ったところだろうか。

 明日華の扱いについては一日の長がある、と智観は感心した。

 次第に明日華も機嫌を直していく。

「本当に?」

「私、時々嘘はつきますけど、これは本当です」

 柄にも無く弱々しい声音で尋ねる明日華を、千秋は頭を撫でつつ宥める。

 赤くさらさらとした髪質からなる明日華の頭髪が、柔らかそうな千秋の手に梳かされて赤い波となって揺れる。

 後ろに垂らしたポニーテールも、それに伴って小さく揺れ動いている。

 気持ち良さそうだ。

 撫でる側も撫でられる側も。

(私もやってみたいな……)

 ふと、智観の頭にそのような考えが過ぎった。

 それからすぐ真っ赤になって反省する。いかに二人と仲が良いと言っても、いきなりそんなことをするのは失礼ではないだろうかと。

 幸運なことに、彼女達は赤面している智観には気付いていないようだ。

 ほっと安堵の溜息を吐きかけた、その時。

「小林さん、変なこと考えてたでしょ?」

 いつの間にかすぐ後ろに立っていた悠里がそっと耳元で囁いた。

 あの智観が寝坊した日以来、彼女は智観達と一緒にいる時間が多くなっていた。

 だがそれでも時々神出鬼没な現れ方をされるので、驚かされることも一度や二度ではなかった。

 いかに物静かな性格とは言え、もう少し分かりやすく登場してほしいものである。

(び、びっくりした……何でばれたんでしょう?)

 辛うじて声を上げずに済んだが、智観の心臓はまだ大きく脈打っていた。

 いきなりの登場に加え、見事に心理を言い当てられてしまっているので無理も無い。

 そんな彼女に、悠里は更に追い討ちをかけてきた。

「当ててあげる。多分、森本さんに頭を撫でてほしいか、それとも逆に日野さんを撫でたいかのどっちかだと思う」

 今度こそ、智観は心臓が飛び出すかという程に驚かされた。

 顔が真っ赤になっているのが自分自身でも分かった。

 今にも叫びだしてしまいそうだ。

「ちょ、ちょっと私トイレ!!」

 慌ててそんな口から出任せを言い、悠里の手首を掴んで、廊下に飛び出す智観。

「何でトイレにわざわざ悠里を連れて行くんだ?」

「一人が寂しいとか? 智観さんってああ見えて寂しがり屋みたいですし」

「いや、トイレに行くのにそれは無いだろ……」

 残された千秋達は智観の行動に多少の疑問を抱きはした。

 だが別に詮索するようなことではない。

 そう考え、会話が大好きな少女達は、また別の話題で盛り上がるのであった。


 一方こちらは廊下に出た智観と悠里。

 逃げるように教室から死角になる位置までやってくると、智観は尋ねた。

「何で分かったんですか……?」

「顔に書いてあった」

 即答されてしまった。

 顔を赤らめていたのは事実なので反論できないが、それでもショックだった。

 そんなに自分は考え事が顔に出やすいのだろうか。

 そう自分自身の胸に聞いてみた智観だったが、結論はあっと言う間に「出やすい」に落ち着いた。

 表情豊かなのは良いことなのだろうが、せめて隠すべきことくらいは隠せるようになった方が良いかもしれないと、彼女は少しだけ反省する。

 そこへ今度は逆に、悠里が尋ね返してきた。

「ちなみに頭を撫でたいか撫でられたいか、どっち?」

「りょ、両方」

「欲張り……」

 素直に答えた智観だったが、蔑むような悠里の視線が痛かった。

 目は口ほどにものを言うという諺が脳裏に浮かんだ智観だったが、彼女の目は口以上にものを言っているように思えてならない。

 そんな彼女に、冷ややかな目で見つめられているのは居心地が悪い。

「でも、どちらかというと撫でる方、かな?」

 だから慌ててそう補足した。

 千秋に撫でてもらうのもそれはそれで魅力的だが、何よりも明日華の髪に触れたいというのが智観の本音だった。

「じゃあそう言えばいいのに」

「それが出来たら苦労しませんって……」

 他人事とは言え、簡単に言ってくれるものである。

「いくら友達同士と言っても、いきなり頭を撫でるのは失礼に思えますし、それに……」

 それに千秋ちゃんと明日華ちゃんの中に割って入るのはいけない気がする。そう言おうとしたところで、彼女は言葉を飲み込んだ。

 彼女と明日華は友達同士だ。彼女と千秋もそうである。

 そして明日華と千秋もまた友達同士であると、智観はそう認識しているはずなのだが。

(あれ? 私達、皆同じ友達同士だよね……?)

 知らぬ間に「友達」関係を区別している自分自身に、彼女は気付いた。

 もちろん明日華と千秋は学園に入る前からの幼馴染という違いがあるにはあるのだが、それとはまた別問題のように思える。

 ならば自分は、自分と彼女達のどこに違いを見出し、無意識のうちに区別しているのか。

 どれだけ考えても答えは出て来なかった。

「それに、どうしたの?」

 悠里に話し掛けられて、ようやく智観は我に返った。

 彼女は心配そうな瞳で智観の方を見つめている。

 きっと急に黙り込んでしまった智観を心配してくれていたのだろう。

「ううん、何でもありません。でも、ありがとう」

 あのままずっと考え続けていると、何かありもしない憶測が飛び出してきてしまいそうだったので、智観は心底悠里に救われた心地がした。口を突いて感謝の言葉が出てくる。

 ところがこの「ありがとう」を悠里は別の意味に捉えてしまった。

「そう。良かった。じゃあ日野さんに伝えてくる」

「うん、助かります……って何を? まさか!!」

 気付いた時にはもう手遅れだった。

 教室に戻った悠里は、既に明日華に話を切り出してしまっている。

「あのね、日野さん。さっき小林さんが日野さんの頭を撫でたいって言ってた。もし良かったら撫でさせてあげて」

 全く包み隠すことの無い、あまりにも直接的過ぎる物言いだった。

 明日華も、千秋も、その周りにいた愛海達も、皆一様にぽかんと口を開けている。

 きっと言葉の意味を理解するのに思考が追い付いていないのだろう。

(遅かった……)

 言うにしてもせめてもう少し言い方を考えてほしかったと、智観は項垂れる。

 顔から火が出るのではないかという程に恥ずかしい。


 しばしの沈黙。

 それを破ったのは千秋だった。

 彼女は言葉の意味が理解できた途端、思わず噴出してしまったのだ。

「あはははは! わざわざ悠里さんが伝えに来るんですから凄いことかと思ったら、何ですかそれ!」

 笑い転げる彼女とは対照的に、当の明日華はなぜか誇らし気に、髪を纏めていた白いリボンを解き始めた。

「いやぁ、智観にも私の魅力が伝わって嬉しいぞ! 何しろ毎日丁寧に手入れしてるからな」

 リボンの押さえを失い、癖の無い明日華の髪は真っ直ぐに垂れ下がる。

 彼女はそんな自分の髪を掻き揚げる仕草をして見せ、空いた方の手で智観に手招きをした。

 それに従って明日華の傍まで行くと、彼女は青い瞳で訴えかけてきた。

 撫でていい、とそう告げているようだった。

 しかし本当にこんなにあっさりと許してもらって良いのだろうか。

 智観が戸惑っていると、やれやれと言った様子で明日華が口を開いた。

「ほら。好きにしてくれていいぞ」

「え……あ、はい」

 本人の口からそう言われて、恐る恐る彼女の赤い髪に触れてみる智観。

 見た目通りの温かく滑らかな手触りが、掌を通して伝わってくる。

「素敵……」

 そのままそっと手を動かしてみる。

 柔らかく滑らかなビロードを思わせるような感触で、思わず二度、三度と繰り返し撫でてしまう智観。

「ふふ、そう言ってもらえて嬉しいよ」

 明日華はその間、気持ち良さそうに目を細めて、智観に頭を撫でられるがままになっていた。

 そんなことをしばらく続けていると、突然千秋が口を開いた。

「でも私は智観さんの髪も綺麗だと思いますよ」

 それから智観の髪に優しく触れてくる。

「確かに見事なブロンドだよな。欧州人にもそうそういないんじゃないか?」

 明日華も千秋に同調する。

「ちょっと! 恥ずかしいですよ……」

 抗議の声を上げる智観。だが母から受け継いだのであろう自分の髪を褒められて、嬉しくもあった。

「でもありがとう。お母さんと同じ色の髪、私気に入ってたの」

 母はもういないが、彼女の血を継ぐ自分は今、確かにここに存在している。

 そんな自分の、母と同じ髪を綺麗だと言ってくれる人がいる。

 それだけで、亡き母も笑っていてくれるような気がして。


 二つの「友達」の何が異なっているのかという智観の先ほどの悩みは、千秋達とふざけ合っているうちに、どこかへ消し飛んでしまっていた。

 それはいつかは考えなければならない違いなのかもしれない。

 だがそうだとしても、今はまだその時ではないだろう。

 それにどちらが上位でどちらが下位というようなことも無いはずだ。

 いや、それ以前に二つの異なる「友達」が存在すると考えること自体が智観の勘違いなのかもしれない。

(きっと、雨続きで気が滅入ってて変なことを考えちゃったんですよね)

 彼女はそう結論付けて、一切を忘れることにした。

 それにしても、と彼女は思う。

 嫌いな梅雨の季節も、千秋や明日華達と話していると不快な気持ちが吹き飛ぶようだ。

 彼女達と一緒にいればこの季節も好きになれるかもしれない。

 そんなことを考えながら、智観は雨が続く日々を割と楽しみながら過ごしていた。



 彼女のそんな日常に少しの変化が生じたのは六月十六日の火曜日の夜。

 事の始まりは一本の電話である。

 誰からかと疑問に思いつつ受話器を取ると、答えはすぐに電話のスクリーンに現れた。

「もしもし。智観ちゃん起きてるー?」

「あ! こんばんは。そしてお久しぶりです、梨恵さん!」

 電話の主はしばらく話していなかった梨恵だった。

 実際は二ヶ月程度のはずだが、クラスメイトと過ごす日々が充実していたせいか、実際よりも長い間話していなかったように錯覚してしまう。

「久しぶりー。学園生活は楽しんでる?」

「はい! 友達も沢山出来ましたし、勉強や訓練も順調ですよ」

 電話の向こうの梨恵にそう答える智観。

 楽しい学園生活のことを思うと、自然と笑みが零れてくる。

「それは結構! そう言えば魔法は使えるようになったんだっけ?」

 スクリーンに映った梨恵は満足気に頷き、そのまま次の質問に入った。

「まぁ一応は。かなり紆余曲折ありましたけど」

「へぇ、どんな? ちょっと興味あるかも」

「そうですね、話すと長くなりますが――」

 梨恵と話すのは久しぶりということもあって、ついつい智観は長く話し込んでしまった。

 友達の千秋と明日華に稽古をつけてもらったこと。

 夜遅くまで特訓をしていたら寝坊してしまったこと。

 そして古代兵器研究会などという怪しい部活の飼っていた生体兵器に襲われ、危うく殺される寸前というところで魔法の力に目覚めたこと。

 少し前の休みの日に千秋や明日華、悠里にも話したことではあるが、そういった体験の諸々を梨恵に話した。

 話を進めるうち、最初は楽しそうに聞いていた梨恵の顔がどんどん青ざめていくのが、スクリーン越しにでもはっきりと分かった。

「よ、よく生きてたわね……」

 話し終わってからの梨恵の第一声はそれだった。

 すっかり血の気が引いてしまっている。

「今度から夜中に一人で林の中になんか入ったら駄目よ!!」

 それから強く釘を刺す梨恵。

「は、はい……」

 学園内で生体兵器が野放しになることなどそうそう起こるとも思えないのだが、彼女の迫力に負けて頷かざるを得なかった。

 過敏になり過ぎているようにも思えるが、心配してくれる人がいるのは嬉しいことだ。

「二度あることは三度あると言うけど、うーん……あ、本題を言うの忘れてた」

 何やら小声で不吉なことを呟いていた梨恵だったが、突然思い出したかのように本題とやらに入った。

「本題って何ですか?」

「私の部隊、今週の日曜日から北海道に長期遠征することになったから」

「え、遠征? 何でまた?」

 実際のところ国防軍がどんな制度になっているのかを智観は知らなかったが、確か梨恵は本部の基地で待機していて、派遣の要請があれば出動するといった役回りだったはずだ。

 それがなぜ、突然長期遠征に借り出されるのだろうか。

 智観のそんな問いに、梨恵はまるで他人事のように答えた。

「いや、何か北海道の北部で未だに稼動してる鉄騎兵の生産施設が見つかってね。留萌るもい基地の警備隊では手に負えないらしくて、本土の私達に応援の要請が来たってこと」

 あくまで他人事のように彼女は続ける。

「まぁ二週間くらいで片付けて帰ってくるから、勉強なり鍛錬なりしてなさい」

 平静を装っているという訳ではなさそうだ。

 表情にも声音にも不安の色は欠片も見られない。

 自身の力に絶対の自信でもあるというのだろうか。

「はぁ……分かりました。と言うか、遠征だと言うのにどうしてそんな楽天的なんですか?」

 気になったので尋ねてみると、彼女はさも当然と言ったように答える。

「そんなの当たり前じゃない。私以外にも、晴海はるみ――あぁ、学生時代からの私の友達のことだけどね――を始めとした精鋭揃いだし、国防軍最強と名高い伊藤大佐が指揮を執るらしいし」

 聞けば今回の部隊は優秀な兵士ばかりを集めた精鋭部隊なのだと言う。

 智観は梨恵と同レベルとされる者が大勢いるという事実に驚かされた反面、そのような精鋭部隊に選抜される彼女の実力に改めて感心させられた。

「まぁその中でも私に勝てるのは晴海か大佐くらいだけどね」

 彼女はそんな軽口を叩いてもいたが、内心では隊員を頼りにしているだろうことが智観には分かった。

 そうでなければ遠征が控えているというのに普段通りではいられないはずだ。

「それで私達が発つのは次の日曜なんだけど、もし良かったら見送りに来てくれない? 場所は播須基地で午後二時からだからよろしく。じゃあね」

 最後に梨恵はそれだけ言うと、一方的に電話を切ってしまった。

「あ、ちょっと!」

 呼び止めた智観だが遅かった。

 スクリーンはブラックアウトし、受話器から聞こえるのはツーツーという不通音だけ。

 仕方なく受話器を戻してから、彼女は日曜日の予定を確認する。

(えっと……確か空いてましたよね)

 特別勉強が忙しいわけでもないし、千秋達と遊ぶ約束も入れていない。

 好都合な日程だ。

 是非とも梨恵の見送りに行ってあげよう。

 そう決定してから、彼女は机の上の時計に目をやる。

 午後九時十分。

 話している間にかなり時間を食ってしまっていたが、入浴は十時までに済ませれば良いことになっているので、まだ少しだけ余裕がある。

 外は今日も雨なので、部屋の中で軽く運動をしてから浴場に行こう。

 いつか、梨恵に追い付く為にも。

 そう考えて、彼女は簡単なトレーニングを開始した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ