石の記憶 外伝 トムくん奮闘記 閑話
ココペリ 小さな精霊の願い
時が流れた。
クリスティンの体調は、少しずつ落ち着きを取り戻していた。まだ教会の活動に参加することはできなかったが、礼拝には出席できるようになっていた。
その日も、クリスティンは信徒席に腰を下ろし、ゆっくりと礼拝の時間を過ごしていた。
そこへ、アーチーボルドが声をかけてきた。
「クリスティン、どうかね? 体調は」
「はい。このところ、ずいぶん調子がいいんです。赤ちゃんも、少しずつ動き始めているんですよ」
そう言った途端だった。
「あっ、今、動いた!」
クリスティンはお腹に手を添え、嬉しそうに微笑んだ。
「赤ちゃんも、おじい様がわかるのかしら」
その笑顔を見つめながら、アーチーボルドは懐からひとつのペンダントを取り出した。そして、クリスティンの首にそっとかけた。
少し長めのチェーン。その先には、不思議な形をした飾りがついている。ペンダントは、彼女の胸の中央で小さく揺れた。
「おじい様、これは?」
クリスティンが尋ねると、アーチーボルドは穏やかな声で答えた。
「これはココペリという。ネイティブ・アメリカンに伝わる精霊だよ。豊穣をもたらし、安産を守るとされているんだ」
彼は、クリスティンのお腹に目を向けた。
「強く、賢く、そして優しい子を授かるように……。そんな願いを込めてね」
クリスティンの顔が、ぱっと明るくなった。
「ありがとうございます、おじい様」
彼女は胸元のペンダントをそっと手に取り、にっこりと微笑んだ。
アーチーボルドもまた、孫娘の笑顔を見つめていた。
そこには、ただ、生まれてくる小さな命の幸せを願う一人の祖父の姿があった。
そして、その夜。
事件は起きた。
最初に気づいたのは、トムだった。
機嫌のよい妻の顔を見つめていたトムは、ふと、その胸元に目を留めた。見慣れない、珍しいデザインのペンダントが、胸の中央で輝いている。
「クリス、今日は機嫌がいいな。何かいいことでもあったのか?」
「ええ。おじい様が、安産のお守りをくださったの」
「おじい様……」
トムの表情が変わった。
「あいつか」
思わず漏れた言葉とともに、トムはクリスティンの胸元へ手を伸ばした。
「クリス、そのペンダント、よこせ!」
「やめて!」
ハッとしたクリスティンは、とっさにペンダントをかばった。夫をキッと見据え、毅然とした表情で対峙する。
ペンダントを守るように手を添えながら、彼女は静かに、しかしはっきりと言った。
「あなたにとって、おじい様が好ましくない人だということは、わかっているわ」
トムは何も答えなかった。
「そこは否定しない。でもね、強く、優しく、賢い子を授けてくださるように、という願いまで否定することを、私は許さないわ」
クリスティンは、胸元のペンダントを握りしめた。
「このペンダントは、私にくださったものではあるけれど、赤ちゃんのものでもあるのよ」
そして、夫の目をまっすぐに見つめた。
「もし、これがおじい様ではなく、同じ教区の白人の方からの贈り物だったとしても、あなたは同じことをしたの?」
トムの表情が強張った。
「それこそ、あなたが嫌っている差別と同じじゃない」
クリスティンの声には、怒りだけでなく、悲しみも滲んでいた。
「父に許しを乞うた人がいる。その人に対して、許しを乞う罪人に唾を吐き、石を投げつけるような行為をしているのよ」
彼女は一度、言葉を切った。
「ミリーお祖母様に言われたわよね。『考えなさい』って」
そして、もう一度、トムを見つめた。
「考えるって、今みたいな状況のことをいうんじゃないの?」
トムは、一言も発することができなかった。
妻に頭が上がらないからではない。
クリスティンの言葉が正論だったからだ。
自分がしていることは間違っている。そう認めざるを得なかった。
謝るべきなのかもしれない。
だが、もし謝ったら――それは、ハーパー氏を許すことになってしまうのではないか。
トムの心の中で、相反する思いがぶつかり合っていた。
自分が傷つけられた過去は、決して消えない。アーチーボルドに対する憎しみも、そう簡単には消せない。
それでも、クリスティンの言葉を否定することはできなかった。
トムはうつむいた。
何かを言おうとしても、言葉が出てこない。ただ、黙ってうつむくことしかできなかった。
重苦しい沈黙が、二人の間に流れた。
その沈黙の中で――
ココペリのペンダントだけが、静かに輝いていた。




