第24話 第二王女、アールヘンへ潜入する(そして恥ずかしい)
第24話 第二王女、アールヘンへ潜入する(そして恥ずかしい)
『ローデン歴 201年 9月10日 伯都アールヘン 昼』
【ローデンフェルト王国第二王女 シルヴィア視点】
わたくし、シルヴィア・フォン・ローデンフェルトは、今、猛烈に感動しております。
王都を出て数日。北の僻地アールヘンへの視察ということで、どんな不潔で野蛮な場所かと身構えておりました。
ですが、どうでしょう。
この街の道は、塵一つ落ちていないほど掃き清められ、あの嫌な動物のフンの臭いもしないのです!
(素晴らしいわ……! 王都の大通りよりも清潔だなんて!)
わたくしは今、身分を隠すため、護衛から借りた「女傭兵」の格好をして、お忍びで街を歩いております。
革鎧にマント、腰には剣。これなら誰も王女だとは気づかないわ!
ふと、街角に人々が出入りする木の小屋を見つけました。
あれが噂の『公衆トイレ』ですのね!
近づいてみると、さすがにツボ式ですので、独特の臭気が鼻をつきます。
ウッ……とハンカチで鼻を押さえかけましたが、その裏手で作業をしている人々を見て、わたくしは息を呑みました。
粗末な服を着た貧しい人々が、汚れたツボを回収し、新しいツボと交換しているのです。
彼らは嫌な顔一つせず、むしろ誇らしげに働いています。
「へへっ、今日も大漁だぜ。これで農家からガッポリだ」
「街もキレイになるし、一石二鳥だな!」
(なんてこと……。最底辺の仕事と思われがちな汚れ仕事を、これほど生き生きと……。これがヴァレンシュタイン伯爵の統治なのですか?)
わたくしは、その光景に胸を打たれ、思わず涙ぐんでしまいました。
その時です。
「……おい。そこで何をしている」
背後から、地響きのような低い声がしました。
振り返ると、そこには黒い巨塔――いえ、全身黒ずくめの甲冑をまとった大男が立っていました。
兜の奥から、赤い眼光がギロリとわたくしを射抜きます。
(ひっ……!? な、何という威圧感!)
わたくしは震える手で剣の柄を握り、精一杯の強がりを言いました。
「そ、その、あの、私は……ええと、流しの女傭兵よ! 怪しい者ではないわ!」
男――ヴァレンシュタイン伯爵は、わたくしを頭からつま先までジロジロと見下ろし、鼻で笑いました。
「傭兵だと? 嘘をつけ」
「なっ……!?」
「その剣の握り方、足の運び、それに……手のひらだ。マメひとつねェ綺麗な手をしてやがる。オマエ、戦士じゃねぇな? ただのイイとこのお嬢ちゃんだろ」
図星でした。
何も言い返せないわたくしの周りを、いつの間にか黒い鎧を着た強面の男たちが囲んでいました。
『黒狼隊』。噂に聞く、大陸最強の傭兵団!
「お、お頭! こいつ怪しいですぜ! 北の帝国の密偵か!?」
「ひん剥いて吐かせましょうか!」
野卑な言葉と、むせ返るような男たちの熱気。
深窓で育ったわたくしには、刺激が強すぎました。
「ふ、ふえぇぇぇんっ!! ごめんなさいぃぃぃ!!」
わたくしはその場にへたり込み、子供のように泣き出してしまいました。
すると、先ほどまで殺気立っていた男たちが、一斉に慌てふためきました。
「うわっ!? 泣いたぞ!?」
「おい隊長! あんたが睨むからですよ!」
「そうだそうだ! 隊長の顔が怖すぎるのが悪い!」
「……チッ。俺のせいかよ」
ヴァレンシュタイン伯爵は、面倒くさそうに頭をかくと、大きなため息をつきながら、わたくしの前にしゃがみ込みました。
「悪かったな、泣くな。……ほら」
彼は、巨大なガントレットを外すと、その節くれだった大きな手を、わたくしの頭に伸ばしてきました。
(ころ、殺される……!?)
わたくしが身を縮こませた、次の瞬間。
ポン。
温かい、信じられないほど優しい感触が、頭を包み込みました。
「よしよし。怖がらせて悪かったな」
彼が、わたくしの頭を、壊れ物を扱うようにそっと撫でたのです。
その瞬間、脳髄を突き抜けるような電流が走りました。
「ひゃあっ!!???!?」
わたくしの口から、王族にあるまじき恥ずかしい声が漏れました。
な、何ですかこれは!? 思ったより紳士!? でもコワイ!
「あっ……王族の尊厳がぁぁぁ……ッ!!」
わたくしは、その場で、コテッと倒れてしまいました……。
「……あ」
ヴァレンシュタイン伯爵が固まる気配がしました。
「王女殿下ァァァァァァァァッ!!」
そこへ、血相を変えたお付きのブルガス伯爵と、近衛兵たちが駆け込んできました。
彼らが見たのは、倒れた王女と、その頭に手を置いているヴァレンシュタイン伯爵。
どう見ても、事案です。
「き、貴様ァァァァッ! 殿下に何をぉぉぉぉぉッ!!」
「……いや、これは違う。俺はただ、泣き止ませようと……」
「黙れ無礼者ォォォォッ!! 出会え出会えぇぇぇッ!!」
アールヘンの昼下がりに、お付きの伯爵の絶叫が響き渡りました。
わたくしの初めてのアールヘン視察は、こうして歴史的な大惨事とお漏らしで幕を開けたのです。
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