婚約破棄されたので、この場を借りて申し上げてよろしいでしょうか?
王立ユネール魔法高等学院の創立555年を祝うパーティーでその事件は起きた。
「ルゼリア・ゴルゴット。お前との婚約を破棄させてもらう」
シャンデリアの光を一身に浴びながら、王太子ヴァルドット・ジサルベージの高らかな声は大広間に響き渡った。それを合図とばかりにダンスに興じていた名のある貴族の令息令嬢の視線は艶のある黒髪の令嬢に一斉に向けられる。
その琥珀色の瞳はわずかに揺れたが何事もなかったかのようにヴァルドットを見つめている。ジサルベージ王国でも一二を争う公爵家の娘であり、八歳の頃から十八歳を迎える年たるこの日までこの男の婚約者だった少女だ。
「婚約破棄ですか?」
鈴のなるような声を漏らすが、その表情は変わらずどこか冷たい印象を抱かせる。
さっきまで、優雅な演奏が流れていたというのに今は静まり返ってもいる。
人々はこの成り行きを見守りたいのだ。
そして、彼女の凛とした佇まいにヴェルドットの黄金の髪から汗がじわりと流れていく。なぜか、彼の方が緊張していた。
「そうだ。そして、エルダー・ニアータ子爵令嬢を俺の新たな婚約者とする」
それでも、ヴェルドットは言葉は続ける。その腕に絡みつくのは勝ち誇ったようにルゼリアに視線を向ける少女。小麦色の髪に同色の瞳を持つエルダーだ。
だが、ヴェルドットの灰色の瞳に射抜かれているのに気づくと途端に涙目で震え始めた。
「泣く事はないさ。エルダー。大丈夫だよ」
「でも、ルゼリアさんが睨んでるから」
「平気さ。この女が何かしようとしたら、俺が糾弾してやるから」
エルダーはヴェルドットの胸に顔を埋める。
「殿下。ちなみに婚約破棄の理由をお聞かせ願えますでしょうか?」
「ふんっ!そんなの簡単だ。ルゼリア。お前は愛嬌がないし、社交性も皆無であろう」
「はい?」
友人関係には恵まれている方だと自負しているけれど?
的外れな婚約破棄理由だが、ルゼリアは反論しない。
「俺が観劇に誘っても贈り物をしたって喜ばぬし、ドレスを褒めても“ふ~ん”では会話にならん。さらにいつも俺の話を無視してただろ。何が不満だったのか怒ってもいた。かたや、エルダーは違う。いつも笑っているし、胸も柔らか…じゃなくて、知性に溢れ、花を心底愛し、贈ったアクセサリーも飛び跳ねて喜んでくれる。ワルツは苦手なようだがそんなところも可愛いと思う」
うん?本音が漏れた気がしたが?
しかし、ヴェルドットは何食わぬ顔でそこに立っている。
「なるほど。殿下はエルダーさんを愛しておられるのですね」
「当然だ」
「それはどれぐらいです?」
「良く聞け。山よりも大きく、海よりも広い。それこそ、エルダーと一緒に居られるなら王太子でなくなっても構わないぐらいには愛している」
エルダーへの愛を語るヴェルドットの鼻の穴はその想いと連動してか大きく膨らんでいた。
「ヴェルドット。嬉しい!」
エルダーはその豊満な胸をヴェルドットの腕に押し付けると彼の鼻の下は分かりやすく伸びていく。
その光景に惚れてる所は”それ”だけじゃないのと思わず笑いがこみ上げそうになったが、もちろん表情は崩さない。
「なるほど。それは安心しました」
「はあ?」
「婚約破棄の件は承知いたしましたわ。ですが、この場を借りて申し上げてよろしいでしょうか?」
「なんだ?泣き縋っても気持ちは変わらないぞ」
「いえ。私、婚約者になってから一度も殿下から観劇を見に行こうと誘われた事も贈り物を頂いた覚えもないのですが?ドレスだって”お前は何を着ても似合わぬな”と吐き捨てるだけ。むしろ、どれだけ会話を振ろうとも“うるさい”“黙っていろ”“邪魔だ”とおっしゃられてはねえ。こちらとしてもどうしていいのか分からなかった次第です。さらには私が贈り物をしても、”センスがない”と突っぱねられたのも一回や二回の話ではありません。ああ、後は”私の体はそそられない”とも言ってのけましたわね。まあ、確かに胸がお好きなヴェルドット殿下には彼女の方がお似合いなのかもしれませんわ。ふふっ!エルダーさん、元婚約者として殿下の事、よろしくお願いいたします。では、私はこれで失礼いたします」
ルゼリアの悔しがる姿を期待していたエルダーは呆気に取られ、図星を付かれてヴェルドットは顔を真っ赤にして固まっている。
だが、そんな事はどうだっていい。ルゼリアはスタスタと会場を後にした。
その後を追いかける二つの影があるのに彼女は気づいた。
「ルゼリア!」
声をかけてきたのはクリーム色のふんわりとした髪を後ろでに束ねたアミューノ・ユポン伯爵令嬢と青い髪を靡かせたフェリナ・ソートン侯爵令嬢だ。二人ともルゼリアの友人達である。彼女達の姿を見て、ようやくその頬は朗らかに緩んでいく。
「やったわ!!」
二人とハイタッチをするルゼリア。
その表情は年相応の少女そのものである。
「まさか、殿下の方から婚約破棄してくれるなんてこんな幸運があるなんて」
うれし涙を浮かべるルゼリア。
「そうよね。ずっと、王太子からの言葉の暴力に悩まされてたものね」
「もっと早く縁を切って欲しかったわよ」
アミューノとフェリナはルゼリアの背を撫でる。
「だって、お父様はヴェルドットを王太子に推しているし、私が下手に騒ぎ立てるのはどうかと思って…。だけど、向こうから婚約破棄してきたんだからお父様だって私を責められないわよね」
ルゼリアは鼻をすする。。
「ええ、きっと大丈夫よ。でも、まさか王太子があのあばずれに落ちるとは思わなかったわ」
「フェリナったら。仮にも王太子妃になる方に無礼よ。ふふっ!」
「そんな事言って。アミューノだって内心スカッとしてるんでしょう?」
「そりゃあ、私の婚約者を寝取ろうとした女だもの。だけど、見境がなさすぎるわよね。王太子にまでちょっかいを出すんだもの。恐れしらずというか野心家というか」
学院の同級生であるエルダーは寝取りの常習犯であった。婚約者のいる女子生徒達はほとんどがその被害にあったかもしれない。それでも、男子学生全員が彼女に落ちたわけではない。
アミューノの婚約者はエルダーの色仕掛けに鼻の下を伸ばす事もなく、彼女への愛を貫いたのだから。
私にもいつか、アミューノの婚約者みたいな人との出会いがあればいいな。
ルゼリアは少しだけ羨ましいと思った。
「心配しないで。私達はルゼリアの味方だから」
「そうよ」
「ありがとう。二人とも…」
婚約者には恵まれなかったが私には親友が二人もいるのだから幸せなのだろう。
そう思ったら、ルゼリアの胸はポッと温かくなっていく。
「それにしても王太子殿下と新しい婚約者様はこのままで済むと思ってるのかしら」
含みのあるアミューノの言葉の意味は数日後に分かる。
「どういうことだ。父上!」
ルゼリアに婚約破棄をしてからヴェルドットは有頂天だった。愛するエルダーの胸を毎夜のように堪能できるからだ。
突如国王に呼び出され王太子の座から降りるように告げられるまでは…。
ルゼリアの父、ゴルゴット公爵が娘をあのようなやり方で婚約破棄した王子を推挙する気にはなれないと正式に王家に申し入れたからだ。
それに続くように、これまた有力貴族であるアミューノとフェルナの父であるユポン伯爵とソートン侯爵も別の王子を推す事を発表したからさあ大変だ。
この国は王家だけで動かしているわけではない。貴族達の力も強いのだ。その中でも格上の三家がこぞって、ヴェルドットを見放したとなれば国王とて無視できない。
そんなわけで、ヴェルドットはあっさり王太子の座から転がり落ちたのであった。
それから一か月がたつ頃。
ルゼリアの姿は自身の屋敷のテラスにあった。もちろん、そこには友人二人の姿もある。
「お聞きになって?ヴェルドット殿下。王太子の座を降ろされたのがよっぽど堪えたのか首都から遠く離れた領地に引っ込んでしまわれたそうよ」
「フェルナ。違うわよ。エルダーに逃げられたショックでおかしくなってしまわれたのよ」
ルゼリアは紅茶に口を付ける。
「エルダーさんに?」
「ええ。ヴェルドット殿下の元を離れて、男娼遊びをしていた所をご両親に連れ戻されたらしいわ。さすがにまずいっていうので、修道院に入れられてしまったそうよ。あの性格が修道院に入れられたぐらいで治るとも思えないけれど」
「大丈夫よ。彼女には無縁の古代魔法の結界で守られた孤島の修道院だそうだから簡単には出られないわ。エルダーさんには女性だけの世界で揉まれるぐらいがちょうどいいのよ」
フェルナの言葉に付け加えるようにアミューノは愉快そうに微笑んだ。
「まあ、大変ね」
ルゼリアは暴言しか吐かなかったヴェルドットと縁が切れて、何年かぶりの平穏を楽しんでいるのであった。
「そうだ。私の婚約者が隣国の友人達を招いて近々、交流会を開くそうなの。ルゼリアもどう?もしかしたら、新しい恋の相手が見つかるかもしれないわ」
「それは飛躍し過ぎよ」
アミューノの誘いに軽い笑みで返すルゼリア。
この会話が真実となるのは少し先の未来である。
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